第2話③
翌朝。村の家畜は朝の放牧に出されて、森方面に広がる草地で遊んでいた。
草地には、ガーストン謹製の例の腐肉餌が隠すように撒かれていた。
――森から風が吹く。
危険な気配を感じ取った家畜たちは、首を上げて森の方を見やる。
すぐさまにも、動物たちが我先に逃げるように森と反対方向へ駆け出した。
――――ゴォォォォォ
逃げる動物たちの頭上から空気を裂く音が響く。
大きく翼を広げた影が駆けている。翼の先端から反対側まで20メートルはある。ひとたび羽ばたくだけで地表に強風を巻き起こす。
その影は旋回し、狙いを定める。
一気に急降下。
猛禽類が獲物を足で掴むような体勢で、逃げ惑う動物たちを踏みつけた。
ゴオオン!!
凄まじい衝撃音と共に地面が砕ける。同時に、あっけなく砕け散った家畜たちだった骨肉が辺りに飛び散る。それは地面を赤く染め上げる。
散乱した肉塊を咥えて、凶悪な顎で骨ごと噛み砕く。
「グオオオオオオ!!」
――大きなワイバーンが現れた。
ガーストンが手に入れていた資料によると、ワイバーンの生息域はモーディフォード村近隣の森とされていた。
実際に調査を開始して、ガーストンは首を捻ることになった。
ワイバーンが居た痕跡――食い残しや糞、寝床など――はあるが、肝心肝要のワイバーンが見当たらない。侵入した人間を警戒するにしても、鳴声や環境音も聞こえないのは不自然だった。
縄張りが変わった。そう考えたガーストンは別の場所に行こうかとも思ったが、追加で調査をして、別のワイバーンの痕跡を発見した。
その痕跡こそモードとジェリーが残したもので、痕跡からガーストンは『人間の動きに合わせて活動している個体が居る』と気付いた。
そして、ガーストンは『元々居たワイバーンが、人間を理解する個体を警戒して身を隠した』のではないかと推測を立てた。
囚人騎士ガーストンは欲深い男だった。
――どうせなら二体殺せば、より報償を得られる。
そこで立てた作戦が、『縄張りを追われて腹を空かせたワイバーンを餌で誘き出し、縄張りを守ろうと出てきたもう一匹もまとめて倒す』ことだった。
「……来たな、俺のワイバーン」
村から届く狂騒を聞きながら、空き家では肩当と胸当てだけの軽装鎧を着たガーストンがクレイモアの握りを確かめていた。
一匹だけでも難しい相手。それを二匹相手するとなると土地の利を得ておきたい。ただそれだけの理由で、ガーストンはモーディフォード村を戦場に選んだ。
「村人が時間稼ぎや牽制になるだろう。しっかりと装備を確認しておかなければ。死んでは無意味、だ」
鎧、帯、剣。順に装備の再点検を行い、最後に切り札となる銃を点検する。命中精度は悪いが、至近距離で頭にぶち込めば必殺となるだろう。
装備を整えた騎士が出立する。
「ふふっ。ああ、ワクワクする! 竜退治は騎士の誉れよな!」
村は狂乱に包まれていた。
逃げ惑う家畜と村人。ワイバーンは彼らを餌と認識し、村の敷地に侵入していた。
「ガアッ!」
ガチンッ。噛みつくだけで家ごと人間が抉られ、一人、また一人とワイバーンの腹に収まっていく。
ジェリーを警戒して縄張りを捨てた後、最小限の食事だけで耐え忍んでいたワイバーンにとって、モーディフォード村は最高の餌場だった。
もはや村人や家畜のことしか目に入らず、ここに警戒すべきものが居るとも思っていない。
それの様子を近くの家の屋根に立って見下ろすガーストン。
静かに、背のクレイモアを引き抜く。
逆手に持った剣と一緒に、ワイバーン目掛けて跳び降りる。
「ふんっ!!」
剣先を突き立てるように、全身を使って大剣を突き下ろす。
そのままワイバーンの頭目掛けて落下して、――ぐいっ、とワイバーンが首を捻って横に向け、片目で落下してくる凶刃に気付く。
ぐいんっ、と首を動かしてクレイモアの突きによる致命傷を避けた。斬られはしたが首は繋がっていた。
ワイバーンは横に跳んでガーストンと距離を取る。
ガーストンも後ろに下がって距離を取った。
「チッ、デカいくせに機敏だな。それに勘もいいじゃないか。ふふ、こいつの首を手土産にしたら、領主飛び越えて国王陛下から報償が貰えちまうぜ」
軽口を叩いてみせるが、ガーストンは大剣を中段に構えて盾にした。それだけ警戒しなければならない戦況だと認識した。
対するワイバーンも、首につけられた傷からガーストンの持つ大剣を警戒し、頭を下げて出方を窺う。
「どうした、トカゲもどき。いっちょ前に警戒しやがって。今度は首を綺麗に落としてやるから来てみろよ」
向かってきた所を樽か何かの影に隠れてやり過ごし、反撃でクレイモアを突き刺してやる。ガーストンがそう戦法を組み立てていた時、くいっ、とワイバーンが下半身を動かした。
鞭のようにしなった尻尾が、ガーストンに向かって斜めに振り下ろされた。
咄嗟に身体を後ろに引いたガーストン。
ビュンッ!
尻尾による殴打を避けられたが、尻尾が打ち付けられた地面が綺麗に抉られている。それだけ正確で強力な攻撃だと、被害が物語っていた。
「っ。 化け物め……!」
尻尾の殴打を受ければ死ぬ。それを実感した瞬間、ぶわっと冷や汗が湧き出る。
――距離を取った攻撃。一撃で死。危機的戦況。
ぐるぐる回る思考の中、ガーストンは強気な笑みを浮かべ続けている。
また尻尾が動く。鞭のようなしなりをもたせるために、尻尾の初動は振り上げと決まっている。
「今!」
その隙を見抜いたガーストンは剣先をワイバーンに向け、懐に飛び込んでいく。
ワイバーンの尻尾が振り下ろされるが、それより早く騎士は懐に到達した。
間近のガーストンを追い払おうと、ワイバーンは噛みつきを繰り出す。対するガーストンはそれを何とか凌ぎ、距離を離されまいとする。
少し遡って、村がワイバーンに襲撃された直後。
モードの家はワイバーン出現位置から離れた場所にあった。しかし、逃げてきた村人の警告によりワイバーンが出現したと知って、両親は大慌てで避難の準備を進めていた。
そして、ワイバーンのことを聞いたモードは、両親とは別の理由で焦った。
――ジェリー?
――まさか、お腹を空かせて? でも、備蓄のお肉は置いてた。どうして村に来た
の?
――でも、もしそうだったら……。私が、守らなくちゃ。
「行かなきゃ!!」
駆け出したモード。しかし、その手を両親が掴む。
「どこに行くの、モード⁉」
「ワイバーンが暴れてて外は危ない。来なさい、反対側に逃げるぞ!」
必死の表情、痛いほど強くモードの手を握る両親の手。
それは娘を大事に想う親の行動。モードにだってわかっている。
ここで、この手を離したらいけないなんてことは。
きっと驚くだろう。悲しむだろう。苦しむだろう。
――でも……!
モードは目一杯の力を込めて、両親の手を振り払った。そして、振り返らずに駆け出した。
背に両親が呼び止める悲痛な叫びを受ける。
けれども、かつてジェリーの鳴き声を聞いたときよりも心は痛まなかった。
それはもう、立ち止まる理由にはならない。
村の中央広場にやってきたモード。
土煙が充満していて見通しが悪い。バゴンッと何かが砕ける音と誰かの短い声が聞こえる。
建物の影から顔を出して、モードは辺りを見回した。
「凄い音……。お願いだから、ジェリーじゃないでいて……」
土煙の中で何かが動いている。
よく目を凝らして、動く影を観察する。
それは大きなワイバーンの影と、それと対峙する大きな人影。人影の方は何か長いものを持っている。
そして、ワイバーンの尻尾の先が土煙よりも高い位置に出てきた。
それを見た瞬間、モードは気付いた。
「あれ、ジェリーじゃない! ジェリーの尻尾に棘なんか付いてない。あれは別のワイバーンなんだ!」
ワイバーンの雄雌を見分ける方法は尻尾の先の形状だとされている。メスは尻尾の先に棘が付いており、オスは棘のない尻尾をしている。
ジェリーはオスで身体も小さい。村を襲うワイバーンはメスで身体が大きい。
村を襲うワイバーンがジェリーではないと知ったモードはほっとした。だが、少女のモードがシルエットだけで見ても、尻尾の長さと身体の大きさが違い過ぎて、人影の方が苦戦しているとわかる。
事実、戦う人影――ガーストンは苦戦を強いられていた。
懐に入って尻尾の攻撃は防いだが、家を砕く顎と大きな前足の叩きつけ、これらだけでも十分脅威で反撃の機会を失っていた。
攻め手が足りない。その戦況にモードも気付いた。
「……ぁ」
ふと、思いついた。思いついてしまった。
ジェリーが狩りで見せた機敏さと跳躍力。
――アレがあれば、ジェリーなら。あの子なら戦える。
モードは首をブンブンと振る。
「ダメダメ、ダメッ!」
あの子を守ると誓った。
こんな考えは間違っている。
と思っても。
思い浮かぶのは友達や知り合いの村人、村長の顔。そして、モードを引き留めた時の両親の顔。沢山の思い出がモーディフォード村にある。
モードが感じる、村という宝物を守りたい気持ちも本当で。
「ッ!!」
だから、モードはまた走った。森へ。ジェリーの下へ。
森の広場でジェリーは感じていた。
――自分の知らない警戒すべき存在が、自分のテリトリーに入った。
――初めての経験だ。どうすればいいかわからない。
混乱しながらも、待っていた。
習うべき存在。自分の親。リーダー。
モードがどうするのか。
いつもの広場で、モードは落ち着かない様子のジェリーを見つけた。
「ああ、ジェリー。気付いてるんだね」
いつものように撫でながら、モードは額をジェリーの頭に当てる。
「ごめんね、ジェリー……。あたし、お前を守るって約束したのに。あたしが危険な事からお前を守ってあげなくちゃいけないのに」
「グゥ~」
「あたしは弱いから、お前に飛び方さえ教えてあげられない。満足に餌もあげられない。守ってあげられない。……でも、ずっと一緒に居るよ。ジェリー」
目一杯強く、モードはジェリーの頭を抱く。もうジェリーの頭は、モードの腕が回りきらないほど大きくなっていた。
「ジェリー、あたしの村を守って。村も、あたしの宝物なの」
どうするか、示された。
ジェリーはそれを受けて咆哮した。
「――ッグガアアアア!」
ガーストンとワイバーンの対決は、ガーストン側が圧倒的に劣勢だった。
切り札を切るにも、その為の隙を作るだけの攻め手に欠けた。
「時間はあるか……?」
もう一匹森に居る個体のことも気にしているガーストンは、このワイバーンを早く片付けてしまいたかった。
ワイバーンも中々倒せないガーストンよりも、もっと楽な獲物を求めていた。
すると、森から別のワイバーンの咆哮が響いた。
戦場の注意がそちらに向く。
森がざわざわと揺れている。揺れは村に向かって移動して、やがて木々をなぎ倒して、森から小さなワイバーン――ジェリーが四つ足で駆け出してきた。
村を襲うワイバーンよりも一回り小さいワイバーンの登場に戦場は混乱した。
トカゲのように走るジェリーは大口を開けて威嚇しながら、侵入者であるワイバーンに向かって進行する。
ワイバーンは乱入者を警戒して、空に一時避難しようと羽ばたいた。
風圧に飛ばされないようにガーストンは大剣を地面に突き刺して堪える。
「ぐぅ、逃げる気か⁉」
ジェリーは速度を上げていく。まだかなりの距離が空いている所で、勢いのままに跳躍した。
高く跳びあがったジェリーはワイバーンの足に噛みついて、首を捻って地面に引きずり落とした。
「グゥ!」
「ギャゥ⁉」
そのままワイバーン同士が建物を破壊しながら揉みくちゃに転げまわる。
突然始まったワイバーン同士の戦いの激しさに、ガーストンは呆気にとられていた。
そんな彼に少女の叱咤が飛ぶ。
「ちょっと、あんたも戦いなさいよ! 退治するんでしょ!」
「あ? どこから……。おいおい、冗談だろ?」
少女の声は――小さなワイバーンの背中に乗っているモードから発せられていた。
戦闘の余波でモードは振り回されながらも、ジェリーにしっかりとしがみついている。守る約束は破ってしまったが、一緒に居るという約束は守り抜こうという想い。そして、一緒に戦うという覚悟で耐えていた。
「くそ、面倒なことになったな!」
ガーストンもワイバーン同士の戦いに乱入していく。
ジェリーを新手の敵と認識したワイバーン。飛んで逃げようにも、ジェリーの跳躍を警戒して飛べず。尻尾を振るうために距離を取った。噛み合いは自分にも損傷があると生物的本能で判断したのだ。
ワイバーンの尻尾の動きに気付いたモードが叫ぶ。
「伏せて!」
モードの声に反応して、ジェリーが身を屈めてそれを避ける。
そして、ぐいっと首を伸ばして跳躍し、伸びきった瞬間の尻尾に噛みついた。
飛べないジェリーが小さくて逃げ回る動物たちを相手に狩りをするには、素早く噛みつき一撃で仕留める必要があった。その狩りの繰り返しが、鞭のように振るわれる尻尾を見極め食らいつくのを可能にする瞬発力と反射を鍛えた。
「ギャガア⁉」
「ガグググ……!」
ワイバーンが尻尾を引き戻そうとする。しかし、尻尾を捕らえたジェリーは歯を突き立てて必死に踏ん張って抵抗した。
ワイバーンの動きが止まった。
その隙に、ガーストンがワイバーンの懐に飛び込む。ワイバーンが噛みつけないように伸びた尻尾を盾にして。
ワイバーンの頭の真下に到達した。
「――っ、ふんぬ!」
クレイモアを、力いっぱいに顎目掛けて突き立てた。
鮮血を噴き出し、大剣が深々とワイバーンの頭に刺さる。
「グ、グゥ、ブジュ……!」
……ギギギ
ワイバーンは未だに動く。
首を捻って、ガーストンを憎らしげに睨みつけている。
「グ、ググ!!」
凄まじい膂力で顎を開いて、ガーストンの頭を砕こうと迫る。
「奥の手の出番だ」
ガーストンは大剣の柄から手を放し、腰に回す。
腰の銃を引き抜き、腕ごとワイバーンの開かれた口に突っ込んだ。
その銃口は、大剣が付けた上顎の傷口に向けられていた。
「これなら外さん。死ね」
ワイバーンの口が閉じるよりも、ガーストンの指が引き金を引く方が早かった。
頭蓋の中に銃弾が飛散したワイバーンは絶命した。
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