第2話②

 一年後。モードの献身ですくすくと育ったジェリーは立派な翼と尻尾を持ち、すでに森の動物たちよりも大きくなっていた。


「…………」


 器用に森の景色の中に大きな身体を隠して気配を消す。

 ジェリーの十メートルほど前を鹿が横切ろうとした。

 途端に、ジェリーは飛ぶように鹿

 モードの用意する餌では到底満足できなくなっていたジェリーは自然と狩りをするようになった。本来ならば空を飛んで狩りをするのだろうが、育ての親が少女ではワイバーンの生き方が身に付かない。手本となるべきモードも、空を飛ぶ方法を教えられなかった。

 これがジェリーが編み出した狩りだった。

 鹿を骨ごと噛み砕いて食べるジェリーだが、熊よりも大きくなった身体ではやはり鹿一頭程度で満足することがない。


「グ、グゥ」

「落ち着いて、ジェリー。きっと何とかなるから」


 空腹に呻くジェリー。その頭を撫でて落ち着かせるモードは悩んでいた。

 

「どうしよう、森の動物たちも出てこなくなってきた。そもそも数が少ないのはどうして? ジェリーを怖がってるのかな」


 昼寝するジェリーの温かい身体に身を預けて、モードは木々の間から差し込む陽を浴びる。悩む間に、モードも眠ってしまっていた。



 夜のモーディフォード村、村の端にある空き家前。

 口元を布で覆った村の男数名が、ガーストンの指示で酷く臭いものが詰まった樽を何個も用意していた。


「くぅ。鼻が今にもいかれそうだ」

「喋るな。息を浅くしないと吐くぞ」


 男たちは心底嫌そうな顔をしたまま、樽を家の前に停めてある馬車に運び入れていく。

 積み込みが終わったらまた空き家の中に戻って新しい樽を持って出てくる。

 空き家は囚人騎士ガーストンの仮住いとして宛がわれたもので、ガーストンは調査拠点として使っていた。今空き家の中で樽の中身を作っているのもガーストンだ。

 血まみれのガーストンが鉈で、家畜の死肉を腐らせたものを砕いていく。バラバラになった腐肉を大量の血液で一杯の樽にボトボトと入れる。

 一人の村人が猟奇的光景に臆しながらも、ガーストンに声を掛けた。


「っ。あ、あの。これは何なのですか、騎士殿」

「……これが最後だ。早く運べ」


 樽は酷い悪臭を放ち虫がたかっている。納得がいっていない顔だが、村人はそれを持って家を出た。

 全ての樽を作り終わったガーストンも家を出て、汲み水を溜めている桶をひっくり返した。豪快なやり方で全身を水洗いした。


「スンスン……」


 鼻をひくつかせて身体にこびりついた匂いを嗅ぐ。


「うぐっ……。はぁ、最悪だが上出来だ。後は撒くだけだ」


 運び込みを終えた村人たちが挨拶に来て、早々に立ち去っていく。皆一様に今にも吐きそうな酷い顔をしていた。

 一人残ったガーストンは身体を拭いた後で、馬車の荷台に積まれている腐肉詰めの樽を眺める。


「餌は出来た。準備は整ったな」


 樽はワイバーンをおびき寄せるための餌であり、きつい臭いは自分の体臭を消すため。これらを夜の内に、村外れの森の手前に撒き散らす。

 村にワイバーンをおびき寄せるつもりだった。

 村には大勢の人間が居る。ワイバーンにとってイイ餌場となる。であれば、ワイバーンをその場に惹きつけておくこともできる。さらに言えば、村の建物が戦いを有利に進めるための助けとなるという戦略もあった。


「汗水流して死肉に塗れたんだ。絶対に殺してやるぞ、ワイバーン」


 罠を仕掛ける準備を終え、出発前に明日の対決を想い闘志を燃やしていたガーストン。

 ふと、村の外れ――森の方から出てくる人影を見付けた。


「こんな時間に……?」


 不審に思ったガーストンは目をこらす。

 彼が見つけたのは、森から帰って来たばかりのモードだった。


「村娘か。何故、このような時間に森に……。おい、そこの娘!」


 ワイバーンとの対決に、もしもがあってはならないと考えたガーストンはモードを大声で呼びつけた。森に居たのなら、現在の森の様子を知っているだろうから。情報を確かめておきたかった。

 男の大声に驚いたモードだったが、それが馬車の傍に居るのを認めて小走りで近付いた。

 モードは身体に付いた葉っぱを気にもせず、酷い臭いに顔を歪めながらガーストンと馬車を見やる。不安げな顔で大男に問かける。


「何? この酷い臭い……。肥溜めみたいだけど、もっと血臭い……」

「ちょっと仕事でな。それよりも、お前だ小娘。お前こそ、こんな時間に森で何をしていた」

「遊んでただけ。昼寝してて、起きたら暗かったから急いで帰ってきたの」

「昼寝だと? ……やはりテリトリーに居ないのか……どうして移動した……いや……」


 ぶつぶつと呟きながら思案を始めたガーストンに、モードは馬車の中身を問う。


「ねえ、騎士さん。これは何? 酷い臭いだけど」

「ん? お前に話す必要などない」

「む。そっちの質問に答えたんだし、別にいいじゃん。それとも騎士さんにとって恥ずかしいものでも入ってるの? 余計気になるんだけど」

「チッ。面倒なガキだな。そんなに知りたいなら見せてやるよ」


 ガーストンはモードを馬車の近くに呼んだ。モードが馬車を覗き込んだのを見計らって、手近な樽の蓋を開けた。

 もわっと、死臭と腐臭が混じった生温い刺激臭がモードを襲う。


「ぐぎゃっ⁉」


 奇妙な悲鳴を上げて馬車から転げ落ちるモード。ガーストンは鼻を押さえてのたうち回る少女の様子を見て大笑いする。


「ハハハ! お子ちゃまには早かったな。大人の仕事には誰もが嫌がるようなものもあるんだ。これに懲りたら、さっさと家に帰れ」

「うぅ……。こ、こんなの一杯用意してどうするつもり?!」


 涙目になって鼻を押さえるモードは、顔を真っ赤にしてガーストンを詰問する。

 ガーストンは馬車に乗り込み、モードの横を通り過ぎる際に答えた。


「ワイバーンを誘き出すんだよ。女らしさを磨け、小娘。まるで猿だぞ」


 そう言い残して、森の方に向かって遠ざかるガーストンを見送ったモード。

 彼の騎士が口にした「ワイバーン」という言葉を、何度も頭で繰り返す。


「大人たちが言ってたワイバーン退治をするって本当だったんだ。ジェリーを狙ってるの? ううん。大丈夫、ジェリーは死んだ肉は好きじゃない。あんな臭いのじゃ森から出てこない」


 囚人騎士の後をつけて、先回りしてジェリーを逃がそうかとも考えた。

 それはダメだ、とモードは首を横に振った。


「今は眠る時間だから、変に起こして興奮する方がマズイ。明日、お腹を空かせる前にジェリーの所に行こう。森の奥に移動するんだ」


 帰路につきながら、モードはジェリーを安全な場所まで連れていく計画を必死で考える。

 大人たちの都合などお構いなしに、モードはジェリーのために行動するつもりだった。


「絶対にジェリーを守ってみせる。あたしのジェリーだもん」

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