第1話③

 眼前に開けた空間が現れる。

 大きな池が一つ。月が水面に映るほど水は澄んでいた。

 キョウコとマサミは清涼な空気と神秘的な光景に息を呑んだ。



「綺麗……」

「絵画みたい」


 ヤガミが「うおおお!」と興奮しながら駆け出す。ユースケも息を漏らして池の方に歩いていく。

 来るまでの怯えが嘘のように、あっという間に四人は池のそばで遊んでいた。

 

「冷たッ。くぅ~最高!」

「はしゃぎすぎてスマホ落とすなよ、ヤガミ」

「キョウコ、見てよ。こんな綺麗で澄んだ池なんて見たことない!」

「うん。綺麗だね」


 夜空の雲が流れていく。

 月光の輝きが増して池を照らし出す。

 ユースケは、美しい池と月明かりの下ではしゃぐ女子二人の写真を撮ろうとした。

 カメラを二人に合わせようと池に向けた時――画面内に映る影を見た。


「……何だよ、アレ」


 ユースケの声に、三人が池の方を見る。 

 池の真ん中に巨大な蛇の影が。


「ひっ⁉」


 短い悲鳴を上げたキョウコの顔面は蒼白だった。

 ”視える”体質のキョウコは視認してしまった。その影が動物や見間違えではない、超常の何かだということを。

 キョウコには、よりはっきりと影の輪郭が見えていた。


 蛇のような長い身体、長いヒゲ――絵に描かれる龍・・・・・・・そのもの。


 キョウコの異変に気付いたマサミは、キョウコの手を取って急いで池から上がろうとする。途中で振り返り、固まったままのユースケに向かって叫ぶ。


「早く池から上がって!」

「あ、ああ!」


 バシャバシャと走るユースケはヤガミがついてこないことに気付く。

 振り返ると、ヤガミは興奮した様子で巨影を撮影しようとしていた。


「すげえ、すげえよ! すげえよ、こりゃあ!」

「何やってんだバカ! 早くこっち来いよ!」

「これを撮らなくてどうすんだよ! 畜生っ、顔出せよ!」


 撮れ高を求めるヤガミが水を蹴飛ばした。

 その程度で巨影はピクリともしない。

 業を煮やしたヤガミは水底の石を拾い上げ、巨影に向かって放り投げた。


 ボッチャン!


 巨影の居た辺りに石が落下して、大きな波紋が池全体に広がった。

 影の主が姿を現すことに期待して、ヤガミはスマホを構える。

 しかし、何も起こらない。波紋は次第に小さくなり、やがて水が凪いだ。

 巨影の姿も消えていた。


「ど、どこ行った? 撮影しなきゃ」

「バカ野郎! 何してんだよ、早く逃げるぞ」


 消えた巨影を探して池の中心にいこうとするヤガミを、戻ってきたユースケが引き留めた。

 撮影を諦めていないヤガミは必死に抵抗する。


「バカ、アレを撮影できたら絶対バズるだろうが! きっと潜ったんだ。もっと石落として誘き出してやる」

「止めろって」


 撮影に躍起となっているヤガミとそれを止めようとするユースケが取っ組み合いを始めた。

 一方、マサミにつれられてキョウコは池の外に出ていた。その顔はまだショックから抜け出せずに呆然としたままだった。


「キョウコ、しっかり! しっかりして! あれは何?」

「あれは……わからない。あんなの見たことない。力があるんだ・・・・・・

 

 “視える”キョウコにしかわからない視覚。特別な力が様々な色の光になって視える。多色であるほど、それは強力な力だということ。そして、キョウコが視た色は、一度も視たことのない虹色。

 

 ――バアァン!


 突如、空に弾ける音が響いた。ピカッと赤や黄に染まった。

 木津川の花火大会が始まったのだ。


「……あ、花火」


 正気を失ったままのキョウコは光につられて空を見上げた。

 彩り豊かな花火が夜空を染めている。

 その中を、黄金色の影が飛んでいる。

 

 キラキラと輝く黄金色の影。

 それは羽ばたくように揺れ、池の上空を旋回する。


 キョウコの体質に馴染んでいる本能が、強烈に思考へ訴える。

 ――アレは池に居たのと同じ。

 本能による警告の甲斐なく、意識とは関係なく思考がシャットダウンしていた。”視える”体質ゆえに、黄金鳥をより詳らかに視てしまったのだ。

 視えた色は輝かしい黄金。その色があまりにも美しくて、キョウコの意識を釘付けにしていた。


「……黄金の鳥」

「黄金の鳥? 何を見て――」


 キョウコが視ているものを見ようと、マサミも空を見上げた。

 ――バン、バァン! 

 花火が二連続で弾けた。

 黄金鳥は消えていた。


「……キョウコ?」

「居たの。黄金の鳥が。黄金鳥が」

「キョウコ!」


 二人のやり取りとは別に、池の中で取っ組み合っていたヤガミとユースケの方は決着がつきそうであった。


「いい加減にしろよ!」

「あ、お前⁉」


 揉み合っていたユースケの手が当たり、ヤガミのスマホが水没した。

 ヤガミはすぐに拾おうと手を伸ばしたが、ユースケがそれよりも速くヤガミの手首を掴んで引っ張った。


「離せよてめえ。スマホが落ちてんだよ!」

「うるせっ。さっさとこんな場所から逃げんだよ」

「離せ、離せよ。離せったら、――」


 途端にして、騒がしいヤガミが黙った。

 不思議に思ったユースケが振り返ると、ヤガミを掴んでいた手を放して腰を抜かした。

 ユースケが尻もちをついた音に、マサミとキョウコが池の方を見る。


「……あ。黄金鳥」


 池の真ん中――丁度巨影が居た所に、キョウコが視た黄金の羽根を持つ巨鳥が佇んでいた。


 黄金鳥は人間たちを睨視する。

 

 黄金鳥の足元に広がる水面に、その影が映る。

 影は水面に長くながく伸びている。

 水面に映る夜空と合わさって、まさに空へと昇る龍だった。


 黄金鳥が人間たちを睥睨へいげいしている。神秘存在のまなざし。それだけで人間は言葉を失くして、命をわしづかみにされる圧迫感に身体を支配されていた。

 領域へ足を踏み入れた侵入者。それらの滞在を許可するかどうか。

 黄金鳥は領域の主として、それを思案している。


 そして、決は出た。


 黄金鳥は嘴を空に向けて、

 ――啼いた/絶叫した。



「ギギギギィ! ギイーーーー!」


 おぞましい叫び声に聞こえる鳴声は、人間たちの心を瞬く間に恐怖一色に染め上げた。

 やにわに四人は逃げ出した。



 




            《龍之鳥池入るべからず》

            《おぞましい声の怪物が棲む》

            《龍神が住まう池なり》

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