第44話
「奥様、ご来客です」
「そう、どなた?」
「王太子殿下です」
「フレッドではなく、わたくしに御用なの?」
「はい。旦那様はご不在だとお伝えしましたが奥様を出せと仰っておられます」
本当にフレッドの予想通りになったわ。
あれから1週間。エリザベスとも通信魔法で話したけど、わたくしを相談役には絶対しないと言ってた。わたくしが望んでも拒否すると国王陛下に伝えてあるそうだ。王妃様もエリザベスに賛成して下さっている。なのに、王太子殿下だけはわたくしをエリザベスに付けるべきだと頑ななのだそうだ。
エリザベスがフレッドの重要性を説いても、聞いて頂けないらしい。
「まるで別人になってしまわれたようなの。話が通じなくて……」
そう言って泣いていた。おかしい、そう思ってエリザベスとの通信が終わってフレッドに報告したら、難しい顔をしてカールと出かけてしまったわ。
確かに、王太子殿下はきちんと周りの話を聞くお方だった。意志が強い方ではあるけど、この状況で国王陛下の話も聞かないなんておかしい。
まるで、何かに操られているようだ。
想像して、ゾッとした。
精神に作用する魔法は、失われている。大昔は魅了魔法などの精神に作用する魔法があって大変だったと歴史で習った。禁止されてから使える者が居なくなり、廃れていったそうだ。
……だけど、廃れた筈の魔法を知る者が居たら?
あのエリザベスが、泣くくらい王太子殿下のご様子はおかしい。だけど、理由が分からない。何か、証拠を集めなくては……。
わたくしは、覚悟を決めて懐と髪の毛の中に記録玉を忍ばせた。屋敷では、記録玉も使えない。だけど、録画魔法を起動しておけば記録できる場所に移動した時自動的に録画される。
もし、王太子殿下が正常な状態なら、
わたくしの行為は不敬罪。だけど、エリザベスの為にわたくしが出来る事はこれくらいしかない。
フレッドから贈られたネックレスとブレスレット、指輪、アンクレットを付けて、服の中と結い上げてある髪の中にも同じ効果のある数個のアクセサリーを隠す。
フレッドから、外出する時はどれかを付けるように言われている。魔道具になっているから、居場所が分かるそうだ。
「フレッド、ごめんなさい。絶対に屋敷を出ないと約束したけど……守れないかもしれないわ」
フレッドはこうなる事を予想していたのだろう。
いつもは仕舞われているアクセサリーが、全てベットサイドに置いてある。わたくしが身支度をする時に必ずここにアクセサリーを置く事を知っているからだ。
先生の教え、その10。夫となる人が、心から尊敬できる人である場合は、どんな困難でも乗り越えていけるだろう。
先生の教えは正しかった。
以前なら怖くて逃げていたと思う。だけど、わたくしはフレッドの妻でエリザベスの親友。
先生の教え、その7。逃げることは悪い事ではない。戦略的撤退が出来ないものは状況判断ができない無能だ。
……だけど、戦略さえ立てていれば逃げなくて良い。
わたくしは手早く準備を済ませて、応接室へ入った。
「来たか。話がある」
部屋に入った途端、挨拶もせず話をしようとする王太子殿下。
やっぱり、おかしい。
こんな方ではなかった。わたくしにもきちんと礼儀正しく話して下さる方だった。
「ふん、いつまで経っても返事がないからわざわざ僕がこんな辺境まで来てやったんだ。ありがたく思え」
……やはり、いまの王太子殿下はおかしい。こんな事言う人じゃない。目が動いてないし、態度も横柄だ。
「おい! 返事をしろ!」
怒鳴ったりなさる方ではない。
「失礼致しました。王太子殿下が供も連れず、先触れもなく訪れるとは思わなかったもので……」
「僕は王太子なんだから、好きなように出来る。なのに何故、みんな僕の命令を聞かない?」
「わたくしは王太子殿下からご命令など受けておりませんわ」
「エリザベスの相談役になれと言っただろう!」
「……あくまでも、わたくしが望めばと仰ったではありませんか。エリザベス様は優秀なお方です。わたくしの知識では、エリザベス様をお支えするには足りません。エリザベス様も、わたくしのような未熟者を相談役に望んでおられませんわ」
「あの子は、強がっているけど本当は弱いんだ。だから、もっと支えてやらないと……」
王太子殿下の身体の周りに、黒い靄がかかる。これは……!
「王太子殿下!」
わたくしは証拠を掴もうと、その靄に触れた。すると……。
「あ……あああっ……!」
幼い頃からの、嫌な記憶が甦る。何度も、何度も……。辛かった、苦しかった、なんとか上手く誤魔化して生きてきたけど……、あんな家なくなってしまえば良いと思ってた。
自分の心が、憎しみと不安に押し潰されそうになる。
「奥様! 奥様!」
わたくしの叫び声に、部屋の外で待機していた使用人達が駆けつけてくれた。
「なっ……! 2人で話すと言っただろ! 僕の命令を無視するのか!」
「恐れながら申し上げます。我々が最優先するのは、奥様です。一体、奥様に何をなさったのですか!」
侍女達が、必死でわたくしを守ろうとしてくれる。
護衛の騎士達が、王太子殿下に武器を向けようとしている。
駄目……! そんな事したら……!
わたくしは……みんなを失いたくない……!
「奥様! 旦那様に連絡を取りに行きました! ご安心下さい! フレッド坊ちゃんが、すぐに来ますからね!」
古参の侍女であるメアリーの声がする。
彼女は、わたくしがフレッドと結婚した時に泣きながら喜んでくれた。フレッドの乳母をしていたらしく、フレッドも照れ臭そうに笑っていた。
……フレッド?
そうよ、わたくしはフレッドの妻。
腕に付けられたブレスレットが淡く輝く。
わたくしにはフレッドが居る。
怖がる事なんて、何もない。
「……なっ……何だこの光は……!」
「みんな、わたくしは大丈夫。フレッドに連絡しなくて良いわ。武器も、下ろしなさい」
わたくしが命じれば、全員心得たと礼をして部屋を出て行った。
「王太子殿下、部下が失礼致しました。寛大な王太子殿下は、この程度の無礼はお許し下さいますよね? わたくしとのお話も、終わっていないのですから。それとも、部下を罰しますか? でしたら、主人であるフレッドを今すぐ呼び戻しますので、処罰を」
王太子殿下は、おそらくフレッドの不在を知っている。ゲートは便利だが、使用すれば王城に伝わる。フレッドが外出してすぐ来たのなら、きっとわざとフレッドが不在の時を狙ったんだわ。
お父様もお母様も、現在は王城に滞在している。ミリィとカールはこの屋敷に住んでない。狙いはきっと、わたくしだわ。
どうします? 部下を罰するなら今すぐ夫を呼びますわよ?
わたくしの遠回しの脅しは、王太子殿下に通じたようだ。
「……いや、良い。僕は寛大だからな、許してやる。武器も抜いていなかったしな。武器を抜いていたら、僕を傷つけていなくても許さないところだったが」
精一杯の譲歩をした。そんな態度の王太子殿下。
ですけど、おかしいですわよね?
うちの騎士達は、その気になれば一瞬で武器を抜いて攻撃し、何事もなかったかのように武器を仕舞う事も可能ですよ。彼らが武器を抜いて、貴方が無傷などあり得ない。王太子殿下もご存知でしょう?
先程わたくしが浴びた黒い靄、あれが何か悪さをしている事は間違いない。
もういい、遠回しではなく直接聞いてみよう。
「殿下、先程の黒い靄は何ですか?」
「……なんの話だ?」
殿下は、おかしな靄に気が付いておられない。
「殿下の周りに、黒い靄が出てきました。エリザベス様の話をした時です」
「……なんの話だ? それより、エリザベスの相談役になれ」
話が通じないとは、この事ね。まるで印刷した新聞を何枚も重ねるかのように、同じ態度で話す王太子殿下。
やはり、おかしい。
「お断りします」
「なっ……! 親友を裏切るのか?!」
「どうしてわたくしが相談役にならないとエリザベス様を裏切る事になるのですか?」
「エリザベスを支える人が必要なんだ!」
「エリザベス様には、王太子殿下がいらっしゃるでしょう?」
「……僕じゃ駄目なんだ。だから……!」
王太子殿下の周りに、再び黒い靄が浮かぶ。靄はどんどん大きくなり、王太子殿下の身体を包み込んだ。
「……今すぐ来い。命令だ。良いな?」
完全に意志を失った王太子殿下が、冷たく命令を下す。
「かしこまりました」
もう一度あの靄に触れる訳にいかない。このブレスレットをお渡しすれば、もしかしたら殿下は正気に戻られるかもしれない。だけど、このブレスレットは、フレッドが渡してくれた辺境伯に代々伝わる宝物。本来ならば、緊急時にしか使わないし、辺境伯であるフレッドしか使う事を許されていない。
それなのにフレッドは、わたくしが使用する許可を取った。普通は家族が反対すると思うのだけど、お父様もお母様も、カールもミリィも……他の身内の方々も誰一人反対しなかった。
満場一致で許可が下りて、四六時中わたくしの腕に装着されている。フレッドが許可を取り消さない限り外れないらしい。
意志の強ささえあれば、あらゆる厄災から身を守ると伝えられている宝物。これを手放す訳にはいかない。特に、今の王太子殿下には渡せない。
今ここで抵抗すれば、みんなは間違いなくわたくしを助けようと王太子殿下に手を出す。
そうなれば、大事な部下や使用人だけでなく、フレッドも危険だ。
フレッドが必死で守っている辺境を、失ってたまるか!
エリザベス、待ってて! 貴女の大切な方は、必ず元に戻してみせる!
わたくしにはどうしたらいいか分からない。けど、フレッド達が必死で調べている。カールも付いてる、きっと何かを掴んで来る。
わたくしが何処に行こうと、必ずフレッドは迎えに来てくれる。わたくしが連れ出されれば、連絡するなとわたくしが命じても使用人達は絶対すぐにフレッドに連絡する。
うまくいけば王太子殿下の異常の原因を探れるかもしれない。
わたくしは、自分の出来る事を成すだけ。必要な準備はフレッドとしてある。辺境伯夫人を無断で連れ出せば、王太子殿下の地位も危ぶまれるけれど、あの黒い靄から察するに、殿下のご意志ではない。
エリザベスが、こんな考えなしの人を心から愛する訳ない。
わたくしは大人しく、王太子殿下に連れられてゲートをくぐった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます