俺が時を止めた。隣の幼馴染が赤信号へ飛び出した

ほりやんやんやん

俺が時を止めた。隣の幼馴染が赤信号へ飛び出した

 それは、日常をぶった切って突然訪れた。

 いつもの高校の帰り、幼馴染の同級生、新庄真紘と部活や学校生活の愚痴や他愛無い話を言い合いながら帰る帰り道であった。


「うわっ!? とっとっと」


「ちょ、大丈夫かよ。真紘、ほんっとなんにもないとこで躓くよなぁ」


「だいじょーぶだいじょーぶ! 私体幹めっちゃ鍛えてて転ばないからっ!」


 彼女は強気な笑顔でVサインを向ける。はぁ、とため息を落として目を逸らし、やれやれと返した。


「ま、怪我ないならいいけどさ!」


「えへへ、心配ありがと!」


 それから、横断歩道で信号待ちをしていて靴紐を結んでは立ち上がり、信号長くね?と思っては視線を前に向けたその時だった。


 それは突然やってきた。


 音のない世界。風のない世界。

 俺は一人呟いた。


(俺が……時を……止めた?)


 小鳥は空中で動きを停止させ、羽を大いに広げたままに、落下の様子を見せない。車もトラックも、まるで停車したように動きは無かった。


 俺も一男子高校生である。こうなった時に考えることなど一つだった。


(えっ、……えっちなことし放題じゃん!?!?)


 おあつらえ向きに、すぐ左には真紘が居る。横目に身体を眺め、彼女が一歩踏み出したことによりたなびいたスカートに目を向けた。ぐへへ、と彼女の顔色を伺う。


 その時初めて気がついた。


(なんて顔してんだよ)


 彼女は眉を顰め、真っ青になって歯を食いしばっていた。


 視線の先を追う。目の前にはサッカーボールを追いかけて横断歩道へと飛び出した小さな男の子。


 ────信号機は無論、赤色だった。


 俺は衝動的に足を一歩踏み出した。


 その時だった。


 キキキキーッッッッ!!!


 右耳をつんざくような爆音が脳の奥まで響き渡った。


 こちらへと顔を向ける大型トラックのブレーキ音だった。俺が進めた一歩すら後悔させるには十分な近さだった。


 身体が死の恐怖により警笛を掻き鳴らす。瞬間的に脈拍は爆増した。


 ここで、また時が止まった。


 トラックは止まって、掻き鳴らした筈の心臓の音すらも、もう聞こえない。冷や汗が毛穴という毛穴から吹き出した感覚がまだ記憶として新しく残っている。


 真紘は既に俺の手がもう届かない所まで走り出していた。目の前の子供はまだ事態にすら気づいてすらいない。


 もはや何が起こったかも解せぬままに俺は滅茶苦茶な脳内で必死に論理演算する。


(トラックはあと何秒で到達する)

(真紘の一歩と俺の一歩の距離が違いすぎる)

(間に合うのか)

(真紘はトラックに気づいてるのか)

(子供は、親は何やってんだよ)

(時止めれてねえじゃねえか)


 コンマ数秒で思考を巡らして、鈍感な俺はここでようやくそれに気づいた。


(また時が止まったのか!?)


 頭が真っ白になった。考えが煮詰まっているような、その実何も描いていないような。


 何が起こっているのかはまるで分からなかったが、ここにきて時間だけが与えられ、一旦冷静になることができた。


 そうして、無限とも思える時間の中で一度ここで起こったことを纏めることにした。


 ・俺は時が止まった世界で思考できる

 ・俺が動き出すと同時に時も動く

 ・右から突進するトラック。恐らく横断歩道までに停止するのは不可能

 ・彼女はトラックが見えていない

 ・奥の車道を走る車は見えない


 これらの材料から、俺は彼女の背中に突っ込み、子供を抱えた彼女を奥の車道へとタックルするという作戦を考えた。


(あいつの体重くらいなら片手で持てる、はず。子供も併せて、火事場の馬鹿力でなんとかしろ俺)


 一人より二人だ。もし真紘と子供が轢かれたなら、ここで立ち止まっていたら俺は一人それを眺めてただけのクズになる。


 この力は、きっと神様が与えてくれた、彼女の命を救うための時間なのだ。


 俺はこの時、そう信じていた。


 だから、人生でのこれまでの全力を振り絞り、彼女の背中へ向かって飛び込んだ。





 ────時は動き出す。


 キキキキキキッッッーーー!!!


 轟音は更に迫力を増し、生命の危機である事を身体は必死に伝える。心臓が行くな逝くなと必死に訴えかける。


 構うものかと倒れるくらいの前傾姿勢で踏み出した。音はもはや聞こえない。完璧なスタートだった。大きな一歩を踏み出す。


「え」


 その時、俺は確かに呟いた。目線のすぐ先には彼女が躓き、転倒する姿。子供がようやく事態に気づき、ボールを置いて振り返る姿。


 また、時が止まった。


 もはや目前に迫るトラック。運転手が必死でハンドル操作をしたのだろう、車体が左に傾いている。俺達との距離は10メートルもないだろう。


 次に動き出した時。その時に必ずそれは横断歩道に到達し、俺達をすり潰すと考えられる。


 彼女の絶望に染まった顔。幼き頃より行動を共にする、お転婆な彼女がこのような顔をしたのを見るのは初めてのことだった。


(申し訳無さそうな顔すんなよ)


 思えば、今更だが、彼女は幼き頃よりドジっ子だった。蝉を捕まえようとして目におしっこをかけられてギャン泣きしたり、追いかけっこでもよく転んでは泣いていた。


 しかし、そんな時だっていつも彼女は最後には「だいじょーぶ!」と笑窪の似合う笑顔で言い放った。それにどれだけ俺が救われきたか。


 俺が父にボコボコに殴られた時だって。学校で殴り合いの喧嘩になった時だって。愛犬が天国に旅立った時だって。


 いつだって彼女の存在に救われた。


 陸上部に入ったことだって。なんなら同じ高校に通うことになったことだって。

 全部、全部、彼女がその言葉を俺に吐きかけたせいだ。


 ───いや違う、こんな時にまで見栄を張る必要はないだろう。


 そうだ。俺が一緒に居たかったからだ。臆病な俺が真紘にそう言わせ続けたのだ。好きだなんて言えなかった。俺が真紘に救われ続けたからだ。


 ここにきて、俺は少し泣きそうになった。

 気づいてしまったからだ。

 この現象が、

 この永遠にも感じられる時間の波が。


 それら全てが。


【走馬灯】と呼ばれるものだと気づいたからだ。


 俺が時を止めたなんて嘘だ。そんな大層なこと俺にできる筈がない。


 思えば、俺はこんな力を得ても『避こう』とは全く思わなかった。結局馬鹿なのだ。彼女のことが大好きなのだ。


 最初の一歩がせめて今回の一歩ほど大きければ、冷静であれば。変なことを考えなければ。そもそも彼女だって倒れずに済んだかもしれない。なんてことすら考えていた。


(死にたくない。死なせたくない。彼女と別れたくない。ずっと一緒に居たい。この時がずっと続けばいい)


 なんて、つまらないことを考えた。


 永遠とはかくも恐ろしいものなのか。


 縋り付く意味も必死に求めても手に入らないのに、誰だって欲してしまう程に、魅力的だ。


 だが、それ以上に、追い求めれば追い求める程に残酷だ。何故なら、そんな物は無いからだ。


 故人は言った、『諸行無常』と。人間など天上天下須く死ぬのだ。この言葉を残した人間だって既にこの世に居ない。


 考えれば考えるほどに、死ぬという現実を俺に突きつける。それはいい。仕方ない。


 そして、愚かな事に、失うと分かってから、全て後の祭りであると理解してから、ようやくそれらの尊さに気付くのだ。


(こんなことになるなら、好きだって伝えときゃよかったな)


 何時だって伝える機会はあっただろうに。失うと分かってからでないと時間の大切さだなんて気付かなかった。思えば、産まれついてから永遠に近しい時を、余りに幸せな時間を彼女と過ごしたように思える。


 しかし、終わりがあるから、それらに気づけた。



 ここに来てまで、彼女の【だいじょーぶ】に、縋り付く自分が恥ずかしかった。


 真紘に、ありがとうと伝えたかった。大好きだと伝えたかった。せめてそれらだけでも伝えて死にたかった。


 俺はここにきて作戦を変更することにした。


『真紘だけでも助ける』


 どちらも死ぬ。それだけは防ごう。残された時間、彼女を抱えて脱出するのは厳しくとも、勢いをそのままに彼女を放り投げるくらいならできるかも知れない。


 そしたらその時は、好きだと叫んで死のう。


 覚悟を持って、呟いた。


「だいじょーぶ、だろ」


────時は動き出す。これで最後だ。


 永遠に近い時の中で、俺はまたその足を動かした。轟音、爆音。もはや視界に映るのは彼女だけだった。胸を痛い程に締め付ける心臓。心。


 彼女は俺を見た。目が合った。


 彼女の腰を抱えて、俺は思い切り投げた。


 間に合った。これで彼女は生きて居られる。


 ────筈だった。


 彼女は俺にしがみついた。離すものかと、痛いくらいに抱きしめた。勢いもそのままに、俺は前方に吹っ飛んで転がった。


 トラックは必死のハンドル操作の末に横ばいになり、俺たちを潰すように倒れこんだ。


 俺は彼女に覆い被さった。彼女は俺を抱きしめる力を弱める気はないらしい。


 瞬間、また、時が止まった。

 そう、感じただけかもしれない。

 そんな事はどうでもよかった。


「大好きだ」


「ばか。私も」


 永遠に感じられる時の中で、俺は何故か面白くなって笑った。


 つられて笑った彼女の笑窪が、その笑顔が。この世で1番だと確信する程に可愛かった。



 背中に信じられないくらいの衝撃が走った。


 俺の意識は途絶えた。








 ────目が覚めるとそこは知らない天井だった。


 身体のあちこちが管に繋がれて、呼吸をすることすらにも違和感があった。光に慣れていなかったのか、照明がいやに眩しかった。


 そこで初めてここが病院であると把握した。


「翔太!! 翔太!!」


 真紘は俺の手を握りしめて訴えかけた。


 どうやら彼女は無事であるようだ。俺は安心混じりに、小さく、答えた。口が麻痺していて、ぼそぼそとしか喋れなかったが。


「……あいしょーふ」


 少しだけ大きくなって、ずっと美人になった彼女は、嬉しそうにくしゃりと笑った。最高の笑窪はそのままだった。


「翔太、5年もずっとこうやって寝てたんだよ! 私を庇って、手術だって手を尽くしたし、後は願うだけだって! ……ぐす、生きて、ほんとよかった……!!」


 どうやら俺は、あれから5年程寝ていたらしい。


 恐らく彼女はその間も、ずっとこうして傍に居てくれたのだ。


 俺は付け加えるように、言わなきゃいけない言葉を呟いた。


「……ありあとう、あいすきあ」


「……ばか、私も……!」


 俺の時は、動き出した。

 隣の幼馴染は、顔をくしゃくしゃにして、嬉しそうに、ぼろぼろと大粒の涙を流して泣いた。

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俺が時を止めた。隣の幼馴染が赤信号へ飛び出した ほりやんやんやん @horiyanyanyan

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