第3話 ダブル・トラブル

「あ!颯太兄!多恵の様子どう?」


団地の前で馴染みの顔を見つけてあたしはダッシュで駆け寄った。


最近の颯太兄はいっつも片手にバスケットボール。


「よぉ。ひなたお帰り」


立ち止った彼が振り向いてあたしたち仕様の“お兄ちゃん”の顔で笑う。


「うん、ただいま。颯太兄もお帰りー」


「おー、ただいまぁ」


ぐりぐり髪を撫でられて、結んだ髪が緩くなったけれど気にしない。


颯太兄が”こう”なのはいつものことだ。


「多恵なぁ・・」


呟いてそれから、井上家のある階を見上げる。


締め切られた廊下側の部屋の窓。


「まーだ部屋に籠ってるよ」


「・・そう・・・」


「でも、大丈夫。俺が話しかけたら返事もするしちゃんと飯も食ってるから。ただ、制服着ようとすると駄目みたいだな」


「・・・」


あたしは無言で唇を噛みしめた。


制服=学校。


多恵にとって今や学校は”恐れ”の対象でしかないのだ。




”自分”を排除しようとする”集団”


”違う”ことは“間違っていること”


”否定”は”否認”に繋がっていつのまにか多恵は”教室”に居ない存在にされてしまった。




今年に限って多恵がひとりのクラスになってしまったことが悔やまれる。


今更言っても仕方ないけど。


「そーんな顔すんなって。寄ってけよ。お前らがそろってないと何か落ちつかねーよ」


有無を言わさず後ろ頭を押されて颯太兄と一緒に階段を上る。


様子を見に行こうとは思っていたのだけれどなんとなく、1人で行くのが怖かった。


「あ・・」


「ん?どーした」


「颯太兄。いっぺん帰る。制服のままで、多恵のとこ行きたくない」


「・・・ありがとな」


嬉しそうに笑って颯太兄が、またあたしの頭をぐりぐり撫でた。


多恵を溺愛している颯太兄がいまのこの状況を悲しまないわけがない。


表面上取り繕ってはいるけど・・



誰より多恵を心配していることは見なくても、聞かなくても分かる。


過ごしてきた時間の長さで体に染み付いてしまっているから。


颯太兄がどれだけ多恵を、あたしたち団地組のことを大事に思ってるか。



「・・・じゃあ、先に戻ってるな」


そう言って3階の廊下に向かおうとした彼がふと足を止めて振り向いた。


少し躊躇った後で口を開く。


「なあ・・・ひなた」


「うん?」


「多恵のこと弾いてる奴ってテニス部の工藤らなんだろ?あいつら、よくライブ見に来てたから・・・俺の妹ってことで、それで・・」


「颯太兄!」


咄嗟に呼び掛けていた。


ここで、彼に次の言葉を言わせるわけにはいかなかったから。


「あたしたちがついてるから、大丈夫だよ」


多恵の為にも。



★★★★★★




多恵の部屋に向かうと、すでに颯太兄が作ったラーメンをふたりでつついている最中だった。


颯太兄が作るご飯はなんでも美味しいけど、なかでもインスタントラーメンはびっくりするほど美味しくなる。


テレビ画面に映るキャラクターを見ながら颯太兄が半熟卵を潰した。


「おーっやるなぁ・・・ボス強かっただろ?」


「2回死んだ」


多恵がラーメンのスープをすすってからあたしの方に向かって手招きする。


「まじで?」


攻略本片手に颯太兄が笑った。


「しょーがないからレベル上げに行ったもん」


「面倒くさがりのお前が・・」


「いーの。だって暇だし。あ、ひなたぁ」


「うん?」


「漫画の続きー」


「あーごめん。後で取りに行くね、もう読んだの?」


「あっちゅー間」


「そっかー」


多恵が好きそうな推理漫画を他に思い浮かべていたら、ノックも無しにドアが開いた。


両手に山ほどお菓子を持った京が乗り込んでくる。


「ただいま」


「おー京。飯食ってるかぁ?」


「ご心配なく。あれ、颯太兄バイトは?」


「今日は定休日」


「そーなの?あ、ラーメン・・」


珍しく食べ物に興味を示した京に向かって颯太兄が言った。


「待ってろ。お前らのぶんも作ってきちゃる」


3人になった多恵の部屋で、京が黙ったままゲーム機にもうひとつコントローラーを指した。


確認もせずに2人で遊べるゲームソフトに入れ替えてスタート画面を起動させる。


それから、床に置かれたRPGの攻略本を見て感心したように言った。


「結構進んだじゃない」


「でしょー」


「そのうち指痛くなるわよ」


「分かってるー。そのうち飽きるからそしたら、あんたのお勧め持ってきてよ」


「いいけど・・・中級?」


ゲームマニアの京と対戦する時には初級対上級に設定する。


でないと、ゲームにならないからだ。


「今日のあたしはやるよ?上級」


得意げに言った多恵に向かって京がにやっと笑う。


「遠慮しないからね」


こうやってクラスでも笑えばいいのに。


そしたら、きっとみんなもっと京と打ち解けるし京のこと好きになる。


それもちょっと寂しいけど・・・



「当然」


不敵に笑い返した多恵の横顔を見てホッとする。


ようやくいつも通りの表情に戻ってきた。


こわばった表情で唇かみしめて俯いていた多恵のことを思い出すと、過去であっても胸が痛む。


何言われても”平気”な顔してるのは”認める”のが怖いからだ。


誰より“怖がり”な多恵。


誰とも口を聞かずにただ机に視線を落としてどんな気持ちで耐えていたんだろう・・・


思い返したら、どうしようもなくなってあたしは無言で多恵を抱きしめた。





ジャージ姿でやってきた柊介がまるで自分の家みたいに部屋にやってくる。


「ただいまー」


3人揃って”おかえり”と告げた後で柊介の髪が濡れていることに気づいた。


多恵がその頭を指差して問いかける。


「あっれ、お風呂入ってきたの?」


「そー。実は?」


「南ちゃんたちOBと生徒会」


「あー・・そっか。定例会か」


クラス委員の実は生徒会の次期副会長候補として何かと仕事を頼まれているのだ。


京がテレビに向かったまま言った。


「そのうち来るんじゃない?」


続けて多恵が口を開く。


「あ、ラーメンいるならお兄に言ってきなよ」


「いるいる。塩ラーメンある?」


「さぁーシェフに訊いてきてよ」


「っしゃ」


立ちあがった柊介に向かってあたしが言う。


「あ、柊!ついでにグラスとお茶貰ってきて」


お菓子は京が持ってきたスナック菓子で十分だろうけれど、飲み物がない。


「はいよー」


勝手知ったる幼馴染の家だ。


冷蔵庫勝手に開けてもクレームは来ない。


柊介がドアを開けると同時に玄関のドアが開いた。


「京!」


”ただいま”も”おじゃまします”もなしにずかずか上がり込んできたのは血相変えた制服姿のままの実。


いつもの彼じゃ考えられない。


その後ろから南ちゃんが続く。


彼女も同じく制服のままだった。


「たっだいまー。ちょーど良かった。全員集合?」


ぐるっと部屋を見渡してから南ちゃんが腰に手を当てて笑った。


「はーい、実。怒らない、落ち着いて」

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