第9話 兄とココアとタイヤキと
「多恵ーエンゼルパイ食う?」
「歯ブラシしたのに」
「もっかいすりゃいーじゃんホレ」
そう言って、すでに個別包装を開けて中身の見えたそれを渡してくる颯太。
たしか、数年前の学園人気投票でダントツ1位を飾ったはずのお兄ちゃん。
去年までバンドを組んでて、結構なファンもいて誕生日には紙袋両手に抱えて帰って来ていたお兄ちゃん。
いや、その姿はどーよ。
ほっぺにクリームついてますって。
あたしはエンゼルパイを頬張りつつ、ティッシュを取って颯太に渡す。
「おーどっち?」
食べてるのに言えません。
指先で左頬を指してやる。
ん、きれーになった。
「ついでにココアいるか?」
「・・・・だから、どんだけ甘いのよ」
「いや、俺甘党だしな」
「それはお兄の好み。まあ・・・飲むけど」
「だろ?」
別にブラコンじゃないけれど、あたしは颯太が好きだ。
たとえ女子高生並みに甘党でも・・・・
「学校どーだ?」
あー・・・・これね。
いつもは深夜までバイトに明け暮れているのに、今日に限って颯太が家にいた理由。
あたしは、机の椅子を引いて颯太の前に引っ張る。
どーぞ座ってごゆっくり。
あたしより数段人当たりのよい、けれど身内スペシャル(南命名)な笑顔を見せて座った。
そして、座椅子に凭れてるあたしの向かいにカラコロと椅子のままやってくる。
颯太は、兄弟のあたしに対しても、いきなり部屋に入ってきてズカズカとプライバシーを踏み荒らすような傍若無人なことはしない。
とゆーか、したらあたしと多分兄弟してない。
必ず、あたしの様子を見て、タイミングを計ってほどよきところでやってくる。
だから、あたしはすんなり颯太を受け入れて素直に話が出来るのだ。
こんな風に、最高のタイミングでフォローしてくる男が居たら、そりゃ女は勘違いして恋のひとつもしちゃうだろう。
つくづく身内でよかった。
いつも甘いもの差し入れしてくれるファンのみんな本当にありがとう。
そしてごめんなさい。
博愛主義の兄に変わってあたしが謝ります。
あたしがエンゼルパイを黙々と食べる間颯太は何をするでもなく、ただじーっとあたしを見ていた。
穏やかな、完璧なお兄ちゃんの目で。
その昔、南ちゃんが中学生の頃。
他校のしつこい男の子に追い掛け回されたことがあった。
心配したあたしたちは颯太に南ちゃんの彼氏役をしてもらうことにしたのだ。
幼馴染の二人は、そりゃ完璧なアツアツぶりを見せ付けた。
うちらにしたらいつも通りの光景。
基本、人間皆に優しく程よくフェミニストな颯太の良い男っぷりに相手の男はKOされた。
でも、この時かなり南ちゃんも颯太にメロメロだったのだ。
「颯ちゃんが幼馴染じゃなかったら惚れる!」
うっとり頬を染めた乙女モードの南ちゃんを見てあたしは颯太のすごさを実感した。
面倒見の良さと朗らかさ、彼の気取らない優しさに皆に好かれる。
「颯ちゃんの妹の多恵ちゃん」
親の七光りならぬ兄の七光り。
あまり外に興味を向けないあたしが何とかここまでこれたのは颯太がいてくれたからだ。
だから、颯太はあたしにとって絶対の存在。
永遠に憧れで、永遠に自慢のお兄ちゃん。
「あ、タイヤキありがとうって」
今週颯太が学校訪問で差し入れたタイヤキ。
いつものメンバーや友英会、最後はサッカー部とバスケ部の胃を満たした。
いつでも来る時は、大量の差し入れを持ってくる颯太。
たまには人数を数えてほしいと思うけど。
山盛りのタイヤキを嬉しそうに差し出した顔を思い出すとあまりきつくも言えない。
「おー。よかったな」
「うまくやってるよ」
色んな事をひっくるめて、そう返事をした。
そして、言葉足らずなところは、ちゃんとその眼で理解してくれることも兄弟歴10年以上なので知っているのだ。
「そっか」
「今年の文化祭も花火最後に追加するらしーよ。南ちゃんが手持ち花火もやろっかって」
「へー。毎年恒例の後夜祭が、南バージョンになるわけか。って・・・・アイツ友英会役員」
「じゃないよ。南ちゃんの彼氏が、綾小路さんにごり押ししたみたい」
「へー。やるなー南」
「南ちゃんのつるんでる人って、3年の総代してる人と、運動部部長なんだよ・・・」
「あー・・・アイツらしいな」
「あの濃ゆいメンバーと渡り合っていけるのがスゴイよ・・・」
「放送部はどーだ?」
「こないだ、お兄ちゃんが言ってたLP見つけた。ほこり被ってたけど」
「おー、良かっただろ?ジャズも」
「甘めの声が可愛かった」
「な?お前の好みの声だろ」
「うん」
少し冷めたココアを飲む。
颯太の好きなミルクココア。
昔からお母さんが入れてくれる我が家の味。
丁寧に入れてくれたコトが分かる。
颯太は、人に重たくない優しさを配るのが上手い。
微妙な調整をして、その人にあった優しさを投げてくる。
あたしのすきなエンゼルパイも。
綺麗に溶けたココアも。
全部にちょっとずつ、颯太の優しい気持ちがある。
あたしが、学校に行けなくなったときも颯太の優しさは変わらなかった。
何も言わずに、あたしが回復するのを待った。
そして、少し顔を上げた瞬間に幼馴染全員と全力であたしをひっぱりあげた。
だからあたしはここにいる。
「井上颯太の妹」
であることで、やっぱり傷ついたりもした。
それでも、それは颯太のせいじゃなく。
あたしが、井上多恵であるために必要な道だったと。
そう確信できるから。
だから心配いらないんだよ?
あたしは、ちゃんと友達もいて。
一緒にご飯食べれる家族がいて。
こうやって絶妙のタイミングで顔を見せる最高の兄がいる。
「お兄ってさ、あたしのこと分かってるよね」
「17年見てきたからな」
「年の功ですな」
「こら、俺まだ21だぞ!」
そう言って颯太が笑った。
幸せってやつはさ、こーゆことじゃないのかな?
あのさ、井上颯太の妹でいられて、幸せです。
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