第2話(後) 重い一撃 開戦待ったなし
あの悪夢のような日は、俺の人生における明確な分岐点だっただろう。
あれさえ無ければ、俺が自分の内側に潜むもう一人の
今でも、変貌した木挽さんの声を思い出すだけで俺の顔は青ざめてしまう。
それが、昨年度の秋頃までの俺の行動であり、恐らくは委員長と俺が同じクラスになった原因。学校側が責任を感じてか、何かと精神に異常を期してしまった俺を元に戻そうとしてくれていると勝手に推測している。
優秀な教師が赴任され、俺の担任になったくらいだ。ほぼ間違いないとみていい。多分。
正義感の強い委員長と同じクラスになったのも、きっとそこら変の事情が絡んでいる。
裁判までの面白話なら、当然学校中に広まっていて委員長も既に知っている。
彼女が知りたいのは
だが、俺はそのことについては何も口にしたくないし考えたくもない。
俺は、嫌なことを思い出して吐きそうになている感情を無理矢理押し殺して、出来るだけ自然な笑顔を装った。
「俺と
努めた笑顔でそう聞き返してみるも、彼女からの反応は返ってこない。
頼むから旧校舎でのことだけは聞かないでくれ。
そう願いながら返事を待つも、いつまで経ってもそれは返って来なかった。
……む。
気に掛けて振り返ってみると、委員長は俺の数歩後ろで立ち止まっていた。
その顔は、驚愕と恐怖に満ちている。
この場の空気が変わるのが分かった。
「え。い、委員長?」
声を掛けてみても、彼女は反応しない。
怯えるような目で、ふるふると俺の後ろを見つめ続けている。その姿が、いつか旧校舎で見た誰かの姿と重なって、全身の鳥肌が逆立った。
異常だ。
俺はこの目を知っている。
この状況を、知っている。
それはまるで、あの日の再現のようで。
「や、やめてくれよ。まさか、そんな」
バクバクと煩い心臓。嫌な予感は加速していく。
怯えながら彼女の視線を追うようにゆっくりと顔を動かすと、視界に異様な雰囲気を放つ男の姿を捉える。
ゾワリと、全身に悪寒が走った。
違う。そこに居るのはあの日の
俺が追う、人知を超えた化け物なんかじゃない。
取り繕うような否定の言葉が頭の中を埋め尽くしていく。
違う。勘違いだ。
その筈なのに、全身は危険信号を発し、怪物少女と似た何かを目の前の男から感じとっていた。
面長な顔。白面化粧が施された黒目が見えない程細目。モコモコなマフラーに黒いマントで身体を包むように隠した姿。
何処かコスプレ染みた男の容姿は、この世界の中で異彩さを放っている。
男は、ニヤリとした笑みを浮かべた後、此方に綺麗な一礼をしてきた。
「やあ。久し振りですね。姫。」
そんな彼にガクガクと震えが止らなくなっている
彼女を守らないと。
直感的にそう感じ取った俺は、委員長を庇うように二人の間にスッと身体を割り込ませる。
男の視線を彼女から遮る。不思議と、手の震えは止っていた。
いじめを止めに入った時と同じだ。震えるのは、後悔するのは、全部これが終わった後にしろ。今はただ、この一瞬をあがけ。
染み付いた考えが、恐怖による身体の硬直を防いだ。
「ちょっと失礼。彼女、怯えているみたいですけど。アンタ、一体どちら様?」
軽く睨みを効かせながら問う俺に、男は面白く無い表情を見せた。
俺はその一挙手一投足に注視する。
「私と彼女は、君では分からない次元でのお付き合いをさせて貰っている。」
「……え゛。」
予想だにしない解答に思わず汚い声が漏れた。
俺では理解出来ない次元でのお付き合い、だと。
一瞬で、俺の中の何かが崩れ落ちた。
やっぱり俺の思い過ごしか?委員長はただのコスプレ好きで、そういう趣味の人と付き合っていただけかもしれない。
「も、もしかして。彼氏……さん?」
ぶるぶると震えながら男を指さし、委員長を見る。
もしかしたらとっても失礼なことをしてしまったのではないだろうか。
彼氏さんの目の前で、彼女は俺が守る的な行動をとってしまったかもしれない。
はは……。なにそれ。死ねる。
いや待て。だったら、委員長が暗い顔をしていた理由は。
…………DV!?
そんな発想に思い至りながらワナワナとしている俺の背後で、委員長は静かに深呼吸をし、乱した呼吸を整えていた。
いやそんなの良いから、早く弁明をください。
本当に彼氏さんだったら今すぐ謝ってこの場所を去るし、DVならぶん殴る。
委員長のキリッと切り替わった目線が焦る俺の目を捉える。
―――っ。
うん。いつもの、良い
「いいえ。彼氏って訳じゃないわ。でも、アイツが言った通り、私とアイツは、あなたでは想像もつかないような関係なのよ。だから、悪いけどあなたは先に学校に――――」
行って。とその続きを言われてしまう前に俺は口を挟んだ。
俺は知っているんだ。
委員長がその顔をする時、彼女はいつだって誰かのことを気に掛けて無理をする。彼女なりの不器用な正義が、その顔をした時の行動には反映されているのだと。
それを分かっていながら、素直に彼女に甘えてこの場所から逃げる選択を俺は選べない。友達として、成すべきことをするまでだ。
俺は、目の前で友達が困っているのなら手を差し伸べられる人間でいたい。
だから残念、委員長の思い通りにはなってあげない。
「へぇー。それってさ。もしかしてコイツと何か関係がある?」
疑問を呈しながら彼女達の目の前で手を上げ、その中でキラキラと輝く宝石を転がしてみせた。
勿論俺自身の所有物なんかじゃない。
駅から出た時、
なんでこんな珍しい物を持っているのやら。
いじめられで培った変な手癖が妙なところで生きてきた。
今朝からずっと、何かあるかもしれないと疑っていた俺が、こんな
多分、委員長の抱える悩みの鍵として、このダイヤモンドは上手く機能する。
手元にある綺麗なそれを見つめる。見掛けはダイヤモンドだが、その
諒壱に見せているくだらない玩具は、こういった非常時に使うガチ装置のカモフラージュでしかない。徹夜で作っているのは別のもので、諒壱に見せているものは箸休め程度の
「あ、アナタ!!何で!そ、それ!いつの間に!!」
自分の鞄の中を弄り、今更ながらにこの奇妙な鉱石を取られたことに気がついた委員長に俺は笑顔を返す。
「うへへ。それはな~」
いつもの調子で彼女の鞄からすったことを伝えようとした時、急に晒された殺気に身体が震え、反応した。
「おい。ガキ。てめぇなんかがそれに触れるな。」
一瞬で取られた背後。
どす黒い声が鼓膜を震わせ、俺の目が、瞳孔が、背後に瞬時に移動した驚異を微かに捉える。
首筋に強く感じた“死”を避ける為に、反射的に仰け反る身体。その上を、あまりにも長く伸びた男の鋭利な爪が通過した。動きについていけずに宙に残った俺の冷や汗が綺麗に切り裂かれる。
……その技で首でも切り落とそうとしたのかもしれない。
俺がそれを躱せたのは、奇跡に近い
あの日から、俺は必死になって努力した。
次にまた同じことが起きても、今度は簡単に捻り殺されるだけの獲物にはならないように。
次こそは、ちゃんと戦いになるように。
「む。」
少しだけ歪んだ男の表情。
直ぐに跳んで来た追撃の蹴りにやられ、俺は地面を転がされて何処かの家の塀に背中を打ち当てる。無理矢理躱した手前、2撃目を躱せるまでの体勢にはなかったのだ。
まだ足りてないか、経験。
「一撃で殺してやるつもりだったが、まさか躱されてしまうとは。」
「それは、残念だったな。」
虐めや事件に飛び込んで行き、自ら死に近い経験に身を置き続けたことで得られた反応。
最早、恒常で特殊なセンサーでもついたか?そうであってくれると嬉しいのだが。
負けじと立ち上がろうとしてみたが、脇腹がズキリと異様な程の痛みを発した。
「あ?」
痛みに体が膠着する。
安静にしろと、動く為の信号を拒絶された。
尋常じゃない痛みに襲われている。
手には血が付いていた。
どうやら、無意識の内に吐血しまっていたらしい。
急に体が重くなり、視界が霞む。
―――は?まじ、かよ。
こんなに。こんなに、遠いのか。
一撃だ。たった一撃貰っただけで、俺の体はもう悲鳴を上げてしまっている。暴力に対する体勢は大分付いて来ていた筈だ。
そこそこ強い地元のヤンキー連中相手でも、そう簡単にこの身体は悲鳴を上げないのに。何度殴られても、ボコボコに叩きのめされても立ち上がれたこの体が、今日ばかりは無理だと訴えて来ている。これ以上この攻撃を食らえばただじゃ済まないと、そう訴えて来ている。
敵は、化け物級の力を持っていた。
久々の強い痛みにゾクリとした感覚に襲われる。それとともに湧き上がる、謎の喜びの感情。
……俺は別に、本物のMではない筈だ。
最早、自分でももう何処までこの身体が狂ってしまったのかが分からない。
「へぇ。アンタ、異様に強いな。まるで人間じゃないみたいだ。」
痛む脇腹を押さえ、塀にもたれ込みながら、少しでも楽な姿勢を取って皮肉の言葉を口にする。
「ほう?分かるか、小僧。その通りだよ。」
ニヤリと笑った男が見開いた目は、充血では片付けられない程真っ赤に染まっていて。瞳孔も角膜も見えず、ただただ赤い結膜だけがそこにある。ように見える。耳は
「私の名前はルトインバット。吸血鬼だよ。」
………。そう来たか。
奴を前にした俺を見てほくそ笑む
まじかよ。
つまり、
あの時と同じ、本物の化け物とやり合う時が来てしまったと、そういうことなのか。
二度と来ないと思っていた絶望の日。
あの日に近いことが今この場所で起きている。
人間の身体能力ではどうにもならない敵が、目の前に。
こうなる日が来ることは予想出来ていた。
この世界に
いつかまた、本物の怪物とやり合うことになる日が来ると覚悟はしていた。
どの道、記憶を取り戻す為にはもう一度あの木挽さんと合わなければいけなかった訳だし。これはその前哨戦とでも捕えるべきか。
だからこそ、どの道最後には命を賭けなければ行けなかったからこそ、日々の諒壱との日常を大切に味わっていた。
チラリと後ろ目で委員長を見る。
前回は誰も救えなかった。皆、死んだ。
今回ばかりは、そうはならないようにしたい。
あの日の完全再現にだけはさせたくない。
努力ならしてきた。
自らの死は厭わない。
委員長を死ぬ気で生かす。
それが俺にとっての“最低条件”だ。
確かに、思い出したいものはあるが、それよりももっと嫌なことがある。
それに、いざとなればまた。
チラりと目を移すと、カーブミラーに映る道路の奥で
緊張の汗が頬を滴り落ちる。
はぁ。本当に、どんな次元の奴と付き合ってんの?委員長。
俺の頭は、取り敢えずの現状を受け入れる為に、結局は様々な疑問を放棄するのだが。
それまでには、あと少しの時間を必要とした。
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