Novelber day 6 『双子』

「あんまりそっくりなものだから、見分けがつきませんわね」

 そう言って下女は苦笑した。私と兄は、顔を見合わせてクスクスと笑った。全く同じタイミング、全く同じ表情で。

 レザンと名付けられた兄。サルタナと名付けられた私。双子の兄弟である我々の違いとは、互いの名前だけだった。

「僕らが入れ替わっても、きっと誰も気付かないね」

「ううん、きっとお父様とお母様にはわかるさ」

 我々はいつも一緒に過ごした。手を繋いで広大な庭を駆け、馬に乗りながら併走し、剣の稽古では、互いの太刀筋を見極め合った。我々兄弟の間で、憎み合うこと、怒ること、失望することなど、存在しなかった。他の兄弟は喧嘩をしたり、嫌い合ったりすることが常だと聞いて、不思議に思った。兄のことなら(弟のことなら)、何でもわかることが自然だったからだ。


「君達と、もっとこうしていたいのだけれどね……」

 父は身が細く、優しい気質の持ち主だった。騎士の家の家長となったことが、彼の生まれながらの不幸だった。いつまでも遠征に慣れなかった。自らの強さに自信を持つことも、争いを好きになることも出来なかった。

「もう少し落ち着いたら。今度は、秋の小径を三人で走ろう。常歩で、静かに風を頬に受けよう」

 そうして、左右から父の体に抱きついている私達の頭を撫で、互いの額にキスを落とした。父は痩けた頬、薄い瞼の向こうで微笑んでいた。

 結局父は帰ってこなかった。いや、帰っては来たか。中身が、全く別のものになってしまっていただけで。

 父は、戦地にて頭部に矢を受けたのだという。それは鋭く頭蓋を削り、脳を傷つけたのだという。

 屋敷に戻ってきたソレは、人の形をした怪物になっていた。カサカサに乾いた唇は、いつも切れて血に濡れていた。半開きの口からは、いつも涎が漏れていた。見開いた目に、かつてあった知性や優麗の色は一切無く、ああこれが壊れた人間の目なのだとすぐにわかった。ソレはいつも抜き身の剣を抱えて部屋の隅に蹲り、時折叫びながら屋敷中を徘徊して回った。

 私と兄はそういう時――真っ暗な暗雲が空を覆い、雷に怯える嵐の夜のように――クローゼットの中に隠れて、口を噤んで震えていた。互いの頭や腹には、父に殴打された痣があった。繋いだ手がカタカタと震えていた。

 それまで父に手を上げられたことなどなく、怒声を浴びせられたことも引きずり回されたこともなかったので、少年達はひどく怯え、傷ついていた。愛していた母にさえ暴力を振るう、アレはもはや父ではなく、ただその形をした別物なのだと、我々は少しずつ受け入れていった。


 それからだったか。もしくは、それ以前から兆しがあったのものを、その件がきっかけとなって、浮き彫りになったのか。

 我々はいつしか手を離した。兄は父を見捨てた。この没落したソテル家の新たな家長となる為、廃人から背を向けて剣の修行に明け暮れるようになった。

 そして私は――私は?

 狂い壊れた父から、目を離せないでいた。

 この有様を、祝福とさえ思う自分がいた。

 父は争いに馴染めぬ人間であったのに、争いの中でしか生きられなかった――それが宿命であり、ならばと天は父の頭を変え、暴力的な男に仕立て上げることで、その苦しみから解放したのかもしれない。

 憐れで仕方がなかった――兄のように――兄のように私も、その存在からまるきり目を逸らして――存在そのものを見えないものとし、自らの目的に突き進めてしまえれば、こんな憐憫を感じることもなかったのかもしれない。しかし私は憐れで、惨めで、哀しくて……。

 だから。変わってしまったのは、私の方なのだ。


「……何故だ? サルタナ……」

 兄はぽつりと呟いた。鍛え上げた肉体から出たとは思えない、弱々しい、乾いた声だと思った。その声もまた、割れた窓硝子の向こうから吹く風の音に、すぐに紛れた。

「何故……こんなことを、した?」

「兄上」

 表情を変えず、感情を込めず、あくまで冷徹に振る舞おうとする兄の姿が滑稽だった。だから私は高らかに笑った。その哄笑に、折れた窓枠がキイキイと鳴る音が重なった。

「貴方の為ですよ、兄上」

 彼はもう何も言わない。眉をしかめることもしれない。ただ、凍ったような目をして、私を見ている。真っ直ぐに。

 もう、兄の感情は私にはわからない。私の感情もまた、兄にはわからないのだろう。父を突き落とした両手を広げてみせる。捕まえやすいように。

 かつて、鏡に映したように同じだった我々は、こんなにも離れ果てた。

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