Novelber day 5 『チェス』
生前、祖父がとても大事にしていた、一式のチェスがあった。それは雪花石膏(アラバスター)で出来ていて、白い駒は光にそのまま溶けてゆきそうなほど透明で、黒い駒は墨を凍らせたように静謐だった。
「これはとても大切なものだ。これはいつまでも私のものだ」
そう、祖父は繰り返し言っていた。僕は黙ってその言葉を聞きながらも、白のクイーンだけが足りないことに気づいていたが、何故か口には出せなかった。
時が過ぎ、祖父が死んでから数年後。丘の上で暮らしていた老婦人の葬式を手伝っていた。忙しく立ち働きながらも、ふと、棺の中の彼女の顔を見た。孫や娘達に囲まれて、彼女の死に顔は安らかだった。
その合わせた手の中に、一瞬、何か白いものが光った。急に胸が苦しくなり、急いで目を離した。急ぎ足でその場から逃げ去った。誰が彼女に握らせたのかはわからない。いつから握っていたのかもわからない。
だけどきっと、あれは、祖父の白のクイーンだった。
それ以上のことを、僕は知りたいとは思わない。
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