第11話② 最終話

 二人が順に部屋の床に降り立つ。そこに興奮気味の千景がすり寄った。


「あの私、もう二人には会えないんじゃないかって、半分諦めてて……今日はどうしてここに?」


 日高がずいっと千景に顔を近づける。


「お前だよ」

「え?」

「お前にどうしても伝えたいことがあったんだ」


 日高の言葉に、大きくうなずく迅。


「最初はスマホでメッセージを送ればいいとも考えたが、ネットでのやり取りは学院側に調べられる可能性がある。それで、記録に残らないよう『アジト』に置手紙をすることにしたんだ。まさか、お前に会えるとは思わなかったがな」


 迅がふっと笑みをこぼす。もちろん無表情な迅のことだから、ごくわずかな表情の変化でしかないのだけれど。


「千景には、最後に、きちんと挨拶がしたかったんだ。あの日、一言だけで別れてしまったことが、少し気がかりで」


「私に、わざわざ……?」


「ああ。本当はもっと早く来るつもりだったが、学院側の監視がなかなか厳しくてな。今日が最初で最後のチャンスなんだ。だからこそ、本当に最後の別れになる」


 迅も日高も分かっていた。自分たちが、とうとう道を踏み外してしまったことを。


 祓魔師というエリートへの敷かれたレールを、長らく逸れ続けてきた自覚はあった。が、この一件でついに脱線してしまった。学院長に背き、祓魔師界に背き、二人は手に負えないヴィランと化した。もう、後戻りはできない。


 唾を飲み込む千景。改めて言われると、その事実が深く強く胸に刺さる。鈍い痛みが全身に広がる。淡い期待を叶えた熱気が、荒涼とした風に吹き消されてしまった気がした。


「やっぱり、いなくなっちゃうんだね」


 千景はため息を吐いた。


「私がもっと二人を支えられていたら、二人は学院を去らずに済んだのかな。私も学院長に正面きって歯向かっていれば、これからも一緒にいられたのかな……」


 脳裏に浮かぶ後悔は、後をたたない。浮かんでは消え、消えては浮かぶそれをすべて言葉にすることもできず、千景は口をつぐんだ。三人の間に長い沈黙が流れる。思わず足元に視線が落ちていく。部屋は深い夜闇に埋もれようとしていた。「アジト」に人がいると思われないよう、照明をつけていないためだ。月明かりだけが、床をぼんやりと照らしている。


「後悔するには、まだ早いぞ」


 日高が、千景の肩をぽんぽんと叩いた。訝しげに日高を横目で見る千景。


「本当はまだ何も終わってねぇんだよ。俺と迅は、規則の間違いを指摘しただけだ。あの規則は今も、効力を持ったまま存在し続けている。俺らはまだ、それをぶっ壊して、新しく正しい規則を作らなくちゃならねぇ」


 そのまま両肩に手を置き、正面から千景を見つめる日高。その瞳には、強い意志がこもっていた。いつになく真剣な眼差しだった。


「お前に託してもいいか、千景」


 はっと顔を上げる千景。


「俺ら悪党のやり方では、一瞬の騒ぎを起こせても、議論を続けて規則を変えることはできなかった。お前にしかできないことなんだよ」


 肩を抱く両手に力がこもる。迅も千景に歩み寄って、日高の隣に並んだ。


「規則を作る三者に属す千景なら、間違った規則を作ってしまったように、正しい規則に変えることもできるはずだ。皮肉じゃないが、今の千景は、俺たちを一度捕まえたことで、学院長から高い信頼を得ている。内部から働きかけて、学院長にも規則を変えることを認めさせるんだ」


 できるな? と尋ねつつ、そこには有無を言わさない響きがあった。当然だった。千景は、二人に怪我を負わせて翻弄した罪を背負っているのだから。


「今度こそ、二重スパイとして成果を出せってことね」


 真剣な口ぶりで呟く千景。二人を見上げ、痛いほどの視線を受け止めた。その華奢な身体のうちに、静かな炎が宿る。


 不意に、千景が二人の手を取った。それぞれの小指を立たせ、自らも小指を差し出す。


「約束する。どんなに時間がかかっても、必ずあの規則を正しいものに変えてみせる。遅くなったけど、二人に報いる時が来たよ」


 誇らしげに笑う千景。二人が罪をあがなうチャンスをくれたこと、自分を味方として頼ってくれたことが、彼女には嬉しかった。


「ああ。約束通りあの規則が廃止になったら、もう被害も加害もなしだ。また三人で遊ぼう。そうだろう日高?」


「もちろん。ショッピングの荷物持ちにだって付き合ってやるぜ」


 三人の小指が強く結ばれる。指先で熱い鼓動が絡み合う。千景は、三人の小さな指が、一つの大きな志を握り締めているのを感じていた。


 大きく息を吸い、背筋を伸ばす千景。ようやく前を向けた彼女は、すっきりと晴れやかな表情をしていた。


 再び強く結ばれた三人を、夜の空気が静かに包み込む。太陽はとうに姿を消し、空は暗い青に染まっていた。そこに、点々と星が瞬く。


 三人はあの星々のように、太陽の光が当たらないところで輝くだろう。陰に潜み、学院長の目を盗み、それぞれの場所でそれぞれの正義を貫くだろう。ここからまた、今までと違う日々が始まるのだ。


 学院にその名を轟かせた問題児コンビ・一ノ瀬日高と目黒迅。二人は正義に味方し、信念を行動に移し、学院に新たな風を吹き込んだ。だが、決してヒーローではない。そう手放しに讃えるには、彼らはあまりに暴れん坊で、うす汚いヴィランなのだ。

 そんな誰よりも正義を愛し、反逆を愛し、泥臭いほどにまっすぐな彼らは、まさしく正義のヴィランだった。

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正義のヴィラン 花田神楽 @kagura_official

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