第3話②

 野次馬をかき分け、どんどん進んでいく日高。人垣を抜け、怪異物と対峙する。途端、刀の柄から呪力がほとばしった。はやる気持ちを抑え、鋭利な刀に整形していく。


 迅が、日高を追いかけながら指示を飛ばす。


「まずは手足を狙え! 怪異物の動きを止めて、女の子を解放するんだ」

「了解」


 言うが早いか、日高は神速で四肢を切り落とした。派手に転倒する怪異物。放り出された女の子は、日高が跳び上がって受け止める。恐ろしいほどに狙い通りだった。


 その子を地面に下ろしながら、日高が尋ねる。


「怪我はない? お母さんやお父さんのところに、一人で帰れる?」


 女の子は、完全に腰を抜かして震え上がっていた。大粒の涙が、あとからあとから溢れてくる。嗚咽で息をするのも苦しそうだ。それでも、なんとか自力で立ち上がる。心の状態に反して、身体だけは無傷だった。日高が立ち上がって頭をなでる。できればそのまま、何か言葉の一つでもかけてあげたかったけれど、まだ完全に敵を倒せたわけではない。女の子を背中に回し、不完全な刀を再び構える。


 怪異物は、あれからずっと転んだままの格好をしていた。どうして起き上がってこないんだ。警戒心を強める日高。そんな彼の隣に、ずかずかと迅が近づいてくる。


「バカお前、戦わない奴は出てくるんじゃねぇ!」

「大丈夫だよ。この怪異物はもう動けない。どうやら自分の身に何が起きたのか、情報を処理しきれていないみたいだね」


 予想外なことを口にする迅。日高は振り返り、迅の顔をまじまじと見つめる。すぐに自信ありげな視線が返ってくきた。それを見て、日高がおそるおそる敵に接近しはじめる。


 一歩、また一歩と詰め寄り、とうとう敵の間合に踏み込んだ。それでも敵は硬直したまま。日高が剣先を突きつける。怪異物は、結局、逃げることも抵抗することもなかった。


 その有り様を見下ろしてみて、日高は確信した。迅の推測が正しかったのだと。今まで人々を恐怖に陥れてきたのは、頭の悪い最弱レベルの怪異物だったのだと。


 彼は、全身から力が抜けていく感覚に陥った。あまりに簡単な祓魔を、延々ためらっていたことへの徒労感だった。


 日高が軽く刀を振る。それだけで、怪異物は跡形もなく消え失せた。


 動くものがなくなり、静まり返る広場。人々は、日高たちが敵を見事撃破したことを直感した。ドッと歓声が上がる。勇敢な行動に対して、あるいは、祓魔師の華麗なバトルに対しての称賛が飛び交う。日高は、絶賛が耳に届くたびに、心が痛くてたまらなかった。


 俺は、決して勇敢なんかじゃない。規則を破り、秘密に触れることを恐れて、なかなか一歩踏み出せなかった臆病者だ。情けない。過去の自分が恨めしい。


 なのにこれでは、あたかも正義のヒーローじゃないか。


「あのっ、祓魔師の方ですよね」


 背後から、喜びに満ちた声が掛かった。鉛よりも鈍く沈んだ視線を向ける日高。


「あなたはこの子の恩人です。私の子を助けていただき、本当にありがとうございました」


 名乗り出た女性は、さっきの女の子の手を引いていた。声を詰まらせ、何度も何度も頭を下げる母親。女の子の頭にも手を伸ばし、お辞儀をするようにたしなめる。目を赤く腫らした女の子からも、精一杯の「ありがとう」が手向けられた。


 日高は、もう耐えられなかった。


「ごめんなさい」


 腰を折り、母親より深く頭を下げる。突然の謝罪に人々はどよめいたが、それに気付けるほど、日高の心は穏やかではなかった。


「俺は最初、人を助けることから逃げていました。褒められることなんか、何一つできていないんです。もっと早く動けていれば、その子を危険に晒すことも、怖い思いをさせることもなかったのに……どうか感謝なんてしないでください」


 絞り出すような声で陳謝し、奥歯を噛み締める日高。母親は、彼の突拍子もない行動に、慌てふためいて恐縮した。


「そんな、勇気を持って駆けつけてくださっただけでも、とても感謝しています。謙遜なさらないで」

「謙遜じゃないです。あんな雑魚を祓うだけのことを、俺はぐずぐず迷って、命を救うことさえためらって――」

「日高」


 迅が、無理矢理日高の上体を起こした。


「それぐらいにしとけ。相手方も困ってる。反省なら、後で自分の中ですればいい」


 指摘され、周囲に視線を巡らせる日高。確かに母親は、恐縮しすぎて、もはやどう恐縮すべきか分からなくなっていた。周りの注目もかなり浴びている。日高は、とりあえず口をつぐみ、一通り母親の賛辞を受け取った。


 もちろん心の中では、称賛と罪悪感が反比例を描いている。称賛を受ければ受けるほど、過去の自分が恥ずかしくなって、後悔の念が湧いてくるのだ。どうして規則違反を恐れてしまったのか。どうして人を救うことを、正義を貫くことを即決できなかったのか。もしまた同じことを繰り返したら、今度こそ人死にが出るかもしれない。


 唇を強く噛む日高。暗い顔でうつむきながらも、彼の目は、何かを決心したように強く光っていた。

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