第2話
鬼教師を振り切った二人は、しばらく身を隠そうと「アジト」に靴の先を向けた。そこは時計台のてっぺんにある小部屋のことで、二人と、もう一人の少女しか知らない秘密基地だった。
らせん階段を駆け上がり、錆びついたドアを開ける。部屋の中では先客が待っていた。すらりと艶やかな脚を組み、持ち込んだミルクティーをたしなんでいる。
「よっ千景」
「お、早かったね。校内自主マラソンお疲れさま」
ニヤニヤと日高たちをからかう千景。彼女は、二人とは同い年の祓魔師だが、二人と違って生徒会役員というデキる生徒である。問題児と優等生が行動を共にしている、というのも滑稽な話だが、この奇縁はどうにも切れそうにない。
「で、今日は何をしでかしたの?」
「しでかした、ってほどじゃねぇよ。今朝学校へ来る途中に、たまたま見つけた怪異物を祓っただけだ。なのに鬼教師に呼び出されて、報告せずに祓うのは規則違反だ、とか説教されてさ。なんで祓魔師が、怪異物を祓うことを責められなきゃいけねぇんだよ」
唇を尖らせ、机に肘をついて座る日高。千景がなだめるように説得する。
「その規則にも理由があってね。今回は無事だったかもしれないけど、敵を見つけたからといって、闇雲に向かっていくのは危険なことでしょ? だからまず学校に報告をして、調査をして作戦を立てて、万全の準備を整えてから祓魔をすべきなの」
もっともな理由を示され、一瞬論破される日高。それでも、腹にくすぶる疑念は消えない。その黒い煙を、どうにか言葉にして吐き出す。
「じゃあ今朝の俺は、怪異物を見過ごすのが正解だったって言うのか。俺は五年も戦闘科で学んできてるのに? 敵も人語を解さない低級だったのに?」
「違うよ! 報告することは、見過ごすのとは全然違う。前者は、ちゃんと祓魔活動に貢献してるじゃない」
「だからって、あの場で手を出せないなら、結果的に見過ごしてるのも同然だろうが!」
「お二人さん」
唐突に、迅の声が空間を割いた。それは過熱した空気を冷まし、二人が落ち着くための沈黙をもたらす。そうして迅は、静かに語りかけた。
「千景の主張は、確かに模範解答ではあるんだろう。けど俺は、日高の言い分にも一理あると思うんだよね」
千景が、訝しげに迅を見る。
「あの規則に従えば、やっぱり怪異物を無視するような事態は起こりうる。人を守るはずの祓魔師が、人命を優先できない事態に陥ることがあるんだ。そんなの、どう考えてもおかしい。俺が規則のことを知っていながら、日高を制止せずに、一緒に怒られてやったのは、そういう理由さ」
「つまり、規則自体に問題があるってこと?」
その言葉を聞いて、日高は、ようやく黒い煙の原因を掴んだ気がした。
「そうだよ! 矛盾した規則だったから、疑念が残って理解できないのも当然だったんだ。そんなものを理由に叱られても、そりゃあ納得いかねぇよな」
彼は、心から黒雲が消えて晴れ渡っていく気分になった。日高の台詞に何度もうなずく迅。
「俺も同感だ。この規則の内容には、祓魔師の使命に反する部分がある。せめて、緊急時には即刻祓えるような例外も、認めてほしいもんだよな」
なんとなく腑に落ちない規則について、うなっては考え込む三人。そうこうするうちに、時計台から下校のチャイムが鳴り響いた。その轟音は、直下にある「アジト」の沈黙を激しく破る。思考から覚め、窓の外を見る日高。
「うわ、もう真っ暗じゃん。かなり時間が経ってたんだな。鬼教師も、さすがに諦めてくれたか?」
迅が首を傾げる。
「さあ、どうだろ。でも今日は金曜だし、このままこっそり帰れば、土日のうちには忘れてくれるでしょ」
その時、いきなり千景が大声を上げる。
「そうだよ、今日は金曜日だよ!」
一瞬のうちに、彼女のテンションはバロメーターをぶち抜いた。日高が鼓膜を防護しながら訊ねる。
「金曜日が何なんだよ」
「あんたたち知らないの? いよいよ今週日曜、隣町にショッピングモールがオープンするんだよ! 服屋さんもたくさん入ってるらしくて、前から行くの、楽しみにしてたんだ」
おしゃれ好きな乙女は、純度百パーセントの天使の微笑みを浮かべる。しかし、次いで男子に向けられたのは、同一人物とは思えない悪魔のそれで。
「というわけで、明後日朝十時に集合ね、荷物持ちA、B!」
当然のごとく、日高と迅を買い物に付き合わせる彼女。拒否権を持たせてくれないのは毎度のことだ。嫌悪を前面に押し出す日高。迅と顔を見合わせると、彼の表情には、既に諦めの色が浮かんでいた。
日高が、わざとらしいため息をつく。千景の指名も、矛盾した規則も、世の中は理不尽に溢れているなぁ……
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