第4話



 眼鏡の奥で、柔らかなスマイルがこちらをいざなう。そのまま招き手に応じると、対面といめん席を差し出された。

 席につく前に周りを見れば、カップル連れが多い。少々、というかずいぶん場違いな気がしてしまうけれど、りんねが上機嫌なのだから、特に意見はない。


「こちらの席では、メニューが決まり次第、呼び鈴を二度押してください。……お客様カップル同士でてのひらを重ねて、ポンポン、と」

「…………は、い……?」

「では、ごゆるりと」


 まれ。頭に浮かんだ一文字が、ここのシステムに理解の色を宿した。


「まぁ、ただ料理が美味しい、ってだけじゃあ人気には昇らないんだろうけど、……なるほど、こういうシステムが高評価、なのかな?」

「かもな。今時期いまじき、外でいちゃこらなんて、——それも学生身分だと、学校に通報、なんてのもある。俺の学校にも、そういう苦情くじょう、意外と来るしな」

「えー、恋はキレイだよ? 体験しないなんて勿体もったいない……あ、ひがみからそういう苦情はくるの?」

「さぁな。まぁでも、ほら、会社で疲れ切ってるのに幸せそうな顔されたら、心がモヤッとするだろ。よっぽど心が広ければ、微笑ほほえましい、とも思えるのかもしれないが……」


 ハート形に交叉こうさしたストローで好意をわすカップルが、ちらつく。誰も彼も、ほんとうに幸せそうな、それでいて酸いも甘いも噛み分けられぬ表情でいる。


 もっと目をらしてみれば、店内にはおひとりさまもいた。——しげしげとこちらを見る様は、なるほどそういう趣向もあるらしい。


「まぁ、ここらでぞんざいなトークは終わりだ。メニュー、何にする?」

「フフン、パンケーキは当然のこと。それからミルキーカフェラテに……あ、この蜂蜜パイをシェアする手筈てはずで」

「俺もパンケーキは当然として——ん、ソイラテか……このショコラマフィンと合わせるかな。で、えぇと……」


 立てかけられたメニュー表から、選びるのは難しくない。が、目の前で掌を待っている銀のベルは、難しいものだ。


「……んん? あれ、もしや……みこと、緊張してるの?」

「馬鹿言え、それよりも、だな。……なんというか、気恥ずかしさが、」

「えぇ~⁉ ピュア、実にピュア‼」

「お前ホントにうざったいところがあるよな。……いいから、手ぇ重ねろ。ほら」


 冷やかす目線が腹立はらだたしい。しかし、いじらしい。


 ともかく、俺たちは腹を満たし欲を満たす、そんな目的でここに腰を落ち着かせたのだ。ここでしぶっていては本末転倒、どころか土俵にすら上がらせてはもらえない。

 羞恥心など放り捨て、俺は手を合わせるよう促した。


「ほいほい、……えぇと」

「タイミングも重要かもな。合図あいず、頼めるか?」

「がってん。んじゃ、一、二の三で。……行くよ」


 大して重要視すべきじゃないことなのだろう。タイミングうんぬんは無いかもしれないし、そもそも店員のジョークだったかもしれない。

 だけど、この時ばかりは素直に信じてしまって。あるいは、そんな雰囲気をかもし出すのだから、この店は人気店に登り詰めたのかもしれなくて。


「一、二、の……三!」

「っと」


 カウントの秒読みに乗せられたリズムに合わせ、二度、プッシュ。小気味良いベル音が続けて鳴る。


 それから、さきほどのウェイターが来るまで数秒も掛からなかった。——いや。その速さはどうも、控えていた気がしてならない。


「ご注文、お決まりでしょうか?」

「っ、あぁえぇと」

「スペシャルパンケーキ二つに、ソイラテとミルキーカフェラテ、それとショコラマフィンに蜂蜜パイ——ぁ、パイは、二人分のお皿をください」

「————かしこまりました。今しばらく、ごゆるりと」


 さらさらとペンを走らせて、注文を記載きさい。繰り返すわけでもなく、自信満々な素振りでオーダーを告げに行った。……というか、おそらくはいくつかの席につき専属のウェイターがいるのだろう。

 会話の内容も、もしかすると聞き盗まれていたかもしれない。


「……ふぅー、つくづく空恐ろしい店、だな」

「なァに言ってるのさ。収集、大切だよ?」

限度げんどもある。プライバシーも……って、よく考えたら公式情報とかいっさい見てないんだもんな、俺たち。何も言えねぇ」

「はっはっは、反駁はんばく精神は潰えたり」


 待ち時間は、そんな会話ばかりだ。というか、初めて来店したのだから、少しそわそわしてしまうぐらいで精一杯。


 噂の逸品いっぴんが出てくるまで、まさに初々しいカップルのようなたどたどしい態度が続いてしまった。


「————お待たせ致しました。ご注文の品、すべてお揃いでしょうか?」

「はい。ありがとうございます」

「フフ……、では、どうかご堪能下さい」


 ややあって、揃い踏みになった。


 黄金色の蜂蜜ハニーが、丁寧に焼かれたパイに上塗りされた絶景。

 空気に触れただけで揺れるぐらいにフワフワな、ほろ苦いマフィン。

 ともに芸術品と呼べるほどに細やかなクリーム細工が施されたラテ二品ふたしな


 そして——涎を誘う、至宝の逸品。


「……最初、けっこうイイ値段するなぁ、と思ったが」

「うん。納得」

「こりゃあ、脳裏に焼き付いちまうな。……リピーターが多い理由に、まずこの外見が含まれてそうだ」


 運ばれたナイフとフォークの一式から、ひとまず磨き抜かれた銀色をる。作法さほうなど気難しいから苦手だが、ここばかりはしっかりしなければ。


 とりあえずナイフの刃先でバターをすくい、パンケーキの上に塗る——と、その柔らかさに思わず口を呆けてしまった。


「————」

「みこと。これ、ヤバい。かなり、凄い」

「わ、かってるさ。……絶対美味いだろ、こんなの……⁉」


 クリームとバターとチョコソースに完成されたところを見る。破格はかくだ。脳が甘味を求める時は、疲れている時と相場が決まっているが……

 別段、疲れてもいないのに眼の前のモノが欲しい。さっさと寄越よこせと、耳鳴りがするほど脳が喧しい。


「ぐ、ぉ…………、だがずは」

「うん、——いただきます!」


 音を立てず、両手を合わせた。——開幕の合図。


 もうここからは歯止めを無理矢理かけることもない、今すぐにでも対象物を切り分けて咀嚼そしゃくして飲み込んで……


「ぬぉお……ダメだぁ、まずいなぁ、本を読みふけっているとこんなところにぃ」

「————あ?」

「え?」


 三又の銀食器フォークが、空中停滞。滴り落ちたソースが、皿に甘味溜まりを作る。


 いや、というか……


「しまったなぁ。本を読みすぎて朝から何を食べていないぞぉ。なんという絶好ぜっこうのピンチ、これではもう立っているのも限界だ」

「「…………?」」


 少女がいた。俺たちのたくの、すぐ横に。

 丸テーブルと遜色ないぐらいにちびっこくて、ともすれば存在に気付けないぐらいにちんちくりん。


 だが驚くべくは、その顔に見覚えがあること。


「あー困ってしまう、困ってしまった。なにか、なにか恵んでくれる勇士ゆうしはいないものか」

「……お、前……」

「——知り合い?」

「おぉッ、その声と顔はわが友、」

「知らねぇ。こんな贔屓目ひいきめで視ても小学生ぐらいのヤツ、会ったことも見たことも、」

「なにをぅ、ともに人生とはくやと語り合った仲ではないか!」


 その鼻面がずずいっと近寄ってくる。垢ぬけぬ顔だと初見で思ったのに、一転、息が擦れ合う距離間で凝視してみれば貞淑ていしゅくさがあった。

 あいの瞳がこちらを捉えて……ややもせず、りんねがその合間を引き剥がす。


「ちょちょいと! あのさ、私が先約——というか、常識の範疇はんちゅうでわかる通り、ごく一般的なデート中なんだよ⁉」

「いや、デートじゃな、」

「私に常識は通用しないぞキミ!」


 指を立てて、自分を誇張する奇態きたい。かと思えば、その小さな手足を忙しなく動かして、椅子を持ってきた。——店員は、その口車にあざむかれて幼子とでも思ったのだろう。


 ただし、それをりんねが許すはずがない。

 ほぉれ見ろ立ち上がってナイフを握りしめて……


「なぁんだ一緒に食事をご所望しょもうなんだ。ほらお口を開けてお食べ」

「うわぁいもふもふの甘味!」

「…………海よりも広い心だな」


 三つどもえの席を編み出して、俺たちはスイーツを食べ改めた。

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