第2話


 名残なごり惜しさもまるで無く、妙ちくりんな少女から逃れて十数分。


 銀と黒の車体が収められたガレージに戻り着いて、馴染むサドルから降りる。つい最近になって木目調に塗り直したガレージ内は、まだ塗料の香りが漂っていた。

 シックな雰囲気とは裏腹に、こんな違反ギリギリ車が居座いするのだから、父親の趣味嗜好はわからない。——でも、愛車を厳重にしまっておく点には同意できた。


「窓空いてる……ってことは、誰か帰ってきてるのか」


 そんな薄感情もさっさと冷めて、関心は家の灯りへ。——空いている窓からはかすかな光が漏れ出ていて、人がいることを示しているのだ。

 まぁ珍しいことでもない。共働きな両親が仕事を切り上げて、趣味に打ち込むのも時々ある。


 それと。


「……ゲームBGM。ならアイツか……」


 軽快なファンタジー音が聴こえて、次いで魔法のSEが耳朶じだを打つ。聞き馴染みはまだないが、昨日二日とさんざん聞いた音階だ。


 玄関風土のガラス扉を滑らせて、施錠された鍵を開ける。そのまま靴を揃えると、その隣、我が物顔で俺の家にたたずむあかいろの靴があった。


「ただいま」

「————お、っかえりー! あ、〝マギ剣〟やらせてもらってるから」

「許可した覚えねぇよ。っていうかお前、今日も学校サボったのか?」


 リビングから躍り出た声は、躊躇ちゅうちょなどない。一応、この家に住んでいるのは俺であるし、表札を飾っているのも運内うんだいである。


 しかし、スキニーパンツと肌着でいる女は違う。


「なァに言ってるんだよぉ、みこと。いちいち許可取りするほどかしこまった仲じゃないでしょ? 学校も、心配がないから行ってないんだし」

「俺の心配は置き去りか? お前がうちの高校の制服装備してるとこ、たことないぞ」


 こちらには目もれず、しきりにボタンを連打する背中。


 ボディラインを強調する服装のくせに欲が出てこないコレは、幼馴染——旋袮つむじねりんね、なんて名前をしている。

 意外とていねいにかされた黒髪と、色味があればよく映える灰色の瞳。曲線美、なんて言葉がよく似合う脚をだらしなく折り曲げて、整った鼻梁びりょうを画面越しの戦闘に歪めている。


 りんねは、そんな容姿であるのだが……


「お前、普段なにしてんの?」

「睡眠、食事、ゲームにしごと、かな」

惰眠だみんと暴飲暴食、遊戯ゲームに自宅警備か。立派な予備軍だな」

「みことの翻訳ほんやく能力は致命的だよね。国語の成績わるいんじゃないの?」


 何度も言葉にした通り、俺はりんねが学業をしているところを見たことがない。その割には言葉返しが巧妙こうみょうで、宿題が出た時なんかは教えてくれたりで。

 ともあれ、一言で総括するなら〝謎めいた幼馴染〟でいい。


「さて、運内家のゆうご飯はなにかな?」

「今日は金曜日だ。カレーライスだろうな」

「えぇ——海軍かいぐん

「曜日に頓着しないヒトばっかりだからしょうがないな。それに、絶品だから文句なしだ」


 登校用鞄を放って、制服のジャケットを脱ぐ。それからワイシャツを洗濯機に投げ入れつつ、靴下、ズボン、と順繰じゅんぐりに洗濯物を嵩ねていく。

 こうやってりんねの問いに答えるのは、帰りざまのシャワータイム前が標準化したものだ。


「あ、みことのセクシーシーンだ」

「どの方面から語る。というかお前、ゲームにキリがついたら俺の鞄、運んでおいてくれ。そしたら、夕飯同伴許可をやる」

「ほほぉう。重要な任務だねうけたまわった」


 そんな経緯で、俺は謎の少女を振りくためにペダルを漕いだ汗を。りんねの方は食い扶持ぶちを得るために簡素な一仕事を。

 すっかりオレンジ色の空が暗闇にちるまでに、俺たちはやるべきことをそつなく——まぁいつも通りなので、こなれた風に終わらせる。


 両親が帰ってきたころには、話が弾みに弾んだ大笑時だった。



 おかわりの声が三度ひびいて、ごちそうさまが終わる。——ちなみに、三度ともにりんねがニコニコ言った。


 なので今、母親が済んだ皿を洗い、父親が買ったばかりのガレージマガジンを読みふける静かなリビングがあって。


「カレーは誰が作ってもおいしい、なんて言うけどおかあさんのヤツはカリーだね、カリー!」

「発音の違いで変わるもんか?」

「本場っぽい、って意味だよぉ、解っていないなみことは!」

「クソいらつくな」


 俺はカーペットで涅槃像ねはんぞう

 りんねはソファで逆さ吊り。


 お互いに絶好の姿勢を見つけた手前、ちょっとの動きもゆるし難い。


「みこと。明日の予定終わってる?」

「まったく」

「ははは、準備するべきじゃないかなぁ」

「明日のことは明日に考える。俺の座右のめいだ」

「ははは、バカらし」


 特に何を考えるでもない与太話が広がる。

 実際、この後にひかえているのは入浴と就寝のみ。たしかに自由な時間が続いているので、会話相手がいることになんの不都合もない。


「あれ、お前の親は?」

「今日から三日、出張だってさ」

「だから呼び鈴インターホン鳴らないんだな」


 言い忘れていた。


 ここはシェアハウスである。——それも、旋袮家つむじねけ運内家うんだいけの。

 邸内はメゾネットになっていて、広々空間。一層目が運内家の私室兼リビングルームで、二層目が旋袮家の私室兼ベッドルームとなっている。


 わば、りんねと俺は幼馴染であり、ほとんど同棲でいつもを過ごしてきた。


「りんね、みこと。どっちが先にお風呂入るの?」

「んー……気分的に、どっちもで!」

却下きゃっか。俺が先に入る。で、母さんはこいつの監視を頼む」


 隙あらば、りんねは入浴中にお邪魔してくる。ご近所付き合いを風呂場で成されてはいけない。

 母親にりんね監視の命を下して、そのまま内階段をのぼる。——と、寝間着に入浴一式をしまってある収納箪笥たんすにたどりつき、準備はバッチリ。


 階段をくだり、脱衣所の扉を閉め、服を脱いで……なんて、俺の入浴シーンは要らない。どちらかと言えば、りんね方が需要はあるだろう——いや、それも頷けない。


「……さ、恋バナでしようか、みこと」

「ベッドメイキングの仕事があるだろ、お前は」

「そういうみことだって、洗濯の仕事があるんでしょ?」

「————、この後は〝マギ剣〟のプレイ、宿題完遂、明日の弁当作り…………業腹ごうはらだけど、りんね、取引をしないか?」


 ずいぶんとあったまった身体を柔軟運動で折り曲げるりんねと、洗濯機にかさなった洗濯物、相次あいついで秒針と今夜の予定とを図った。

 作業量と時間が割に合わない。ただ、何か一つを諦める選択肢も論外。


 だから、今こそ同居人に頼ろう。


「明日、バイクを走らせるつもりだ。その後部席、乗せてやる」

「なるほどね。ふ、ふふふ……みこととのデート権、逃すほど間抜けじゃないよ」

「じゃ、頼んだぞ」

言質げんち取ったからなぁ‼」


 取引成立だ。

 りんねは昔から、こと乗り物に酔いしれるへきがある。とりわけ誰かと一緒に何かに乗ることは、一番の喜びらしい。


 正直な話、今月に入ってすぐ新作ゲームを買ったので出費——バイク燃料の代はケチりたかったのだが、今日限りはそうも言っていられない。〝マギ剣〟の続きをすることは、今の俺にとっての最高善なのだから。


「よし。……、面倒だが、宿題から取りかかろう」


 せかせかと、別に事細かな会話をしたワケでもないのに、洗濯機へと駆けていく背中を見送って……


 都合をツケてくれた折角せっかくの時間を、おめおめとロスタイムにはしない。俺は内階段を駆け上がって、数学Ⅱの先触れ問題を解くとする。——もちろん、数学は嫌いだ。英語も得意にはげられない。

 きっとまた、遅かれ早かれ、りんねに師事しじを仰ぐような場面がある筈。そこで、いくつも借りを背負わされることになるだろうに。





 夜のとばりがすっかり下りて、子どもの寝息と、爺さん婆さんの寝姿が目立つような頃合い。当然、運内家もちらほらと消灯する部屋があり、おのおの、自分時間をついやす時だ。


 父親は工具片手に室内へ持ちこんだバイクと思考錯誤さくご

 母親は手芸用品とにらめっこをしながらうつら眠り。


 ところで、俺とりんねは……


「最近の学校はどう?」

「いきなりなんだよ……いや、差し当たって思い出すようなことは何もないぞ」

「えぇ~いないの、仲良さげな異性ウーマンとか!」

「いねぇよ」


 もっぱら液晶画面に食い付くところを、さまたげるようにりんねは語り掛けてくる。饒舌じょうぜつさは板につくが、こと学校の——それも異性についての押し問答は、ねちっこい。

 ただ、問われても自信たっぷりに応えられるだけの一悶着ひともんちゃくはない。そもそも、共同で作業に当たるような教科が無いからこそ、今の学校を選んだわけだ。


「うへぇ、みことってば、婚礼できないパターンのやつだ」

「馬鹿言え。お前よりは、っ、いくらでも……ぐぅおッ」

「ながら作業で女子に応答してる時点で望みうすだよ」


 臨場感に入りびたる俺と、ベッドで身包み状態なりんね。今を色めいて愉しんでいるのがどちらかと訊ねられれば、明暗をわかつのは表情だろう。

 いっそ一世一代の大仕掛けに挑むような俺は、傍目から見ても必死面。色恋を話題に上らせるりんねは、薄味のガムでも噛んでるように感情が乏しい。


「えー……じゃあ、」


 同級生には何の脈もないのだと、もはや定例会議じみた結論を聞いて。


 ——矛先ほこさきをあらぬ方角に向けた。


「美人な先生がいる、っとかはないの?」

「…………、ないな」

「うわわかりやす」


 さぞや白々しかっただろう。自分でも、迂闊うかつな一言だったと思う。


 ともすれば、絶好の話題を棒に振る手立てはあるまい。さっさと布団を剥ぎ捨てたカラスパジャマの黒髪が、うざったく気配を小出しにしてきた。

 あたかも、えさに群がるカラスを演出できている。


「へぇ。へぇー。どんな先生なのかなァ」

「言うかよ。っつーか、今はラストダンスでッ、……ぁ」


 がっくりと項垂うなだれてしまった。——さしもの弄りを潜り抜けてきた俺ですら、流石に積み上げた偉業が悲壮な音楽に彩られる画面は堪える。


「ぐ、ぉ…………ぐ、だが……ぬぅ、お前の反応を誘った俺が悪い」

「————ホント、みことってば優しいよね」

「ゲームはやり直しが効くからな。人生に二度目なんてない、コンテニューもない……だから、まぁ、現実で起こったことは怒る気になれねぇよ」


 疲弊を息にまとめて吐き出す。何、どうせリスタートの地点はそう遠くない。考えようによっては、チンケな装備で進んでも勝利は怪しかったのだから、学習費用とでも捉えればいい。


 よく思えば、これまでの人生で感情に身を任せた事なんてなかったかもしれない。物を壊されても、しょうがない犠牲だと捉えてしまったし——こうやって邪魔されたことがあっても、相手だけにがあったとは思えない。

 そこがたたって、面白味の欠けるヤツ、とでも言われがちなんだろうけど。


「ハハ、みことの良いところでもあり、悪いところ。……うぅん、いつかどこかで、全力になれるものが見つかるとイイね」

「そりゃどうも。……まぁ、そこについては望み薄、って言葉を使っておくとする」

「いや解らないよ。恋によって感情の起伏きふくが、」

「そうは思えないぞ。そんな刺激的だったら、人生誰もが恋を求めにいくだろ」


 クイックセーブを整えて、主電源をオフ。今日のところは、ボス前の景色が見れただけ満足だ。


「いやいや、恋には刺激が充溢してるのさ。だから私も、」

「いいから寝るぞ。明日、二輪ころがすんだろうが」

「えー」


 時刻はとうに午前零時。休日に寝るなんて無為なことはしたくないので、徹頭徹尾てっとうてつび、七時間睡眠が欲しい。

 うだうだ布団を転げ回るりんねをなだめて、いつも通りの一日にピリオドを打つとしよう。


 ————いや。いつも通りにしては……。


「(そういや、……あの変なちびっこいヤツ)」


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