隣席ヒロイン図面構成

フー

第1話



 物事は流転るてんする。——いつだって授業内容がどうでもいい道徳の科目で、そんな言葉が目に入った。退屈しのぎに教科書をめくっていた果て、巻末ぐらいに長々つづられていたもの。


 流転。高校二年の春先で、その言葉の意味がわかるほどに宗教知識はない。もちろん、あまり語彙力に自信がないのも加味かみしている。


 だが、どうしてだろうか。

 流れる、転がる。そんな組み合わせが物珍しい気がして、興味をかれた。


「————さだめ君。関係ないページに興味関心があっても、肝心の興味関心評価欄は低くなるのよ」

「……はいっす」


 身を低くしていたのがマズかった。それに、説明ばかり重ねる口先が、いつのまにかこちらに向いていたことも痛恨だ。

 結果として、配布プリントのあまったやつを丸めて、叩かれた。


「(桜華おうか先生——うぅん。美人なのに、攻撃的なのは華やかさがない、というか)」

「考えていることを当ててあげましょうか。……私に対して、失礼なこと」

「っぐ、いえ。その……俺の隣、だれも居ないのが今になってさみしいな、ぁと」


 言い逃れには辛い。が、怒りよりも呆れよりも、同情の念が勝ったらしい。

 桜華先生がわずかに肩をすくめて、に見えるぐらい紅蓮の目を細めた。


「それについては、果報かほうを待てぐらいとしか」

「あるなら、いいんすけどね」

「……まぁ、れっきとした授業妨害。都合さだめ君の点数は下がるわね。新学年始まって早々、かわいそうに」

「……はぁ」


 反抗するつもりはない。事実すぎるのでどうしようもない、とも。


「さて。それじゃあ説明の続き。ヒトの心がどうすれば傷つくのかについて——」


 目に見えた異端をしずめられたことで機嫌を良くしたのか、くすんだ紅色のサイドテールがいつも以上のしなりを見せる。——まったく見ている分には、教師をしているにはもったいないぐらいの美人なのに。

 それぐらいのぼうっとした感想を胸に秘めながら、俺——運内うんだいみことは、この灰色の瞳を前髪で隠すこととした。




 月曜日と金曜日の六限目。それが道徳の割り振りである。もっとも、高等学校にもなって道徳の科目がある時点で、に落ちないものだ。


 ただし、あくまでも選択授業の一つ。なので、離れ教室たるここに集まった生徒は十数名ほどだ。

 道徳を選択した理由については——うん。言うまでもなく、桜華先生がキレイだったから。しかしまぁ……


「もっとこう、人当たりのイイおしとやかさを期待してたんだけどな……」

「無茶言うなよ、さだめ。お淑やかって言うのは、淑女だけに当て嵌まるんだよ」

「そう思ったから道徳に来たんだ。結果は散々だけど」

よこしまな考えだからだよ。僕みたいに、人に優しく在れるため、——って考えじゃないと、これから先は厳しいと思う」


 二つ前の席。——そこまで距離を空けておいて、授業が終わり次第しだい、こちらに近寄ってくる科目仲間……


 攻撃的なギザ歯と、クセのある尖ったストレートリーゼント。反して、知性さを覗かせる下フレームの青眼鏡が印象をあべこべにしてくる。

 名前をたしか、試賀しが鮫人さめと、と名乗っていた。


「……崇高な考え方だな。結果はかんばしいか?」

「もちろんだ! 僕はいつもテスト二〇点が当然なのだがね、フフン、道徳だけは三〇点を取れるんだよ!」

「————ヒトって見かけにらな、……いや、依る……? お前はどっちかわからん」


 つい首を傾げてしまった。

 思えば、テストに際して道徳の平均点が他科目よりずっと低いと噂されている。


「えぇと。この学校、意外と偏差値高かった気がするんだけど。お前、……え。裏口入学とかなのか?」

「今の話に疑う要素はなかったと思うが——もちろん、断じてそんなことはないぞ。入学点は三〇〇点中、二五〇点を取っている」

「上位者じゃねぇか! えー、と……いや、まぁいいや」


 深堀ふかぼりしても意味はなかろう。第一、こうやって道徳の授業でしか顔を合わせないのに、親しくなってどうする。

 この学校は唯一、レクリエーション的な活動がなかったから選んだと言うのに。


 すると、帰りのホームルーム開始直前の打ち鐘が響いた。


「お、っと。じゃあな、さだめ」

「お前もそれで呼ぶのかよ。……じゃあな、ギザさめ


 お互いに遠慮なしの渾名あだなを交わす。鮫人と話している間、こうやって去り際に渾名をぶつけ合う時が一番楽しい気がした。

 さりとて、それを言外にするつもりもないし、募り事として数えるワケもない。——このぐらいの距離間、丁度イイのかもしれない。


「……うーん」


 でも、足りない気がする。欠け落ちている気がする。

 何がとは浮かばないが、いや何を求めているのか自分でもわからないが。


 或いは……


「隣の席、か————」


 人の温もりを一切感じない隣の席に、視線が泳いだ。

 気にしたことなど無かったが、今日になって気付く。急凌きゅうしのぎに思い付いたあのはぐらかしは、ぞんがい的を射ていたのやもしれない、と。


 さて、下校時間は四時ジャスト。それでいて交流を積極的にするような間柄もいない。都合自転車通学の身では、自宅まで一〇分たらずに帰ることができるものだ。

 他に自転車通学はいないし、ましてや徒歩とほなんていない通学路。通りがかる爺さん婆さんに適切な素行を披露しながら、帰るだけである。


 その筈だ。いつもは。


「……なぁにやってんだか、俺は」


 出会いを求めて放浪ほうろう——などと。


 さりとて、別に恋が欲しいワケでもないのに自転車を駆っていると、ご近所の方々にはロードレース系の部活に入ったのかと問われた。返答にきゅうするとはこのことだ。

 今でこそ、まったく人気のないゴーストタウン同然な駐輪所にいるからいいものの、次に気さくそうな人に会ったらどうしたものか。適切な処置が浮かばない。


「この年にもなって、自分探しみてぇな……いや、この年だからこそ、っていうのが当然なのか」


 ひとり言が止まらない。さみしさは、ないのだが。


「そもそもこんなド田舎に暮らしているんだ。自分探しも何も、視たことある景色ばっかりにき動かされるほど感動好きになれねぇよ。……昔馴染みの顔触れだって、もうほとんど都心に行っちまったもんな」


 思い浮かんだ顔の九割が、もうこの町にはいない。

 そう煎じ詰めれば、少し外れた発想も浮かんでこよう。——どうして、自分はこの町に残っているのか。


「理由……理、由……理由って、なんにでも付いてるもんでもないよなぁ」

「うんうん」

「凶悪殺人犯だとか、むしゃくしゃした——なんて感情だけで動いたりするしな。あれは理由じゃなくて、こじ付けで……、」

「わかるわかる」


 


 驚いたは、驚いたのだが……それよりも、気配すら漂わせずにここまで距離を詰められていた事実が恐ろしい。二輪の微細びさいな物音すらなかった。


「……幽霊?」

「はっはっは、現実逃避は見苦しいぞキミ。さっきのえぐい独り言も、高校生特有のというよりは中学二年生のアレだ」

「クソ失礼だな」


 やけに距離間の可笑おかしな少女が、サドルに跨りながら話しかけてくる。一四◯センチ台なので、年下という印象がすぐにツイて、なおかつ絶妙に面倒臭い。

 丸みのある瞳が奇妙な文様を描いていて、いやに白い白磁の肌がそこを引きしめる。腰ぐらいにまで伸び揃えた藍髪はよくかされていて、目を惹く。


 だが残念。俺は桜華先生の最初に魅入ってしまったように、落ち着いた物腰柔らかな女性がタイプである。


「いや、初対面だから別にいいだろう? どうせ今日限りの縁……ここでボロクソ言ったって、特に害はない」

末代まつだいまで覚えておく、とすれば?」

「撤回してあげよう」

「謝罪なしとか……腹が据わってるヤツだな」

「これでもきたえているんだぞ腹筋はロクエルディーケーだ」

「聞いてねぇ」


 話の腰を折られて、相手のペースにさっさと持ち込まれている。うまい。


「ってか、その制服——ウチの高校のだな」

「おっと。まずい機密情報だったのに。……かくなる上はキミを、」

「なんでもいいから、自転車から退いてくれないか。生暖かいサドルに担がれるのは好きじゃない」

「…………美少女を自負できるだけのスペックはあると思うのだが。だが?」

「なら人のことわりぐらいは聞け。そして退け」


 溜息すら惜しいまま、ぐぐいっと顔を寄せる。

 そんな挙動があまりの予想外だったのか、少女はバランスを崩しがちにサドルから退く。そこから鮮やかに、それも制服姿のまま倒立後転を整えたので鍛えているというのはあながち嘘ではあるまい。


 だが、ペダルを漕ぎ進める脚を止めるほど奇異きいでもない。


「じゃあな」

「なぬッ。ぐ、ぐぐぅ……そんなに自転車が好きならロードレーサーにでもなっていろぉおぉおお‼」


 ここらのご近所の方と発想が同じである。まったく若くして着想は老人のソレか。

 風を切るスピードに髪をがれつつ、俺はその日かぎりな放浪を取り止める判断を下した。その意味では、まがいなりにも少女に感謝、だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る