2 ドラゴンと寄生植物
スライムのいた洞窟を出てしばらくすると、山道はますます険しくなり、今では壁かと思うほどの急斜面をその身一つで登っていた。
山の下の景色は既に小さく、山下の森を覆い尽くす木々は点にしか見えない。
「遠くに王国が見えるよ、あれなんて国かな?」
「わ、あっちにはおっきな湖が見える!」
息を切らしながら登り進むリゼの疲労など梅雨知らずエノは楽しそうな声をあげる。
「ねえ、リゼも少し見てみたら?いい景色だよ」
リゼは正面を向いたまま、足を止めずに吐くように返す。
「…こんな状態で見れるはずないでしょ、全く、とんだ嫌味だね」
「嫌味だなんて心外だな、励ましてるんだよ」
エノがそう言った直後、リゼの足元が音を立てて崩れた。
体重を支えていた足場がなくなりバランスを崩すと、先ほどまで浮かれていたエノは「あわっ!」と情けない悲鳴をあげる。そして、硬いものが地面に衝突する音が山に反響する。
急な斜面の下では、先ほどまで足場にしていた岩が粉々になって砕けていた。
木の根をしっかりと握り、滑り落ちることだけは回避したリゼは苦しそうに息を切らす。
「もうだめ、無理、限界」
「それ、言うの三回目だよ」
エノは、落下を免れた事に安心しながらも焦った様子で、火の粉を散らしながら引き攣った声色で冗談を捻り出した。
リゼは深く深呼吸すると、別の足場を探り力を入れ直すと吊り下がった体を元に戻し再び先を目指し始めた。
「ほら、あと少し頑張って」
エノからまた声が聞こえる。その声は、先ほどまでの冗談口調ではなく懇願へと変わっていた。
その声に対してリゼは、荒い息で「それは何回目?」とだけ返した。
…――
それから程なくして、大きな岩に手をかけ体を持ち上げると、リゼは最後の一段を登り切った。
山の最長部より少し下、登り切ったその場所は山が別れ、小さな森が箱庭のように広がっていた。端には湧水による泉が作られ、その水は増幅しながら、登ってきた方とは別の方から滝となって流れていく。そしてそんな空間の中心には、他の木とは比べ物にならないほどの大木が一本、堂々とした様子で立ち尽くしていた。
「やっとついた―…」
早足の呼吸でそれだけ叫ぶと、指先一つ動かないと言った様子で目をとじ、倒れるように横になる。久しぶりの平地で狂った平衡感覚が治っていく。
「お疲れ様、いや本当に」
リゼと一緒に倒れた状態のエノが、横向きになっている事には文句を言わずに、ホッとしたように囁きかける。
「もう手が石になったみたい、全然感覚ない」
そう言い手袋を取る、潰れた豆が血をあちらこちらに滲ませていた。
「ほらあそこ、湧き水が出てるから早めに洗い流しておきなよ」
エノはそういうが、リゼは一向に動く気配がない。
「無理、動けない。エノ汲んできて」
「無理だよ、動けないから。君と違って文字通りね」
そんな会話をしながら、リゼは落ち着いてきた呼吸に合わせゆっくりと目を開ける。
頭上に空は見えず、きらきらと木漏れ日だけが降り注いでいた。
木漏れ日の指す枝の先は、森の中心に生えた大木へと繋がっており、その大木は頂上の空間全体を覆い隠していた。
「本当大きい…」
リゼは木漏れ日を浴びながら呟く。
「”この木”がこんなに大きくなるなんて、初めてみたよ」
「そりゃ山の下からでも分かったくらいだからね」
リゼは目だけであたりを見回すと「ほら、あれ見て」と大木の枝を顎で指す。
リゼの指す先、大木の枝には赤茶色の果実が沢山付いていた。片手に収まる大きさのその果実は既にいくつか地面に落ちており、衝撃で割れた中の果肉が辺りに散らばっている。
「本体も大きければ成す果実の量も桁違いだ」
目的のものがしっかりあった事に対する安堵に、ここまでの苦労を忘れ。その果実を見つめながら嬉しそうに呟く。
しかし彼女は直ぐに少し悩んだような顔をすると続ける。
「でも、こんな大きな大樹。一体"宿主"はなんだろう…」
リゼがそう小さくつぶやくと「リゼ、後ろ!」とエノが驚いたような声で叫んだ。その声に重い頭を少し起こして振り返る。
そこにはドラゴンが眠っていた。
「この植物に養分を取られちゃったのかな?」
リゼの何十倍もあるドラゴンの頭は、既に息をしておらず、至る所に蔦が絡み付いている。そして、ドラゴン全体に根を張るようにして、身体の中心からあの大木が伸びていた。木と一体化したドラゴンは、革から鱗まで全ての養分を大木に吸い取られ、その見た目は木彫りの彫刻のようだった。
その光景に釘付けとなっていたリゼに、空を見上げながらエノが訊ねる。
「…日も傾いてきたよ」
「どうせ今日中に山は降りられないし、今夜はここで野宿だね」
めんどくさそうにそう言うリゼに、「まあ、仕方ないか」と返事が返ってくる。
「そして野宿の準備もまた後で」
リゼはそれだけ言うと起こした頭をまた地面につけ、目を閉じた。
横に倒れたままのエノは「せめて僕だけでも起こしてくれないかなぁ…」と言うが、その後しばらく回答は返ってこなかった。
野宿の準備を始めたのは、日が反対の山に沈む直前だった。
泉のそばで広げられた荷物と一緒に、やっと起こして貰ったエノは小さな石の上に置かれ、そこから大木を眺めていた。
「本当、大きいね」
薪集めから戻ってきたリゼにエノはそう呟く。
「これだけあればしばらくは食料に困らないね」
見回しながらエノが返すと、持ってきた薪を一箇所に放ってからリゼが言う。
「とはいえ、大変なのはここからだよ。暗くもなってきたし明かりはお願いね」
「りょうかーい」と返すエノの声を聞いてから、薪と一緒に持っていた籠をエノの前に置く。
籠の中には、あの大木の赤茶色の果実が大量に集められていた。
リゼはまな板を取り出し、泉の水で軽く洗うと、籠の隣に置く。
次に小型ナイフを腰のホルスターから抜くと、籠から取り出した果実の中心に刃を入れていく。柔らかい皮に裂け目が入り、果汁が溢れ出す。それと同時にほのかな甘酸っぱい匂いが辺りにかおった。
中心で綺麗に分割された果実の中には白い果肉と細かい種がぎっしりと詰まっており、そんな果肉を種が付いたままの状態で事前に用意していた鍋どんどんと放り込んでいく。
鍋いっぱいまで果肉を集めると、先ほど集めていた薪に火を焚べ煮込んでいく。
やがて鍋全体の水分が少なくなってきたところで、もう一つ小型の鍋を用意し煮込んだ鍋の中身を網で漉す。
すると、果肉と種が別れ、網の上には小さな黒い種だけが残った。
漉した方の鍋に、小さな種が残っていないことを丁寧に確認してから小さい方の鍋を再度火につけ、もう一煮立ちさせる。
その光景を見ていたエノ訊ねる。
「種を分けるの?これ全部?」
「うん、そうしないと売り物にならないからね」
リゼは鍋の火加減を見ながらそう言うと、先ほど取り除いた種を一粒取り出しエノの目の前で照らす。
「みて、この種」
「見てって言われても、ただの種にしか見えないけど…」
エノは正直に答える。確かにそれは何の変哲もない、ただの果物の種にしか見えない。
「この種一つ一つが半寄生植物の種子なんだ」
「寄生植物?」と不思議そうに言うエノにリゼは続ける。
「そう、寄生植物、寄生虫はわかるでしょ?それの植物版。この植物は他の種に寄生して栄養分を吸収しながら成長するんだよ。つまり彼らはこの果実を食べた生き物に寄生するんだ、そして体内で成長して、ある程度大きくなったら枝を体の外に伸ばし、樹木になる、宿主共々ね」
リゼは最後に「それが例え人間やドラゴンでも、例外なくね」とだけ付け加えると、エノは体内から枝が伸びるというところを想像して「なんか…正直言ってエグいね」と少し引き攣ったように返した。
「まあ、だから宿主が大きければ大きいほど大きな木になるんだ、そして樹木は実をつけ、また別の生物に食べてもらう、そうやってこの植物は繁殖しているんだよ」
リゼがそういうと、エノは先程の眠っているドラゴンの方を横目に見て返す。
「つまり、このドラゴンは可愛そうな犠牲者ってことか」
「そうだね。とても大きなドラゴンだから、樹木もこんなに巨大になれたんだろうね」
「でも、まさかこんな大きな生物もやられちゃうなんて…」
「まあ自然界の法則ってやつだよ、どんな生物にも勝てないものはある。最強の生物なんていないんだよ」
そこまで言うと、最初の鍋と、いくつか取り出した瓶を泉で軽く洗い、泉の水と一緒に火にかける。泉の水が沸騰するのをじっと眺めているとエノが口を開く。
「でも動物に寄生するなんて、この木もよくそんな風に進化したね」
「動物は環境が悪くなったら移動する足があるけど、彼ら植物はその場から動けないからね、環境が変わったらすぐに適応して進化しないといけないんだよ。だからどんどん複雑に、神秘的に分岐して進化し続けているんだ」
「ふーん、なるほどね」
エノの返事を聞きながら、煮沸した瓶の中に先ほど漉した種のない果汁を流し込むと、瓶に蓋をしてから再度煮沸した鍋の中に沈める。
10分そこらグツグツと瓶を煮込むと、今度は泉の水に付け、冷やす。
「よし、できた。今日はここまでにして続きは明日やろう」
瓶の中には細かい果肉と果汁の詰まった綺麗なピュレができていた。
鍋いっぱいの果肉は、最終的に瓶二つ分にしかならなかったが。リゼは満足そうに中身を見つめる。
そんな彼女を眺めながらエノは訊ねる。
「この種もとっとくの?危険なものなんじゃないの?」
果実の種は焚き火の端で乾燥されていた。
「これはこれで利用価値があるからね、無駄なく使わないと」
「じゃあ、この残った果実の皮は?」
「これは今から晩御飯に使うよ、知らないの?果物の皮って栄養あるものが多いんだよ」
エノはウヘーと気持ち悪そうに息を吐くと「貧乏性…」とだけ呟いた。
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