2 街へと続く道

太陽が天頂を通過し午後の日蔭を作る頃。

一台の荷馬車が、土埃をあげながら走っていた。


荷馬車の走る道は、山の岩壁と森の境目にあり。広く硬くしっかりと整備された路面は普段から人の往来がある事を語っている。


荷馬車は輸送だけを目的にしたシンプルなもので、ドアや屋根はなく。二つの大きな車輪によって支えられた荷台の積荷を、一頭の馬が力強く引いていく。


荷台の前方の座席では、一人の旅人が、地面から伝わる強い振動に顔を歪ませながらしっかりと手綱を握っていた。


旅人はキャスケット帽を深くかぶり、裾の長いコートを羽織っている。

そして、そのどちらもが馬の蹴り上げる土埃で汚れていた。


旅人の背後の背もたれには、真鍮製のランタンが取り付けられており。荷台の振動に合わせカランカランと金属の擦れる音をあたりに響かせている。

そんなランタンの内部に灯された炎は弱く、太陽の光に負け、側から見ると本当に灯がついているのか疑うほどであった。


しばらく走ったのち、ランタンの炎が一瞬少し強くなったかと思うと「うーん…」と子供の寝起きのような惚けた声が聞こえる。


「おはよう、エノ」

旅人はそんなランタンに向かって優しく囁いた。


「あれ、もう港街を出たの?」

寝ぼけた様子で訊ねる声に、旅人は「とっくの前にね」と返す。


そして、しばらく不規則に揺れていた炎が安定したのを確認するのを待ってから旅人は続ける。


「途中で寝ないで、エノも街の中を見ていればよかったのに」

嫌味ったらしくそう言うと、目線を正面に戻し「そうすれば私ももっと観光できたのに」と付け加えた。


エノと呼ばれたランタンの中の炎は、それを聞いてくねくねと揺らめきながら反論する。

「嫌だよ、だって人の目が気になるじゃん。リゼは気にならないの?現に今日も、市場の場所を聞いた二人の顔。凄く訝しんでいたよ?」


「もう会わない他人の目なんて気にする必要ないじゃん。それに、向こうはもう忘れているよ」

リゼと呼ばれた旅人が冷静にそう言うと。エノは少し考えてから続ける。


「そーいう問題じゃないの。なんというか、心の問題?」

しかし、リゼはちっとも感心しない様子で「ふーん、君も大変だね」と台詞の棒読みのように返した。


そして少しの沈黙の後、エノは今更気づいた様子で訊ねる。

「というか、この馬車はどうしたの?それに荷台の積荷はなに?」

「ああ、それは次の商品だよ、鱗を売ったお金で仕入れたんだ。この馬車は商会が貸してくれたんだよ、流れで一時的に会員になってしまったし、今回の取引のお礼も兼ねて、無償でね」


嬉しそうにそう言うリゼとは裏腹に、エノは先の取引を思い返しこともなげに続けた。

「まさかあんな鱗が高く売れるとはね…。で、あの鱗が紅竜の鱗じゃないってことはちゃんと説明はしたの?」


「いや、してないよ」

エノの質問にリゼはさらりと返すと、エノは「え」と驚いたようにと声を上げてから訊ねる。


「じゃあなに、騙したってこと?」


人聞きの悪いことをいうエノに向かって、リゼは相変わらず涼しい顔で返した。

「別に騙しちゃいないさ、あの兵士さんが勝手に勘違いして価値を釣り上げただけだよ。私はその釣り上げられた価値のまま品物を提供して、商会はそのままそれを納める。あの人があれがいいって言ったんだから別にいいでしょ?」

「でも、金額と価値が見合わないでしょ?」


そう言うエノに対してリゼは、ポケットから銀貨を一枚取り出す。


「この銀貨だって結局は、銀に亜鉛を混ぜて固めただけのものさ、でも実際この国では素材以上の価値がある。それはそう人が決めたからだよ。他にも私から見たら何の変哲もない指輪だったとしても、ある夫婦からしたらかけがえのない思い出の品だったりする。結局物の価値なんて受け取る人が決めるんだよ」

「…そう言う問題かなぁ」とぼやくエノにリゼは続ける。


「それにあの会長さんは気づいてたよ、あの鱗にそこまで価値がないって。それでいてなにも言わずに取引を通してくれたのさ。お互いの利害が一致してたからね」

そして取り出した銀貨をポケットにしまいながら「まあ、今回はタイミングが良かっただけだけどね」と続けた。


「じゃあ、次の質問。兵士を騙して仕入れた後ろの積荷はなに?」

彼の質問にリゼは顔をしかめながら「だから騙してないって」と言うと、少しめんどくさそうに説明する。


「建材だよ、建築用に使う木材から道具まで一式、荷台に詰める分だから数はそこまでないけどね」

「ふーん…建材かぁ。詰める分って言ってもそこそこあるみたいだけど、売る見込みあるんだよね?」

リゼは「もちろん」と言うと懐から地図を取り出し、からも見える位置で広げた。


「さっき港で、近隣の街が襲撃されたって話してたでしょ?で詳しく調べてみたら、ここから北にある街がどうやら壊滅状態みたいなんだ。で、今頑張って復興している最中なんだって。周りが岩山で囲まれた鉱山の街だから、復興には木が不足しているんじゃないかと思ってね」


リゼは地図上で今いる場所と目的地の場所を指差す。その距離はざっと見ても到着まで後一日以上かかりそうな距離であった。


エノは今夜の野宿を覚悟し、ため息まじりにリゼに聞き返す。

「でもさ、そんな状態の街にお金あるの?」

「言ったでしょ、鉱山の街だって」


答えになっていない回答に文句を言うように「だからなに?」とエノが返すと。リゼは自身ありげに答える。


「お金がないなら鉱石を売る権利をもらうんだ、鉱石の販売は基本、街の商会が独占しているはずだけど、そこに入れてもらう。私は木材を運んで街は復興する。そして私は鉱石を受け取って次の路銀にする。そうすれば両者とも得でしょ?」


得意げに言うリゼに対しエノは「そんなうまくいくかな…」と正直な感想をボヤく。これまでこう言った計画がうまくいった試しは無い。


しかしそんな不安など気にしていない様子でリゼは「物事はいい方に考えないと」

とつきかえすと、地図をしまい馬の手綱を強く握り直した。


「…まあ僕は、オイルの補充と、定期的な手入れさえしてくれれば、君のすることに特に口出しはしないよ」


エノは最後にそう言うと、先のことを考えるのは諦めて、目の前に広がる真っ直ぐな道をぼーっと眺めることにした。



―――



太陽が山の影に入り、あたりが薄暗くなってくる頃。

リゼは森の中の小さな泉の側で馬車を止めた。


夕日に照らされた泉の水は、まるで宝石を散りばめたかのように鮮やかなオレンジ色がキラキラと輝いている。


そんな光景を眺めながら、エノは「まだ先にいけるんじゃない?」と訊ねるが、リゼは「この先は山道で足元が危なくなるからね」と宥め、そして馬車から降り、馬に泉の水を飲ませ始めた。


あたりが暗くなるにつれ、今まで目立たなかったエノの灯は眩しく輝き始める。

彼はこれから来る自分が目立つ時間に浮き足立ちながら、泉の近くの木に手綱を括るリゼに向かって訊ねた。


「明日は目的地につきそう?」

「道がきちんと整備されてたおかげで予想以上に進めたから――この調子なら明日の昼頃には着くんじゃないかな」


リゼの言葉に、エノは「なら明日は屋根の下で寝れそうだね」と嬉しそうに返すと、さらに続ける。


「僕は暗闇が好きだけど、外だとどうしても虫が寄ってくるからね。だからなんだかんだで室内の方が安心で好きかな」


リゼは馬車から下ろした自分の荷物を地面に広げながら「それ何回も聞いた」とうんざりしたように返すと、最後に座席に残されていたエノを持ち上げ、広げられた荷物の隣に置く。


その後、リゼは近くからいくつかの小枝を集め一箇所に集めるとエノを持ち上げ声を掛ける。


「さあ出番だよ」


「しょうがないなー」とエノが嬉しそうに返すのを待って、リゼはランタンの下部に取り付けられた留め具を外す。


燃料タンクとランタン本体がパカっと開き、炎が外気に晒されると、一瞬ボっと強く燃え、やがてすぐに元の穏やかな炎に戻った。


「やっぱ外の空気は気持ちがいいや」

「さっき室内が好きっていってなかった?」

「ここで言う外っていうのは、ランタンの外って意味。いや別にその中が窮屈だって思ったことはないよ、ランタンの中はそれはそれで快適だからね。虚勢じゃなく本当に」

「…そろそろ火つけてくれない?」


リゼが急かすように言うと、エノは「わかったよ、せっかちさん」と不貞腐れたようにそう吐き捨てる。そして浅くため息をついた後で、ここ一番大きな炎をごおっと巻き上げると、握り拳ほどの大きい火種を先ほどリゼが集めてきた枝めがけて落とした。


「ありがとう」

「どういたしまして」


枝の炎は、あっという間に大きくなり、パチパチと音を上げながらすっかり暗くなったあたり一体を眩しく照らし始めた。



「焚き火に移らなくて良いの?」

リゼは薪を足しながら、燃料タンクの上で元の大きさに戻ったエノに訊ねる。


するとエノは、今しがた自分が作った焚き火を見つめながら「うーん…今はこっちで良いかな」とだけ答えた。


「そっか」


リゼは優しくそれだけ返すと、ベルトに付けてあったポーチの中から一枚の布を広げ、地面に敷いた。

それから、ランタンの本体を持ち上げると、昼間までエノが入っていた筒状のガラス部分を本体から器用に取り出す。熱に耐えられるように重く作られてたそれを丁寧に布の上に置き、次に熱を遮断するため本体内部に設置された網、そしてそれらを支えるフレームを取り外し、先ほど外したガラスの横に順に並べる。するとあっという間にランタンは中身の抜けた本体といくつかのパーツに分解された。


先程のポーチから今度は1本の鉄製ボトルと布切れを取り出し、ボトルの中の液体を布切れに染み込ませた。

そしてまず本体を持ち上げると布で丁寧に磨き始める。煤や汚れが綺麗に取れくすんでいた表面は次第に光沢を帯びていった。本体を磨き終えると、取り外した順番でパーツを磨いては慣れた手つきで本体に戻していく。

最後のガラスは特に丁寧に、内側についた煤を落とし、全てのパーツが磨き上がると本体は元通りの形になった。


その工程を、燃料タンクの上のじっと見てたエノが「ありがとう」と投げかけると、リゼは軽く微笑み返した。



ランタンの手入れが終わり、リゼは手についた煤を泉で洗いながらエノに訊ねた。


「中に戻る?」

「うーん…」


しばらくしてエノが「そうする」と答えると、リゼはエノの上に本体をかぶせ、留め具をしっかりと元の位置に戻す。

ピカピカになったボディとガラスに、エノは満足したように揺れていた。


ランタンの手入れが終わると、今度は道中背負っていた大きな革製の鞄の中から、手のひらサイズの小さな小包を取り出した。


その包み紙の中にはカチカチになった干し肉が入っており、それをナイフで裂きながら、あらかじめ火にかけていた小さな鉄製の鍋の中に放り込む。鍋の中では既に泉の水が煮立っており、裂かれた干し肉はあぶくにゆられ柔らかくほぐれていく。


次に鞄からいくつかの小さな小瓶と、束になった枯れ草を取り出す。小瓶には植物の種のようなものや、乾燥した花などが種類毎に詰められていた。


そしてその中の一つ、種子のようなものが入った小瓶の蓋を開け何粒かを手のひらに移すと、指で砕きながら鍋の中に入れる。続け様に同じ要領でいくつかの小瓶を開け、少量ずつ鍋に入れていく、するとあたりには独特の芳香が漂い始めた。


「あっ…」


鍋をかき回していたリゼは、ふと何かを思い出したかのように声を漏らすと、小型のナイフを持って立ち上がり、泉の側で再びしゃがみ込んだ。


しばらくして帰ってきた彼女の手には、細長い葉っぱに白色の花のついた植物が握られていた。


「え、それ食べるの…?」

今まで黙って見ていたエノが口を挟む。


「これは、スケイスルートって言って錬金術とかに使われたりする基本的に食用の植物だよ」

そう言ってリゼはエノの見える位置に持ってくると、「ほら、葉っぱがエルフの耳のような形してるでしょ?」と聞いてもいない見分け方を教えてきた。


「…で、それは美味しいの?」

「不味くはない、でも美味しくもない、さらに言えば味もそんなに無い。かな、栄養価はあるけどね」

「わざわざそんなもの入れなくてもいいんじゃ…」エノがそう言った時にはすでに、その無味の植物は鍋の中に投下されており、あっという間にくたくたになっていった。


鍋に蓋をし、彼女は語り始める。

「以前知り合った魔法使いから教わったんだけど、この植物には変わった特徴があってね…」


鍋に入れず残った花弁をつまみ上げ、焚き火のそばで乾かすようにくるくる回しながら続ける。


「この植物は豊富な水源がある湿地でしか生息できないんだって、だから何かしらの環境の変化によって大地が乾燥しちゃうとすぐに枯れてしまうんだ」

そう言いながら花弁を乾かし続けると、次第に甘いような酸っぱいような香りが辺りに充満し始めた。


「だからね、こうして水分を飛ばすと花弁の中の種子が強い匂いを発生させるんだ。それに釣られてきた動物に食べてもらえるようにね。動物は別の水場に移動して、消化されず残った種子は糞として出てくる。そうすればまた違う水源で繁殖ができるってわけだよ。その場から動けない植物の生存戦略だね」


「ふーん」と興味なさそうな態度のエノのに、リゼはそれ以上話すのをやめると、追加で何本かその植物を採ってきては次々と焚き火の横で乾かし、甘酸っぱい香りの種子を空の小瓶に詰めていった。



―――



静かな夜が明けると、リゼは日の出と同時に目覚めた。


泉の水は気体となりあたりを薄いモヤで覆い、草花は艶やかに輝いている。

昨夜の焚火は既に灰となり、夜露に濡れ。今では煙も立っていない。


リゼは眠っているエノに気を使いながら静かに立ち上がると、荷台に積んでいた干草を馬に与え軽くブラシをかけてやる。


それが終わると、今度はポーチにしまっていたブロック状の携帯食糧を一欠片頬張っいながら、荷物を次々に馬車に積み込むと最後に馬を繋げる。



全ての出発準備を済ませ、最後に焚き火の後を足で払うと、エノの元に屈みランタンの側面をトントンと優しく叩く。


「そろそろ出発するよ」


その声に一瞬炎がぽっと揺らめいたが「うーん」と唸ると、炎はまた弱くなり、やがて眠りについた様に動かなくなった。おそらく昨夜も遅くまで星を見ていたのだろう。


「仕方ない」とリゼは揺らさないようにエノを持ち上げ立ち上げると、馬車の座席に引っ掛けた。



そして最後にあたりを見回し、忘れ物がないことを確認すると、静かに馬車を走らせ始める。



―――



ガタガタと激しい揺れにエノは目を覚ます。

太陽の光に眩しさを感じながら、寝起きのぼんやりした視界であたりを見回す。


辺りに木は殆ど生えておらず、栄養価のなさそうな乾いた大地には岩肌だけが剥き出しになっている。その景色は眠る前の生命溢れる森とはかけ離れた光景であった。


未だ状況が掴めず、ボーッとあたりを見回していると、馬車が一段と激しく跳ねた。

積み込まれた荷物が不安になるほど大きな音を立て、荷台の軋む音が聞こえる。どうやら、昨日までの綺麗に舗装されていた道はとうに外れ、荒れた山肌を登っているようだ。


「この揺れどうにかならない?」

「私だってどうにかしたいさ」


心地よい睡眠を妨害されたエノがうんざりしたように訊ねると、さらにうんざりした声が帰ってくる。

リゼの顔を覗き込むと彼女は辛そうな顔をしており、手綱を握っていない手は馬車とお尻の間に差し込んでいた。


「あとどのくらいなの?」

「もう少し…だと思ってないとやってられない」


エノは、このまま話していても愚痴しか聞こえてこないだろうな。と察すると、燃料が溢れない事だけを心配しながら、岩肌しか見えない道の先を見つめていた。

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