3 花と石の街

「…で、噂は本当なの?街が復興に勤しんでるってやつ」

そう言うエノに、リゼは「うーん…」と首を傾げながら返す。


街に着くと、廃屋と荒れた歩道だけが静かに二人を迎えた。


街の入り口にある看板は踏み倒され、鉱山の入り口は瓦礫に埋もれ入れる隙もない。所々壊れていない家もあるが、人が住んでいるような暖かさはどこにもなく、街全体が抜け殻と言った様子で、まさにゴーストタウンと呼ぶに相応しい状況であった。


誰にも会えないまま二人は街の中を進んでいく。途中でエノが「随分と静かな街だね」と茶化すように言ったが、どこからも返事は帰ってこなかった。



その後しばらく歩いて、街の中心と思われる広場で遅めの昼食を取っていると、エノが訊ねる。

「街が復興してるって噂は誰から聞いたの?なんと言うか、それ以前の問題なんだけど…」


リゼはうんざりした様子で、携帯食料を手でちぎりながら返す。

「港町の商会にいた人…」

「その人本当に信用できるの?」


再び訊ねてくるエノに、リゼはため息混じりに答える。

「いい人そうではあったかな…」

「人柄じゃなくて…」と批判を続けようとしたエノは、リゼの表情を見て言葉を飲み込んだ。


彼女は儲け話を目の前に、信憑性の確認なく飛びついてしまった事を後悔しているようで、少し暗い表情をしていた。珍しくショックを受けた様子のリゼにそれ以上何も言わずにいると、暫くしてリゼは、残りの携帯食料を無理くり口に詰め込むと、開き直ったような感じでエノに返す。


「疑り深いのはダメだよ、人は信用しないと」

「なに?宗教の勧誘か何か?」

いつもの表情に戻ったリゼに、エノは戯けて返す。


「そうではないけどさ…もう少し探してみようよ」

リゼは軽く微笑んでからそう言い立ち上がると、まだ探索していない街の反対側目指して歩き始めた。


…――


ふと、目指す先の空を見てエノが呟いた。

「夜は雨になりそうだね、屋根のある宿見つかるかなー…」

「最悪どこかの廃屋を使わせてもらうことになるかもね」


リゼがそう返すと、エノはすでに覚悟を決めた様子で「あそこは穴が空いている」とか「あそこは良さそうだ」とか今夜の宿の吟味を始めていた。


そんな事をしながら、しばらく足を進めていたが、突然リゼは「ん?」と何かに気づいた様子で、引いていた馬を止めてあたりを見回し始めた。

エノも一拍後にリゼが感じた”それ”に気づき、訊ねる。


「甘い匂い…なんだろう花の匂いかな?」

「わからないけど、風上の方から漂ってきてるみたい」


そう言いながら、二人は漂ってくる香りを辿るように丘の上を見る。すると崩れていない建物の一部が目に入った。


「行ってみようか」

「人探しはどうするの?」

「案外この先にいるかもしれないよ?」


そう楽観的に返すリゼに「噂通りならね」と小さく呟くと、二人は丘の上に向かって歩みを進めた。



…――



街の奥手側から丘を登る。

するとそこには大きく、そして美しい教会が佇んでいた。


教会最上部の立派な鐘は太陽の光を受け黄金色に輝き。白亜の外壁は傷ひとつなく艶めいている。アーチ状の協会の入り口と柱に施された彫刻は、まるで今にも息づかいが聞こえてきそうなほどに緻密に繊細で美しい。

その美しさは建物だけには留まらず、境界へと続く道や花壇、そして噴水までもがキラキラと白金の輝きを放ち、廃れた街とは打って変わってこの教会だけがしっかりと息づいていた。


しばらくそんな美しい教会に見惚れていると、エノが吐き出すようにつぶやく。

「綺麗な教会だね」


「…うん、場所に似合わないほどにね」

リゼは教会を見つめたままそう返すと、抱えていた違和感を口にする。


「それにしても、街中しっちゃかめっちゃかにされているのに、なんでここだけこんなに綺麗な状態で残っているんだろう」

「ここだけ既に建て直したばかりとか?それか、この街を襲った襲撃者がとても信仰深かったか…だね」

エノも疑問そうにそう答える。


「オークの襲撃って話だから、後者はあり得ないだろうね。だからと言ってこんな立派な建物をすぐに建てなおせるかな…それに植物も植えられたばかりというよりは、以前から根付いてましたって感じだよね」

なんとも言えないこの場の違和感に二人が一抹の恐怖を覚えた頃。


「あの…」

二人のすぐ背後から、そうはっきりと女性の声が聞こえてきた。


その声に二人は驚き、リゼは咄嗟に後退りをしながら振り返る。

その女性は、気配もなくリゼ達のすぐ後ろに立っていた。


歳はリゼと同じか少し上ほど、髪は白色の頭巾の中に全て納め、頭巾の上からは暗い紺色で染められた長いベールを被っている。

衣服も同じく紺色で、くるぶし丈の長くゆったりしたローブに身を包み、ローブの下は首元から指先まで白い布にで覆われ、顔以外に肌の露出は見えない。胸元にはローブの上から白い襟掛けがされており、その上からは綺麗なロザリオを下げていた。


この協会の修道女と思われるその女性は、少し申し訳なさそうな表情でリゼに訊ねる。

「我々の教会に何か御用でしょうか?」


突然現れたその人物に、リゼは警戒の表情を送ると、その修道女は少々慌てた様子で続ける。

「すみません驚かせてしまって…先に自己紹介ですよね。私はこの協会で修道女をさせていただいております、リリー・マルファという者です」


人間味あふれる彼女に、リゼとエノは一瞬目を合わせると、警戒心を解き挨拶を返す。

「こちらこそ勝手に拝見してしまってすみません。私は旅商人をしているライゼと言うものです」

そう紹介するリゼに、リリーと名乗った修道女は「あら、やはり旅人さんでしたか」と手を打ちながら明るい表情で返すと。喜ぶように少し飛び跳ねながら、片手を広げ歓迎のポーズを取る。


「ようこそ、鉱石と炭鉱の街ラグナへ!」

彼女の動きに合わせて、首元のロザリオもキラキラと光を反射して踊る。


余程旅人が嬉しいのか、しばらく笑顔をリゼに向けていた彼女であったが、ふとさっきまでの明るい表情を曇らせて彼女は続ける。

「…といっても、今もてなすような余裕はないのですが…」

その申し訳なさそうなその表情に、リゼは「あ、いえ、お構いなく」とこちらも申し訳なさそうに返す。


「ところでこの街にはどんな御用で?」

リリーの質問に、リゼは馬車の荷台に視線を移しながら答える。


「麓の港町で仕入れてきた建材をお譲りしようと思いまして。幾分かしかありませんが、街の復興の助けになればと思いまして。なので、この街の商会の方またはそれに近しい方を探していたのですが街の中ではお見受けすることができず…もしかして協会の中にいらっしゃるのでしょうか?」

すると、彼女は一瞬暗い顔になったかと思うと、元の表情に戻り説明する。


「実は、昨日から隣街の方まで物資の調達に出ているのです。ご存知の通り、我が街には鉱石はあれどその他の資源が不足しておりますので」


続けて「タイミングが悪くて申し訳ございません」と謝る彼女に、リゼは「そうでしたか…」と少し困ったようにつぶやく。小声で「商売失敗?」と茶化し気味に言うエノを横目で睨みつけながら。


「さて、どうですか?立ち話もなんですし、もしよかったら中でゆっくりしていきませんか?」

「急に押しかけて迷惑ではないですか?」

「はい、今日は他にすることもありませんし。それに、一人で街に残されて退屈していたので」

少し寂しそうな表情でそう言う彼女に、リゼは少し考えたが街中を動き回った疲れもあり、提案に甘えることにした。


「そうですね、ではお言葉に甘えて少し休憩させていただきます」

すると彼女は「はい!」と光のある表情で返事をすると。リゼを案内するように前を歩き幸福そうな声で「では先に馬小屋の方に案内しますね!」そう続けた。



…――



彫刻の施された協会の入り口を潜り、拝廊を抜け協会の内陣まで案内されると、修道女のリリーは「お水を持ってきますね」と言って祭壇の裏方に消えていった。


リゼは扉の閉まる音を聞いてから、主祭壇に一番近いところにある大人が七人ぐらい座れそうな長椅子に「疲れたー」と息を吐きながらだらしなく倒れこんだ。

背負いっぱなしの鞄を隣に置き、汗で蒸れた帽子を外し、長いコートを脱ぐ。これらの一連の作業を体を起こさずに器用に済ませると、最後にエノを一番近くに置く。


「室内で休憩するのは随分久しぶりな気がするね」

「太陽の下が嫌ってわけじゃないけど、やっぱり天井があると落ち着く…」


そんななんともない会話をエノと交わしながら息も落ち着いた頃、リゼは重い頭を起こして室内を見渡す。


外見同様に内装も豪華で、壁や柱は一面に彫刻が施されており、天井から吊り下げられた燭台には長さの揃った新品の蝋燭が規則正しく取り付けられていた。

祭壇からはこの協会で崇めているだろう聖人の像が美しくこちらに向かって微笑んでおり、そのさらに後ろの大きなステンドグラスは太陽の光を吸収し、色鮮やかに輝いていた。


「それにしてもいい子だね、一人で留守番だなんて」

ステンドグラスを見つめていると、エノがそうつぶやいた。


「いい子だと思うならエノからも話しかけてみれば?」

リゼが返すが「それは遠慮しておくよ」と興味なさそうに軽くあしらわれてしまった。


「…それにしてもおかしいよね、街の人が全員揃って出ているなんて」

「まあでもそういうこともあるでしょ。それに人の言うことは信じなきゃって教えてくれたのは確かリゼだったはずだよ」

「確かにそう言ったけどさ…」

そんなエノの言葉に納得の行かない様子で、リゼは首を傾げる。


「それに、この匂い」

街中に漂っていた甘い香りは、協会に近づくにつれどんどん強くなり、教会の内部で最高潮を迎えていた。

しかしながら、この強烈な匂いに対して不思議と嫌な感じは覚えず、むしろアロマキャンドルを焚いた時の様な心地よい感覚だった。


「やっぱりこの甘い香りの元はこの協会だったね」

エノはそう言うと、祭壇の角に置かれた花瓶を見るようにリゼに合図した。そこには匂いの元と思われる一輪の赤い花が、花瓶に生けられていた。


リゼは立ち上がり花瓶の側まで行くと、その花を手には取らずじっと見つめる。


「で、匂いがどうかしたの?」

「いや…ううん、べつに…」

エノの質問にリゼは空返事をすると、ハッと何かを思い出した様子ですぐに少し暗い顔をする。エノはそんなリゼに声をかけようとするが、それはすぐ背後からの別の声に奪われた。


「その花が気になりますか?」

後ろを振り返ると、リリーが水差しを持って立っていた。


彼女はリゼの真横までくると、グラスに水を注ぎリゼに手渡す。鉄製のグラスはひんやりと冷たい。


「その花はトレゼと言って、本来は遠い南の方にしか咲いていない花なんですよ」

「いい匂いですね、それに綺麗」

そう素直な感想を言うリゼに、先ほどの暗い表情は消えていた。


「そう言って貰えると私も嬉しいです、私が毎日お手入れしてるんですよ」

彼女はまるで自分が褒められたかのようにニコニコと喜びながら水差しをテーブルに置くと、「そうだ!」と閃いたように顔を輝かせる。

「協会の裏にもっとたくさん咲いているのでよかったら見ていってください」


リリーはそういうと、半ば強引気味にリゼの腕を掴む。リゼは咄嗟にエノを握りると誘導されるがままリリーの後ろをついていく。


リリーは祭壇の裏手にある扉の前までリゼを案内すると「いいですか?」と溜めてから、ドアを勢いよく開く。


扉を開けるとそこは協会の裏庭だった。協会は丘の上に立っており、裏庭からは街が一望できた。そして、そんな協会の広い裏庭には足場のないほどトレゼの花が一面に敷き詰められていた。


赤色の花は風にさらさらと揺られては、あの甘い匂いを街中に振りまいている。そんな花の絨毯に見惚れているリゼに、リリーは「奥は崖になっているので、気をつけてください」とだけ声をかける。


「すごいですね…」

リゼがそれ以上の言葉は出てこない様子でつぶやくと、そんな彼女の顔を見てリリーはまた嬉しそうな表情をした。


「見渡す限りのトレゼの花が咲いている場所は、原生している地域でも珍しいみたいで。噂を聞きつけた人がこの街に見に来るほどなんですよ」

彼女は自慢げにそう言いしゃがみ込むと、大事そうに花を両手で包む。


「ここの匂いが街の方まできてたんですね」

「はい、この時期が一番咲き頃で、もう少しすると今以上に街一帯にまで広がるんですよ」


リゼがその美しい景色をただただ眺めていると、リリーは立ち上がりながら口を開く。

「私はこの場所が大好きで、いつもここから街を眺めているんです」

そう言う彼女の表情に、先ほどまでの明るさはなく「街が襲われたあの時も…」と続ける彼女の表情は暗く陰り、リゼは声をかけることができなかった。


寂しそうな、悲しそうな表情をしている彼女にかける言葉を探していると、ぽつぽつと頭上から雨水がこぼれ落ちてきた。空を見上げると、遠くにあった雨雲がすでに頭上にまで達していた。


「あら、降ってきちゃいましたね」

リゼがそう言うと、降ってきた雨に遅れて気づいたリリーは急に火が出たように慌てだした。


「―いけない!早く教会の中に戻ってください!」


途端、リゼは強烈な刺激臭を感じると、手に持っていたエノをガチャン!と落とす。その落下の衝撃にエノは「わっ!」と悲鳴をあげるがその声はリゼには届かない。


しばらく、天と地の感覚がわからず、フラフラと重心をおかしな方向に移動していたが、途端にプツンと意識が闇の中へと落ちていた―



…――



――雑踏が聞こえる


ぼやけた視界の中、気がつくとスクランブル交差点の真ん中に立っていた。


他人に興味なさそうに行き交う人。

高く固く白けた建物。

排気ガスで濁った空。


懐かしい元いた世界の景色がそこにはあった。


雑踏に混じって名前を呼ぶ声がする。

それはこっちの世界の名前じゃなくて。


向こう側の名前――



視界が一度真っ白になり、次に気がつくと天井を眺めていた。

先ほどまでの雑踏は聞こえず、エノが私の名前を呼ぶ声だけが聞こえてくる。


どのくらい時間が経っただろう。

外は既に暗闇に包まれていた。雨の降る窓の外は星一つ見えない。


ゆっくりと体を起こすとエノの安心する声が聞こえる。

ベッドに寝かされていたらしい。


ぼやけた頭であたりを見回す。

教会の一室であろうその部屋は、人一人が泊まるのは十分と言った広さで、ベッドの他には衣装棚と小さな書斎机があるだけであった。

ベッドサイドに置かれた腰の高さほどの小さなサイドテーブルの上ではエノがゆらゆらと静かに揺れていた。


頭が整理できず、しばらくぼんやりしていると部屋のドアがゆっくりと開く。


「よかった、気がつきましたか」

そう言いながら、安心した表情でリリーが水差しを持って入ってきた。

彼女は部屋のドアを音もなく閉めると、こちらに向き直り深々と頭を下げた。


「本当にごめんなさい、私がもっとしっかりしていれば」

自分を責める彼女に、「いえ、大丈夫ですよ」と優しく声をかけるが、それでもまだ彼女は申し訳なさそうな表情で続けた。


「トレゼの花は水に強く反応するのです。嗅ぎ慣れている街の人でも油断すると気を失ってしまうほどに…」

水差しの水をグラスに注ぎながらそう言うと「どうぞ」とリゼに差し出す。


リゼは「ありがとう」とお礼を言うと、その注がれた水を一瞥し口はつけずにそっとエノの横に置いた。


リリーは量の減った水差しを書斎机の上に置くと、リゼのいるベッドのヘリに腰掛ける。そして彼女はリゼに何かを伝えようと迷っている様子で俯いていた。

「ライゼさんが無事なのはよかったのですが、実は一つ問題が…」


しばらくして、重い口を開くと続ける。

「…この時間になっても誰も帰ってこないのを見ると。恐らくですが、雨のせいで道中足止めを食っているのかもしれません」


リゼは漆黒に塗られた窓の外を見る。嵐と言わないまでも、大粒の雨が窓を打ちつけていた。

「ですからその…。もしよかったらで良いのですが、今晩はここに泊まっていきませんか?本当ライゼさんが宜しければでいいんですが…」


リゼの目を見つめながらそう言う彼女は、灯の消えたような寂しい目をしていた。


「あ、いえ!無理にとは言わないです。本当にもしよかったらで良いので…」

彼女は言いながら我に帰ったようで、顔を真っ赤すると、余程恥ずかしかったのかおどおどとし始めた。


その姿を見てリゼは少し微笑むと、宥めるように言葉を返す。

「そうですね。私の体調も万全というわけではないですし、むしろお願いします。それに何より、私は街の方を待って建材を買っていただかなくてはいけないので」


リゼの言葉に彼女は平静に戻ると「そういえばそうでしたね」と照れ笑いをしながら返した。そこに先程の悲しい表情はもうなかった。

「それにしても、それほど私と離れていないのに一人旅なんてすごいです。寂しくなったりしないんですか?」


その質問を聞くに、エノのことは認識していない様子だった。

「一人じゃないけどね」と小声で横槍を指すエノを静止させリゼは答える。


「今日あなたと出会えたのと同じように、長いこと旅をしていると、各地で結構新しい知り合いができるんです。それは同じ旅人だったり、立ち寄った街の人だったり、その時によって国籍も人種も違いますが。でもそうやって各地で知り合いを作っていくと、また直ぐどこかで再開できるだろうなって思うんです。そう考えていると、あまり寂しいとは感じないものですよ」

彼女はリゼの顔を見ながら聞いていたが、話しが終わると、また目線を下げてしまった。


「それでも…私には真似できません。現に今もこの街で一人残されているのがとても寂しいです」


俯く彼女にリゼは明るく投げかける。

「今は私がいるでしょ?」

彼女は、しばらくして顔をあげると「そうでしたね」と幸福そうな顔で答えた。


それからリゼは、この街から出たことがないと言う彼女に、これまで見てきた街のことや、体験したことを彼女に語る。それを彼女は顔を子供のように輝かせながら、嬉しそうに聞いていた。



話もひと段落し、次はどんな話をしようか考えていると、リリーが「ああ、そうだ」と言って立ち上がる。


「お腹空いてませんか?遅くなってしまいましたが何か食べるもの用意してきますね」

そう言うと、彼女は急足で部屋から出て行った。



彼女が部屋を出ると、エノが口を開く。

「ねえリゼ…」

「―うん、わかってるよエノ」

お互いそれ以上は何も言わず、リゼは少しだけ憐れむような目で窓の外を眺めた。



「今だけ、せめてこの雨が止むまでは。彼女のそばにいてあげよう」

リゼはそれだけ返すと、部屋の中まで聞こえてくる激しい雨の音をただただ聞いていた。



…――


穴の空いた天井からさす朝日で目が覚める。

空には昨日の雨雲はどこにもなく、心地の良い日差しと風が崩落した建物内を抜けていく。


昨日まであった豪華な協会はそこにはなかった。


白亜の壁には亀裂が入り、あちこちに穴が空いている。

壁や柱に施されていた美しい彫刻は難解なパズルのように崩れ去り、あの大きなステンドグラスの色鮮やかな破片がそこかしこに散らばっている。


街中の建物同様に、この協会も廃屋となっていた。


リゼは今いる部屋を見回す。

天井には大きな穴空き、壁はほとんどなく、全ての家具は倒れ中に入っていたであろう衣服が踏み荒らされている。

横になっていたベッドはかろうじて形を保っていたが、起き上がるだけでギシギシと今にも壊れそうな嫌な音を立てていた。


しかし、そんな景色に驚きもせず、リゼはまだ眠っているエノに声を掛ける。

「おはようエノ、今日はいい天気になりそうだよ」


トントンとランタンを叩きエノを起こすと、荷物を背負い協会の裏庭へと歩き出した。



…――


二人が裏庭につくと、あの花の絨毯は先日同様そこにあった。

そしてリゼは花畑の入り口でしゃがみ込むと、一輪掴み取る。


「ねえ、リゼ。君この花のこと知ってたでしょ」

「まあね、まさか倒れるとは思わなかったけど」

鞄から下がっているエノがそう話しかけると、リゼは花を見つめたまま答えた。


「エノはさ、どうしてこの花が水に濡れると、人を寄せ付けない様反応するか知ってる?」


エノが「そこまでは知らない」と返すと、リゼは続ける。

「それはね、花粉の力で隠していた、美しくない本来の姿がバレてしまうからなんだ」


リゼが見つめるトレゼの花は、先日の美しい風貌の影もないほど醜い姿をしていた。

十枚の濃い赤色の花弁には、獲物を待つ食虫植物のように円形に広がり、不揃いな黒色の斑点模様が浮かんでいる。花の中心から突き出るように伸びる数本の雄しべには、花粉がびっしりと付着していし、ギザギザした葉は数枚に裂け互い違いに生えている。その姿はお世辞にも美しいとは言えない。


「この花には、いや正確にはこの花の花粉には。自分の思いを叶えるため、他人を惑わす力があるんだ。さながら魔法の様な力がね。つまり、この花は自分の醜い姿を隠すために、花粉を撒いて周囲の生き物に幻覚を見せてるんだよ、自分は美しいという欲の幻覚をね」


そう言いながらリゼは小瓶を取り出すと、花弁の背を叩き花粉を落とす。

「でも雨が降ったりして花が濡れちゃうと、花粉が飛ばなくなってしまう。そうなると醜い己の姿を隠すことができなくなってしまうんだ。だからこの花粉は、水に濡れると強い刺激臭を出して自分を見る生き物が近づけないようにするんだよ。そして、花粉が乾いたら再びあたりを惑わし美しい自分だけを見てもらう。これはそういう植物なんだ」


「いいところだけ見せて、悪いところは隠す…。なんか人間みたいだね」

とエノが皮肉まじりにつぶやくが、リゼは立ち上がり一面に広がるその醜い花を静かに見つめる。


そして何かを見つけると、花を踏みつけないように慎重に花畑を進みだした。

「―昨日は。いや、この街が襲われてから花粉が飛んでいる間はずっと、彼女の思いに反応していたんだろうね」

そう言いうリゼの目線の先、足元には、暗い紺色のベールをまとい首元のロザリオを握りしめた少女の遺体が横たわっていた。

無惨にも腐敗が進み、身につけた白い布は茶色く汚れている。


「多分この街の人はもうここにはいないよ、生き残った人もいるはずだけど、もうどこか違う街に移動しちゃってるだろうね。この子以外は」

リゼは、目線を逸らさずに、そう少し悲しそうに優しくつぶやいた。



しばらく彼女を見つめていたリゼであったが気持ちを切り替えるように「よし」と声を出すと、協会の方に歩き出した。


「これからどうするの?」

そんな彼女にエノは声を掛ける。


するとリゼは、協会の横のボロボロの馬小屋までつくと、荷物とエノを馬車の座席に乗せてから質問に答える。

「昨日の大雨で馬もどっか行っちゃったから、ちょっと建材を有効活用しようと思ってね。馬がいなくちゃ持ち運べないし。それに…」

「それに?」

「一宿一飯の恩義っていうしね」


そういうと彼女は、馬車の荷台から持てるだけの建材を脇に抱え、再び協会の裏へ向かっていった。



…――



太陽が天頂を通過する頃、

教会を後にした二人は馬車で登ってきた丘を降り始めていた。


「あーあ、せっかくの儲けがなくなっちゃった。あんなに儲けてたのにこれじゃ次の街についてもまた宿に泊まれないよ」

そんなことをボヤくエノに対して、リゼは満足そうな表情で返す。


「全く成果がなかったわけじゃないよ」

「え?」とエノが素直な疑問をぶつけると、リゼはポーチから手のひらサイズの小瓶を取り出した。


「次はこの花粉があるからね」

「あーいつの間に!」

そこにはトレゼの雄しべがいっぱいに詰められていた。


「慈善団体じゃないんだ、建材の見返りはしっかりともらわないとね」

「ほんとちゃっかりしてるというかなんというか…」

呆れたように言うエノに対して、リゼは満足気に当然と言った表情をしている。


街の門まで来ると、風に乗ってまたあの甘い匂いが鼻を突く。

二人は振り返り、遠くを見上げると先ほどまで崩れていたあの美しい教会が見えた。


「…で、次はどこにいくの?」

「決めてはないけど、山を降りたら道なりにまっすぐ行こうかな」

リゼはそう言うと街を背に再び歩き出す。


エノは小さく「また野宿かぁ」と不満そうにぼやいた。



…――



協会の裏庭でサラサラと風に揺られながら、気持ちよさそうに赤い花が揺らめく。

その花の匂いは風に乗り、街全体に届くと、香りで優しく包み込む。


花以外何もない裏庭の真ん中。

その中でも一際花が咲く色鮮やかな空間には、建材で建てられた不器用なお墓がしっかりと立ち、今日も街全体を眺めていた。

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