1 港街と交渉

穏やかな波風にのって、潮の香りが鼻をつく。

そこに生命力に旺盛な磯臭い感じはなく、どこか非現実的なほどに爽やかなもだった。


大陸から流れる運河の下口に位置するこの港街は、大陸間を結ぶ長距離海上交易ルートの補給基地であり。港には、大型船からガレー船(細長い船体に補助的な帆柱、両舷には多数のオールを持ち人力で漕いで推進する船)までさまざまな船が停留している。

海沿いには多数の市場が点在しており、航海の途中で食料や水の補給にきた海上商人と、それらに、建材や蝋燭などの消耗品や、香辛料に自国の名産品など高級品の取引を持ちかける街の商人たちがひしめき合い、穏やかな波とは裏腹に陸上はとても活気に溢れていた。


「―おい、聞いたか?今度は北の街がオークの襲撃を受けたらしいぞ。これも王国の領土拡大の影響かね」

「これまで奴らがこんなに暴れるなんて事はなかったのにな。これじゃ王国の政策も本末転倒だな…―」


そんな港の端。

取引相手と話していた全身黒茶色の短い毛に覆われた獣人の商人は、鼻下の長い髭を揺らしながら怪訝な顔になり、話し相手の背後をあごで指す。


彼の視線の先からは、小汚い旅人がこちらに向かって歩いてきていた。


その旅人は、頭頂部が膨らみ前方にのみ”つば”のついたキャスケット帽を深々と被り、膝下まである長いコートを前も止めずに羽織っている。腰元の太いベルトには複数の小さなポーチや小型ナイフが下げられ、その全てが土埃に汚れていた。


また旅人は、その小柄な体躯に似合わないほど大きな革製の鞄を背負っており、鞄の側面にはランタンが取り付けられていた。ランタンは真鍮製のオイルランプで、内部の炎が外部に接触しないよう炎の周りはガラス製の筒に包まれている。

そして異質なことに。そのランタンは真昼だというのにも関わらず火が入れ、その灯りは太陽の光に負けないようゆらゆらと揺れていた。


「昼間からランタンに炎を灯すなんて、何考えているんだ…」

燃料の無駄としか思えないその行為に、獣人の商人は正直な感想を呟き。取引相手と一緒に向かってくる旅人を訝しげに見つめていた。


しかし、その旅人は二人の訝しむ視線など意に介さずに、獣人の商人の前で足を止める。そして、深く被った帽子を少し持ち上げながら「すみません」と断りを入れ、そのまま訊ねる。


「この街で一番大きい市場を教えていただけませんか?」


少年のような少し高めの声でそう言った旅人の顔は、無表情ではあるが少し疲れたような様子だった。


獣人の商人は少し呆気に取られていたが、一拍置いて市場の名前と場所を指差しで旅人に伝える。すると旅人は「ありがとうございます」と形式ばったお礼だけして去っていく――旅人の去った後にはランタンから漏れる燃焼されたオイルの匂いだけが、薄らと残っていた。



―――



「おい!頼んでいた品物ブツはいつになったら完成するんだ!」

「申し訳ございません、部隊長殿に見合う品物となりますと、なにぶん素材の入手が困難でして…―」


案内された市場の前までくると、市場の中から力強く重みのある怒号が聞こえてきた。


旅人が中を覗いてみると、先ほどとは違う種の獣人の兵士が、この市場の商会長と思われる細身の中年男性を今にも潰しかねない勢いで威迫していた。

短く尖った体毛と大きな鼻に鋭い牙。筋肉質な身体に纏った重々しい鎧。腰の太いベルトに刺さる2本の太く長い剣。その兵士の容姿全てが、人種を超えた強さを象徴していた。


「リゼ、お取り込み中みたいだよ、他の市場に行こうよ」


そう声が聞こえてくるが、リゼと呼ばれた旅人はお構いなしに市場の中へ足を踏み入れていく。先程の声は「全く、厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだよ…―」と呆れた様に続けるが、その声は近づくごとに大きくなる兵士の怒号に掻き消され、やがて小さくなっていった。


「売り物を集めるのがお前らの仕事だろうが!この街の商人はしかいないのか‼︎」

「お待たせしてしまいご迷惑おかけします。品物が見繕え次第、宿舎の方までお届けいたしますので、今しばらくお待ちいただけませんでしょうか」

「いいや、ダメだ。ここで待たせてもらう!そんな事を言って、ガラクタでもつかまされたら隊長に顔向けできないからな‼︎」


怒り狂った剣幕で捲し立てる兵士とは裏腹に、商会長は慣れた様子で常に笑顔を絶やさずに兵士の怒りを鎮めようと試みる――しかし、どうも効果はなさそうだ。


「あの、すみません」


リゼは、また何か言おうとした兵士の会話を断ち切るように、背後から声をかける。


「こちらの商会長様とお話がしたいのですが」


すると兵士は、声の主を探す様に振り返り、商会長に向けていた怒りの表情のまま小さな旅人を睨みつけた。


「おいおい、お嬢ちゃん、会長様は今忙しいんだ。買い物ならよそでやってくれないか?」


兵士は明らかな作り笑顔をして、少しだけ落ち着いた声色でそういうと。今度は屈む様に顔を近づけてからあの鋭い剣幕で「わかったらとっとと失せろ」と凄んで見せた。


「いえ私は、買い物をしにきたのではありません」


しかしリゼは表情ひとつ変えずにそう言い放つと、背負った大きな鞄の側面にくくりつけられた小さめの麻袋を取り出し、商会長にも見える位置でその紐を解いた。


「ここに、鱗が100枚程あります。是非とも、こちらをこの商会で買い取って頂きたいのです」


少女の手にも収まるほどの大きさのその鱗は、一つ一つが丁寧に磨かれており、光を受けて煌びやかな紅色に輝いていた。その姿は、薄い陶器のようだがしっかりとした重みがあり繊細な重厚感を体現していた。


兵士はその鱗を奪うように一枚手に取る。そして吠えるように叫んだ。


「おいこれって――ドラゴンの、それも紅龍の鱗じゃないのか⁉︎こんな珍しいもの一体どう…―」兵士が言い終わる前に、リゼは兵士の手から鱗を取り上げると。嫌味っぽく汚れを拭き取ってから、ゆっくりと麻袋に戻した。


「私は、様々な場所を旅してますので、稀にこう言ったものも手に入るのです」

そういうとリゼは、兵士と商会長の間に割って入り、商会長の前で袋を広げて「よかったら」と声を掛ける。商会長は何も言わず鱗を一枚手に取り、鑑定するようにじっと見つめ始めた。


少しの静寂の後、暫し呆気に取られていた兵士がこれまた大きな声で口を開いた。

「これだ!この素材で今すぐ隊長の武具を作れ!」


商会長は、鱗を指差しながら大声で叫ぶ兵士に少し戸惑ったかのような表情を浮かべる。すると、その顔つきが気に食わなかったのか、市場全体が軋むほどの怒号が市場中にこだまする。


「おい!聞いているのか?これは命令だぞ!」


リゼは、急かしたてる兵士に拍車をかけるように「きっと隊長殿もお喜びになりますよ」と商会長へ囁く。


商会長は今一度戸惑った表情を浮かべてから確認するように兵士に問いかけた。

「…本当にこちらで良いのですね?」


何を今更と言わんばかりに「そう言っているだろう!」と叫ぶ兵士に、商会長は「わかりました」と返すと続ける。


「では、この鱗は一度私達商会が買い取ります。詳しい手続きをしますので、旅人さんは奥についてきてください」

そういうと商会長は二人に背中を向け、奥の部屋へと入って行った。


リゼは商会長の後を追う前に兵士の方を振り返る。


そして満足げな表情の彼に囁いた。

「お買い上げありがとうございます、兵士様」



―――



リゼが案内された部屋に入ると、商会長は高価そうな柄の入ったカップに花の香りのするお茶を注いでいた。

部屋の中は大量の書類や書物が散乱し、壁には海図などの地図が所狭しと貼られている。


「あまり綺麗な部屋でなくて申し訳ない、普段あまり人を入れないものでね」


商会長はそう言いながら、お茶の入ったカップをソーサーと共に大きなテーブルの上に置くと「どうぞこちらへ」と座りごごちの良さそうなソファへリゼを誘導し、さらに続ける。


「それと申し訳ないのだが、その辺りの書類の山は崩さないように気をつけてもらえると助かる、これでも整理されているんだ」

「秩序ある混沌ってやつですね」リゼが周りを見渡しながらそう返すと、商会長は軽く微笑んだ。


リゼは席につき帽子を取る。

キャスケット帽の中に仕舞われていた髪の毛が重力に負け肩の辺りまで降りてくる。少し汗で湿った髪が久々の外気に触れ、若干の心地よい冷たさを頭部に感じる。


「先ほどは、情けないところをお見せしてしまい申し訳ない」

商会長はリゼにそう言うと、カップを持ち上げお茶を一気に飲み干す。


リゼはソーサーごとカップを持ち上げると、彼に続いて乾いた口の中にお茶を流し込む。若干の苦味の後に甘酸っぱいような香りが口の中に広がる。


「あの兵士は、この街の方なのですか?」


カップを置いてから訊ねるリゼに、商会長は「この街の防衛組織です」とため息のように返すと、空になったカップを机の上に戻してから続ける。


「この街の海上商人は武装をしてはいけない決まりになっているので、海路を行く時には安全の為、彼らに保護を要請しなければいけないのですよ。他国の海上商人の中には、利益の為、海賊に転化する商人も多いですからね。商人が武装していなければその心配もないということです」彼は「見張りの役も兼ねてね」と付け加えると、うんざりした様子で続ける


「なので、我々が貿易するには、軍事力を持つ彼らに保護費用を支払わなくてはいけないのです」


――海路を用いた旅にはさまざまな危険が伴う。嵐や海賊からの襲撃、更には獰猛な海獣から襲われるリスクもあるからだ。それらの危険から防衛する手段を持たずに海に出るということは自殺行為である為、彼らは嫌でも保護費用を支払わざる負えない――


「だから彼らの無茶な要望を断る事もできないと」

リゼはソーサーを膝の上で持ちながら口を開く。


「お恥ずかしながら、ただでさえ多額の保護費用をさらに割増されてしまっては敵いませんからね、だから我々商人は彼ら兵士に逆らえないのですよ」

「なるほど、そうでしたか」

リゼはこれ以上は追求はせず、目線をカップに移すと再び口に運んだ。


商会長は「すみません、旅の商人さんには無縁のお話でしたね」と言うと。

軽く咳払いをし、声色を変え、今までの作られた笑顔ではなく真剣な表情で続けた。


「では、そろそろ、商談の方に移りましょうか。今回はお持ちいただいた鱗の買い付けということでよろしいですね?」


リゼはその言葉を待っていたかのように麻袋を取り出すと、鱗を数枚テーブルの上に並べる。残った鱗は麻袋に入れたままテーブルの上に置いた。


商会長はその内一枚鱗を取り上げると、先ほど同様にじっと見つめ査定を始める。


「―…本来鱗の査定というものはさほど難しいものではないのです。種類による差はあっても同種類の個体差はほぼないですからね」

目線は手元の鱗に残したままそういうと「まあ個体の年齢と、部位によって価値は変わりますが…」と付け加え。次にリゼへと目線を移す。


「要するに、鱗の査定において最も重要なのは種類なのです。あなたは一体をどのような条件で我々に売りたいとお考えですか?」


彼は、疑るような眼差しでじっとリゼを見つめる。

その表情に今までの親しみやすい感じはどこにもなかった。


「一枚につき銀貨五枚、締めて銀貨五百枚で買い取っていただきたい」

リゼもまた彼の目を見たままそう伝える。


「貨幣はいかがいたしますか?」

「この国のもので問題ありません」


リゼの提案に商会長は「なるほど…」と呟いてから鱗に目を落とすと、目を閉じて考え始めた。


――貨幣には主に銅貨、銀貨、金貨の3種類が存在する。貨幣の価値は不安定で、また国によって異なるが、この街で使われている貨幣換算だと人一人が一ヶ月満足に生活するには大体銀貨三十枚前後が必要となる。そして、ドラゴンの鱗の価値は、数枚で一ヶ月分の食費にお釣りがくるほど高価なものである。その為、鱗一枚につき銀貨五枚という提案は、本来の鱗の価値としては破格の安さであった――


静かに思考を働かせる彼に「ただし、1つだけ条件があります」とリゼは続ける。


「本取引において、交易税の免除をお願いしたい」


――交易税は主に陸路を用いた交易に課せられる税金のことを指している。交易税は搬入物によっても異なるが、主に市門通過時に徴収される搬入税と顧客への販売時に課せられる売上税の二種類が存在する。今回のように旅の商人が直接商会と取引を行なった場合、搬入税は旅商人個人ではなく、商会側に支払う義務があるのだが、この街ではそれらの税金の負担は持ち寄った商人が賄うことになっていた。その為今回の提案は、本来であれば販売額から天引きされるべき税金を商会側に負担してもらい、リゼは一切の税金を負担しないという物であった――


商会長は目を開け、リゼを見つめ、双眸を細める。

そして、視線を落とし「ふむ…」と顎に人差し指を添え何か考える仕草をする。


「…そうなりますと我が商会に加入していただくことになりますがよろしいですか?もちろん今回の取引の間だけです。個人と商会との取引には必ず関税が発生しますが、商会内のやりとりとなればそれは別ですので」


リゼは何も言わず、目線を商会長に向けたまま、再びティーセットを口に運ぶ。人肌まで温くなったからはさっきまでの芳しい香りはなくなっていた。


目の前の少女の態度を見て少し諦めたような表情をした後商会長は、補足するように続けた。


「本来であれば商会の加入にはある程度の加入費が必要になるのですが…―今回は良い取引をさせて頂いたお礼として、交易税に合わせて加入費の方もこちらので免除させていただきます。それで如何でしょうか?」


リゼは一度目を逸らすと、カップをテーブルに戻す。

そしてゆっくりと向き直ってから彼に伝えた。


「はい、それでお願いします」


商会長は一瞬ほっとしたような表情をした後、直ぐ後ろの小さな棚から一枚の羊皮紙と万年筆を取り出しリゼに差し出す。


「では交渉成立ということで、こちらにサインをお願いします」


リゼは差し出された成約書に記載されている内容を読了した後で、しっかりとサインをすると、羊皮紙に合わせて「色々ありがとうございます」と少し申し訳なさそうに返した。


商会長はまた笑顔に戻り「いえ、こちらも助かりましたので」と言いながらそれを受け取ると、大事そうに書類の山の一番上にそれを置いた。


「鱗のことですが、あとはこちらで上手くやっておきますよ、腕の良い職人を知ってますので」

鱗の入った麻袋を差し出すリゼに向かって、商会長はそう口を開く。


「まあ、あの兵士のことなのでなんとでもなると思いますけどね」とリゼが皮肉めいて返すと「それもそうですね」と二人は静かに笑い合った。


「お支払いの方はどうしますか?貨幣でのお支払いにでも問題ございませんが、お望みであれば品物に変えることもできますが。その場合は少しばかり値引きいたしますよ」

鱗の枚数を数え計算板を弾きながら商会長はリゼに訊ねる。


「そうですね…」

彼女は側に置いてあったキャスケット帽を被り、虚空を見つめしばらく考えた後で口を開く


「では用意していただきたいものがあります」

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