第9話 ゴールデンレトリバー

「うわああああああああ!!」 

 慌てすぎてアパートの階段で足を踏み外して下まで転げ落ちてしまった。死ぬかと思った。

「痛てぇ……」

 頭も強く打ったみたいでズキズキする。

 制服が少し汚れちまった、クソ。


 とりあえず立てる!

 歩ける!

 走れる! 

 よしっ、軽い打撲と擦り傷だけで済んだみたいだよかった、学校へ急げ―!!


         ◎


 今朝はすごくいい天気で風がひんやりして気持ちいいなぁなんて考えながら河川敷を走っていたら、突然後ろのほうから「おい待て! 止まれ!」とおじさんの叫ぶ声がした。

 止まって後ろを振り返ったら、二匹の大きなゴールデンレトリバーがリードひもをびゅるびゅる弾ませながらこっちに向かって全力で駆けてきていた。

 その後方に自転車と共に地面に倒れているおじさんがこちらに手を伸ばしているのが見えた。

 そのおじさんがオレの顔を見て「逃げろおおおお!!」と叫んだ。


 オレはすぐに前に向きなおしダッシュした!


 でもゴールデンレトリバーはすぐ後ろまで迫ってきているのがわかった、二匹の荒ぶった呼吸音がハッハハッハと聞こえていたからだ。


 人間が犬と走り勝負して勝てるわけがねえ、真っすぐ逃げてもすぐに追いつかれるのは目に見えてる。

 だったら原っぱで蛇行するようにフェイントをかけながら逃げれば何とかけるんじゃないか、そう思って河川敷を駆け下りたら、滑ってコケて転がり落ちてそれでもめげずにすぐに立ち上がって再び全力で走りだしたけどまたすぐにコケて転がって。


 結局レトリーバーたちに追いつかれ、頭突きされたり顔の上にまたがられチンコをこすりつけられたり口まわりをペロペロ舐めまわされたりやりたい放題にやられてしまった。

 その後2匹はオレの横にきて何度も何度もわき腹に頭突きをしてきてオレは転がされうつ伏せの状態にさせられてしまった。

 もうどうにでもしてくれと地面に突っ伏していたら――。

 


 ……あれ、何もしてこない?



 ヴゥゥゥ~ヴゥゥ~という2匹のうなる声だけが聞こえていた。


 なんなんだと思って顔をあげて振り返ってみるとオレのケツの上で2匹が顔を近づけて睨み合いをしていた。


 原因は尻ポケットから半分顔をのぞかせているバナナだった。

 後で食べようと思って入れていたんだった!

 すっかり忘れていた。

 バナナは潰れて汁を流していた。

 一触即発の緊張感が2匹の間に漂っていた。

 鼻にしわをよせて歯茎と牙をむきだしにしてこれは俺のモノだ、ちょっとでも触れたらただじゃおかねえぞとでも言わんばかりにガルゥゥ~ヴゥゥゥとうなり合っていた。



 そんな所に「コラーお前たちー!やめなさいー!」とジャージ姿のおじさんが自転車であわてて駆けつけてきてくれた。

 おじさんはオレのバナナを見てやっちまったというような表情をして言った。

「すまんな坊主、このズボンからはみ出て汁が出ているバナナ貰ってもいいか?」

 オレはただうんうんと頷いた。

 おじさんはオレの尻ポケットから潰れて汁を出しているバナナをとりだすと真ん中から2つに引きちぎってレトリーバー達に分けて与えた。

 すごい鼻息で皮ごとムシャムシャと食べるレトリーバー達。


「この子達はバナナが大好物でね。近くにバナナがあると手が付けられなくなって困るよ、本当にすまないね、って君!? 血が出ているじゃないか!」

 

 そう言われてヒリヒリしている頭を触ってみると指にべっとり血がついていた。

 サイアクだ、せっかく髪の毛セットして来たのに台無しだ、昨夜眠いのを我慢してアイロンを掛けた制服も汚しちまったし。


 ふと鼻の下と口まわりも濡れている感じがしたので触ってみたらやっぱり血が付いていた。

 

 今持ち合わせがないんだがとおじさんは困った顔をしていたので「大丈夫です、これくらい平気です」と立ち上がってストレッチをしてみせた。

「本当かぁ!?」

「はい」

「どこかで手当てしたほうがいいんじゃないか?」

「大丈夫です」

「でも服も汚れてるし、バナナも弁償しないとな……」

「いいです服はいつもよく汚しているので、バナナはあげます」

「でもそういうわけには……」

 あまりにもしつこいので大丈夫ったら大丈夫です!っと叫んで走って逃げた。

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