プロローグ

第1話 ヒーローは絶対に泣かない

「うおおおおおおおー! カンムリクマタカフライングジェットアターック!」

「ちょっと! 待てー!」


 晴れた日の朝、お昼寝布団の入った大きい手提てさげバッグをわずらわしそうに抱えた母さんが金髪パーマの長い毛を振り乱しかかとの高い靴で走りにくそうにしながら追いかけてくる。

 ぼくはそんなのお構いなしに両腕を後ろにピンと伸ばしたカンムリクマタカフライングジェットアタックの姿勢で坂道を駆け上った。


 10回くらい通っている道なのでもう覚えた、ここまでくれば一人でも行ける。

 角を曲がってまっすぐに進むとぼくの通っているしいたけ保育園の門が見えてきた。

 

 だけどその日はいつもと様子が違って何だか騒がしい。

 門の近くで女の子が、お母さんらしき人の腕を必死に引っ張りながら大声で泣き叫んでいた。


 ワンッ ワンワンッ ワンッ!

「いやあああああ!!」

「大丈夫だよはな。噛んだりしないよ。早く中に入ろう?」

「いやあああ!」

 

 泣いていたのは園のみんなからハナちゃんと呼ばれている子だった。


 茶色がかったふわふわでサラサラの長い髪をイチゴの飾りがついたゴムで2つに結んだ、色白でお目めくりくりの女の子。

 ぼくが園でいちばんかわいいと思っている女の子だ。

 目が合うとなんか恥ずかしいからあまり話をしたことはない。


「ごわいいぃぃ! おうちにかえるううぅぅ!」


 ハナちゃんが泣いている原因はすぐに分かった。

 門の近くのさくにポメラニアンがつながれていたからだ。

 おうちにある絵本でみた事があるので名前を知っていた、母さんに教えてもらった。


 ワンワンッ ワンッ!


 ポメラニアンは首輪につながれたヒモをこれでもかとピンと伸ばして、しっぽをフリフリ、前足を高くあげて興奮していた。

 それでハナちゃんはこわがって泣いているんだ。


 ビシッとした服を着たハナちゃんのお母さんらしき人は肩にも両手にもいっぱい荷物を抱えているのに、ハナちゃんが腕を強く引っ張るからぐらんぐらんと揺れて困った顔をしていた。


「ぜんぜん怖くないよ~。見てごらんまだ子犬だよ? かわいいよ~。一緒にあそぼうって言ってるんだよ?」

「いやだああああ! こわいもんっ! うわぁぁぁ~ん」

「もぅ、早くしてよ~。お母さん仕事に遅れちゃうじゃない」


 ワンワンッ ワンワン アウ―ッ ワワンッ!


 興奮したポメラニアンは息を荒くして目んたまをひんむき舌をピロピロ出してよだれをたらして飛びかかろうと必死になっている。

 このままでは柵の棒が折れるか、つながれたひもが切れてしまうかもしれない。そうなったらハナちゃんたちが危ない!


「あっちへいけええええええええええええ!!!」

 

 ぼくはハナちゃんたちの前に飛び出してポメラニアンに向かって大声で叫んだ。


 ポメラニアンはキャンッと尻込みをして少しの間だけ固まっていたけれど、すぐにしっぽをフリフリ舌をピロピロさせてまた向かってきた。


 ワンッ ワワンッ ワンッ ワンッ!


 吠えるポメラニアンの口の中に白くとがったきばがチラチラとみえ隠れしていた。噛まれたらひとたまりもないだろう。


 怖い……。


 何も考えずに飛び出してしまったけど少し後悔した。

 心臓がドキドキして目から涙がでてきそうだった。


 でもここで逃げたらヒーロー失格だ。

 かっこわるい。


 大鳥獣戦隊のリーダー、カンムリクマタカレッドはどんなに怖い敵がいても、ボロボロにやられて追い詰められてピンチになっても絶対に逃げないで悪の帝王オウギワシマンに立ち向かっていく。


 かっこいい正義のヒーローはどんなことがあっても絶対に逃げないで目の前の困っている人達を助けるんだ。


 ぼくもそんなかっこいいヒーローになる。


 あごを引いて、全身にグッと力をこめた。


 ふたつのこぶしもググッと硬く握りしめた。


 もう一度だ。

 全身全霊で叫ぶんだ。


 鼻から空気をずずーっと吸い込み肩を大きくいからせて。


「あっちへ行けええええええええええ!! バカポメラニアアアアアアン!!」


 大きな声で叫んだ。


 するとポメラニアンはキャインッと情けない声をだして、後ずさりをしたあと地面にペタンとしゃがみ込んだ。

 でもまだしっぽはフリフリしていてこちらの様子をうかがっているみたいだった。


 ぼくは肩で息をしながら、瞬きもせずに大きく目を開いてギロリとポメラニアンをにらみ続けた。

 一瞬でも気を抜いたらられると思ったからだ。


 ポメラニアンもぼくの目をじっと見ていた。


 顔がすごく熱い。


 頬にひとつぶの汗が流れ落ちるのがわかった。


 しばらくにらみ合った後、ポメラニアンは観念したのかクゥンと甘い声をらすとコロンと地面に寝転がってお腹を見せてクネクネと大人しくなった。


 これはきっと降参の合図だ。


 よかった……。

 ほっとした。

 これ以上向かってこられたら泣いていたかもしれない。


 男が泣いたらかっこ悪い。


 後ろを振り返るとハナちゃんのお母さんらしき人があっけにとられたような顔をしていたのでぼくは真剣な表情で「もう大丈夫……」と言ってやった。 


 ハナちゃんのお母さんらしき人は「あ…、ありがとう~……」と半笑いで返してくれた。


 ふと視線を感じて目線を下に降ろしたら、ハナちゃんのお母さんらしき人の股の間からじーっとこちらを覗いているハナちゃんと目が合った。

 

 涙で濡れて束になったまつ毛がすごく印象的だった。


 ぼくは急になんだか照れ臭くなって「カンムリクマタカフライングジェーット!」の姿勢になって保育園の建物の中に走って逃げた。



「わ~今のすごかったねぇ~。何君かな? かっこいいねぇ」 


 後ろのほうで小さく聞こえたハナちゃんのお母さんらしき人の声になんだか誇らしい気持ちになった。

 それをかき消すようにぼくのお母さんの怒鳴り声が響いた。

立春たつはる待てコラァ! ひとりで先に行くなっていつも言ってるだろうがー!」


 ぼくは振り返らずにサッと靴を脱いでスッと靴箱にしまうと入口に立っていた先生とのあいさつも雑に済ましてニヤニヤしながら建物の奥へと入って行った。


 階段を登りながらさっきのハナちゃんの顔を思い浮かべた。


 目もほほも真っ赤にして、涙と鼻水まみれでべちょべちょだったけど、ハナちゃんはやっぱりとてもかわいかった。

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