第8話 全ては神の導きのままに④

 アイラが力を失ってから3カ月弱が経とうとしている頃には人々の顔からは余裕が消え失せ、代わりに焦燥が浮かぶようになっていった。

 本来農民は他の土地への移動が禁止されているのだが、それでもどこそこの村では人が一斉に夜逃げしただの、村長が抑えきれずに村人達が出て行っただのと噂が絶えず、皆暗い面持ちで会話をしている。次々と領民を失い没落してしまう家が多い中で明日は我が身と戦々恐々としている者も少なくなかった。

 神官やレオナルドだけではなく貴族達も門を使っての移動自体は可能だ。やろうと思えば全ての領民を引き連れての移住も可能であろう。しかし移住出来たとしても民達には仕事を与えなければならない。仕事がなければ村人達は折角新天地に辿り着けたとしても物乞いとして生きていくしかないし、働いて税を納めてもらわねばならない貴族にとっても失活問題である。

 聖女はすぐに復活するだろうと悠長に構えてしまい、初動が遅れてしまった貴族達は慌てて安全な土地を治めている領主に掛け合おうにも既に他の移住民で手一杯で断られてしまう事態が相次ぎ、その合間にも村長達から村民が畑を捨てて逃げ出したという報告が後を絶えない。

 中には相手の足元を見て莫大な対価を求める事例も出ており、瘴気に晒される土地と晒されない土地の間で明確な格差が広がった。その為資金力に乏しい家は瘴気に汚染された土地を抵当にも入れられず、爵位を返還し家財を売り払って得た金を頼りに領地を出るしかないそうだ。そういった者達の行先はと言えば。


「実家から私の部屋を間借り出来ないかっていう手紙が来てね……」

「貴女もなの?私もよ」


 大半が王都に住む身内や親族を頼っていた。伴侶や親戚に他国筋の者が居る家はより安全な他国に渡るが、そのような家は少ない。だからこそ大半は瘴気の心配が無く利便性の大きい王都に住んでいる者の所へと身を寄せていた。王都のアパートは急激に上がった需要の所為で家賃が高騰し、競争率も激しいので宮殿の使用人部屋を間借りして家賃代をタダにしようという魂胆である。

 始めは部外者の出入りに渋った高官達も徐々に他人事では無くなり、特例として瘴気が落ち着くまでの間は自室に置いても良いとのお達しが出た。ただし家賃を無料にする代わりに食事は自己負担での条件付きでだが。

 しかしこの方法が取れたのは貴族や裕福層出身で個室が与えられる使用人だけで、多くの一般階級の使用人達は合い部屋で生活していた為に、自分が大国柱となって家族が暮らすアパートの賃料を負担せざるをえなかった。

 中心街のアパートは賃料が高く給金からはとても賄えない。なので比較的安い郊外のアパートの需要が高まり、不動産業界は大いに盛り上がった。次々と一般労働者向けの住宅が立ち並び中心街とはまた違う活気が生まれた。

 しかしその裏で元々その土地で細々と暮らしていた人達は更に外へと追いやられ、やがて貧困者達の集まりを形成していく。スラムの誕生である。

 このスラムの出現により貧困、病気、犯罪などの新たな問題がもたらされたが、瘴気騒ぎが今だ収束していないタラスティナに解決する能力は無かった。

 

「アイラ様の御力が戻ってくださりさえすれば……」

「シッ!アイラ様のお部屋の近くよ!」


 そこまで言いかけたメイド達は咄嗟に口を押え、急ぎ足で彼女の部屋を通り過ぎる。


「聞こえてるわよ………」

 

 アイラは少しだけ開けていたドアをそっと閉めてその場に立ち尽くす。最初は労わりの声が多かった。しかし時が経つにつれてその声は徐々に減っていき、今や城中の人間がまだ力は戻らないのかといった旨の会話がそこかしこでなされている。

 陰口は大抵本人の耳にも入ってしまうものだ。その為すっかり人に会うのが怖くなってしまったアイラは、近頃は部屋に籠るようになってしまっていた。

 今だってレオナルドに籠りきりでは身体に悪いからと心配されていた為に軽く散歩にでも出ようかと思った矢先にこれだ。自分だってどうにもならない事に焦りは募るばかりだ。

 

「アイラ、久しぶりにお茶でもしよう?前に美味しいって言っていた菓子を作らせたんだ」


 控え目なノックに咄嗟に暗い顔を隠しドアを開けると、レオナルドがワゴンを押すメイドを伴って来ていた。ワゴンにはティーポットと焼き菓子が乗せられており、アイラの鼻腔を甘い香りが擽る。

 食欲は無いし誰にも会いたくはないが相手は一国の王子、断れば更に立場は悪くなるばかりである。アイラは仕方なく頷きティーテーブルに座ると、2人きりでゆっくり話したいと暗にメイドを下げてもらえるようお願いした。今はなるべく他人の視線に晒されたくなかった。

 メイドが下がったのを見計らって焼き菓子を1つ齧ると軽い触感と共に砂糖の甘さとバターのコクが口の中に広がる。しかし残念ながら彼女の焦燥と虚しさはこれでは到底拭いきれるものではなかった。

 あまり進まない手にレオナルドは心配気に眉を下げる。


「最近食事の量が少なくなったって君の侍女達から聞いているよ。何か食べないと倒れてしまうよ」

(……どうせ今私に倒れられたら余計面倒な事になるからでしょ……?)

 

 つい頭に浮かんだ言葉を慌てて打ち消す。最近の彼女はプレッシャーをかけられ続けた事で疑心暗鬼に陥りかけていた。

 部屋に閉じこもっていても噂話などで情報は入って来る。目の前にある焼き菓子だって材料が高騰した所為で、王族と一部の大貴族でなければ容易に食せない贅沢品に変わってしまっている事も知っている。

 また久しぶりに会った彼の服は以前よりも質素な物に代わっていた。恐らく財政が苦しいのだろう。それなのに自分は以前と同じ質の服を来てこうして贅沢品を食しているのだ。きっと周りからは良く思われていないに違いない。

 現に先程のメイドも役立たずの癖に暢気にお茶なんてという目で見ていた。早く力を取り戻さないと益々立場は悪くなるばかりだ。でも一体どうやって。

 あのメイドが実際は何を考えていたのかは本人にしか分からない。だが余裕が失われていたアイラの思考は「皆が自分を責めている」という方向に支配されていた。

 そんなぐるぐると考え込んでいた彼女に彼の言葉がとうとう引き金となる。


「大丈夫、君があの魔方陣から召喚された事は僕がこの目で見ている。君は間違いなく神が遣わした聖女だ。焦らずに過ごしていればきっと力も戻って来るよ。」

「っ!聖女だからって力が戻って来るとは限らないじゃないですか!?」


 アイラは堪らなくなって勢いよく椅子から立ち上がる。彼女もあれから心配になって聖女について詳しい者に聞いてみたのだ。聖女の中で力を失った者はいるのかと。

 すると召喚の力に耐えきれずこの国に来て間もなくして亡くなる人こそ存在したが、途中で力を失った人は1人も居なかったという。

 前例があればまだ彼女も安心出来た。しかし前例が無く、かつ数カ月も戻らない状態での彼の台詞は何の慰めにもならなかった。

 いっそ責めてくれればいくらか楽になれる彼女にとって優しい言葉はかえって逆効果であった。


「本当に力が戻って来る保証も無いのに下手な慰めは止めてください!はっきり言って迷惑です!」


 そこまで吐き出してハッと正気に返る。多少は打算が含まれていたのかもしれないが、純粋に心配している気持ちも彼にはあった筈だ。それなのに勝手に苛立って勝手に八つ当たりしてしまった。

 2人の間に気まずい空気が流れる。

 

「すみません……。私そんな事言うつもりじゃ……」

「良いんだ。今のは僕が軽率だった。また会いに来るからね……」


 結局ギクシャクした空気のまま茶会はお開きとなり、彼が立ち去った後には場違いな焼き菓子と紅茶の香りが残されていた。

 共に兄弟がおらず喧嘩慣れしていない2人は仲直りするきっかけが掴めないまま、またレオナルドは多忙も相まって自然とすれ違う日々が続いた。これが後に2人にとって最初で最後の喧嘩となる。

 


 

 貧富の格差が広がっていった王都ではスラムと中心街では全く違う光景が広がっていた。

 高級店が並ぶ通りを身なりの良いものが我が物顔で闊歩する一方で、貧しい者はガラクタで建てられたあばら家で空きっ腹を抱えている。そんな状況下でリーチェ夫妻はというと養女を放置して連日賭博に耽っていた。

 リーチェ家も例に漏れず農民の流出で税収は減少していたが、他の貴族と違って彼等には王家から多額の金銭が送られていた。将来の王妃となるアイラの養親の体裁を保つ為だ。

 だからこそ夫妻は暢気に自分達のこれからではなくアイラの教育法について考えていたのだが、実践しようと城を訪れた際に最近よく羽振りが良くなった不動産を扱う人間から教えてもらったのだ。王都のとある店の地下で行われる闇カジノの存在を。

 この国ではカジノは許可制で大抵はリゾート地などに建てられている。しかし瘴気の影響で殆どが閉店に追い込まれ、営業を続けている所も王都からはとても行けない場所にあった。

 だからこそ気軽に遊びに行ける闇カジノは金持ち達の間で爆発的なブームとなった。勿論見つかれば運営側も客側も罰則を受けるが、紹介された店は一見さんお断りの代わりにスタッフは口が堅く、客からの信用が篤い店だった。

 取り巻き達も消えて刺激を求めていた夫妻は直ぐに賭博に飛び付き夢中になった。失った金額は大きいが得た金額も多い。そのスリルが快感となりアイラの教育の事も忘れて日夜賭け事に勤しんでいた。

 始めこそは他の客達にカモにされていた夫妻だったが、彼等もただでは転ばない。次第に周りが妙な勝ち方をしている事に気が付きスタッフの1人に大分多いチップを渡してやれば予感は見事に的中した。

 イカサマの見破り方、仕掛け方をスタッフから教えてもらった彼等は連中にやり返し、無事に失った分を取り返した。

 正規のカジノであればスタッフが厳しく目を光らせていても、闇カジノではこういったイカサマは気付けない方が悪いとばかりにしょっちゅう行われている。

 イカサマを覚えた夫婦は手先の器用さでカモからどんどん金を巻き上げて行った。楽しく遊ぶだけで大金が稼げる。日々書類に向き合い領地経営していたのが馬鹿らしくなる愉快さだった。

 

 夫妻はそこそこ真面目に領地経営にあたっていたが、2人にとって民草は税収を得るための道具でしかなく、瘴気で農地が使い物にならないと知るや否やあっさりと彼等を見放した。

 王家から援助で収入面は問題ないし、わざわざ仕事を失った平民達の世話をして共倒れになる義理は無い。役に立たないものは早々に処分するに限るとばかりに、経営権の放棄を行い領民達への説明は部下に押し付けたのだ。

 部下達はこのような暴挙を平然と行う当主達に勿論憤った。しかし自分達の身分で楯突いたところでどうする事も出来ない。精々やれたのは立ち去る民達に幾ばくかの食料を渡せるよう密かに取り計らう事と、無力さに打ちひしがれながら職を辞する事だけだった。

 そうして夫妻はお気に入りの使用人だけを連れて王都の邸に移り住んだのである。

 王都はカジノの他にもショッピングに劇場にと様々な娯楽に満ちており、領地に帰らなくても良くなった現在は毎日が楽しい日々であった。無慈悲に切り捨てた者達を思い返す暇も無かった。

 

 「ところでファティア夫人、聖女様の御力はまだ戻られないのかしら?私旅行の計画を立てていたのにずっと延期続きですのよ」

 

 今日もカードゲームに勝ち、興奮で籠った熱を冷ますようにシャンパンで喉を潤していると、1人の女性が困ったように首をかしげる。アイラの養親先がリーチェ家であるのは周知の事実で、時折こういった嫌味を言われるのはよくある事だ。

 

「アダム様が大丈夫だと仰っているのならきっと大丈夫ですわ。それ以上は神殿にお伺いになればと……」


 だが嫌味の応酬が日常茶飯事の社交界ではこのような言葉は嫌味にすら入らない。文句があるのなら神殿にどうぞ、目を付けられても構わなければと暗に嫌味で返し黙らせる。

 そそくさと立ち去る大商家の妻に口ほどでもないと鼻で笑うと次のゲームの席に着こうとした。しかし従僕の1人が耳打ちして来た内容に一瞬目を見開くと、成るべく不審に思われないよう適当に理由をつけて足早にカジノから立ち去った。もしこれが本当なら早急に手を打たねばならない。


 なんと追放された筈のアレクサンドラが王都のスラムで貧困者の救助をしているというのだ。

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