第7話 全ては神の導きのままに③

 瘴気の再発から暫く経って、忌々しい霧は収まるどころか益々国土を浸食して行った。最初に行われていた既存の門と馬車を併用しての移動も追いつかなくなってしまい、現在は新規の門の作成を神官達が持ち回りで行っている状態だった。気分が優れなくて顔色が悪い神官の数も今や少なくない。

 そして2人の身体にも確実に疲労は蓄積していった。浄化は聖女が現地に赴かなければならず、レオナルドは度重なる瘴気の再発による混乱への対応で碌に休めない日々が続いた。

 普段から剣を振って鍛えているレオナルドは兎も角として、ごく普通の女子高生であったアイラは常に慢性的な疲労で傍目から見てもやつれていた。

 特に危ういのは精神面で、終わりの見えない浄化と再発のいたちごっこに折角この前までは明るさを見せていた顔も、今やすっかり沈んでしまっていた。レオナルドが他の打開策を探すよう命じてはいるが成果は芳しくない。

 その上厄介な事に浄化すればするほど再発までの期間が短くなってきている。それを感じたのはアイラだけではないようで、兵士も使用人も不安そうに囁き合っている。


「アイラ、これが終わったら少しだけど休めるわ。今頃メイド達が美味しいお菓子と紅茶を用意して待っているから、頑張りましょう。ね?」

「お義母様……」


 重い溜息を吐く彼女の右手をたおやかな手が包む。気落ちするアイラを元気づけようとする女性、カサンドラは追放されてしまったアレクサンドラの実の母であり、今はアイラの養母である。憔悴した様子の彼女を何とかしようと聖女の身内の権限で時折王宮にやって来てはこうしてご機嫌を取っているのだ。

 そもそも何故リーチェ夫妻がアイラの養親になったのか。それは例の事件により王太子以外の後ろ盾が必要としてアダムに推薦されたのがリーチェ家だったからだ。

 しかしアイラは正直リーチェ夫妻から距離を取っていた。養子縁組をするにあたって噂好きの侍女が色々と教えてくれたのだ。

 魔術の才能が無いからと自分達の事を棚に上げて娘を冷遇したり、例の事件で疑いをかけられた際には庇うどころかあっさりと見放したりと。何故実の娘の国外追放に頷いたのか尋ねた人には「例え実の子でも聖女を害した重罪を庇うことは出来ない」と耳通りの良い事を言っていたらしいが、実際はこれ幸いと厄介払いしたかったのではと噂になっているなどなど。

 アイラは侍女の話を単なる噂だと片付ける事は出来なかった。罪を犯したとしても多少なりとも情があれば何処かで必ず娘との思い出に浸る瞬間がある筈だ。ところが彼等にはそれが一切無い。最初からアレクサンドラという名の娘など居なかったかのように振る舞っているのだ。

 しかも王宮以外に部屋が要るだろうと彼等はアレクサンドラの部屋だった場所をアイラの部屋に改装してしまったのだ。それまで彼女が使っていた家具や私物を全て売り払うなり捨てるなりして。

 ここまで状況証拠が揃っていればアイラが警戒するのも無理は無い。今は胡麻を擦ってはいてもいざ不利な状況に立たされれば迷いなく見限るだろうから。


「いえ、お茶よりもベッドで休みたいです。最近あまり眠れていないので……」


 言い訳半分本音半分で断ると一瞬カサンドラの眉根が不服そうに寄せられる。養子に入ってからと言うものの、距離を縮めたいのかお茶会を始めとした親交を深めるような提案をよくしてくるのだ。ただしこちらの都合を考えない場合が多いが。その点でも義理の娘を利用しようとする魂胆が透けて見える。

 それに無理にお茶をしたところで気疲れするばかりだ。彼女の話はもっぱら美容やファッション、娯楽や流行で埋め尽くされており、この世界や社交界についてまだ勉強中のアイラからしたらひたすら相槌を打つだけの時間と化す。しかも国が大変な状況下でも話の内容は変わらない。所詮養親と言っても彼女が抱えている不安を受け止めてあげる気はさらさら無いのだ。


「奥様、そろそろ次の土地への準備をしなければなりませんので……」


 見かねた侍女の1人が準備と称してカサンドラを引き剥がせば、邪魔をされた形の彼女は侍女をあからさまに睨みつける。これは数秒後に叱責が来る。そう直感したアイラは慌てて遠い場所だから早めに準備をしなければならないと適当に理由をつけ、渋々だが引き下がってもらった。

 養子に入っても王宮住まいはそのままで本当に良かったと心から安堵する。義理の母が母なら父親もこんな感じの人間なのだ。瘴気の再発が収まったとしてもその先も心身の疲れは付き纏いそうだ。そう考えると自然と気分も重くなる。


「アイラ様。殿下にお頼みしてあまり関われないように配慮していただきましょう?きっと方法はございますよ」


 先程助けてくれた侍女の言葉に「どうだか」と心の中で返事をする。彼は誰かと相性が悪いと言えば善意で仲を取り持とうとするタイプなのだ。良い人なのは分かっているがこの場合はアイラにとっては有難迷惑でしかない。

 最近無性に両親に会いたくなる事が増えて来た。これまでは何とか抑えられていた郷愁が不安によってタガが外れたのか、意思とは関係なしに溢れてしまう。

 母の料理も恋しい。小洒落た食材など1つも使っていない極普通の食べ慣れた料理だけれど何年も食べていないような気になる。部活から帰るといつも食卓には出来立ての夕飯が並べられていて、それで母が「手を洗って来なさい」と……。


(あれ…………?)


 ここまで思いを馳せてアイラは愕然とした。

 実の母の声が分からなくなったのだ。父の声も。

 


 

 王宮を出たカサンドラは真っすぐ屋敷へ帰らず、気晴らしに馬車を街中に走らせていた。

 アダムとの取り決めのお陰で聖女と養子縁組出来たのは良いが、彼女は中々に警戒心が高いようであれやこれやとご機嫌取りしても中々懐柔されてはくれない。しかも彼女の耳に自分達を良くないように吹き込んだ者もいるらしく、これもまたアイラとの距離が縮まらない要因ともなっている。

 アレクサンドラの事は冷遇ではなく区別と言うのだ。大なり小なり貴族は産まれた我が子に魔術の才があるのかどうかは気にするところだ。才があれば喜んで良い将来を歩めるよう便宜を図るし、無ければ次代に期待する。それはどの家もやっている事でうちだけではない。

 勿論自分達だって魔術師ではないからこそアレを妊娠した際は努力をしてきた。魔術師が産まれやすくなる儀式を片っ端から試したり魔力が豊富に含まれるという薬を摂取というのに、結局産まれて来たのは自分達と同じ魔術師になれぬ子。失望しても仕方がないだろう。お陰で今も他の貴族からの嘲笑は鳴り止む気配は無い。

 いくら政治の才覚があると称えられても男からいざ知らず女には無用の長物だ。だからこそ次代に賭けてレオナルドと婚約させたのだが、結局こうなるなら放置しておけば良かったと彼女の教育にかかった費用を口惜しむ。

 

 リーチェ夫妻は貴族界隈では珍しく非魔術師同士の婚姻によって成り立った夫婦だ。

 大抵の貴族は魔術師の一面も持つが、中には才能を持たずに生まれた子も少なからずいる。そういった子どもは余程の事情を除いて当主にはなれず婚姻など家の存続の駒として扱われる。稀有な頭脳など傑出した才能があれば良い縁談に恵まれたり新たな分家の当主として治まる場合もあるが、そうなれるのは極一部の人間だけである。

 だが謀略などで他の兄弟を蹴落とし当主の椅子に座った例もある。リーチェ家当主のユーゴがまさにそれで、カサンドラは駒として嫁いだ形になる。

 どちらかが非魔術師の夫婦はそれなりに見られるが、非魔術師同士の夫婦は非常に少ない。その為劣等同士の婚姻だと陰口を囁かれるのは1回や2回ではなかった。だからこそ不快な輩の鼻っ柱を明かす為にも魔術の才ある子の誕生は夫妻にとって不可欠であった。

 また周囲の人間が言うような冷遇の認識は夫妻には全く無かった。むしろ非才な子でもリーチェ家に相応しい衣食住や教育を与え、何不自由無く過ごせるように配慮してきた自分達はなんと寛容な人間だとさえ思っている。

 コンプレックスを埋めようと魔術だけを重視して来た夫婦は、周囲との大きな価値観や認識のズレを自覚せずに自分達の不遇な境遇を嘆いていた。何を言われようが諭されようが、夫妻にとっては自分達こそが被害者であった。


(あの小娘にも困ったものだわ。大貴族の養女になれた有難みが全く分かっていないなんて)

 

 被害者意識故に、今自分が考えている事が甚だ自分勝手な事だと言うことにも気付けていない。

 幼少期から様々な理不尽に晒され続けてきた夫妻はいつしか上手くいかないのは全て他人の所為だと責任転嫁する癖が付いていた。その為アイラの事も彼等からすれば「大貴族の養女にしてやった恩を知ろうとしない愚鈍な娘」である。

 彼等は確かに自分達にはどうしようもない部分で理不尽な目に合って来た被害者であった。しかし人間とは些細なきっかけで加害者が被害者に変わる事もあれば被害者が加害者に変わる事だってある。自分達がかつての心無い者達と同じ事をしている自覚も無いままに被害者だと盲目に思い込む夫妻は、今だ過去の加害者達の幻影に怯える弱者のようでもあり、ある意味滑稽で憐れであった。

 

 カサンドラは街を行き交う人並みを眺めながら今後の教育を思案する。夫妻がリーチェ家の娘に求めるのは自分達の思い通りに振舞う従順さだ。その為にこちらも家庭教師を手配するべきか。しかしすでにレオナルドが手配した家庭教師がついている以上、それをしてしまえば彼からの不興を買う恐れがある。

 ならば自分自らが教師役になって躾けしてしまうのが良いかもしれない。母親が教育係を兼任するのはよくあることだし、レオナルドの顔に泥を塗る事もない。むしろ教育熱心な母親として好意的に見られるだろう。

 この方法で行こうと方針を決めたカサンドラは目的もないままに走らせていた場所を家へと向かわせた。


 しかし結果的に言えば彼女が定めた教育方針は実行に移されることはなかった。家に帰った直後にアイラが浄化に失敗した情報が入ったからである。

 この時点では彼等を始めとして誰もが浄化のし過ぎで一時的に力が枯渇しただけだと思っていた。暫く休ませていればまた復活するに違いないと。

 だが周囲の予想に反して1週間経っても2週間経っても、とうとう1ヵ月経ってもアイラの浄化の力は戻らないままだった。

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