50話 父からの伝言『Only you』

 愛と夢矢も不思議空間に入ってくるなり声を裏返した。

 さらに闇を抜けてきた杏や珠を背負った久須美もみな同様に驚愕を示す。

 科学や地質学やら現代文化ではおよそ説明のつかぬ現象が起こっている。地底深くに空が広がっているなんてファンタジー以外の何物でもない。

 愛は部屋に入ってくるなりずっと小難しそうにむむぅ、と唸りつづけている。

 さすがの天才科学者の彼女であっても埒外だったらしい。腕組みしながら年のわり幼顔へ深いシワを刻む。


「しょうがないなぁ……も~」


 腕組みを解き、ぱちん、と。指を打って乾いた音色を響かせた。

 彼女は未知を前に落胆するどころか口角をニヤリと持ち上げ含みのある笑みを浮かべる。


「ひとまず科学は1枚1枚皮を剥くようにわからないところを理解していくことが大事なんだよね。だからここがいったいどこなのかをまず知っていくことからはじめるとしようか」


 そうして愛の体表面がぼう、と薄い蒼に沿われていった。

 髪先が1本2本と微量の電気を帯びて浮かびあがっていく。その姿はさながら水中に沈んで髪が遊んでいるかのよう。

 間もなくして彼女の近辺でばちばちという爆ぜるような帯電が開始された。

 ミナトは首を捻って考え込む。


「《雷伝システム》って確か電気を自在に操るものだったよな? この状況で使用する意図が理解出来ないんだが?」


「この状況だからこその能力よ。愛の第2世代セカンドジェネレーション能力スキルの場合は特に未知に対してより強力な効果を発揮するの」


 杏はどこか誇らしげに「まあ見てなさい」ツンと上向きの鞠をぐっ、と前に反らした。

 その間にも愛を覆う電気量は見てわかるほどに増大していく。

 もはやパチパチ、なんて生易しいものではない。周囲に満ちた電気が共鳴するたびビシィ、ビシィという雷に似た甲高い音を発している。

 そして愛は開眼と同時に両手を突き出す。


「さあこんなふざけた未知を丸裸に剥いちゃうよ! 空間把握の《雷伝の波紋バリアントシステム!》」


 片手の甲にもう片側の手のひらを重ねた。

 次の瞬間小柄な彼女から蒼き波紋の如き波が周囲360度に渡って駆け巡る。

 発生した蒼き波は屋内のありとあらゆる物体に対して反応を示す。物に対して沿うように、または当たった端から乱反射を繰り返しつづけた。

 愛は勢いよく手を振ってモニターを表示させる。


「さあ情報の山が直接アレクに飛び込んでくるよぉ! この屋内から外側まで付近一帯すべての輪郭が僕の物さ!」


 次々に更新されていく情報の羅列へと目を滑らせていった。

 しかも乱反射させた無数の蒼は彼女が頭に帯びているヘッドギアに向かって収束する。


「ここはどうやら元いた地点とはまったく異なる場所だね。しかも空間としての区切りが存在しているみたいだからこの外に見える青空みたいなものも幻影かあるいはホロか。あの入り口と思われる物体は入った人間の座標を強制的に別座標に移動させるような役割を持っているみたいだね」


 凄まじい速度でタッチタイピングを行いながら情報の解析を進めていく。

 ミナトは呆然と作業風景を見つめるだけ。彼女がいったいなにをしたのかさえ一切わかっていない。

 すると信が険しい表情で感嘆の吐息を漏らす。


「自身の帯電属性を利用しフレックスを飛ばす、いわゆるソナーか。情報を集め終えて跳ね返ってきたフレックスを頭のアンテナで受け取ることで脳内に直接情報を流し込んでいる」


 よく練られているな。すべてを網羅する男でさえ感服の言葉を贈った。

 《不敵プロセス》、《重芯モード》、《心経ハモニカ》といった多種ある第2世代能力のなかでも彼女の能力は異色すぎる。

 ただ痺れさせるだけ、他者を攻撃するための手段でしかない、なんて。それこそ浅はかな考えでしかないのだ。

 それを杏は手柄がまるで自分のことのように鼻を鳴らす。


「愛の能力は電気との親和性が高いの。だからこうしてフレックスに電波のような特性をミックスして扱うことが出来るってわけ」


 ふふん、と。くびれた腰に手を当てて自慢げによくしなる指を立てた。

 その横では久須美が訝しげに目を細めている。


「なんでアナタが愛さんの能力を得意げに開示なさっておられるんですの……」


「そりゃチームメイトだもの仲間の活躍を誇るのもメンバーとしての務めよね!」


 嬉々としている杏の姿は年相応に少女だった。


「まったくやれやれですわ。第2世代能力はどれも汎用性が高くてお羨ましいこと」


 だからか文句を言う久須美の口元も僅かに綻んでいる。

 ノアの民たちは常にフレックスと共にあるようなもの。

 対してアザーの民にフレックスの使用者は少ない。なにせ使えぬことこそがアザーの民たるゆえんなのだ。

 ミナトもまた、せっせとモニターを睨む愛を見ながら学ぶ。


――もっと広い思考をもつことも大切なのか。


 今までこうして直にフレックス使用者と触れ合う機会には恵まれなかった。だからこの身にはフレックスが宿らなかったのかもしれない。

 ふとそんなことを考えている視界の端になにかとてつもないモノが映る。


『……アレ』


 僅かに幻聴まで。

 耳の奥にぼそりと聞こえたような気がした。


「……ん?」


 一瞬反応に遅れてしまったのは、あまりに唐突だったから。

 しかもそれはミナトが反応すると、幻覚であるかの如く消滅した……ような気がした。


――今……オレの肩から蒼い腕が生えてなかったか?


 ミナトは目頭を摘まんで疲れ目を揉みほぐす。

 色々あってついに幻覚まで見え始めているらしい。

 たとえその見えていた物があったとしてそれは幻覚でしかない。だいいち見えていたものが現実であれば周囲が悲鳴を上げていただろう。

 自分の肩から蒼い手がにょっきり伸びて机の上を指さしているなんてありえるはずがないのだ。


――そういえば机の上になんか置いてあるな。……手紙か?


 ミナトは3本しか足のない古いテーブルの上から紙を拾い上げる。

 部屋に似つかわしくないやけに真新しい紙には、宇宙共通言語が綴られていた。

 そうなってくると人間が書いたもので間違いないだろう。


――長文だなぁ……。


 ざっと流し読みをしてみる。

 ろくに教育を受けていないミナトにとって目が痛くなるほど細かな文字の集合体は苦痛でしかない。

 

――確かディゲルがこういう文章は最初と最後の行を読めばだいたい予測がつくって言ってたっけ。


 厳つい親元の顔を天井に思い描く。

 ディゲルが言うには文章の始まりと終わりさえ読めば速読可能らしい。アザーキャンプ管理者として山のようなデータ資料を読むときに心がけているのだとか。

 だからミナトは親の教えに習って横着することにした。初見の文字をゆっくりと音読していく。


「私は……絶望と希望の相反する感情を同時に胸へと芽生えさせている、愛する夢矢にこの思いが届くことを……願って?」


「――へえぇっ!?」


 読み終えたミナトは声のした方へと振り向く。

 そこには夢矢が真っ赤になって立っている。


「あ、あのっ! き、聞き間違いじゃなかったとしたら……それって……!」


 どうやらかなり大いなる勘違いが生まれてしまっているらしい。

 ミナトが読み上げた文章をそのまま受け取ってしまっているようだ。


「そ、その……確かに僕、東さんに最初は女の子と思われてましたけど……」


 夢矢は肌の浮いた白地のパラスーツの内股をもじもじとこすりあわせる。

 若干白目部分は滲み潤う。そしてミナトとは決して目を合わせようとはせず頬をぽってり朱色に染めていた。

 先の文章を直訳すればただの愛の告白でしかないことだけは確か。

 しかし夢矢は夢矢で案外前向きな検討を始めてしまっている。


「「ぼ、ぼく……告白されたことって初めてなんで、ちょっとびっくりで……そのぅ、よくわからないですけど……」


 中性的な顔立ちで上目遣いにミナトを見上げた。 

 微妙にまんざらでもなさそうなのは混乱しているからだと信じたいところ。

 ミナトは、僅かながら少女の面影を見せる少年に、極めて冷静に対処する。


「オレもびっくりだよ。告白どころか男相手に告白したことになっていることのほうがコトだよ」


「で、でも……リベレイターさんには、悪い感情とかぜんぜんなくて、どちらかというと尊敬もしているし嬉しいといいますか……」


「待て待てもう1度よく考え直すんだ。男に告白するような男と付き合ってもどっちかが男らしく生きられなくなるぞ」


 そしてそんな2人の押し問答やりとりのなか周囲もさあ、と凍り付く。

 ミナトを見る面々の目つきも正気を疑うかのよう。もしこれが本当の愛の告白だとしたら失礼極まりない。

 不快を顕にするミナトの肩にそっ、とジュンの手が置かれる。


「まあ……なんだ? 俺はずっと友だちだぜ?」


「なにズッ友で予防線張ってんだ図に乗るなよ。なんでオレがお前に告白する前提で話が進んでるんだ」


 勘違いと戦うミナトの手からひょい、と手紙が奪われた。

 真っ赤になってあわあわするウィロメナとは違う。彼女ははじめから何事もなかったかのような平静ぶりだった。

 そんな杏は無言で奪った手紙に目を通す。


「これ……夢矢のお父さんから夢矢宛てに伝言が綴られているわ。きっとまだ剛山さんはどこかで生きているってことよ」


 もし本当だとしたら希望へと繋がる。

 そして虎龍院剛山は生きてなお1箇所に留まることを選択しなかった。さらになんらかの理由があって危険なアザーを彷徨いつづけている。

 これによってようやくミナトのあらぬ誤解も解けたのだった。



……  ……  ……   ●   ●

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