49話 幻想と現実の境界線『Perfected World』

「どうした聞こえてないのか!? さっさとこっちに戻ってこ――」


 大岩の裏側に滑り込むのと同時に呼吸が止まる思いだった。

 愛の言うとおり道なんてどこにもなかった。ただそこには黒い無が存在している。

 周囲の赤褐色とは明らかに異なる闇のような揺らぎのよう。小さな風で水面の如く揺らぎながら小さな光が渦を作っていた。

 ミナトは恐る恐るその黒く揺らぐ膜に触れてみる。


「触れている感触すらない? どんどん腕が奥に入っていく?」


 どうやら腐食したりなどの危険はないらしい。

 それを確認してもう1度、試しに肘まで黒に埋めてから抜いてみた。

 皮膚に濡れた感覚などの異変は特に見られない。温度だって感じなければ臭いも何も変化がない。

 しかもこの黒い膜には奥がつづいている。もう1度手を突っ込んで確かめてもなにかに触れることさえなかった。

 もしこの奥にジュンたちが入って行ってしまったというのなら。それでもしどうしようもない状況になっていたとしたのなら。

 戸惑っているとジャケットの裾が控え目に引かれる。


「ど、どうするつもり? アンタもジュンたちを追っていくの?」


 杏はミナトの裾に指をかけるみたいに引っ張く。

 仲間たちを憂う事態に不安を隠しきれていない様子だった。

 おろおろ、と。落ち着きなくどうしたら良いのかわからないという感じ。だがこれ以上ミナトに先に進んで欲しくないようにも取れてしまう。


「……っ。さすがにこのまま待ちぼうけってのはないよな。最悪引き返すとしても3人を連れ戻してからだ」


「あっ……!」


 ミナトは緊張で喉を鳴らしながら決心した。

 杏の声を聞きながら深く呼吸をして熱い吐息を肺から絞り出す。

 そうして暗闇で手探りするように指から徐々に闇のなかへと侵入していく。

 怖いと言うよりもこのまま杏が悲しむことのほうが嫌だった。これは決して勇気ある行動ではないことだけは確か。それでもここで撤退するという考えも皆無でしかない。

 もしこのまま待機しいつまでも3人が帰ってこないという事態陥ったとする。そして撤退しあの時もし呼び止められていれば3人は行方不明にならなかった、なんて。


――そんなのは冗談じゃない。クソ食らえだ。


 闇に入って2歩ほど歩んだだろうか。

 間もなくしてミナトの視界に白光があふれた。


「――ッ、なに、が!」


 目の眩むほどの光だった。

 先ほどまで暗い洞窟を彷徨っていたせいということもあってか瞼が自然と光を拒絶する。

 しかしそれでも、と。ミナトはがむしゃらに視界を確保した。


「…………」


 その瞬間。網膜が映す光景に魂を抜かれた。

 否。魂を抜かれるくらい衝撃を受け、脳がその受け入れを拒否する。

 闇の先に部屋と思わしき空間が広がっていた。


「お、ミナトもきたのか。見てみろよコレ……信じられねーことになってるぜ」


 部屋のなかにはジュンがいる。

 どうやら彼も状況を受け入れられている様子ではない。初めての衝撃を引きずっているミナトよりは若干冷静というだけ。


「あんな洞窟の奥にこんな部屋があるなんて思わねぇだろ。しかも見たところ人の住んでた形跡があるぜ」


 ジュンは口角を引きつらせながら声を震わせた。

 さらに部屋にいるのは彼だけではない。

 ウィロメナと信もこわごわとした足どりで部屋全体を見渡している。


「…………」


 ミナトはしばし呆然と息を呑んだ。

 夢のなかでたたき起こされてなお夢のなかを彷徨っているような気分だった。

 部屋のなかにはジュンの言うとおり人の暮らしていた形跡が至る所にある。

 染みの入った年季モノの棚には陶器の入れ物などが数点ほど仕舞われているし、クロスの引かれたテーブルなんてものまで設置されていた。


「どうなってるんだ……? ここは本当にアザー、なのか?」


 ミナトは夢遊病患者のような足どりで木の床を踏む。

 踏まれた木板は古くなっておりぎぃと不満の音を奏でた。

 と、ウィロメナが「えぇっ!?」素っ頓狂な声を上げる。


「ま、窓の外を見て! こんなことってありえないよう!」


 こちらを見ながら外をぶんぶんと腕振り指さす。

 ジュンとミナトは一瞬顔を見合わせる。

 それから言われるがまま窓際に向かって小走りにそちらへ向かう。

 そして2人同時に両手をだらりと垂らして呆然と、感情を失う。


「な、なんだってんだよ、これ。ここって……ノアのなか、なのか?」


「そんなはずあるわけないだろ。だからってここがアザーかすら定かじゃなくなったけどな」


 外を見ることで一気に現実感が喪失した。

 ここは地中奥深くで、命の芽生えぬ死の星アザーで、生命と呼べるものは決して存在しない。

 そのはずなのになぜこれほどまでに世界の外側は豊かなのか。


「外にホロじゃねぇ本物の青空が広がってるってなんの冗談だ……?」


「しかもここは命が根付くことが決してない星なんだぞ!? なのになんで草原が広がっていて花が咲いてやがる!?」


「私の耳にもたくさんの音がいーっぱい聞こえてきてる! 草花が風でそよぐ音と一緒に鳥や虫の声までするなんて!」


 反応は三者三様だった。

 が、どれも納得がいったというものでは決してない。あり得ない。

 窓の外には光がうんとあふれているし、天には青空がいっぱいに広がってる。草原には花々が踊って鳥たちが歌う。

 透明な板の向こう側には完璧な世界がどこまでも広がっている。

 気分の悪い夢でも無理矢理見させられているかのよう。あまりに整いすぎた世界の在り方が逆に胸の内に憎悪を滾らせた。

 あまりに最悪だった。誰1人として理解出来ない上に濁流の如き情報過多で混濁してしまう。


「うへぇっ!? なにここ!? なぁにぃここぉ!? 訳わかんなさすぎて逆にときめくんだけど!?」


「へ、部屋……? どうしてこんなところに部屋があるんですか!?」

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