48話 直情的推論『OneーSided』

 暗がりを壁沿いに手で探り探り進んでいく。

 均された足下はじっとりと濡れそぼっており滑りやすい。しかも奥に進めば進むほど多湿が肌にまとわりついてくるかのよう。


「はいお水」


 転ばぬよう注意して歩いていると、横からボトルが伸びてきた。

 ミナトはつっけんどんな杏からありがたく水を受け取る。


「さんきゅー」


 清潔な水を3口ほど含む。

 まだ喉が渇くほど長い時間歩いているわけではなかった。だが胃に流してみると身体にずいぶんと染みていく。

 ミナトは口を拭いながら8割ほど水の入ったボトルを返却する。


「まだもう少しかかりそうだな。予想以上にこの穴は深いかもしれない」


「んくっ、そうね。だからこそこまめな水分補給は大事だし喉が渇いたらいつでも言いなさい」


 杏は受け取ったボトルから1口ほど水を含んだ。

 こくりと筒のような喉を鳴らし飲み込み、返却されたボトルをパラスーツの腰接続部に戻す。


――いま……流れるようなノリで間接キスしたような。


「なによ?」


「いえ、なにも?」


 ミナトは慌てて顔を背く。

 若干きつめに睨まれてしまい有耶無耶とするしかなかった。

 そこからもジュンとウィロメナの盾と音を得意とする2人を前衛に据えて暗闇を進んでいく。

 坑道内部は相応な囲いによって補強されている。だが天井は低く横幅も広くないため2人1組の2列編成で進むのがやっとだった。

 粘つくような闇が一党らから時間と現実感を奪っていく。あまり長時間ここにいると気が変になってしまいそうな錯覚さえよぎる。

 そうやってどれほど歩いただろうか。ようやく耳を覆うような閉塞感から解放される。


「あー……ここであってほしいようなないようなって感じだな。こいつはちょっと……いやだいぶきついぜ」


 坑道から広い空間にでた辺りでジュンの足が止まった。

 彼の頬は汗を拭った際に汚れていた。それに珍しく発現もはっきりとしない。

 後続もこぞって追いつくことでようやく彼の発言の意図を知る。


「酷い荒れようだ……ここでなにかの事故が起こったんだ」


「火薬……硝煙の臭いはしませんわ。火の手が上がったわけではないということが救いですわね」


 夢矢と久須美はぐるりと首を回すよう見渡すと、そのまま立ち尽くしてしまう。

 この場は鉱床にでもなっていたらしい。人の手によって人工的に広い空洞が作りだされていた。

 しかしてその円形状に掘られた場所は落石や地盤沈下によって酷く荒れている。

 専門家でなくてもわかるほど、ここで大きな事故があったのだ。まるで巨人が暴れでもしたのかというほど様々な機器がひしゃげ、崩れ、散乱している。


「データを見る限りだとこの一帯が震源っぽいねぇ。しかも奥につづく道は完全に崩れてるっぽいから実質行き止まりかなぁ」


 愛は強力なハンディライトを地面に置く。

 それから《ALECナノマシン》の画面へ指を滑らせ情報を探る。

 道具や機器が四散したままになっているため作業中に襲われたのは明らか。しかも一党らの入ってきたのは横穴に通ずる箇所。鉱石などを外に運び出すモノレールやらが行き来する通路はものの見事に塞がってしまっている。

 全員口には出さなかったが生存者はいないことだけはなんとなく理解出来てしまう。


「……っ」


 すん、と。ミナトは鼻を鳴らし、瞬時に後悔を覚えた。

 淀み湿った空気に嗅いだことのある臭いが混ざっている。


「たしか夢矢ゆめ、だったか?」


「は、はい? その通りですけど?」


 唐突に名を呼ばれた夢矢は驚いたように目を丸くした。

 彼の名を呼んだのは、信だった。

 ここまで信はミナト以外の人間と一切コミュニケーションを取ろうとしていない。必要としていないとも言える。

 そんな彼が話しかけてきたことが夢矢にとっても意外だったのだろう。おっかなびっくりといった感じで僅かに表情を強ばらせていた。


「お前の父とやらは腕時計をつけるタイプか? もしつけるんだとしたら左右どっちにつける?」


「え、えっと……父さんは腕時計とかつけないと思います! なにせ冒険の際は必ず外骨格やパワーアーマーの類いを着込んでいるので目視出来ないですし!」


 慌てつつもがんばって質問に応じる。

 両手を踊らせながらわたわた、と。構図だけでいえば信が少女をいじめているように見えなくもない。

 そして信はおもむろに身を屈めた。


「そうか。ならコイツの持ち主はお前の父さんとやらのものじゃないな」


 そして足下に落ちていた物体を拾い上げる。


「――ひっ!?」


 信の手にしたものを視認した夢矢は引きつった声を漏らした。

 全身に落雷を受けたかのように伸び上がり、口元を両手で覆う。


「そ、そんな!? う、うう、うでが――っ!?」


 目にじわりと涙がせり上がり腰から砕けるように地べたへ尻もちをつく。

 信が拾い上げたのは、誰かのものと思われる腕だった。

 面々はどよめき刹那に戦慄が走る。だが、拾い上げた当人は眉尻ひとつ動かすことはない。


「あー……こりゃひでぇな。DNA検査か指紋検査辺りに回さねぇとお仏さんが誰なのかもわかりゃしねぇ」


 ジュンは、しげしげと持ち主不在の腕を観察した。

 当然だが腕だけ落ちているはずもない。血痕の漏れた大岩の下に不幸な持ち主が眠っているとみて間違いないだろう。

 しかも先ほどミナトの覚えた臭いも肉から発される腐臭と酷似していた。つまり腕の持ち主は死後数時間を経ている。

 しばし固まっていた杏は頭を振って焦げ色の髪を散らす。


「ここで今すぐに腕を使ってDNA検査って出来そう?」


「ちょっち難しいかな。というかここで簡易的な検査するよりキャンプに帰って専門にやってもらったほうが逆に早いと思うよ」


 問いかけに対する返答は早かった。

 応じた愛は、なおもモニターを眺めながら映った地形図を凝視している。

 そうして時折うむむぅ、と。眉間にしわ寄せた小難しい顔で画面とにらめっこをしていた。

 杏は、手にした紅の大剣を背負い直す。


「じゃあ1度キャンプに戻って虎龍院さんかどうかを確かめるべきかもしれないわね。それと……東に応援を要請すべきだわ」


 吸着するように鏡面は背の固定具に貼り付く。

 構えを解く、武器を手放す。それは腕が見つかったことによって戦闘の必要はなくなったことを意味していた。

 大崩落の跡、死後数時間は経っているであろう腕。この2つが見つかったのならば捜索のパートは完遂といえるだろう。


「ちょ、ちょっと待ってこれが父さんなの!? この腕の持ち主が父さんだっていうの!?」


 と、夢矢の顔色がみるみる焦燥へと変貌していく。

 腕を見つけたという衝撃もさることながらだ。それがあまつさえ父親の一部だとすれば正気ではいられない。


「いや、違う」


「……え?」


 ミナトは、信の手から腕を譲り受けた。

 遺体に触れるのはビーコン屋として慣れているため躊躇はない。

 肩から指先まで綺麗な形のまま残存した腕なんて逆に美しいくらい。肉片やら骨の欠片を探すよりよほどイージーだった。

 そしてミナトは唯一気づいていない夢矢に――信に変わって――説明してやる。


「コレを見てみるんだ」


 良く見えるよう腕をライトで照らした。

 腕に着いている血濡れた服の切れ端は、パラスーツですらない。速乾性に優れた化学繊維でアザーの民が着る襤褸ぼろとはまったく異なる素材で出来ている。


「これはアザーの民が着られるような服じゃないんだよ。だから腕の持ち主はノアから降りてきた地質調査員のもので間違いない」


「そ、それじゃ――っ!」


 ミナトは夢矢の唇に1本の指を添えて制す。

 もちろんもっている他人の手ではなく己の手指で、だ。


「それともう1つ。この腕にはアザーの民が絶対に着けることが出来ない趣味ものの腕時計が着いている。たしかさっき信が確認した通りなら虎龍院さんは腕時計を着用しない人だったな」


「あっ! じゃあさっき信さんが僕に腕時計のことを聞いてくれたのは!」


「まあ十中八九、傷つけないよう保険をかけてただけだろうさ」


 2人して信のほうをぐる、と見る。

 見た目は人を寄せ付けぬ整いすぎた顔立ちだ。しかしその実そこそこ気が回る。

 すると夢矢の滲んだ瞳の向こうで、彼はむっつりと塞いでいた口を重々しく開く。


「嫌だろう自分の父親のもげた腕が転がってるとか。他人の腕でもこんなに気分が悪いのにもし血縁者のだったら今夜の夢にでてくるじゃないか」


 おそらくは夢矢の父だと判断したら彼の目に入らないよう立ち回っただろう。

 暁月信とはそういう男だ。

 それを聞いたジュンが飛ぶ鳥落とさんばかりに目を爛々と輝かせる。


「だから前もって確認したってのか! お前実は滅茶苦茶いいやつなんじゃねーのか!」


「…………」


 しかし信はもう語り終えたとばかりにそっぽ向いてしまう。

 どうやらさきほどの感想も夢矢に向けた言葉ではなく、友に問われたからしょうがなくといった感じか。

 とりあえずミナトはジャケットのポケットから畳まれた袋を取り出す。


「とりあえずこの腕の持ち主は地質調査員で確定した。さらにオレたちの探すミッション対象たちの最終到達地点もここBキャンプだったってことだ」

 

 広げて、閉まって、口を締める。

 こうするだけで猟奇的な腕はあっという間に人目から遠ざけられるというもの。

 腕が視界から消滅したことで全員がほう、と張り詰めた表情を解すのがわかった。どれだけ冷静を装っていても遺体なんてものがあっては気が休まるはずがない。


「ってことはミナトの勘が爆裂に大当たりだったってこったな」


 ジュンがぐっ、とガッツポーズする。


「これは大手柄だねっ。危ない外を駆けずり回らなくて済むってことだもんねっ」


 その横でウィロメナもローブを盛り上げる膨らみの辺りで手を打った。

 2人が言うとおりこれで地質調査員の居場所は判明したことになる。あとは応援を呼んで掘り返せばほどなくして調査員たちの捜索任務も完遂となる。

 捜索の結果、地質調査員は不幸な事故によって全滅した。この現場の惨状を見るに生き埋めですらなさそうだ。降り注ぐ大岩に潰され即死とみるべきだろう。


「…………」


 夢矢は黙ったままうつむいてしまう。

 長いまつげの影を伸び、もはや涙さえ滲むことはなかった。

 両手にぶら下げた矢のない弓形が微かにふるふる震えているだけ。

 久須美はそんな彼の華奢すぎる肩にそっと触れる。


「せめて夢矢のお父上が苦しくないよう早急に助けて差し上げましょう。それが残された子が最後に出来る孝行ですわ」


「…………うん……」


 消え入りそうなほどか細い肯定だった。

 たとえ受け入れがたい事実だとして、やがては受け入れねば先には進めぬ。

 彼の父は、勇敢にアザーという死の星に立ち向かった。偉大な父は、この場所のどこかで眠っている。


「だが腕が生えてた大岩の奥にまだ道がある。そこを見てからでも撤退は遅くない」


 撤退の準備に入るかというところで、洞窟内に声が反響した。

 声の主である信は返答すら待たず。すたすたと大岩の影のほうへ歩いて行ってしまう。

 独断での行動に躊躇がない。というよりチームプレイというものにさえ興味がないらしい。元よりチーム行動が苦手な1匹狼らしいといえばらしい。


「待て待て! 1人ですたこら先に進むなっての! チームで移動している以上単独行動は慎めよ!」


「そういうジュンもだよ! なんでちょっとワクワクしながら着いていこうとしてるの!」


 信につづいてジュン、ウィロメナもまた岩の裏手に入っていってしまう。

 チームとはなんなのか。取り残された面々は顔を見合わせ頭痛をこらえる。


「《マテリアル》の皆々様方はどのような訓練をなさっておられるんですの? 申し訳ないのですがワタクシの眼から見てとても連携が取れているとは口が裂けても言えませんわよ?」


 久須美の口調にも少しばかりの怒気が含まれていた。

 これには杏もムッとした。が、やはり言い返せず。

 よくよく考えてみれば、そりゃそうだ。《マテリアル》というチーム自体がチームを名乗っているだけなのだ。

 ミナトにとってもチームはノアの面々のなかでよく喋るというだけの存在でしかない。そしてそれは仲間や戦友とは呼ばず、世の中的にいえばただの友だちという分類に分けられる。


「まずもってしてリーダーが無能力者だから仕方ないといえば仕方ないんだけどさ」


 黒い頭を掻きむしりながら痛感する。

 自分はリーダーなんて仰々しい役職、なんて。向いていない。

 東はフレキシブルにミナトを讃え上げようとする。が、しょせん讃え上げられる側は空いた椅子を用意されたから座っているだけにすぎない。

 ミナトはやれやれと力なく首を振ってから大岩のほうに向かう。


「とっととアイツらを呼び戻して帰ろう。こんな薄暗くて息苦しいところに長くいても良いことなんてないさ」


「アンタまで行ってどうするのよ! そうでなくてもばらばらなのにリーダーがいい加減になったらもう取り返しがつかないじゃないの!」


 杏に呼び止められるも、彼の足は止まらず。

 なにせリーダーにはリーダーである自覚もなければ気概さえ持っていない。まずもってして責任すら芽生えてすらいないのだ。

 いずれこの《マテリアル》というチームは瓦解する。あるいは自然に消滅していく。


――キャンプに戻ったら東に言おう……オレはリーダーに向いていないって。


 ミナトは気のない笑みでため息を漏らした。

 そして腕の入った袋を自分の腕にぶら下げながらハンズポケットで大岩の裏手を目指す。


「待って!」


 ぴた、と。踏む直前のままスニーカーの足が止まった。

 声のした方に振り返ってみると、愛が呆然とばかりに胡乱な感じで佇んでいる。

 しかも先ほどから執拗なまでに《ALECナノマシン》へアクセスしていた手さえ静止している。


「さっきも言ったけど……その先に部屋なんてないよ。だってここ……図で見る限りただの行き止まりのはずだもん」


 瞳孔の開いた瞳が暗闇に揺らぐ。

 しばし残った全員がその場で凍り付く。

 愛の瞳は僅かに蒼色を帯びており闇にぼんやりと浮かびあがっていた。

 それ以外にもライトの光が静止した面々の陰影をくっきりと浮かしている。


「――シンッ!! 戻れェ!!」


 ふと気づくとミナトはすでに叫んでいた。

 そうすることで危険が舞い込んでくるとか、理解とか解釈とか、そのへんさえもうどうでも良かった。

 ただ異端かつ異常な事態を察知する。

 脳の理解さえ及ばぬ恐怖が咄嗟にミナトの足を走らせていた。



(区切りなし)

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