45話 True Resolution『愛する子よ』

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」


 どれほど歩いただろうか。

 幾千の歩幅は合金の足跡で遙か彼方へと刻まれつづけていた。

 この採掘用パワードスーツがなければとっくに膝をついていたことだけは確かなはず。

 諦めずもう幾度目かの《ALECナノマシン》へ意識接続をしてみる。


「クソッ、ダメか! せめて一瞬でも再接続出来れば救難信号を発信出来るというのにッ!」


 結果は変わらず。いくら繰り返してもDisconnectの文字が視界を横切るだけ。

 回線がなんらかの障害を受けているせいでノアへ信号を飛ばすことが出来ずにいた。

 落盤した底で目覚めたのが1週間ほど前になる。相棒にも等しい助手の腕のみが岩陰にあったことは未だ鮮明に網膜が覚えている。

 しかし絶望している暇なんてなかった。崩れた坑道のさらに下部の奥には目を疑うような景色が広がっていたから。

 そして男は卵型をした硬い鉱石のようなものを再奥にて発見するに至る。


『A”……A”A”……』


「ッ、また目覚めたか!?」


 男は慌ててパワードスーツの脚を止めた。

 僅かに冷静さを欠きながらも外部映像をズームにして周囲様子をくまなく探る。

 あるのは見飽きるほどに見た地獄のような光景のみ。砂礫の地平線と赤褐色の柱だけが延々と広がっている。


『………………』


「探知する回数が増してきている。早急に道を変更すべきか」


 処理しようのない短い髭から滴る冷や汗を拭う。

 この身はおそらく追われている。それも地上ではなくこの偽りの大地の下から。


「クハハ……どうやらお迎えが近いらしい。連中もこの星には死神がいると言っていたよなぁ」


 苦し紛れに感情のない笑みを漏らすだけ。

 もうこうすることしか道はないのだ。だから心が折れてしまわぬよう平常を意識しなくては、壊れてしまいそうだった。

 食料は悲しいことに潤沢だった。キャンプ単位で見れば雀の涙かも知れないが人1人にとってはもう少々粘れる量がある。

 おそらくあの場所に生き残りはいなかったはず。地下を破り飛び出したあの異形によって蹂躙され尽くしていた。

 ゆえにこの身は幸運と不幸の交差点に立たされている。


「まさかなかに生命が眠っているとは……クハハ、誰が予想しようものかよ」


 男はショルダー部位に担いだソレを落とさぬよう担ぎ直す。

 コレはおそらく生命である。冒涜的な道徳の削げた形だが生きている。


『A”……A”……』


「大人しくしててくれや……頼むからなぁ」


 決してソレが人間であるわけないのだ。

 そしてたぶんアレはコレを追ってきている。男の担いだ子供ほどの大きさをした冒涜的な生命を欲している。

 この生命に意味があるとするならこの歪な生命を明かすこと。グループの連中に遠い空で再会を果たすにはせめてこれくらいやり遂げねばならぬと信じていた。

 信じなければならなかった。なぜならこの膝は支えを失った途端、強かに崩れ落ち、2度と大地を踏むことはない確信があった。

 男はスーツの腕部から腕を引き抜く。内側に下がった透明なチューブから温い水を摂取する。


「ンッ、ンッ、ンッ……」


 ……ハァ。こんな状態でも喉が渇いてくれる。

 それだけが男にとって唯一の希望だった。身体だけはこの生命がつづくことを望んでくれている。


「もし何年か後にアレを発見してくれるやつがいるとすりゃあ……それは、お前だと嬉しいがなぁ」


 待ち人の元へ帰ることはもはや叶わぬ願いとなった。

 だからモニターの横で笑うホログラフィックを見る目は優しさと哀愁を秘めている。

 映っているのは花のように愛らしい少年だった。芯のないふにゃふにゃとした笑顔がなんとも愛くるしい。

 その笑顔が一瞬でも曇ってしまうと思うと父親として胸が張り裂けそうな気分だった。

 この孤独な戦いになんの意味があるのか、なんて。幾億という議論を重ねても答えは出ないだろう。


「フゥ、フゥ、フゥ、フゥ! クハハ、ただで死んでたまるものかよッ!」


 ここからは学者としての本能に従うだけ。本能を燃やして止まりかけた脚を踏ん張った。


「もし命が灯らぬ惑星の謎が解明されれば、ここは人間にとって第2の母となり得る! 我が子に安住の地を届けるために死ねるのなら学者として本望だ!」


 そしてまた目的もない前方へと歩み出す。

 人という生き物は大地なくしては生きられない。宙間移民船も数代という果てなき年輪を予測して作られているわけではないはず。

 なぜ人は母なる星を捨て去ったのか。この無限に等しい無謀な宙間遊泳を試みてしまったのか。マザーの語らぬ今となってはすべてが焚書された歴史の闇でしかない。


「クハハ、これで休憩は最後にしようか。そろそろ行こう……なあ、お嬢ちゃん」


 嬉しいことに迷子にはならない。

 この子が危険を予測して導いてくれる。


『A”A”……A”A”……』


 マイクを通して無残な音が内側に響いてきた。

 無道徳は、アーマーの肩にだらりと身体をくの字にぶら下がる。

 足と思しき2本を力なく揺らす、手と思しき2本をどこぞへ彷徨わせていた。


「クハハ、そうかいそっちに行きたいんだな。まったく優秀な道案内がいてくれておっさん助かっちまうよ」


 この冒涜的で道徳を無視するが如く硬い殻に覆われた命は、いざなっている。

 起き抜けで二日酔いのような感じなのか、はたまた身体のどこか重要な臓器かなにかが欠損を起こしているのか。

 とにかくこの物体は1固体で立ち上がったり反抗したりすることさえ出来ぬほどに弱りきっていた。

 男は、僅かに揺れる物体を再度肩に背負い直して歩きやすいよう整える。


「なんだッ!? 風の音が……変わった?」


 と、合金の外側に流れる気流に変化を察知した。


『A”A”A”……A”A”A”A”A”A”……』


「っ、ちょっと静かにしててくれ。なんだこの風に乗って流れ聞こえてくる……音楽か?」


 灰の積もった斑模様の荒野に音色が響く。

 岩の音? 男は脚を止めて耳を澄ます。


「……確かになにか聴こえてくる」


 星の岩が歌うというのは実際にある事象だった。

 過去地球にいた人類たちがすでに発見している事象の1つでもある。

 星の胎動、尖塔やアーチ状の岩が共振して風の音を刻む。加えて天候や湿度などの加減によっても時々で共振周波数さえ変わるというもの。


『A”A”A”A”A”A”……A”A”……』


「この一帯は地殻変動によって隆起岩が多く、尖塔フードゥーなどがそこいらじゅうに発生しているな。しかし人間の可聴域外の周波数に達する岩の音色がここまでまざまざと聴こえるものか?」


 男は脳をフル回転させ学んだ知識を貪った。

 地質学者として学んだ知識。フィールドワーカーとして培った生き方。その2つがこの命を活かす。

 ホォォォン、ホォォォン。尾の長い金管楽器の如き音色だった。

 抑揚ある音が白い空の下を泳ぐかのよう。しかも時折キュウ、キュウという高音にも変化する。


「クハハ、間違いない。これは自然が発する音ではないな。まるで水のなかに響く鯨の唄のようだ」


 男はゾッとする音に背を舐められるような感覚を覚えた。

 裏を返すならこれは転機である。学者というのは常に危険の裏に好奇心を覚えてしまう悲しい生き物なのだ。この宛てのない旅路で調べに行かぬという選択肢はない。

 しかも2重に風向きが変わっていることにだってすでに気づいている。音色が響いてくるようになってからというものこちらにも変化が生まれている。


『A”A”A”A”A”A”……A”A”A”A”A”A”……』


 卵状から拾い上げた生物の活性度が見るからに上がっていた。

 ソレはショルダーアーマーの上でゆるく硬い2本と2本とばたばたさせている。

 乞うように、さすれば求めるかのように。口端から滴るのは透明な体液で唾液によく似ていた。

 瞳の白は漆黒の如く黒く、奥は血のように紅い。そして柔らかい肉の箇所は驚くほど青白く、その至る箇所が硬く分厚い甲殻によって守られている。


「そうかいそうかい。この音のする方へ行きたいってわけかい」


『A”A”A”A”A”A”A”A”A”A”A”A”……』


「クハハ。こんな辺境の星で会ったのもなにかの縁だ。良いぜこの命が吹き消える寸前までとことん付き合ってやろうじゃないか」


 なあお嬢ちゃん。男はスーツの内側で強く張った頬骨を浮かしニヒルに笑う。 

 誘われていく。それでいて他者を遠ざけるような忌避の音色に向かって歩み出す。

 ズン、ズン。去って行くシルエットの上に灰が降り注いで積もっていく。

 そんなとても蒸し暑い日のことだった。



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