42話 その武士は寡黙だった『Silent Night』

 一風変わった木造建築のなかに足を踏み入れた途端、彼はいる。

 ここはノア居住区のなかでも食品関連が盛んな区画だった。

 基本は保存料やら加工品などを扱うフードコートなどが盛んである。宇宙での旅に備え固形化されたものに水や出汁を合わせる食品が主となる。

 しかし多額を積むことにより食という娯楽がより上等へと進化するのも世の常。もっとも繊細かつ優美に食を摂取する施設も同じく存在した。

 そしてそのなかでも和風に設えられた高級和食料理店の奥に、彼はいる。


「ふーっ、ふーっ。ふーっ、ふーっ」


 椅子に腰掛ける姿はさながら武士の如く清淡としていた。

 背筋の代わりに鉄筋でも突き通しているのかというくらい姿勢が正しい。

 和なデザインの竹を模した木椅子には長刀が立てかけられている。緊急時に備えて必ず手の届くところに武器を置いておくことすら彼らしい。

 チーム《マテリアル》の面々は、出入り口から緊張の面持ちで、正面にある逞しい背を見つめていた。


「お、お食事中かな? しかもここはノアのなかでもそこそこ良いお値段をするお店だね?」


「ミナトと同じ額のエルが彼の口座にも振り込まれているはずよ。10万エルあったら1食ぶんくらいの贅沢余裕で出来るわ」


 ウィロメナと杏は食事シーンを遠巻きに捉えながらごくりと生唾を飲んだ。

 彼は細身の類いではある。が、女性にとってあのスーツを浮かすほどに筋張った背筋と、座してなお高い背丈は恐怖の対象になり得る。

 まだ人となりさえわからぬ男に対して恐怖を持たぬはずがない。普段強気な杏でさえ気楽に前へ出ようとはしていない。

 ならば、と。ここで男らしさが発揮される。


「2人ともよく見ておけよ。ぶっちゃけ俺ってこういう場面での立ち回りは得意な方だからな」


 男ジュンが颯爽と前に踏み出す。


「ジュン! アンタ……いえ、ここは確かにジュンの卓越した快活さが生きる場面のはず!」


「そ、そうだね! ジュンに話しかけられて敵意を剥き出しにしていた人なんて……そんなにいないもんね!」


 杏とウィロメナは戦地へ向かう男の背を見守った。

 彼の懐の深さは付き合いの長い2人だからこそよく理解しているはず。だからかその彼に送る眼差しはあるていどの成功を確信している。

 ジュンは、リラックスした足どりで進んでいく。そうやってヤツの斜め後ろで立ち止まる。


「よう大将」


 まずは手を挙げ気さくな挨拶から。

 微塵も敵意のなく警戒を解く軽快な声かけだった。

 しかし大将ならぬ対象は意に返すことさえない。


「…………」


 ちらり、と。横目にジュンを捉えはした。

 だがすぐさま視線は逸らされてしまう。まるで興味を示していない。

 普通の人間であればここで退散するという手が脳裏に浮かぶ。しかしジュンというある意味で全人類の友を地で行く青年に後退の文字はない。


「しっかし噂通りの男前だよな。横顔とか男の俺から見ても惚れ惚れしちまうほどだぜ」


 隣の椅子が空いていることを確認し、自然な動作で横を陣取った。

 しかも唐突な褒めの切れもなかなかのもの。コミュニケーションに慣れている。

 さすがの杏でさえも彼の行動には目を見開く。


「む、無視してくる相手の隣に座ったですって!? なんていう図々しさなの!?」


「待って杏ちゃんジュンを見くびっちゃダメだよ! あれはきっともっと図々しくいくための前段階に過ぎないから!」


 ウィロメナの言う通りジュンは次の行動を開始した。

 ひょいと身体を傾ける。対象を挟んでさらにその隣に立てかけられている刀に目を向ける。


「その刀かっこいいよなぁ。知ってるか俺たちノア生まれは基本みんな同じ《スイッチウェポン》ってのを使い回してんだぜ」


「…………」


 対象はまたも無言でちら、と。己の刀と横のジュンを交互に見やった。

 だが一向に口を食事以外で開こうとしていない。


「聞いたところによれば第2世代能力すべてを網羅してるっていうじゃねーか。ちなみに俺の得意能力は《不敵プロセスだ》


「……第2世代セカンドジェネレーションか」


 ここで初めてまともな反応が返ってくる。

 さすがのコミュニケーション能力と言えよう。青少年であれば必ず興味の湧く武器の話題から数珠つなぎに能力の話題にシフトさせた。これでは心揺らがぬはずがない。

 だが、慌てる事なかれ。ジュンはにっこりと歯を見せながら心を寄せていく。


「俺もアザーに派遣部隊の一員として降り立ったことがある。そしてビーコン屋のチャチャさんやディゲル中将、っと――今はディゲルさんだったな。そこでミナトとも出会って一緒のチームで上手いことやらせてもらってるぜ」


 矢継ぎ早とばかりにジュンの口からぺらぺらと言葉があふれる。

 さらに吐く言葉のすべて事実だった。それでいて過去にアザーに住んでいた対象に対し、己も同じ境遇を経験したということを伝えた。

 目の前の光景に女性陣立ちは若干ほど引きつつある。


「……なんか恐ろしいものを見せられてる気分ね。ジュンが女遊びにハマったら東よりたちが悪いかもしれないわ」


「そこだけは多分大丈夫だよ。だってジュンって人を男女じゃなくて人間として見てるフシがあるから。だからたぶんただのいい人で終わっちゃうと思う」


――杏とウィロメナって実はジュンのこと嫌いなのか? 


 ミナトは、リーダーとしてしっかりしようと心に誓った。

 そしてこの作戦は間もなく失敗する。


「…………」


「んで、これからそのアザーにミナトと俺たちで向かおうってことになってんだ。だから同じアザー経験者のお前の力も貸して欲しいって算段――」


 あちらではジュンがとうとう対象との接触を図るつもりのようだ。

 そっ、と。あくまで図々しくも繊細かつ自然に。あたかも自分は友であるとばかりに手が対象の丸く逞しい肩へと触れようとした。

 しかして助力を乞おうとしたそのほぼ同時に声が遮られてしまう。


「ずずずず、ずずず、ずずずず、ぞぞぞ……」


 凄まじい勢いとボリュームだった

 すするという雑音が本当の意味で店内に木霊する。しかも食うという動作に一切の加減がない。

 これではジュンも手を止めざるを得ぬ。


「くっ……! そうくるかよ……!」


 まさか対象が会話をぶち切るなんて思いもよらぬ。

 きっと彼はここまで一方的な無視を本日以前味わったことがないのだろう。


「ふーっ、ふーっ! はっ、ふっ、はっ、んぐっ!」


 なおもヤツの食事は止まらない。

 錦の如き麺を琥珀色のスープから吸い上げるたび直線的に喉へと流し込む。

 なんという豪快さか。うどんを噛むという動作すら挟まず、すべてを胃の腑に直接押し流していく。

 ずずずず、ぞぞぞぞ、ずず、ずず。みるみるうちに出汁に沈んだうどんの本数が減っていく。


「ちょっとアンタ! ジュンがあれだけ話しかけているのに失礼と思わないの!」


 ここで痺れを切らしたか杏が、2の矢を担う。

 友好的なジュンとは対照で眉やら目尻に怒りを迸らせ、接触を図る。


「ずずず、ぞぞぞ、ずずず……。……?」


「なんか言ったらどうなの! 交渉にきたことは確かだけど無視される筋合いはないわね!」


 もっともな怒りだ。初対面の相手に対して無視というのはただの失礼でしかない。

 対象はちゅるん、と。うどんを口におさめながら杏の方を見た。

 そして僅かばかりの間を置いてからふぅ、と吐息を漏らす。


「すまん」


「……え?」


「ごめん」


「ちょ、ちょっと……?」


「申し訳ない」


 目と目を合わせながら短く伝えられるのは、謝罪のみ。

 これには杏も怒りを忘れ、数歩後方へ、たじろぐ。


「べ、別にそこまで謝って欲しいわけじゃなくて……ただ会話を成り立たせようとしただけで……」


「そうか。なら良かった」


 そして対象はもじもじする彼女を無視し、もう終わりとばかりに食事を再開する。

 こうなるともう打つ手はない。無様に敗北したジュンと杏はとぼとぼと帰ってきてしまう。


「な、なんのあれ……新人類? 私たちと違う世界に住んでいる住人かなにか?」


「俺なんか嫌われるようなことしたっけかなぁ……今までの人生であのタイプはお目に掛かったことなかったぜぇ……」


 敗北者たちはモノクロフィルムの如き乾いて色のない表情をしていた。

 あれだけ自信満々に向かっていってこの始末。というのも対象の場合はあれが常なのだ。

 とりあえず――なんか面白そうだから――黙って傍観に徹したミナトが――ようやく――動く。


「ンッ、ンッ、ンッ、ンッ……フゥゥゥ」


 対象もやっと食事を終えた頃合いだった。

 その類い希なる整いきった面と平行になるまで丼を掲げる。気持ちの良い食べっぷりでうどんの汁まで、最後の1滴さえ飲み尽くす。

 ミナトは、丼がドン、とカウンターに置かれたタイミングで、彼の肩に手を添える。


「うどん旨かったか?」


「ああ最高に出汁がきいてたな。たぶん昆布と鰹の合わせ出汁だ。うどん麺も硬すぎず卵麺とは違い表面はつるつるとしていてのど越しを楽しむタイプだった。それと切り方に機械的な均一さがなかったからおそらく手打ちと見るのが妥当だな」


 途端にあらゆるものすべてが変貌した。

 対象は振り返ることさえなく、品評という名の饒舌を返してくる。

 その光景にチーム《マテリアル》のその他は脱帽の表情を浮かべていた。

 そして暁月あかつきしんは、おしぼりで整った顔全体を拭う。


「俺のところにもアザーへの大規模派遣任務の通達が特別枠として届いてる。それにミナトが俺に護衛を依頼しにくることも予測済みだ」


「オレが追ってくることを知っていたっていうのならもう答えはでてるってことだよな」


 当然だ。まさに返す刀の二言返事。

 信は、ミナトを見上げながら長い指を反らす。


「俺はお前からの頼みを絶対に断らない。これだけは人が死に征く道理より確定した未来を辿る」


 キメ顔でそう言うと、優秀な顔立ちがより極まって見えた。

 もし口説き文句だったら女子の1人2人は軽く落とせそうなほど。神妙な顔つきは美麗な輝きを放ちつづけている。

 解決法は、ただ話しかけただけ。さすがにこれには奮闘した2人だからこそ納得がいくまい。


「ね、ねえどういうことなの!? なんでミナトだけにはそんなに反応するのよ!?」


「そうだぜ!? しかもコミュ症系のやつかと思ってたら滅茶苦茶饒舌に喋りやがるじゃねぇかよ!?」


 しかししょうがないのだ。あと杏とジュンには気づくだけの切っ掛けと情報がとうに揃っているはず。

 まず信に対して恐怖を覚えてしまったこと。これは彼の背景がわからないから。その上ノアの住民たちすべてが未だ暁月信という少年を不鮮明に捉えている。

 それはいったいなぜか? 簡単な話だ。本人が自分を周囲に一切語ろうとしないのだ。

 ミナトは食事を終えて立ち上がった友の横に並び立つ。


「みんなに紹介するよコイツとオレはかなり長い付き合いになる。名前は暁月信だ。それに信は別にコミュ症とか口下手とかの類いじゃない」


 すると信も黙ったまま友の横で静寂をまといながら佇んだ。

 そしてミナトに「ほら」軽く背を叩かれると、暁月信は《マテリアル》のメンバーを正面から捉える。


「俺は人付き合いや人間関係が特に苦手だ、必要とすら思っていない。だからお前らが俺に話しかけてくるのは勝手だが、返答が帰ってくることに期待をしないで欲しい」


「は? でも一緒に戦うならチームプレイとか色々と必要になってくるぜ?」


「その点に問題ないことだけは保証する。たとえ他人であっても敵が定まっているのであれば俺は理由なく助けよう」


 あまりにも堂々とした暴露だった。

 ジュンを筆頭にチーム《マテリアル》は愕然と固まる。

 それをよそに信は手へ長刀をぶら下げる。腰に刀を履く姿には厳格さえ覚えさせられた。

 彼もまたアザー出身者の闇を背負う。ビーコン屋として築き上げた家族――この場でミナト以外を世界単位で必要としていない。


「馴れ合う気はさらさらないが俺も大規模派遣任務に同行しよう。邪魔されることはあっても邪魔になることだけはないはずだ」


 信が語りかけるのもチームではなく彼のみ。

 その優雅ささえ漂わせる目つきもまた1人のみしか見えていない。


「こんな感じでぶっきらぼうかつ人を見定める性格してるけど、絶対に悪いやつじゃないから安心してくれ」


 ミナトは、誇らしげに友を自慢するような態度で胸を張って見せた。

 このように残念なイケメンは、他者を見定めることさえ己の欠点であると思っていない。


「とりあえず俺たちだけで方針を決めるとしよう。腕に覚えのある俺と経験者のミナトは範囲外の危険担当をすべきだ。墓の回収は多重音響バリアの範囲内だから弱い連中にも任せられる」


 屈強な筋肉の浮くスーツの上にくたびれた羽織をばさ、とまとう。

 滑らかな髪をジャケットの内側から掻き上げる。艶やかな女性と同じくらいの長髪がはらはら流れる。

 まるではじめから意思決定が定まっていたかの如く、最強の刀――暁月信が仲間に加わったのだった。

 面々は一抹の不安を抱えながらも死の星アザーへ旅立つ準備が整う。



○  ○  ○  ○  ●

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る