40話 人の蒼に導かれ『F.L.E.X.』

 愛の手には神々しく7色に輝くかぶり物が1つ。

 メカニカルというか管のようなものがあちらこちらから飛び出し循環させているような見た目をしている。


「ぺれぺぺ~のぺ~ぇぇ♪ フレックス値測定へっどぎや~♪ う゛ぁーじょん2.356.1.2ぃ♪」


 ヘッドギアがテンション高く掲げられた。

 彼女が身振りを強めると油断の多い服装が顕著に目立つ。伸びをするよう両手が上げられO字の綺麗なヘソが縦にぽっかり口を広げた。

 そして男子組みの食いつきもまたかなり情熱的で凄まじい。


「うおおお! 待ってたぜこの時をよぉ! 日々積み上げた鍛錬の成果を披露してやるぜぇ!」


「それでフレックス値を計れるのか! ならオレの体内にどれだけの可能性が眠っているかがわかるってことだな!」


 ジュンとミナトは食い気味になって高揚した。

 盛り上げようという空気を読んでいることもある。だが男として滾らないわけにはいかないのである。

 そして目を爛々と輝かせた男たちに愛はよってもみくちゃにされていく。


「これどうやって測るんだ!? 被るのか!? で、なんで7色に光ってるんだ!?」


「これは椅子に座ってリラックスした状態で計るもんだぜ! でもまず俺が先に計るからミナトはそこで見てろって!」


「ちょちょちょ今2人が掴んでるの僕の腕だからね!? あわわわ引っ張らないでぇ!?」


 実のところ装置なんてそっちのけだった。

 ミナトは両手の塞がっている愛にチョッカイをかける。


「よーしよしよしよし! よーしよしよしよしよしぃ!」


「おおおぉ!? 頭ぐしゃぐしゃしないでよぉ!? せめて撫でるなら撫でるでもっと優しくしてぇ!?」


 ふんわりした髪を無理くりわしゃわしゃと乱していく。

 いったいどんなシャンプーを使えばこんなにふわふわとした髪質になるのか。

 指が引っかかるようなこともないほど滑りも良い。ずっと触っていたくなるほ手触りも良くつやつやしている。


「隙あらば僕の頭撫でようとするのなんなのさぁ!? 入院中にお見舞いに行ったときも毎回やってきてたよねぇ!?」


 実際ミナトは愛を猫可愛がりしていた。

 年上なのに小動物っぽい感じが同居していた女性とよく似ていたから。

 杏は、涙目になってなすがままの愛からひょいとヘッドギアを取り上げる。


「はいふざけてないでさっさとやることやりましょ。計画はぽしゃったけどこのあとまだ行くところあるんだから」


 普段と変わらぬ泰然自若たいぜんじじゃくとした単調さで淡々と行事を進めていく。

 まずは7色に光る機械めいた椅子に腰を据えた。それから頭よりも大きなヘッドギアをすっぽりと装着する。


「なんというか……間抜けだな」


「アンタもその間抜けとやらをこれからやるのよ。しかもこの装置の開発発案のすべてを担ったのは愛のお母さんなんだから口を慎みなさい」


 ミナトは杏にキツく睨まれておずおずと引き下がった。

 すっかり髪をボサボサにした愛は、白衣を引いて乱立するモニターのほうへとてとて駆けていく。


「ま、結局のところプロジェクトは途中で凍結されちゃったんだよね。だから完成させたのは僕1人の成果だったりしてっ」


 喋りながら凄まじい速度でキーボードを叩いている。

 まるで白い指のそれぞれが意思を持っているかのよう。鍵盤を奏でるような小気味良い音が間断なくつづく。

 雑に扱われてしまっているが彼女は研究者の両親をもつサラブレッド。アザー出身の学なし職なしにとって遙か高みの存在なのだ。

 そしてミナトは平和になったことでふと気づく。


「あれ? ひょっとしてオレってリーダーとかいう神輿に担がれてるけど、1番の役立たずだったりする?」


 フレックスも使えなければ筋肉も端正な顔立ちもありはしない。

 付け加えるなら家もないし金もない。ないことづくしで先もないことに気づいてしまう。


「命懸けで革命を成功させた救世主がいったいなにをほざいてるんだろうねぇ~」


「ある意味一躍時の人よ。アンタは2日ほど気絶していたけどその間ニュースやネット掲示板で話題が持ちきりだったんだから」


「死をはね除けアザーからやってきた希望の光でしたっけ? ミナトさん格好良いですよねぇ!」


「普段ニュースやら確認しない俺の耳にも入ってきてたぜ。今やこのノアでミナトの名前を知らないヤツなんていねーだろ」


 萎縮するミナトを置いてマテリアルの面々は活気づいた。

 まるでフレックスという未知の能力を使えないことなんて二の次だと言わんばかりだ。

 確かに今の新世界で能力の有無はさして大きな問題ではないのかもしれない。使える使えないが明確な区分だったのはすでに過去の話なのだから。

 みんなに励まされるいっぽうでミナトの内心は、もやもや。内心で曇天がつづいている。


「でもオレもフレックス……使えるようになりたいなぁ」


 がっくり腰からしな垂れるも、使えないわけではない。

 今も左腕に装着している蒼い流線型さえあれば蒼い紐を出すことが可能だ。

 だが、それだけ。ジュンのように鉄壁を張れるわけでもなければ、ウィロメナのように心を聴くことさえ出来ず。なにより身体能力向上という第1世代にすら至っていない。

 ジュンの大きな手が、骨の浮きに浮いた痩せっぽちの背を、気さくに叩く。


「ま、気長にやりゃあいいさ。自分で作った平和な時間でのんびり力を開花させていけばいいだけってなもんよ」


「それにフレックスがすべてというわけじゃないですよ。自分に得意で出来ること自由に活かすのが1番ですからね」


 年長組2人の眼差し――片方の眼は髪に隠れているが――は、暖かかった。

 ささくれだって冷えた心がじわりと温もっていく。次第にへし折れた背がしゃんと伸びていく。


「使える奴らに言われたくないっ!」


「励ましがいがねぇなおい!? しかもなんでちょっと涙ぐんでんだよ!?」


「だって入院中にいろいろ調べたら第2世代に至っているのはノアのなかでも数人しかいないらしいじゃないか! こっちはマテリアルのメンバーが全員使えるからもっとメジャーな感じだと思ってたんだぞ!」


 使いたいものは使いたい。ミナトにとってはただそれだけ。

 欲望だけなら誰にも負けない自信がある。それでも己を責めつづけてなおフレックスはその身に宿ろうとしない。

 もしこの身が第1世代能力にさえ開花していたならば死の星で多くの人間を救えた。もっと多くの命が無駄にならずに済んだはず。

 第2世代に至れるのは約1000人に1人なのだとか。ミナトにとって統計的に1000分の1を引き当てているジュン相手でさえ嫉妬の対象だった。


「はいじゃあ無駄話はそのへんにしよう! まず準備が出来てる杏ちゃんから計っていくよ!」


「早くしてぇ~この装置頭が重いのよ。あと無駄にびかびかしてて鬱陶しいのよね」


 嫉妬の炎を滾らせている間にどうやら装置の準備が整ったらしい。

 愛は、杏の被っている7色ヘッドギアの位置を調節してから椅子のスイッチを「ぽちーっ!」押した。

 すると杏がゴージャスに輝きを放ちはじめる。

 というより爛々と輝く7色のヘッドギアと椅子がより絢爛豪華な光を強めていく。


「まぶしっ! なんでこれこんなにギラギラ光ってばっかなんだよ!」


 どうやら他の面々は慣れているらしくあまり反応していない。

 だが初めてのミナトにとって強烈な光は本当の意味で目の毒でしかなかった。


「え? だって豪華演出とかついていたほうがゴージャス感出るでしょ?」


「ただの演出なのかこれ!? なら電気の無駄だろ!?」


「あ、そろそろ結果がでちゃうよぉ~! 半年くらい前に計ったときの杏ちゃんは300くらいだったから350くらいいってるかなぁ!」


 その時ちぃんっ、というコミカルな音が装置から発された。

 愛の言うとおり7色の光が収束を開始していく。強い光がおさまるとそうでなくても暗い研究室がより暗いような錯覚を覚えさせられる。

 そしてヘッドギアについているモニター部分に360という謎の数字が浮かび上がった。


「おおっすげーじゃん! 予測値を超えて360ってことはかなりフレックスを使った証拠だな!」


「おー杏ちゃんぱちぱちぱち! アザー遠征が決まってからかなりがんばってたもんね!」


 ジュンとウィロメナは嬉々として数値を褒め称える。

 が、こうなってくるともはや知らぬ者は蚊帳の外状態だ。


「ふふん♪ ま、及第点ってところねっ」


 杏は、ひと息つきながらヘッドギアを外す。

 その表情はどこか誇らしげ。ヘッドギアを椅子に置いてから腰に手を上てふんすと実りのある胸を押し出した。

 どうやら彼女にとって満足のいく結果が得られたということが窺い知れる。そしてあれよあれよと他の面々も期待の面持ちで測定を進めていく。


「おいこらなにが及第点なんだぁい? まさかこのままオレに説明なしで進めていくわけじゃないだろうなぁ?」


「きゃあっ!? 唐突に現れないでよ!?」


 杏は、肩越しへぬぅ、と現れたミナトの顔に少女らしい高い悲鳴を上げた。

 しかしそれも一瞬だけ。彼女はふっくらと潤った唇に指を添えてからミナトを追い払うようにしてしっしと手を払う。


「あの測定器は私たちのフレックスの上限値を計るための物よ。ああして体内に存在するフレックス量を大雑把な数字として計測しているの」


「それをするとなんの意味があるんだ? 体力測定みたいなものか?」


「良い線いってるわ遠からずってところね。体力もフレックスも使ったら使っただけ増えていくものなのよ」


 へぇぇ。ミナトは杏の説明に感心しながら感嘆の吐息を吹いた。

 そうして2人は肩を並べながら計測していく友人の様子を遠巻きに見守る。


「やたー! 僕260で前回より40も上がってる!」


「私はぁ……280! 私も上がったけどやっぱり努力家の杏ちゃんにはなかなか追いつけないねっ!」


 愛は260で、ウィロメナは280という数値が出た。

 大まかな様子では想像していたより良い結果が出ているらしい。2人は手を合わせながら野ウサギのように跳ねてはしゃぐ。

 なんとも平和な光景である。ミナトも心穏やかに測定の進行を眺めていると、ルビー色の瞳がこちらを見ていることに気づく。


「1つ覚えていて欲しいのはフレックスという能力の上達は量がすべてではないということよ」


 吸い込まれそうなほど澄んだ瞳がそこにあった。

 頬は絹の如く滑らかな白く、僅かにきかん坊そうな端の上がった目立ち。しかし輪郭は丸みを帯びており未だ幼さを残す。

 色々と忙しくて失念していたがミナトにとって彼女は初めて出来た女性の友達だった。


「つまり大が小を兼ねる一辺倒というわけではない感じか」


「逆に小が大を上回るパターンもあるわ。フレックス値が低い子でも高い子より能力の使い方が上手かったりすることもザラよ」


 ミナトは不意に平静を乱されそうになってしまう。

 それでもなんとか通常通りを意識する。

 そしてこの補填もまた彼女なりの気づかいなのだ。ずっと能力が使えないからといって自分たちに遅れを感じるなという優しさ。

 ミナトは小さな焦げ色の上に未だ包帯の巻かれた手を優しく置いた。


「痛み入るよ」


「なんのとこだか」


 つっけんどんにぷいっ、と顔を背けられてしまう。

 そしてとうとうあちらでは最後となっていた。ジュンの測定結果がヘッドギアに表示される。


「しゃあ1160! 前回の980から大台超えてやったぜ!」


 わっ、と。歓喜と黄色い声で研究室が賑わう。

 彼の数値だけが群を抜いて圧倒的で残酷だった。

 ショックと失望感でミナトの黒目が大きくなる。


「なああれ本当の意味で桁が違うんだけど? 大とか小とかそういうチンケな次元の話とかしてる場合じゃなくない? しかも気を遣われたせいで余計にオレが傷つく結果になってない?」


「こ、こういうパターンもなくはないわね! でもあれはフレックス垂れ流している先天性の才能がなせる特例よ!」


 杏はおたおたと慌てて取り繕う。

 しかし失意の果てに追い込まれたミナトはもう立ち直れそうになかった。

 すでに心が挫けかけている。才能がないことをまざまざと見せつけられている気分だ。

 才能がない。その一言で片付けられたのならどれほど喉のつかえも楽に飲み込めただろう。


「……あっ! ご、ごめんなさい……本当に余計なこと言っちゃったかも」


 杏は、強く握られた拳に気づいて、しゅんと項垂れた。

 彼女はただ優しさをこちらに向けてくれただけ。

 対してミナトは嫉妬し、焦がれ、妬んでいる。しかもそれをとうに己が1番理解している。


――やっぱりオレは……長岡の言ったとおり出来損ないなのか?


 だからといって諦めがつくものか。

 震える拳を額に宛てがい祈るように天を仰ぐ。


「次ミナトくんの番だよ! ありゃ? どしたの?」


 なんでもない。ヘッドギアを手に小首を傾げる愛へいつも通りの笑みを作った。

 1度冷静になるべきだった。悲しそうな顔をしている杏にはあとで謝るとして、とりあえずヘッドギアを受け取る。

 そして重量のあるヘッドギアを装着し椅子に座った。

 なるほどどうしてなかなか緊張するものだ。わくわくしながらこちらを見てくる友たちの視線がくすぐったい。


「実は僕の推測なんだけど、もしかしてミナトくんって意図せずフレックスを抑えている可能性があるんだよね」


「ああなるほどそりゃあり得るかもしれねぇ。フレクスバッテリーないのフレックスを使って第2世代能力が使えるってのに体内フレックスが表面化しないのは抑えるのが癖になってるからかもな」


「でもそのパターンはかなり珍しいよね。とはいえミナトさんの第2世代能力自体が希有だからなんとも言えないのが歯がゆいかも」


 色々と推測憶測の類いが飛び交う。

 そして愛の手によって「ぽちーっ!」もう幾度目かの7色が研究室内を鮮やかに彩る。

 たかだか10秒ほどの沈黙だった。


「…………っ」


 ミナトは目を閉ざす。

 これは眩しいからではないことだけは確かだった。

 誰に送るでもない願いに近い、祈り。

 そしてミナトは瞼を透かす光の雨が止んだことを確認し世界を映す。


「……? ど、どうした?」


 全員が無言で佇んでいた。

 どころかあれだけ浮かれていた表情さえも白ばんでいる。

 誰1人として言葉を発すことはなく、ただ口の前に手を当てて目を丸く見開いていた。

 ミナトは恐る恐るの手つきでヘッドギアを頭部から取り外し、己の側にモニターを回す。


「う、そだろ? なんだよ、これ?」


 信じがたい光景に思わず呼吸さえ忘れた。

 描かれている数字は2つ。それも交互に同じ現象を繰り返しつづけている。

 0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1、0、1延々と……同じ数字が交互に代わる代わる。

 穴の開いたバケツに水が溜まらぬのと同じような感じ。2進数の如く0と1のみを永遠に刻みつづけていた。

 人間は蒼なくして生きられぬという常識がある。ならばこの身は……――生きていると言えるのか?



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