39話 Team《守りあう》『Material』

 すとん、と。崩れ落ちるようにして椅子の上に尻を落とす。

 制服に身をまとった少女は、たまらずといった感じでがっくり頭を垂れる。


「住民登録失敗した……」


 薬品の香る室内に深刻なため息が響き渡った。

 管理棟に向かうも目的は果たせず。これではもはやただの徒労。

 わざわざ出向いて無駄足になったことへの失望感が彼女の周囲にもうもうとまとわりついている。


「誕生日を答える欄に8月32日とか記入してるし……ふざけるなって叱ったら本当にわからないとか言うし……」


 国京くにきょうきょうは、敗北者よろしく両手で顔を覆いつくしてしまう。


「しかもその原因が記憶喪失ってなんなのよぉ……そんな素振り微塵も見せたことなかったじゃないのよぉ……」


 手の打ちようがないため両手の影で嘆くことしかできないでいた。

 管理棟まで辿り着いたところまでは想定の範疇だったのだろう。しかしそこからが問題だった。

 なにせ住民登録する本人が年齢不詳なうえに出生日さえ定かではない。

 その結果、管理棟の事務員に『こ、このケースで登録の前例はないため本日は1度お引き取り下さい』と言われてしまった。そのためしぶしぶ諦めざるを得なかった。


「今日管理棟で登録を済ませたあと色々なイベントを計画していたのに滅茶苦茶だわ……。せっかく退院したからノアを案内してやろうと思ってけっこう前から計画を練っていたのに……まさか初手で躓くなんて……」


 ずっと顔を覆っているためすすけた声は籠もりっぱなし。

 計画を立てていたにもかかわらずなにひとつとして上手くいかず。その落胆具合から察するに杏は相当本日の予定を練っていたのだろう。

 しかしなにぶん相手が悪すぎる。マテリアルリーダーマテリアル1のミナト・ティールには、生まれてからしばらくの記憶が皆無だ。そのため登録に必要な情報がどうあっても思い出せぬ。

 研究室に呼ばれて集った1人は事実を知って動揺を隠せないでいる。


「そ、それってつまりお母さんやお父さんの記憶すらないってことじゃないんですか……?」


 ウィロメナ・カルヴェロはハッとするように口元を抑えた。

 まるでそれが自分のことのような悲観ぶりだ。長い前髪の隙間から辛うじて覗く眼もじわり、滲みだす。

 退院という晴れやかな祝いの場を設けたのにこの始末。和やかなムードのはずが悲壮めいていく。


「じゃあミナトさんはノアでパスの取得も出来なければお給料を受け取る電子口座すら作れないってことですよね?」


「どころか今日帰る場所さえさえままならないのよ……。ノアでは施設の出入りすら逐一記録されてるし、ある意味あらゆる施設が出禁になってるようなものね」


 杏とウィロメナはほぼ同時にがっくりと肩を落した。

 再度ため息の二重奏デュエットが重く吐かれる。

 切っても切り離せぬチームのリーダーが家なき子という現実もまた2人の少女に重くのしかかっていく。

 いっぽうでもう1人のチームメンバーはさして気にした様子がない。

 丸椅子に腰掛けくるり、くるり。白衣の裾を流しながら瞳はALECナノマシンの画面を泳いでいる。


「でもそれでようやくはっきりしたこともあるんじゃないかな?」


 ピタリ、と。靴裏でスクラッチの如く回転を止めた。

 丸くくりくりとして愛らしい目が画面から上がる。


「身心喪失状態でアザーに送られたってことは、我らがリーダーは犯罪を犯してアザーに送られた野蛮人じゃなかったことだよね」


 美菜みなあいは、幼顔に蠱惑な笑みを浮かべた。

 花の蕾が綻ぶよう頬が緩むと、2人の少女たちの顔にもぱっと光が灯る。


「た、確かにそうっ! 長岡晴紀が艦長を務めていたころならありえたことだもんねっ!」


「フレックスが使えないだけなら能力開発の余地はあるわ。でも心も無い状態となると……あのクズ艦長ならそれくらいの非道余裕でやってのけるでしょうね」


 雨降って地固まるとはまさにだ。意図せずリーダーの無罪が証明された。

 結局ノアの住人登録は出来ていないのだが、考えようによっては必要な工程だったのかもしれない。

 愛は、なおも画面の項目に視線を滑らせながら朴訥ぼくとつと目を細める。


「記憶喪失でフレックスがまともに使えなくてアザー暮らし。不幸のビンゴカード4ライン開いているような状態だねぇ~」


 そうやって画面を見ながら時折「うへぇ……」と形の良い眉を寄せていた。

 先ほどから彼女が見ているのは、誰かの検査結果。しかもよほど結果が酷いのか顔色は良好と言えない。

 杏は、ほっとひと息つきながらテーブルに頬杖を着いて顎を乗せる。


「そこに住所不定無職を付けて5ラインオールコンプリートよ。そんなヤツをただの一般人の私にいったいどうしろって言うのよ」


「きょ、杏ちゃんがんばっ! 私にも出来ることがあったらなんで言ってねっ! が、がんばるから!」


 ぐぐっ、と。両腕に押された暴力的な部位が主張を強めた。

 その身にはどこぞの科学者が発明した異次元スーツを身にまとってはおらず。ちゃんと清純さを意識した服というやつを着込んでいる。

 それでもウィロメナが気合いいれたぶんだけジッパーが閉じきらぬほど上着からあふれた大鞠がたわむ。


「でもまっ。言って彼ってばノアの英雄だもんそれほど長く待たされることはないはずだよ」


 愛は、楽観的なことを口にしながら画面を閉ざした。

 それから丸い膝をぴん、と伸ばす。振り子の要領で勢いをつけて立ち上がる。


「身体的問題はオールクリヤー! 検査結果はおおよそ――不・健・康ッ!」


 彼女が万歳しながら言うと、2人はぎょっと素早く顔をそちらへ向けた。

 と、唐突にエアロックの外れる音がして長身の青年が部屋のなかへ駆け込んでくる。


「わりぃわりぃ! これでもけっこう飛ばしてきたんだが、ちっと遅れっちまったか!」


 止まると同時に背後で蒼の残光が揺らいだ。

 フレックスの身体能力向上効果を使って急いで走ってきたらしい。

 そのおかげか息は上がっていないが慌ただしくもある。


「すまん! 親父の出迎えにいったら予想以上に時間食っちまった! 埋め合わせはするから許せ!」


 遅れてやってきたジュン・ギンガーは、拝むよう両手を合わせた。

 平謝り。もとより時間にシビアな性格もあってか自分が遅刻したということが許せないらしい。

 そんな彼の幼馴染みはいつものこととばかり。遅れた彼に問い詰めることもなくウォーターサーバーから汲んだ水を渡す。


「大事なお父さんとの再会だったんだからしょうがないよ。アザーからちゃんとノアに帰ってこれたことがわかっただけで十分だしね」


 はい、さんきゅ、と。訳知ったる間柄でのみ許される流れるような受け渡しだった。

 受け取ったジュンはコップの水をひと息にぐびりと飲み干す。


「あっそうだ! ディゲルさんとチャチャさんもしっかりノアに上がってきたのを確認してきたぜ! 東の野郎が2人の出迎えに出てたっぽいからしっかり約束守ったみてーだ!」


 そう言って白い歯を見せ屈託ない笑みでにひひ、と笑う。

 見せられた者たちも吊られて笑ってしまいそうな太陽の如く晴れやかさ。暗く淀んだ気配さえ彼がいるだけで中和されるというもの。

 しかし現実はそう甘くはない。愛は白衣を引いて彼の横に並び立つ。


「はいこれ、ミナトくんの検査結果ね」


 指を滑らせデータを送る。

 資料を受け取ったジュンの笑みがみるみるうちに凍り付いていく。

 口角がヒクヒクと痙攣し、次第に動揺は叫びに変わる。


「おぉ? お、おお、お? ――マジかよこれッ!?」


 他の女子たちも興味津々とばかりに彼の画面に殺到した。

 そしてジュンと同じく目を剥き驚愕を口から吐き出す。


「た、たた、体重38kg!? これ測定ミスとかじゃないの!?」


「し、しかも体脂肪率4%って書いてありますけどぉ!?」


 杏とウィロメナは羨望の眼差しで「「羨ましい!!」」迫真めいてハモった。


「そうじゃねぇだろ!? なんで世界の女が嫉妬するみてぇな流れになってんだよ!? 俺とそう1、2歳しか変わらねぇってのに痩せすぎだっての!?」


「だから言ったでしょ彼おおよそ不健康だって。でもその他の項目は栄養失調さえなければオールクリヤーなわけなんだけどね~」


 屋内全員の驚愕呆然とした視線が壁際へと集っていく。

 そこには世界が羨んで止まぬ少年が、いそいそと慣れぬノアの制服に袖を通している。


「……検査終わったらならもう帰って良いかな?」


 彼の放った一言によって空気が静止した。

 その直後にチーム《マテリアル》のメンバーから「良いわけがない!!」という四重奏カルテットが爆発する。愛の研究室へ4人の声がかんかんに反響した。

 まずもってして革命を成功に導いたミナト・ティールに帰る場所なんてないのである。幸運なことにも辛うじて故郷と呼べる死の星アザーにさえ戻る必要はなくなった。

 7代目人類総督との死闘を演じてからすでに数日を経た。潰れた両拳や打撲裂傷の類いもほぼ全快と言っていいまでに回復している。

 そしてあれから方舟――人類を運ぶ船――宙間移民船ノアは、平和な日常を取り戻しつつあった。


「それじゃあ晴れてよりチームマテリアルの全員が揃ったことだしそろそろメ~ンエベントといこうじゃないか!」


 そう言って愛は、丸椅子の上に小ぶりな尻をすとんと落ち着けた。

 手には科学的な配線が飛び出た帽子のようなものが掲げられている。


「この場にいる全員のフレックス値を丸裸にしちゃうよんっ!」



……………

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