38話 8代目人類総督の憂鬱『Code Break』

 視界に留まるモニターを意識的に消灯する。

 長時間に及ぶ執務ですでに体中が固まってしまっているしそろそろ集中力も散漫となっていた。


「んんっ、~~~~っ!」


 背を弓なりに肩を回し伸びをする。

 胸部の豊かな山なりがぐぐ、と押し出された。肌を透かし肉を浮かすスーツが窮屈そうにみちみちと横皺を深くする。

 筋肉を動かすとポンプ代わりになって血流が全身くまなく巡った。あまりの気持ちよさにガラスのような喉が声なき高い音を漏らしてしまう。


「おつかれのようですね。コーヒーでも如何ですか」


「ああ、もらうとしよう。脳が糖分を欲しているから砂糖は多めで頼む」


 受け答えしつつ首を回す。

 関節がごりごりとしこれもまた気持ちが良いものだ。

 傍らに待機する秘書の青年は「かしこまりました」と、気さくな笑みで棚へ豆を取りに向かう。


「本日は東中将監修によって完成なさったノアブレンドをお淹れ致しましょう」


「そのへんにこだわりはないから好きに淹れてくれ。それとあの男はもう中将ではなくただ女たらしの中年だぞ」


「おや確かにそうですね。これは失礼致しました」


 にこにこ、と。わざとらしくない笑みで青年は手際よく湯を用意していく。

 管理棟最上階に位置する艦長室は、本日も厳かな静粛と燻した豆の香りが充満する。


「そういえば君もまだ二十歳そこそこだろう。わざわざ退屈な管理棟勤務なんてせず能力開発側に回れたのではないか」


「あちらにお誘いいただきましたが丁重にお断りさせていただきました。なにより僕は内勤向きなんです。根っからのデスクワークタイプというか肉体を使うことはあまり得意ではないので」


 喉を潤すまで他愛もない雑談に興じる。

 こうして言葉を発すことも休息の一部なのだ。黙々と作業していることのほうが疲れるというもの。


「相も変わらず草食を極めきったような男だな。外で身体を動かしていたほうが時の巡りも早いだろう」


「今の時代女性のほうがお強いのです。きちんと精神を養うことさえ可能ならば男よりもよほど完熟なさっておられますゆえ」


 湯のコポコポという気泡を破裂させる籠もった音が耳心地良い。

 豆の匂いに鼻をくすぐられながらミスティ・ルートヴィッヒは、アンニュイめいたため息を吐く。


「こうして艦長の椅子に座るとどうにも尻のおさまりが悪いものだ」


 尻をもじりと揺らす。

 疲れた目頭を抑えながら天井を仰いだ。


「運動不足ではないのですか。下に血が降りていると臀部もむくむと聞きます」


「そういう意味ではない分不相応ということだ。誰が唐突に自分の尻の大きさをわざわざ主張する」


 この執務室の椅子はずっしりと肉の詰まった幅広の尻すら大いに沈ませてくる。

 なにせ艦長室は真っ赤な絨毯が敷き詰められており調度品もほぼすべてがアンティークで揃えられていた。

 どこの阿呆がこれほどの贅を尽くしたのかはさだかではない。が、重厚な木目の机も、漆と胴の食器棚も、パンの如く焦げ色のある本革のソファーも、どれもこれもが1級品で無駄ばかり。


「果たしてこの部屋をデザインした人間は見栄かはたまた趣味か。私はどうにも気が合いそうにない」


「いちおう面目やら威厳というものを備えるためでもあるのでしょう。人類総督の座につくということは品位あることなのです」


 それを聞いてミスティは僅かに片側の頬を膨らます。

 ちょっと反抗的な気分を滾らせた。好き好んでこのような位に就くものか。良いように押しつけられただけ。

 椅子を引いて長い足をどっかと執務机に放り出す。背もたれに薄い背を預けるともう1度ぐぐ、と伸びをしてやった。


「では今代人類総督は豪胆という方向に舵を切るとしよう。人類総督様なのだ傲慢とは言わせん」

 

 踵をすえた色した木目に置き投げ出す。

 それから得意げな横目を細めて青年の方へ視線を投げる。

 しかし彼は一変足りとも表情を崩すことはない。


「艦長だけに舵を切るのはご自由に。それと眼福なのですがコーヒーをお淹れしたのでそのお美しいおみ足を退けて下さると助かります」


「……」


 なんとも人を食ったような青年である。

 精神的な熟し方でいえば50、60と言われても信じてしまいそう。

 言われて渋々姿勢を正す。と、ミスティの前に淹れ立てのコーヒーがコトリと置かれた。


「それでは執務休憩ということですので先ほど送られてきた調査報告のほうは後に回しましょうか」


「今でいい。聞きながら休息を取ることくらいは容易だ」


 ミスティはお気に入りのマグカップに手をかける。

 香りを昇らせる蒸気を回すようにして楽しむ。熟成させた豆を焦がした芳しさを鼻腔を通し肺いっぱいへ流しこむ。

 脳がとろかされるような快楽だった。疲れてすさんだ心を癒やしてくれる。

 コミカルな猫のカップにキスをするようコーヒーを口に含む。ほどよい良い甘さが舌を滑っていく。


「では調査に入っていただいたチーム《天使の工具箱エンジェルスパナ》からのご報告をお送り致します」


「なんというか斬新なチーム名だな。確かメンバーは……ああ、重工に就いていた子たちか。なら得心がいくな」


 ミスティがコーヒーを楽しんでいると、正面に立った青年は空間へ指を滑らせる。

 すかさず、ぽん、と。送られてきた電子書類の宛名には、藪畑やぶばたけ秘書と登録されていた。

 ミスティは、マグカップへ口を付けながらメールを開封し、なかの資料をロードする。


「……相変わらず、か」


 立ち昇る蒸気の影で形の良い眉が意図せず寄った。

 資料の1行目に書かれている文字は、航行不能。さらにつづくのは、依然として詳細不明。

 それつまり宙間移民船ノアが未だこの宙域から抜け出せぬことを示唆している。


「浮沈なれど不能。コアであるマザーコンピューターの再起動を行ってもなおノアへ干渉出来ずじまいとのことです」


 藪畑は盆を添えた肩をすくませた。

 現状、このようにノアへ対するアプローチはすべて拒否されてしまっている。

 しかしミスティはとくに気にもせず資料を流すよう読み進めていく。


「なんらかのシステム系のバグか、あるいは物理的損傷か。ともあれこの船は特別すぎて手の施しようがないのが実状だな」


 ほぼわかりきっていた事態である。いまさら、というやつ。

 なにせこのノアは父や祖父の代よりもずっと以前から人類からの接触を拒んでいる。


超過技術オーバーテノロクジーであり喪失技術ロストテクノロジー。我々現人類の手に余りすぎる未開と未知とは……幻想的、ファンタジーチックとでも言いましょうか」


 藪畑も含めノアの民はみな知っていることだ。

 ゆえにそれほど意に返すことはなく――危機感がないわけではないのだが――次の資料へと話題はシフトしていく。


「……? 建造ドックにて謎の船が確認されているとはどういうことだ?」


 ミスティは資料に書かれた文字に目を落としながら小首傾げた。

 読み進めていくとなにやら物々しい。日常とは遙か遠くにある製品ばかりが発見されたと書かれている。


「建造ドックにて謎の船が数十ほど。それと民の数を凌駕するほど多くの武器の発見。そしてノアへ換装可能な砲やら装甲が資材の限り無限と作られつづけていたらしいです」


 作られていたということは、今は生産が止まっているということ。

 ミスティは優美な尊顔に影を落とす。


「長岡か」


「そうなるでしょうね」


 思考間もなく元凶が定かとなる。

 藪畑もどうやらわかっていたようで肯定が早かった。

 だがミスティはそのもう少し先をいく。


――長岡……貴様いったいなにに備えていた? なにに対して怯えていたというのだ?


 こればかりは一朝一夕で手に入る才覚ではない。

 上に立つという責任にどれだけ揉まれたかということが重要だ。

 先を読み指示とするのは将棋やチェスなどに似ている。


「アザーから回収した資材のほとんどがそのラインに流されていたようです」


 ああ、それと。藪畑は長く美しい指をパチンと鳴らす。


「ノア内部に恐ろしく大量のフレックスが貯蔵されているらしいです。そしてソレはALECナノマシンでも確認可能なのだとか」


 そのまま指を自分のモニターへと滑らせた。

 出てきた画面をミスティに共有する。


「ッ、なんだこれは? ノアの民すべてにこの謎のソフトウェアが行き渡っているということか? 誰がそのようなデータをアップロードした?」


「今のところまったくの不明です。が、アップロード時刻から見るに革命後すぐノアの民全員にナノマシンアップデートが掛けられています」


「……人類全体に対し一斉にということか」


 気色悪いな。なにやら生ぬるく不穏めいた空気が漂う。

 管理者権限さえ無視のアップデートとは穏やかではない。しかもそこから得られる情報は自分たちのフレックスに関わっている。


「長岡が生きてさえいれば自白剤を用いて調査も可能だったのだがな」


 ミスティは今なき元凶に対し指の爪を口惜しく噛んだ。

 聡明な彼女であっても討伐された先代艦長の意図がまるで読めなでいる。

 アザーから回収した物資の流用、ノアへと貯蔵した多量のフレックス。そのどちらもが人類に対し圧政を敷いてまで強行したもの。


「悔やんでも仕方ないですがなにやら行動に一貫した強い信念のようなものを感じざるを得ませんね」


「でも――そこに道徳や正義、正当性はない」


 ふと部屋に存在しないはずの肉声が響く。

 発生源は藪畑のすぐ後方だった。執務室の扉前には先ほどまでなかった形が存在を開始している。


「チーム《キングオブシャドウ》帰還。命じられた通りフレイムウォール解除を行った人物に接触」


 羽織ったローブが徐々に姿を現わしていく。

 そして光学迷彩が解除されると1人の少女が明るみとなった。

 しかも姿を現したのは、彼女だけ。その両隣には他の気配が佇んでいる。


「相変わらずの神出鬼没具合ですね。いつ部屋に入ってきたのか気づきませんでしたよ」


 藪畑はぽん、と手を打ち彼女たちを歓迎した。

 扉の開く気配にさえ気づけなかったらしい。

 ミスティはいちおう視認し知っていたが、耳と気配のみならば気づけなかっただろう。

 それほどまでに影は影として役割を果たしている。


「リーリコさんもコーヒー如何ですか?」


「いらない」


 歓待する藪畑に一瞥すらくれやしない。

 チーム《キングオブシャドウ》のリーダーは彼の横をするりと通り抜けた。

 歩みに音は付随しない。どころか目の前にいるというのに実感すら与えてこない。

 そうして少女は8代目総督の前へと歩を進めると、淡々とした口調で調査結果を報告する。


暁月あかつきしんという少年はフレイムウォールを解いていない」


 ミスティが彼女たち《キングオブシャドウ》に依頼したのは、炎獄に関することだった。

 炎獄――《フレイムウォール》。ここノアの中核である管理棟を包んでいたナノマシンを暴走させる死の壁に関すること。

 あの紅の世界に関与出来たのはたったの3人だけ。そのなかでも暁信という少年のみまったくのアウンノウンでしかないため警戒の対象となっている。


「どころかコンサーヴェーションルームからでたときすでに消滅していたらしい」


「つまりフレイムウォールは勝手に消え失せたということか?」


 ミスティの問いにローブの少女はゆるゆると首を横に振る。


「それはわからない。私たちで得られた情報はそれだけ」


「ならば信という少年が長岡晴紀が死してなお結託しつづけているという可能性についてはどう考える?」


「それについては時間がかかる。ただ彼は長岡が人類のために戦っているという嘘に騙されていたらしい」


 そこまで言って少女は目深に被っていたフードを脱ぐ。

 ジッパーを摘まんでするするとローブの前を開いていく。


「報告は以上。今のところ暁月信に怪しい動き……というより敵対の意思は見られない」


 はらり、と。脱がれたローブが足下に落ちた。

 スーツは服のすれがないようぴっちりと肌に吸い付くようセットされている。そのため抑揚ある肢体が浮き彫りになってしまっている。

 しかしそれでも彼女は恥じ入ることさえせず無の表情を保ったまま。格好も佇まいも1流の影の様相だった。


「……」


「……」


 そして背後で影に徹している彼女たちも、そう。

 8代目人類総督の影となってノアのなかで暗躍をつづけていた。

 彼女たちチームがそこまでの情報を持ってきてくれたのならば、こちらのやることは1つきり。


「……長岡の生命とフレイムウォールの稼働が同調していたのかもしれないな。そうなるとあの少年はただ長岡に騙されていただけというのも頷ける」


「調査、つづける? 彼、結構慎重……というより女性が苦手。だから情報引き出すのめちゃ大変」


「張り付くほど警戒することはしなくていいだろう。いちおう一般的な少女として過分にならないていどの接触を試みつつ警戒しておくという点のみをつづけていって欲しい」


「了解。リベレイターの友だちを続行する」


 こくり、と。彼女は機械的な動作で頷いた。

 と、同時に横からコーヒーが差し出される。


「影に徹しないのであれば飲めますよね」


「……しつこい。でもその通りだからいただく」


 藪畑はニコニコとした笑顔で彼女がコーヒーを飲む姿を眺めた。

 芳しい匂いがつかぬよう気を配っていたのもまたプロ意識のたまものだろう。その証拠に背後の2人は透明なまま影に徹しつづけている。

 そんな頼りになる部下たちを置いてミスティは白羽織を揺らがせ立ち上がった。


「闇に光が現れたのと同じく光あるところには闇が集う……か」


 座り心地の悪い椅子の背後には、ガラス越しに艦橋地区がわあ、と広がっていた。

 どころかこの最上階からならば革命の戦場となった居住地区すら一望することが可能だ。

 まるで絵のように広がる街で、蠢く小さな粒1つ1つに命が宿る。いまや互い互いに世界を持ち他者の世界と寄り添いながら歩む。

 これが本当の人類の暮らし。これが総督となった彼女が本当に守りたかったもの。


「む……?」


 僅かに神経質そうな眉がひくっ、と動いた。

 なにやら胸の膨らみの下。そのもっと下に見える管理棟麓辺りに面白いものがある。というか、いる。

 ミスティは興味本位でそこにいいる2人を注視し、ALECナノマシンの機能を用いて遠くの音を拾う。


『いやだー! オレはもうあんな退屈な場所に帰るもんかー!』


『退院したから帰らなくても良いけどまだ安静にしてなきゃだめなんだから暴れるなっ! それとアンタはこれから住民登録やらを済ませないと口座すら作れないんだから我慢しなさいっ!』


 賑わう往来のなかでいっそう賑やかなのがわいわいやっていた。

 1人は少年で、少女によって首根っこを掴まれている。

 どうやら目的地の管理棟へ引きずられている真っ最中らしい。


『いの一番にやるべきは住民登録と住所登録! あとこのあと愛の研究所で人間ドックに入ってワクチンやらなにやら済ませなきゃいけないのよ!』


『オレは拾われた捨て犬かなにかか! 求むぞ人権!』


 完全に男女という力の差は逆転しきっていた。

 どれほど少年が暴れても少女は気にしてすらいない。


『ずっとアザーで暮らしてたんだから似たようなもんでしょ! しかもこのままだと革命の報奨金とかが振り込めないし退院しても行く場所ないんだからちゃんとしてよね!』


『報奨金って……いくら?』


『10万エル』


『……物価がわかんねぇから喜びにくい』


 そのままずるずると引かれながら管理棟ロビーへと入っていってしまう。

 困窮と暗雲の残滓は未だ絶たれず。人類は揺り籠のなかただたゆたうのみ。

 しかし彼が壊した。壊してくれた世界の後には、新たな世界が今まさに構築されつつある。


「さあ私も休憩はほどほどにして仕事に戻らねばな」


 ミスティは窓際でもう1度伸びをし踵を返す。

 悩んでいても仕事は増えるばかりだ。ならいっそ民たちの幸福のために地盤を築くことに全力を注ぐほうが効率的というもの。


「おやなにやら嬉しそうですね。なにか素敵なものでも見たのですか」


「ああ。だから私も大人としてきちんと約束を守らねばならぬことを思い出したよ」


 とにもかくにもトップの座についたのであれば責務を果たすべき。

 あの日差し伸べられた手は確かにこの手を前に引いてくれた。追い抜いていった勇敢な背に誓いを立てる。


「では。まずはライブ会場を作れと毎日プラカード持参で管理棟に突撃してくるチーム《スペイシースパイシーガールズ》の件についてですが……」


 藪畑が久しく見せない困った笑みを浮かべた。

 今日の就労もまた苦戦しそうな気配が漂っている。



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