Chapter.2 【Team AEGIS ―アザー―】
37話 今日の良き日に潜む影色『Reunion』
「おう」
素っ気なく、太く低く無骨な挨拶だった。
男らしいといえば男らしいし、彼らしいといえば彼らしい。それに再会を祝すことへ多くの言葉は必要ない。
「この間送ってきたあのノアブレンドとかいうアレ、そこそこ気に入ってんぜ」
「はっはぁ。お気に召していただいたようでなにより。あれは俺のおごりだったがこれからは街で購入出来るというのも実に景気の良い話だな」
見つめ合った互いの目が僅かに細まる。
それから言葉もなく利き手を差し出し固く結ぶ。
彼の手は、なめす前の革くらいぶ厚く凹凸ばっていた。指付け根辺りなんてこちらの拳くらい皮膚が硬い。
そんな彼の苦労を身に沁みながら
「よくぞ無事帰還を果たしてくれた。我が旧知の友にして方舟の英傑よ」
「オメェのためじゃねぇよ」
言葉とは裏腹に、とはまさにだ。
死の星より帰還を果たしたディゲルは、ニッと白い歯を見せる。
「だが感謝でもしてくれるってんなら1杯くらいおごれや。こちとら断酒を強いられて舌と鼻が酒を忘れちまってんだ」
「はっは。乞われるまでもない熟成された良い酒を用意してある。男と飲み明かすのだけはご勘弁願いたいところではあるがな」
軽口を飛ばしながら結んだ手を解く。
長い時間男同士が肌の繋がりをもつことに価値はない。ない、と断言してしまうのは反感を買いそうではある。が、少なくとも東としてはそれもご勘弁願いたいところだった。
再会のひと幕を背景に、ここフライトエリアへは
さながら親鳥のもとを目指す雛たち。無重力空間を懸命に羽ばたく雛たちはフライトコントロールを終えて巣へと着艦する。宙間移民船ノアは向かってくる地上人たちを乗せた船を次々に積載していった。
と、待機していた列から1人の少年が飛び出す。
「親父ッ!」
「ジュンッ!」
垂直離着陸機から降りてきたのは、やつれくたびれた男だった。
そして親子はぶつかるくらいの勢いでひしっと抱き合う。
それ以外の場所でも似たような光景が繰り広げられている。今このノアの玄関口は再会の涙に濡れていた。
なんの知らせもなく絶たれた絆を確かめ合うかのよう。血縁、友人、仲間たちが幸福と再会を唄う。
東は、その光景にまたも沁み入る感情を覚えながら目の前の大男に視線を戻す。
「……む?」
ふとなにかがいることに気づく。
ディゲルという大壁の如き巨漢の背後に、なにやら白い影がもぞもぞしているのだ。
よくよく見れば白い影は少女で、しかも忙しなくこちらをちろちろしているではないか。
「ささっ、さっ! さささっ、ひっ!? まだこっち見てます!?」
どう見ても美少女だった。
まさかそんな子が大ボス巨漢の背後に隠されているとは思うまい。
見た目はおそらく年齢以上に若い。体格は若干細身過ぎるくらいか。とはいえ清楚かつ素朴な白のドレスワンピースの女性として主張する部分はきちんと主張している。
「わ、私の冒険は早くも難色を示しています! しかもいきなりの強敵です! ここはノアですし女性もいるとはいえ男性だって多いことを忘れてました!」
筋肉の塊から半分ほど愛らしい顔を覗かせていた。
どうやらこちらを見て怯えているらしい。なにやら早口で心の中実況のようなものも垂れ流している。
少女のくりくりとした丸い瞳は、目の前の中年を見ては離しを繰り返す。
「フッ……まさかこの俺の紳士センサーが見逃すとは……」
東は己の失態を恥じた。
あのような愛らしい小動物がこの場にいて挨拶すら出来ぬとは。
恥じながらもすかさず高官衣の内側から1輪の花を取り出す。
「やあ愛らしい雛鳥ちゃんそんなに怖がらないでおくれ。俺はこの巨漢と腐れ縁かつ友人な人畜無害の男さ」
かしずき構え差し出す。
それは明るい髪色をした彼女へ送るための一途な思い。
「さあ受け取ってくれたまえ。蕾の花の少女ちゃん?」
片目を瞑り星を飛ばす。
しかし僅かばかり距離が詰まると、それだけで彼女は「――ぴぇっ!?」と高く鳴いた。
少女はさぁ、と青ざめてより深く筋肉の壁に隠れてしまう。
――フム。これは時間をかけるべき対象だな。
東は、予想以上の難関と捉え、即座に姿勢を戻して距離を離した。
引くときは引く、押すときは押す。口説くのであれば引き際をわきまえねばならないのは、もはや鉄則だ。
受取手のいなくなった黄色い花を服の内側へ再び忍ばす。
「やめとけやめとけ。ってかテメェなんでパンジーなんてもん服の内側に仕込んで持ち歩いてんだ」
「女性のタイプに合わせるためこれ以外の花も用意してあるぞ。ちなみにパンジーの花言葉は私を思って、だッ!」
「だっ、じゃねぇんだよ! いきなりにしてはずいぶんヘヴィなもん渡しやがるじゃねぇか! 女じゃなくても気持ちわりぃってわかんぞ!」
東は、蚊を払う素振りをするディゲルを意に介すことなく、白い衣の襟を正した。
少女は「き、強敵です……!」その様子をおどおどと滲む瞳で見つめているだけ。
一向に出てくる気配もなければ言葉を交わそうとするチャンスすらないとは。
――ふぅん。データベースから削除されていたためご尊顔を拝む機会には見舞われなかったのだが……
「え、ひぇ!? どうやらあの人がラスボスですね!?」
目が合うだけでこの始末。
到底男女の恋仲になるのは先の話になるだろう。
――どうやら彼女が先代、いや先々代艦長の愛娘チャチャか。
どうやって籠絡したものか。
東は、これからの付き合いを構築するため矯めつ眇めつ下調べを開始する。
するとチャチャは目に大量の涙を浮かべ、ディゲルのみちみちに張り詰めたタンクトップの腰辺りを必死になって引く。
「な、なんかすっごいこっちを見てきます! ディゲルさんあの人って本当に安全な人なんですか!」
「安全じゃねぇぞだから間違っても近づくなよ。自分を人畜無害って言う男ほど女には有害だかんな」
「は、はい! 了解です! わかりました! 気をつけま、しゅ!」
どうやら東の企みはとても難航しそうだった。
あの《人類再誕の日》とさえ称される革命から幾日が過ぎた。たった1人の少年の覚悟によってノアを震撼したのだ。
ゆえに
そして東の前にいる大男もまた先代人類総督『長岡晴紀』の謀略による被害者である。
「で、アザーをあのまま放置するって手はさすがにねぇわな。いくら危険がつきまとうとはいえノアだって物資は欲しいわけだしな」
そんな彼こそがアザーの民の犠牲を最小限にまで抑えた英雄だった。
この大男がアザーに秩序を作らねばアザーの民たちはとうに絶滅していたに違いない。それにこの場で人々の再会が唄われることさえなかったはず。
東は、気だるそうに肩を回すディゲルへふふ、と笑む。
「おおっと! これは認識外だった! アザーに詳しい優秀な人材がいないと物資管理などが上手く回らなくなってしまうなぁ!」
わざとらしい口調で目をキョドキョド踊らせた。
あたかも優秀な人材がどこかにいませんか、とばかりに捜索する。
「なんということだ! これでは革命に奮起してくれた若人たちに示しがつかない! あぁ~喜劇と思われたがこれは悲劇の始まりだったに違いない!」
ああ違いない! 薔薇を咥えてタンゴのリズムを踏む。
情熱に当てられたディゲルは、世界を閉ざさんばかりに目を細めていた。
くさい演技を終えた東は、指を立てて目端をすぼめる。
「報酬の相談は受け付けてるぞ。俺に出来ることはお前の新しい家族たちに一般的教養と無理のない勤労そして平穏を約束出来ることくらいか」
「出稼ぎしてきたからな稼ぎはそこそこある。とりあえずは住む場所をなんとかしてくれりゃあ上等だ」
はじめから作られていたような流れだった。
ディゲルは迷いもせず大木のような首を縦に振る。
それに東も「薔薇いるか?」「いらん」彼を友として信頼している。
「ああ、そうだ」
ディゲルは腰にしがみつくチャチャの頭にそっと触れた。
明るい髪を潰さぬような慈しむが如き優愛な手つきだった。
「アザーに作られた墓地から遺品やらも回収しておいてくれや。あそこにはクレオノーラも眠ってることだしな」
とあるなが上がると、少女の華奢な肩がひくっと跳ねた。
そして東は「……そうか」1を知り、すべてを理解する。
――その少女こそが妻の忘れ形見……か。
この胸中にわだかまる思いは、悔しさと呼ぶ。
ディゲルは愛する妻をアザーへと追いやられた。そして彼はクレオノーラのため自発的にアザーへと墜ちたのだ。
きっと到着したときには手遅れだったのだろう。クレオノーラを知る東にはソレが良くわかった。
彼女は自身の身を差し出してまで、当時罪人の流刑地だったアザーで、1人の少女を守り抜いたのだ。
悪漢蔓延る法なき世界に女がただ2人となれば悲惨だ。今でこそ成長しているが、当時は9年前ほど。チャチャという少女がその環境で仕打ちに耐えるにはあまりに若すぎる。
「あ、ああ――あのっ!」
唐突に悔やむ思考へ高い声が割って入った。
東が顔を上げると、そこでは少女が震えている。
震えてなおなにかを伝えようと奮い立っている。
「お亡くなりになってしまった方々の回収どうかよろしくお願いします!」
ばっ、と。音がしそうなほどの勢いで小柄な頭が下げられた。
東は熱と汗の滲んだ手から力を逃がす。
「駒鳥ちゃん。お名前を聞かせていただけるかい?」
「ちゃ、チャチャです! チャチャ・グルーバーです!」
彼女は、足を揃え姿勢を正してそう言った。
怯え震えながらも、恐怖に立ち向かう堂々とした宣言だった。
グルーバー。ディゲル・グルーバーとまったく同じラストネームを名乗ってみせるとは感服するしかない。
東は、敬礼――しかも新機軸の方式でチャチャ・グルーバーへ敬意を示す。
「承知した。任務は確実に遂行すると誓おう」
高官衣の肩に付けられている腕章へと手をかざした。
ALECナノマシンで表示化された電子体腕章。描かれているのは、誓いの紋章だ。
しばし腕組みし静観を決めていたディゲルが鋭角な片眉をひくりと動かす。
「あんだぁその愉快な礼の送り方は?」
通常であれば額に手を添え敬礼とするはず。
地上で革命成功の一報を待っていたであろう彼が知らぬのも無理はない。なにせこれらはつい先日ノアに流布された方式なのだから。
東は、したり顔で高い鼻をフフンと吹いて見せつける。
「新生ノアへようこそ。ディゲル・グルーバー、あとその家族であるチャチャ・グルーバー殿。ノアとノアの民たちは貴殿らを大いに歓迎することを約束しよう」
そしてそのまま唖然とする2人へ礼を送った。
上流階級が好みそうなうやうやしくもわざとらしい礼だった。
「あれって腕章、でしょうか? 描かれているのは、盾ですかね?」
「またなにか新しいことはじめやがったらしい。昔っからコイツはクッソくだらねぇことをはじめるのにお盛んだったからな」
小首を捻るチャチャと対照的で、ディゲルは悪戯を企む悪童の笑みを作った。
2人の視線が東の帯びた腕章をじっと捉えているようだ。
紛うことなき盾の腕章。すでにノアに住まう人々はその意味と名称ですら聞き及んでいる。
なにせあの時の叫びはALECナノマシンを通じてノアの民すべての心へ届いた。たった1人の少年が放った夢を語る言葉は人々を先導し1本の旗を立てて見せたのだ。
「名称の方は……まあ、おのずと耳に入るだろう」
東は、白裾を流して踵を返す。
「とりあえず立ち話もなんだ。ここは若干賑わいが多すぎるし落ち着いたところへ案内しよう」
2人についてくるよう後ろ手に手招きする。
と、ディゲルとチャチャも互いに目を見合わせてから後につづく。
新居への案内は無論のこと。ここは再会を祝う場であり、込み入った話をするには人の耳が多すぎた。
「ところでずいぶんと花も色気もねぇ出迎えだな。いちおうの同僚だってのにミスティも顔くらい見せやがれってんだ」
「そう言ってやるななにせ彼女は……。そう、おめおめと民の前に顔を出せるほど暇ではないのだよ」
東は躊躇した。
なにせチャチャは、先々代である人類6代目総督兼ノアの艦長の娘。しかもディゲルはその錯乱した6代目に終止符を打った張本人でもある。
この2人を前に人類総督の話はあまりにナーバスすぎた。おいそれと話題に出すのは、はばかられた。
「その話しぶりからすっとどうやらミスティ・ルートヴィッヒ人類総督様が爆誕しなさったわけだ」
その声に驚いて東はぎょっとして振り返る。
「わあ! 8代目人類総督様はどのようなお方なのでしょう! きっと民に選ばれたとっっても素敵な方なんでしょうね!」
なんてことはない。懸念はただの杞憂だったか。
ディゲルとチャチャは、東の気なんて一切知るよしもなく、和やかなムードを保っていた。
「ところでお前が総督に志願しなかったのは意外だな」
「……あ、ああ」
東が足を止めていると、ディゲルはその背を押すようにぽんと叩く。
「俺はもう表立って動こうとは思わん。それに裏方のほうがなにかと動きやすいからな」
「さいで。あともう俺らに気を遣うのは止めとけ。こっちはこっちで9年無駄にしたわけじゃねぇしな」
そんな男同士のやりとりだった。
チャチャは3ほど歩離れた位置でニコニコと見守っている。
「ご心配しないでください。私は父が間違っていたことをアザーで見てましたから。そしてディゲルさんは父が罪を重ねないように頑張ってくれたんです」
そう言って彼女はくびれた腰から身体をちょんと横に傾けた。
長く清らかなスカートがさらり流れる。荒廃の地に咲いていたはずなのに1輪の白き花は、こうも強い。
――そうか、戦っていたのは俺たちではなくこの子のほうだったか。
東は、胸が締め付けられる思いと同時に吹きこぼれるほど感嘆した。
間抜けに開いた口を結ぶ。感情が表に出ぬようふふ、とキザったらしく口角を引き上げる。
やがて誰ともなく歩き出す。このまま立ち話をしていたら平和に1日が終わってしまいかねない。
「それを言うなら意外な少年も来ていないのだな? 世界を変えるほど家族へ愛情を注いでいると思っていたのだが、まさか迎えにすらこないとは……」
やはりというよりこの話題は避けられぬだろう。
人類は、この2人を助けたいという思いに乗っかっただけに過ぎない。
するとディゲルとチャチャはしばし目を丸くし沈黙する。
「意外でもなんでもねぇ」
「……ですね」
なぜだか声のトーンは低かった。
ディゲルは芝のような頭を掻きむしる。
チャチャも所在なさげな視線を床へ落とす。
あの少年をもっともよく知る2人だからこそわかることもあるのだろう。
東がそんなことを考えていると、すぐにそれは勘違いであると判明する。
「――本当にこれで最後なの!?」
再会の涙に濡れたはずの場所から声が響く。
後方へと遠のきつつあるフライトエリアから悲痛めいた叫びが、こちらの耳に飛び込んできたのだ。
「ッ! ここで待っていてくれ!」
東は2人返事すら聞く暇もなく走っていた。
フライトエリアへ戻ってみるとなにやら垂直離着陸のほうで騒ぎが起きている。
しかもあれだけ祝杯ムードだったというのにすでに沈痛めいた静寂が引かれていた。
「ねえ、ねえってば!! これで本当に最後なの!? ぼ、僕の父さんも乗っているんでしょ!?」
男にしては華奢な少年が、降船途中の操縦士にしがみついていた。
しかも操縦士は大人だ。大人だからこそ「……っ」唇を
見えていなかったのではない、見ていなかったのだ。あるいは光が強すぎて濃くなっていく闇から目を逸らしていただけとも言える。
「父さん!! ねえお願いですからもう1度探してあげて下さい!! 僕の父さんはきっとまだアザーに残されているんです!!」
泣きじゃくっているのは、なにもあの少年だけではない。
降船が完了して判明する残酷な事実がそこにあった。彼、彼女たちの待つ者は、もうこの世にいないのだと。
「……あとは俺が引き継ぐ。あそこにいる2名を居住区まで送っていってやってくれないか」
「ら、
慌ただしく離れていく操縦士を見送る。
――馬鹿野郎……!
東は、拳を己の頬に突き立てた。
そして己の浅はかさを後悔するよりも先に、めそめそと泣き崩れる少年をしっかと胸に抱き留める。
「そんなああああああ!! とうざぁぁぁん!!」
少年の家族を思う慟哭が止むことはなかった。
○ ○ ○ ○ ○
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