35話【死神VS.】宙間移民船NOAH艦長 7代目人類総督 『長岡晴紀』 4

「注ぎ込んだフレックスが吸収されていくだと!? ダメだ手を離すことさえ出来ない!?」


 目を疑うような光景が広がっている。

 ミナトの首を締め上げる手は未だ健在だった。

 そして長岡の手はいっそう強い蒼き光沢をまとっている。


「僕の意思と関係なく無尽蔵にフレックスが奪われていく!? マザーデータにこのような記述はなかったはずッ!?」


 流動する蒼が注がれていく。

 長岡の腕を通し、ミナトのなかへ濁流の如く流しこまれていく。


『フフ……――ハッ!?』


「や、止めろおおお!! 僕の愛しい娘を連れて行くんじゃなああああい!!」


 そう、すべてが1点へと収束を開始しているのだ。

 長岡の背後にいた不可思議な人影もまた例外ではなかった。

 まるで霧散するかのようにし、蒼き粉末状の霧となってミナトの体内へと吸い込まれていく。


「ヒィッ!? 蒼の発現がなぜ止まらないのだい!? な、なぜ腕が、離れない!? 僕の身体が僕の意思に従わない!?」


 長岡は混濁している様子だった。

 未だ虚ろをたゆたうミナトの目から見てもはっきりと理解出来るほど、慌てふためいている。

 彼の身に蒼はところどころが剥げかけている。相当な量のフレックスを消耗しているのか信の時と同じく点滅という形まで弱り切っているのだ。

 こうなればやることは1つだった。ミナトは敵の油断に最後の希望を示す。


「ま、マズい!? このままなお吸われつづけて生命を喪失すれば私はもう2度と目覚め――グフッ!?」


 強烈なストンプで慌てふためく長岡の顔を踏みにじる。

 それによって途端に拘束が解除された。


「ガハッ! はあ、はあはあ、はあはあはあはあはあ!」


 ミナトの身体は自重と重力によってどさりと硬い床に倒れ伏す。

 久方ぶりの地べたの上に辿り着いてしたことは呼吸だった。両肩を上下させながら必死になって酸素を取り込む。


――死にかけて走馬灯でも見たってのか!? どうして、なにがあってオレはこうして生きられている!?


 肺が忘れていた伸縮を思い出す。酸素を取り込むたびに正常な機能を取り戻していく。

 さながら枯れた砂漠で3日3晩を過ごし命からがらオアシスを見つけたような気分だった。無味無色無形な酸素という宝物を喉奥で味わい尽くす。

 心臓がドクドクと今まで生きていて感じたことがないくらい早鐘を打つ。そうして不足していた成分を血流が全身に巡らせる。

 すると酸欠に陥って紗掛かっていたミナトの視界がじょじょに明瞭化されていく。


「ミナトォ!! 長岡を止めろオオオ!!」


「……ながおか? 長岡だと!?」


 信に言われてようやく置かれている状況を思い出す。

 見れば先ほど蹴りで転がしたはずの男が、その場から消失しているのだ。

 ミナトは頭が取れるのかと思うくらいの早さで顔を上げた。


「あ、あの野郎どこにいきやがった!? この期に及んでまだ隠し球でもあるっていうのか!?」


 弾かれるようにして周囲を探る。

 と、苦労する間もなく姿を発見した。


「だいぶぶんを、う、しなった、ッぐ! もういちど……ほじゅうしなおさな、くては!」


 長岡はよろめきながらどんどんこちらから離れていく。

 あちらもまた蹴躓きながらも必死だった。牛歩の如くたどたどしい歩みだが確実に歩を進める。

 敵が向かっている先は、巨大シリンダーだった。彼がマザーと呼びつづけている謎の物体があるのみ。

 それを見て信が援護を求める。


「ヤツを止めるんだッ! また長岡をマザーに触れさせたら力を復活させてくるッ!」


 そうやって叫びながらも、彼の身体もまた限界の体らしい。

 それでも体力の限りを尽くしながら鞘刀を手に腹ばいで前ににじり寄る。


「まだだ、まだ諦めるな! これが最初で最後のチャンスだ!!」


 必死に這いずるも彼と長岡の距離は遠く、到底その早さで間に合うことはないだろう。

 だからといってミナトも意識を取り戻しただけに過ぎない。信と共に身体に蓄積されたダメージは甚大だった。目覚めたからといって立ち上がれるほど回復してはいない。


「ああ……! ああ愛しき母よ……! その麗しき蒼でもう1度僕を人の生み出す素晴らしき力で抱きしめておくれェェ!!」


 いっぽうで長岡は1歩1歩を確実に刻む。

 この1室の全員がくたばり損ないの死に体なのはもはや言うまでもない。しかし敵である長岡晴紀だけが僅かに余力を残していた。


「蒼こそが生命の根幹!! そして今人類は新しい世界でひとつとなって生まれ変わるのだ!! この苦しみは幸福を得るための前座イニシエーションに過ぎない!!」


「ふざけるなァァ!! お前は俺の思いと家族の命を踏みにじろうとしたんだぞッ!! そんな下道の作る失楽園ディストピア世界なんてまっぴらゴメンだッ!!」


 信は無様に這いつくばった姿勢でなお憤怒を飛ばす。

 しかし遠のく背にいくら手を伸ばしたところで届くことはない。

 長岡はすでに彼の声すら聞いておらず。こぼれんばかりに剥かれた瞳はガラス柱のシリンダーのみしか見ていない。


「…………」


 だから狙いは、そこだった。

 信と長岡の発す雑音でさえ、意に返すことはない。

 なにせこちらは慣れている。どれほど危機的状況であってもだ。これまでに得た経験という裏付けが圧倒的な自信へと繋がっている。

 そして突き出された腕の流線型からぴしゅっ、という風切り音が生み出される。


「……なんだい? これは?」


 蒼が顔横を通り過ぎると、長岡ははたと足を止めた。

 それからピンと張られた光沢を辿るようにして瞳を這わせていく。

 その様はさながらブリキで出来た機械人形オートマタのよう。機械油の切れた首がギギ、ギという軋みを上げ、歪な挙動で蒼き光線を眼で辿る。


「そ、それは……フレクスバッテリーかい?」


 ミナトの左腕を見た途端、病人のように青ざめきった唇が戦慄わななく。

 長岡の全身が凍えるみたいにして震えた。母を求めていたはずの足でさえ一向に前へ進む気配がない。

 長岡は、ワイヤー射出装置から生み出された蒼き光線を前に目を剥く。


「そ、そんな――ま、まさかそんなバカな!? 条件は人の限りですらないということなのか!?」


 血相を変えると同時に金切り声が空間を満たした。

 瞳はこぼれんばかりに見開かれ、口端をひくひくと痙攣させる。


「これが事実だというのならば僕の提唱しているフレックス論が根元から瓦解することになる!?」


 口調は早口で、表情は笑っているのか絶望しているのかさえ定かではない。

 ワイヤー状のフレックスを前にして顔面蒼白のまま金縛りにあったように佇んでいた。


「おい。ノア7代目艦長長岡晴紀人類総督様よ」


 いっぽうでは、すでに仕事用の眼をしていた。

 黒色から色は褪せ光を失う。

 そしてフレックスを繋いだミナトは淡々と告げる。


「ヘッ、一矢報いてやったぞ」


 地べたに這いながらニタリ、と邪悪にほくそ笑む。

 この場において奪う奪われるという与奪権をもつのはなにも敵だけではなかった。

 なにせここには長岡晴紀というものが後生大事にしているものがあるではないか。

 ソレがいったいなんであるか、ミナトにはわからない。だがソレが敵にとって非常に大切なモノであるということだけはここまでのやりとりで約束されている。


「……? なにを言っているんだ?」


 長岡はようやくといった感じでワイヤーから視線を外した。

 ミナトを見下す眼差しには驚愕が未だ冷めにいる。しかもよほど興奮状態にあるのか自身が置かれている現状さえ掴めていないらしい。


「オレのフレックスはなにを狙ったんだろうなぁ?」 


「……だから先ほどからなにを?」


 ミナトが問うと、長岡はきょどきょどと狼狽して見せた。

 どうやら脳を呼び覚まし思考をフル回転させているらしい。それでもなお答えがわからないといった様子だ。

 だからミナトは助け船を出してやることにする。


「このピンと張った向こう側にはいったいなにがあると思う?」


 秒数で言えば2秒ほどだったか。

 良い大人が顔を土気色にして全身をゾクゾクと震わせる。ゴミクズとまで称した一介の少年によって己の犯した間違いを認識していく。

 そうしてようやく動き出す。


「――ハッ!? まさか貴様マザーを狙ったのか!!?」


 長岡は蒼の尾を引く。

 血に濡れた長い羽織の裾をうわあと翻す。


「フザケルナア!! マザーコンピューター無くして人類は…………あ?」


 振り返ればあるのは現実のみ。

 果たして敵は初見のフレックスがなんであると心得たのだろう。レーザー、弾丸、それとももっと攻撃性のあるなにか。

 答えは否だ。巨大シリンダーは傷つくことさえない。

 そしてこの1本に繋げられたものは、たかがワイヤーなのだ。なんの力も無いただ単純に人を引き上げるための光り綱。

 ならばどうするのか。ミナトはワイヤー射出装置にもっとも強い意思を念じた。


「なんだ、なにも起きていないではない――カッッ!!?」


 長岡が振り返った。

 その振り返りに合わせ鼻先に砲弾が直撃した。


「オオオオオオオオオオオッッ!!!」


 全身を用いた40kg級の超重量砲弾によって一矢報いる。


「アガッっ――――ッ!?」


 飛来したミナトは、直撃のタイミングに合わせた。

 強烈な膝を長岡の顔面にたたき込む。

 超速でワイヤーを巻きとって己の身体を弾丸とする。

 そしてこのタイミングこそが先の戦闘でひらめいたフレックスの穴だった。


「これがフレックスの弱点だろッ!! 蒼は人の五感より外側からの攻撃を感化出来ないッ!!」


 違うかよォ!? ミナトは長岡の頭部を両手で捉えた。

 そしてそのまま倒れ行く長岡の身体ごと、己の体重をすべて籠めて硬い地面へと叩きつける。

 衝突と同時にゴリ、メリメリメリ。気色の悪い擬音が膝を通して伝わってきた。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ!」


 ミナトは肩で息をしながら倒れた長岡の顔から膝を退かす。

 酷い顔だった。侮辱で言われるような意味ではなくもっと直接的な意味で酷い顔。

 膝の刺さった鼻は平らになるどころか陥没している。まるで鼻骨が頭蓋の中に入りこんでいるかのようにさえ見えた。

 長岡は呼吸に合わせて血のあぶくをぶくぶくさせている。


「…………………………」


 蒼はもう揺らがない。

 どころか白目を剥いたままぴくりともせず、辛うじて呼吸をしているだけ。

 ミナトは、気絶した長岡に馬乗りとなって喉で呼吸を刻む。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ!」


 周囲には長岡の前歯と血が散らかっていた。

 蹴りを入れた膝だって折れているかもしれない。未だにじんじんと痛みを訴えてきている。


「ハッ、ハァ、ッ!! ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ!!」


 ついに倒したのだ。ついに元凶である男に勝ったのだ。

 ミナトの前にはもうどうあっても動けないくらいにたたきのめされた仇が寝むりこけている。

 長岡は凄惨な状態だった。このまま放置すれば間違いなく死ぬという出血で顔中を鮮血に染めている。


「ハッ、ハッ――ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ!!」


 なのになぜこれほどまでに怒りが満ちてくるのか。

 ミナトは血走った眼で長岡晴紀という元凶をじっ、と見つめつづけた。


――こ、いつがいたから!! みんなが苦しまなきゃならなかったんだ!!


 因果応報だった。

 しかし敵はもう無防備で抗う術さえもたない。


――オマエが、お前が、おまえがァ!! お前がオレにさせたんだろォ!!


 それはミナトにとっても同じことだったのだ。 

 なにも持たずなにも知らず。この男の謀略によって死神へと仕立て上げられた。

 拳が震える。眼球が充血し涙がこみ上げる。

 耳元で悪魔が囁く。この男さえいなければ良かったのだ、と。


「み、ミナト……! や、やったんだな……!」


「フゥーッ! フゥーッ! フゥゥゥーッ!」


 信はよろめきながらも少しずつこちらへと近づいてきていた。

 が、友の声さえ届くことはない。ミナトは長岡晴紀という憎き仇のみを視界に捉えつづけている。


――おまえがおまえがおまえがおまえがおまえがおまえがおまえが……ッッ!!!


 その瞬間とある光景が網膜の内側によぎる。

 視界にディゲルとチャチャ、家族の笑顔が映った気がした。

 ミナトは、2人の顔を思い出し振りかざしかけた拳を解く。


「…………」


 そして表情から怒りという感情を喪失させた。

 目の前の男のおかげで心を消すのには慣れている。

 だからこれからやることは、ただ1つのみ。


「……………………」


 ただ淡々と。ただ感情もなく。

 なにかに繋げるわけでもない。1撃1撃を義務のように加えていくだけ。

 ミナトは自身で狂うと決めて、死神として行為をつづけた。

 これは死んだ者たちへの贖罪でもなければ、カプセルに詰められ家畜と化したノアの民を思っての行動でもない。

 ただ己のままに行う復讐という行為に他ならない。


「……………………」


 それでもミナトは進むために己の手を汚すのだと決めた。

 拳の皮膚が裂け、骨が見え、感覚でさえなくなっても、長岡晴紀という物体に加虐行為を加えつづける。

 やがて広がる赤は敵か自分のものかもわからないほどに残虐となっていく。

 信が嗚咽を上げながら抱き止めるまで、ミナトは行為を止めなかった。


「もう止めるんだ……! それ以上は苦しまなくて良いんだ……! もう……終わりにしよう……!」


「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」


「ウォールを解いて外にでるんだ……! 早くこんな場所からでて家族のところに帰ろう……! 俺たちは……もっと自由な世界に生きるべきなんだ……!」


 気づくとすでにすべてが終わっていた。

 人類から朝を奪った元凶は平等な形となって朽ちていて。

 それは革命が完遂されたことを意味していた。



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