34話【VS.】宙間移民船NOAH艦長 7代目人類総督 『長岡晴紀』 3

『フフ……』


 回る、廻る。世界が反転する。

 巡る血流が眼球集まって紅の風景を透過する。

 しかしここで動けなくば待つのは死のみ。生きたいというだけの意思が床にへばりついた身体を引き起こす。

 ミナトは四肢が千切れそうな痛みを食いしばって耐える。


「ッッ、ア!」


 この短時間で硬く冷えた床の上を幾度転げただろうか。

 5分経ったか、あるいは10分経ったか? 隔絶され光を失った方舟のなかは時間という概念でさえ薄くなっていた。

 節々が動かすだけで激痛を催す。もとより脆弱な身体はすでに襤褸切れ同然と化している。


「シンッ! やれッ!」


 鉄の味を覚えた舌が信頼する旧知の名を叫ぶ。


「ッ、《記憶メモリア》! 《秘我ノ――」


 納刀と同時に唱えようとした。

 だが敵の行動の方が早く、信が唱え終わるより、先を行く。

 高速で動く蒼き光線は間合いを詰め切る。


「させはしないよッ! 今の僕に敗因があるとするならその未知なる刀の能力だけだからねェッ!」


「ク、ソッ!!?」


 信は即座に鞘を引く動作へと攻撃手段を切り替えた。

 そして姿勢低く這い寄る長岡へと容赦のない居合いを繰り出す。


「アマァイッ! そんな人の作り出せるていどの玩具に頼っているようではねェッ!」


 火花が弾けるのと同時に金音が響く。

 長岡は蒼を帯びた腕で長刀の一閃を止めた。


「こ、こいつッ!? 刀を腕のフレックスで止めやがッ――」


「君に言ったはずだァ!! フレックスを制するのはより強力なフレックスのみであるとねェ!!」


 信の側頭部目掛けて痛烈な回し蹴りが放たれた。

 血濡れた裾がとはためくと、信の身体が横に10数メートルほども吹き飛ばされる。

 しかし吹き飛ばされながら彼もまた反応速度は常人を超越している。


「つッ。それにしたって限度ってもんがあんだろ!」


 回し蹴りが刺さったかと思われたが、ぎりぎりで腕を上げ防御を成功させていた。

 際限ない青天井。フルスロットルで力を使いつづけてなお長岡は息切れを知らぬ。

 比べてこちらは這々ほうほうの体だ。信はミナトを守るだけの余裕はなく、ミナトも這いつくばった姿勢から戻れずにいる。

 果たしてあの状態の敵を人間という分類に当てはめられるのか。それさえ定かではない状況だった。


「この……バケモンが……!」


 ミナトはよろめく足どりでようやく立ち上がる。

 必死に振る舞いつつ悪態をつくがすでに心は折れ掛かっていた。

 と、すでに視界いっぱいにケロイドまみれの面があふれている。


「無能のくせに良い表現をする。褒めてあげよう」


「早っ!?」


 先ほどまで信と相対していたはず。

 そのはずなのに長岡はすでにミナトのところへ迫っていた。


「すべては真実に対応するためさ。対応するためならこの身を捧げ悪魔にだって魂を売ってしまっても構わない」


「価値のねぇ魂なんてもらっても悪魔だって値付けに困るって――ッ、ゲぁッ!?」


 言い終わる前に蒼をまとった長岡の拳がめり込む。

 ミナトは腹部が大砲に打たれたと錯覚した。五臓六腑が口からはみ出しそうなほどの衝撃だった。 

 唾の飛沫がだらしなく飛び出た舌先から滴り落ちる。ゴロゴロと転げるといよいよ視界が明滅し暗転を開始した。肉体は生きようという本能のみで口をぱくぱくさせ呼吸を求めた。


「あ”あ”……! ぐ、がぁ……!」


 空気を求めるも横隔膜が正常に作動してくれない。

 ミナトはコンクリートに打ち上げられたモグラのようにもだえながら必死に酸素を求める。


「ぎっ、がは! あ”、は、ゥ”ゥ”!」


 喉奥が詰まったホースのような異音を発す。

 そして長岡は、屍同然のミナトへ追い打ちをかけんと飛びかかる。


「対応するッ!! 対応スル対応スル対応スル対応スル対応スルゥッ!!」


 即座に信が間に割って入る。


「させるかよォ!! 《不敵プロセス・ライト・β》!!」


 蒼き壁が現れ、敵の行く手を遮った。

 だがそこまでしても止まらない。どころか長岡はより強烈な光を体中にまとわせる。

 両の拳が振られるたび《不敵》の壁が幾千の断片となって砕け散った。信の能力を両の拳のみで打ち破る。

 同時にそのもとより傷だらけの顔から、腕から、全身の至る箇所の皮膚が内側から裂けていく。


「これはッ、覚悟だァァッ!! マザー選ばれし僕はァッ、母のための世界をッ、再構築するッ、力があるゥッ!!」


「ずいぶん賑やかな寝言だなァァッ!!」


 信のまとう蒼が爆発的に肥大化した。

 そして今まででもっとも巨大かつ分厚いヘックス状の《不敵》を発現させる。

 功と防、それぞれの蒼が衝突した。猛烈な光が爆発し、部屋から影をかき消す。


「君は確かに優秀だァ! だがそれはあくまで一般的というだけのことで完成形にはほど遠いッ!」


「ぐ!? これでもダメなのか?!」


「これが限界突破した僕のフレックスだよ! チルドレンとコネクトすることにより僕のフレックスは限界を超越する! 外の連中にノアへ流し込ませたフレックスを無限に引き出すことが出来るのさ!」


 ピシッ、と。強固な壁に稲妻の如き亀裂が生まれた。

 信は腕を伸ばし手にした鞘で抑えつけながら全身で攻撃を耐えつづけている。

 だが長岡のまとう蒼は凄まじく明瞭でいて底知れない。裂傷と再生を繰り返しながら鬼気として笑う。


「やがて君にも僕と同じ力を享受してもらうつもりだったが残念だァ! それともそこで倒れている彼を引き裂けば応じてもらえるかい!」


「させないッ!! またコイツを見捨てるようなマネは俺が絶対に許さないッ!!」


 どれほど信が激怒しても現実は残酷だ。

 長岡の拳がどんどん《不敵》へ浸食し、亀裂がさらに大きく広がる。

 有限と無限。2人の間にある差は歴然だった。 


「君にとってそこにいる粗末なゴミがそれほど大切かねェ!! ならばそのクズにも使い道がありそうだァ!!」


「だからさせねぇって言ってんだろォォォ!!」


 それでも信は諦めず食らいつく。

 《不敵》が破られるのに合わせて音速の抜刀を長岡へ浴びせる。


「《記憶――秘我ノ太刀》ッ!」


 時差式の2段構えだった。

 あらかじめ間合いを外すことで長岡の到達する空間に斬撃を保存し、到達と同時に納刀。

 そして斬撃が再び発動する。


「……ふぅ。やはりその刀、厄介だね」


 尋常ではない反射と身体能力の応酬だった。

 それでも長岡は容易に決死の1撃をバックステップで回避しきってしまう。


「はぁ、はっ、はぁ、はぁ……っ!」


 すでに信はおびただしい発汗に見舞われていた。

 呼吸も絶え絶えで瞳もぼんやり虚ろげ。美男子の体をまとう蒼でさえはじめよりも薄く、瞬くほどしか残されていない。

 決死の1撃、苦肉の策、九死に一生。やれることはほぼやり尽くしていた。ただ1つきりの希望であった幻想刀エルツァディアムですらもはや種は暴かれ通用しなくなっている。

 なのに敵ははじめと変わらぬ佇まいで対の位置に立つ。


『フフフ』


「おやおや。僕のお姫様はとても機嫌が良いみたいだ。もはや肉体の限界を超越する痛みでさえ愛おしいよ」


 長岡は、血に濡れた手を伸ばし首に巻き付く蒼き物体へ触れた。

 愛おしげに目を細め、醜い傷跡だらけの頬を寄せる。楽しむように物体へ鼻を擦り付けながら香り吸い込む。

 すると光体は丁度人間と酷似した形をふるりと揺らがせる。


『フ、フフ、フフフ……』


 くすくすという笑い声に似た音を発しつづけた。

 いっぽうミナトは這いつくばりながらも模索する。


「ぅ、ぁ……」


 心労と疲労はもはや限界だった。

 身体はもとより思考も霞のようにぼやけている。脳がまともに働いてくれやしない。

 あの人型亡霊のようなものがなんであるか、わかるものか。ただひとつ明確なのは、あれがある限り長岡晴紀を倒すことは出来ないということだけ。


「退きなさい。君と会話するのであればもうすこし状況を整理してからの方が理知的だ」


 次の瞬間。ミナトの数センチ横を突風が通り過ぎる。

 それが信であるということに気づいたのは、後方から苦痛の声が聞こえたから。

 そして長岡はゆったりと余裕な足どりで倒れ伏すミナトへ接近していく。


「君にはどのような処罰を与えようか。うん、少しだけこのまま待っていて欲しいな。特別な処理方法を考えてあげるからね」


「ぁ、ぁぁぁ、ぁぁ……!」


 蒼の沿う手が首を捉えた。

 そのままミナトの身体は軽々と上へ持ち上げられていく。


「っ、っう、っはぁ……!」


 両手両足はだらりと垂れ下がる。

 抵抗する余力も気力もない。

 どころか気管が締め上げられて酸素の供給量さえ追いつかなくなっていく。


「さて、もう1度。これで最後の問いかけとしよう」


 再び長岡はミナトを吊り上げながらもう幾度目かの問いをはじめる。


「これは説得ではなく最終宣告だということを忘れてはいけないよ。温情を注ぐのはこれでもう最後なのだから良い答えを返しておくれ」


 少年1人を締め上げているとは思えぬほど。父のように優しい微笑みだった。

 しかしそれは人の面を貼りつけただけ。この男は化け物でしかないことは証明済みだ。

 信は鞘入りの刀を杖代わりに懇願する。


「止めろ……! 止めてくれ……! ソイツを殺すのだけは止めてくれ……!」


 もはや彼の身体にフレックスの輝きは微塵もなくなっていた。

 吹き飛ばされた時の打撃によってフレックスは底を尽きかけている。生命維持には問題ないが目で見るほどの力さえ使い果たしている。

 きっとそれもまた長岡による操作なのだろう。第1世代能力さえ発現不能な範囲に追い込まれた。彼はもはやただの無能力へと追いやられた。


「ああそうだ。外で子を際限なく増やさせてみようか。齢は15ほどで朽ちるよう調節を加え、代わりに1月ほどで年をとるようにすればなおのこと効率よくフレックスを採取できるようになるぞ」


 長岡は愉悦を謳うが如く嬉々と言う。

 そうして試すようにミナトの首を掴む手に握力を籠めていく。


「ぁ!? っっっ、ガッ!?」


「止めろ!! 止めてくれええええ!!」


 信から悲痛な絶叫が木霊した。

 しかしこの男がとりあうはずもない。

 ことこの場に至るまで長岡晴紀という男はミナトを1度も人間扱いしていないのだ。


「人類総督を否定する愚かな革命派連中を処置するのには絶好の処理方法だ。野蛮な行為はさせず繁殖用機械に繋いで永遠に産ませつづければ丁度良い罰になるね。そうすればきっと革命をする以前の生活がどれほど寵愛に満ちていたかを理解するだろう」


「っ、っっ、っっ、っっっ!!」


「止めろおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 そんなことさせるものか。ミナトは絶望の最中怒りを覚えた。

 外に待つ人々の顔が走馬灯のように流れていく。とりどりの世界が強調し合うあの人々の顔がモノクロ色に染まっていく。

 怒鳴りつけてやりたいのになぜ声がでないのか。反抗的に蹴飛ばしてやりたいのになぜ身体のどこにも力がないのか。


「そうだ!! 僕のなかにあるフレックスをこの第1世代さえ使用出来ぬゴミクズに流し込んでみよう!! そうすれば許容量の僅かしかないこの未熟な検体の身体はきっと瞬時に暴発するはず!! この検証が定説通りにいくのであれば確立という状況を得られる!!」


 この狂人相手でさえもはや手も足も出ない

 そう、もとよりミナトに力なんてはじめからずっとないのだ。

 長岡が言うとおりこの身に、力なんて……


――ここで死ぬ、のか? こんななにも出来ずになにも守れずに死ぬのが償いになるってのか?


 こっちにこい、こっちにこい。手招きされている気がした。

 過去に生きていた骸たちの声が聴こえてくる。救われなかった者たち、見捨てられた人間たち。


「……………………」


 いよいよ視界さえ微睡んでいく。

 指でさえ動かすのが難しい。


「――――――――――!!!」


 友の勇ましい声でさえもう聞くことすら叶わない。

 ミナトの意識が暗幕を閉じるようにして黒ずんでいく。


「…………ぁ?」


 しかし不思議と嫌な感じはしなかった。

 それになぜだかこの眠りに誘われる感覚を知っていた。

 このたゆたうような揺らぎと、悲鳴、そして蒙昧な――過去の記憶を覚えている。

 それは記憶にある光景だった。記憶にある。ただ忘れていただけ。


『ごめんなさい……! 許してなんて言わないから……!』


 ベッドに横たわり力強く繋いでくれる手が温かい。

 彼女の手は、はじめて握ったときからずっと温かかった。

 冷え切って感覚すら失った心でさえ、優しく包むような手だったことだけは覚えている。


――なんで、泣いてるんだ? ってかお前の泣く顔はじめて見たな?


 家族が泣いていた。

 血は繋がっていない仮初めの家族でしかない。

 だが、隣で泣いている彼女こそが過去なきミナトの名付け親でもあった。


『無責任な私を恨みつづけて……! アナタが生まれてしまったのは私が上手くやれなかったから……! だからずっと生涯……ずっと憎みつづけて……!』


 彼女は長い銀の髪を振り乱しながら涙を散らす。

 しかしミナトに彼女の思いが決して届かないことだけは確かだ。


――勝手なこと言うな誰が恨むかよ。お前がいなきゃそもそもオレは生さえいないんだぞ。


 彼女のことが大好きだった。もちろんそれは家族へ注ぐ愛という感情だ。

 なにもない広い空、どこまでもつづく地平線、それから吹き荒ぶ荒野の風。そんな透明な世界にただ1人で佇んでいたとき、彼女がいた。

 なにもない世界にたった1つの温もりで手を引いていくれた。そんな大切な人。

 そして彼女は名を呼ぶ。


心無人ミナトッ!! アナタに私へかけられた呪いの1頁を移し替えるッ!! 芽生えてしまった心でせめて1日でも長く幸せに生きつづけてッ!!』


――イージスッ!! お前がどこにいたとしても絶対に取り戻してみせるッ!! オレはお前にまだ礼のひとつも言えてないんだッ!!


 過去と今が交差する。叫びに思いを重ねて呼応させる。

 すると急速に場面が切り替わって記憶のなかから現実へと引き戻されていく。

 そして同時に眩いばかりの蒼がミナトの視界を占領した。


「な、なんだこれはァァ!? ぼ、僕のフレックスがッ!!? こんなことはあり得ないィィィッ!!?」


 次いで飛び込んできたのは、長岡の絶叫だった。





(区切りなし)

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