33話【VS.】宙間移民船NOAH艦長 7代目人類総督 『長岡晴紀』 2

「――グァァッ!?」


 長岡は、喉からくぐもった声を吐き出す。

 あれだけ余裕を保っていたはずの表情もまた苦悶に歪む。

 生み出されたものは数多もの斬撃だった。

 ミナトの生命を絶たんと振り上げた腕が幾数もの斬撃によって刻まれていく。

 どこからともなく生み出された閃撃によって鮮血の花弁が咲き乱れる。健を刻まれた手からするりと紅のブレードが抜け落ちる。


「ようやく再会したんだッ! それをみすみす殺させるものかッ!」


 同時に信が納刀状態の刀に手を添えながら地を蹴って追い打ちを仕掛けた。

 敵に隙を見て繰り出された居合いが暗夜を裂く。

 だが長岡は、抜刀のギリギリ寸前のところで飛び退いて躱す。

 それでもダメージは確実だった。その証拠に信の攻撃は辛うじて躱せたが着地に失敗して膝から崩れ落ちる。


「これは……いったいどういうギミックなのかなぁ? 唐突になにもない空間から数多の刃が現れ、僕の腕をこんな風にしてしまったよ」


 彼の腕は肘から先が細切れに刻まれていた。

 辛うじて繋がっているもののもう使い物にならないだろう。肉体には腕だったものがついているだけ、だらんと垂れている。

 結論づけられた大いなる力の証明があった。それこそが幻想刀エルツァディアムの超常的な能力。

 乱雑に刻まれた腕からはおびただしい量の出血だった。凹凸すらない床面にしどと滴って鮮血が広がっていく。これでもう長岡はまともに戦える状態ではない。


「正直だいぶ負けに傾いた賭けだったけど、信頼してたぜ」


助かったナイスアシスト。やっぱり頭に血が昇っても良いことなんてないな」


 ここでようやくトン、と。互いの痩せた拳と広い拳がかち合う。

 友と友は、互いの功績を称え合うよう笑みを向け合い、並び立つ。


「あいかわらずわけわからない刀だな、それ。確か斬撃を空間に保存するんだったか」


「これは《記憶メモリア》だ。イージスが言うには、この刀が切り結んだ軌跡はその場に記憶されるらしいとか」


 信は、腰に履いた刀の柄を誇らしげな顔つきで叩く。

 最先端科学様々といったところか。とはいえこれで形勢は逆転した。


「……説明になってないんだよなぁ。どうせあのコミュ症の説明だからそれがマジで全部なんだろうけど……」


 とりあえずミナトは苦笑しながらも、安堵した。

 よくよく見ればすでに信の凜々しい横顔にびっしりと玉の汗が浮かんでいる。

 しかも前髪からしとしと垂れるほど。それだけ体力とフレックス量の消耗が酷いのだ。

 あのままもう少し長期戦になっていたら、そう思うとゾッとする。彼の体力もフレックスも底をついていたかもしれない。


「ともあれこれで勝負は決したな。よくできましたミッションコンプリートおつかれさん」


 伸びをしながらちらり、とあちらを睨めば、とうに虫の息だ。

 信も鷹の如き鋭利な目つきで、淡く仄めくガラス柱の生えそぼったあちら側を睨む。


「あの片腕じゃ止血したところでもうどうしようもない。最悪あれで動くなら失血死確実になるだろうな」


 双方が睨む先では、長岡が丸めた背で深く呼吸を刻んでいる。


「はぁ……はぁ……はぁ……! ここにき、て、ようやく確信に至ったよ!」


 白い羽織の片側は清らかな血痕によって斑朱色に染まっていた。

 乱雑に刻まれた腕からおびただしい出血があふれて止まらない。


「きみ、たちは……考えたことはないのかい?」


 老父の如くしわがれた力のない声で問う。

 失血多量によるショック状態にあることが窺える。呼吸をすることさえ苦しそうだった。


「200年以上も、停滞していたであろうフレックス……! それがなぜ今になってこうも伝搬するよう発展していっているの、か……!」


 顔を上げると異常に発汗が顎先から滴り落ちた。

 顔の青さ、途切れ途切れの呼吸。もはや生命の導火線は朽ち征くいっぽう。

 なのに長岡晴紀という男は、傷口を片側の手で圧しつつ、口角をふふと和らげる。


「現在ノアでは、若者を基軸として次々と……第2世代へ至っている! 母なる大地を捨て、飛び立ってから200年だ! その間1歩も発展を見せなかったフレックスが急激な進歩を刻んでいる!」


 己の作り上げた鮮血の海に、なおも立ち上がる。

 ふらつく足で隣に佇むガラス柱にどっかりと身体を預けながら痛み、喉奥で苦しみ喘ぐ。

 見ちゃいられない。あれではもう死へと歩むだけ。正真正銘の亡者でしかないではないか。


「……。そういえば確か東やミスティさんみたいなお偉い方でさえ第1世代ファーストジェネレーション能力者らしい。ああ、それと小動物のチャチャさんは別としてもディゲルだって未だ第2世代能力者にはなれてない」


 ミナトは、処置を問うよう信へ視線を投げる。

 すると信は静かに首を横に振って応えた。


「若い世代ほど進化が早いのは統計を見れば一目瞭然だろう。それに俺だってノアに上がったときは第1世代だった。だが、新しい力の使い道を学んでからは不思議と第2世代能力に目覚めだしたんだ」


 涼しい顔をして言っているが、その努力は尋常ではなかったはず。

 表でフレックスを扱う連中でさえ1つの能力に特化するのでやっとなのだ。それに比べて信はすべての能力を平行して扱う。

 ミナトは感服の吐息をこぼしながら口元を手で覆う。


「つまり……使い方を熟知、あるいは認知することこそが次世代ネクストジェネレーションフレックスに進化させる? 第3世代サードジェネレーションを扱える条件だってことか?」


「今判明している条件はそれくらいだな。俺のやっていた鍛錬もフレックス値を上げる以外新たな可能性を開拓するための仮想訓練が主だった」

 

 そして会話をしながらも互いの意思疎通を図って敵の処遇を決す。

 あのまま放置して見捨てることこそが得策だろう。無理に接近して最後の足掻きを食らうよりは断然賢い選択だ。

 そうして時間を経ていく間にも長岡の症状は悪化の一途を辿っていく。


「き、きみ、たちは……おく、お、おお、おくれている! わ、たしは、わたしは、その、さきを――見たんだッ!」


 若々しい顔立ちがみるみる老けていくかのよう。

 表面を覆う蒼が切れかけの電球の如く瞬く。

 血の溜まった上で足が躍る。意識さえ蒙昧といった状態であと僅かばかりの生を彷徨う。


「は、こぶね、へ……――第2世代フレックスを与え授けた神がいるはずなんだッ!! 僕の母さんから寵愛を受けた伝道者たる1人の少女を確かに見たんだァァァ!!」


 なおも屈さず意識を保ちながら猛る姿は、もはや狂気だった。

 充血した眼はこぼれんばかりに見開かれる。

 しかしどこかを見ているようでどこも見ていないのだ。

 そしてついに長岡はガラスを砕くような高笑いをはじめる。


「ヒひっ!! エハははっ!! 僕がこの滅びゆく世界でどれほど人類のために尽くしたかわかるものか!!」


 刻まれていない方の手で発光する巨大なシリンダーへと触れた。

 手つきは軽やかなれど愛でるかのよう。全身の体重を預けて頬すらもこすりつける。


「今でさえ人権を尊重してやっているというのになぜ僕の愛は伝わない!!? もっとスマートさを求めるならばやり方はいくらでもあったんだぞ!!?」


 傍から見て男はもう限界だった。

 長岡を見るミナトの目はすでに寒々しいほど冷え切っている。


「あれだけ人間を家畜同然に扱って愛とか気狂いを地でいくヤツだな。今世界で1番ハッピーな脳みそしてるぞお前」


「そうか僕のやり方は甘すぎたんだッ!! 導き手となって人類の救済を行うのであれば愛を超越した体制を作り上げなければッ!!」


「…………」


 ミナトは痛いほど拳を握りつつも直視することを止めた。

 浅ましい男が陰謀に呑まれ征く様とはいえ見ていて気持ちの良いものではない。

 あの惨状で愛、なんて。胃の腑を裏返すかの如き邪悪でしかない。


「錯乱してるな。なにをいってるのかまったくわからん」


「…………」


「信? どうしたお前? 顔色が悪いぞ?」


「いや、なんでもない……」


 むっつり口を閉ざした友の表情には、なにか言い切れぬ複雑な感情が滲んでいるかのようだった。

 敵は思考や口調どころか立つことさえまともではない。ショック症状によって時折全身をびくびくと痙攣させているのがその証拠だろう。

 このまま放置をすれば長岡晴紀という人間は死ぬ。ノアの民とアザーの民の双方が祈る革命は、ようやく成されることになる。

 そして元凶は、最後とばかりに深く息を吐いて頭を垂らす。


「信くん。もう1度だけ、問うよ」


「……なんだ?」


 気持ちの悪い静寂だった。

 信は、鞘を握る手に僅かながら力を籠めて応じた。


「滅びゆく人類の未来を僕とともに繋いでくれないかい?」


「断らせてもらう。俺は誰かの夢を背負えるほど碌な生き方をしていない」


 ちらっ、と。横の友に瞳を振る。

 ミナトが気づいて首を傾げるも、すでに彼は視線を逸らしていた。


「そうか……君となら同じ夢を見られる。そう思っていたのだけれども……――それでは致し方ないね」


 朗らかな口調で背筋の凍るような笑顔だった。

 長岡晴紀を包む蒼が内側からあふれるように光を放つ。


「ならば僕の辿り着いた次世代能力をお披露目するとしよう。マザーと僕で作り上げたもうひとつの理想がここにはあるのだから」


 ミミズののたうつような傷だらけの顔に邪悪や邪念が塗りたくられた。

 ミナトと信はあまりの衝撃にどちらも動けず硬直する。

 しかも長岡はこの期に及んで執念を残していた。

 邪なるものをすべて濃縮したかの如く悪辣とし、影という影が刻み込まれた醜悪な笑みを浮かべ、叫ぶ。


「死に征く若者たちへ鎮魂歌を奏でて差し上げよう!! 《限界突破オーバードライブ》ッ!!」


 そして長岡が唱えると、光が爆発したかと思うほどに部屋一帯が白光へ呑まれた。

 さらに白光の発生源は、傍らにそびえ立つ巨大シリンダー。その内側からおぞましいほどに閃光があふれている。

 網膜が焼けるのではないか。目を眩ませながらも、ミナトと信は光に溺れながらも声を掛け合う。


「ッ、備えろ! あの野郎死に際に諦めるどころか碌でもないこと企んでるらしい!」


「任せておけ俺の目には敵の姿がはっきりと見えてる! 搦め手を使ってくるにしてもあの片腕ていどの攻撃なら捌ききってみせる!」


 すると徐々に光が収束を開始した。

 閉じきった瞳孔が残像を映しながらもゆっくりとクリーンな視界を確保する。


「まさか、ッ――そんな馬鹿なことがあってたまるか!?」


 はじめに気づいて声を上げたのは、信だった。

 彼の瞳には蒼が浮かんでおり光のダメージがそれほど長く残らなかったのだ。

 そしてミナトもようやく収束し引き戻された黒い世界に、絶望を見る。


「あの子たちにも君を紹介してあげようねェ?」


 次いで鼓膜を揺らすのは、タガの外れた狂気笑いだった。

 長岡は腕の調子を確かめるみたいに握って解いてを繰り返す。

 そしてその首に手を回すようにして、なにかがまとわりついている。


「紹介させていただこう! この子はマザーコンピューターの処理を成すチルドレンの1人さ! そして僕に人類の命運を教えてくれた可愛い可愛い愛娘さァ!」


 だらりと垂らした舌が血に濡れ、口内が余すことなく血色に染まっていた。

 それだけに留まらない。出血していたはずの腕傷が閉じている。

 代わりに長岡という肉体の全身至る部分で皮膚が内側から裂け、そして修復を繰り返す。

 皮膚が内側から裂けると蒼き飛沫がびしゃりと弾け、後から鮮血が漏れ出ていく。

 なによりミナトにとって異形に映ったのは、あれだ。長岡の背に張り付くようにしがみつく、それ。


「なんだよ……あのエキゾチックな物体は? フレックスの蒼で自由工作でもして出来た……人間か?」


 とりあえず人に似ているというのがミナトから見た第1印象だった。

 2手2足。全身は余すことなく蒼く、目鼻立ちははっきりとしており体型も中性的な形をしている。

 そしてその物体がフレックスによく似た光を強めて発すると、長岡の全身にぷつぷつという細かな傷が生まれ閉じていく。

 人間の身体が再生と破壊を繰り返していた。それは完全な治癒能力を意味している。


「待ておい肉体再生能力だと!? フレックスにそんな力があるなんて聞いたことがないぞ!? 信お前あんなものを黙って見過ごしてたってのか!?」


「数年この場所で長岡という人間に触れているが……――知らされてなければ教えられてすらいない! アイツはあんなものがいることさえ俺にひとことも言ってこなかった!」


 まさか嘘をつくような場面でもないだろう。

 もし信の言っていることが真ならばあれは敵の秘策、隠し球ということ。


「それではもう1度現実を知らされた君たちに問おう」


 長岡晴紀は、蒼き発光体を背負い両腕を広げた。

 刻まれたはずの腕も、あれだけ流した血さえ踏み、傷だらけの顔で嘲笑う。


「人類が世界に食われてまとめて滅びるかアアア!!? 叡智の化身となったこの僕をあがめながら方舟の揺り籠に揺られるかアアアア!!?」


 信とミナトに選択の余地はなかった。

 あの狂気を放置すればすべてが台無しになると刹那に脳が理解した。

 ほぼ同時に2人は、合図もなく疾走を開始する。

 あの理想を語る血だるまはもうただの化け物と化していたのだ。

 新世界を願い革命を起こした長岡晴紀という男は、ここにはもういない。


「おそらくこの騒動の元凶は長岡晴紀じゃないッ!! そんなやつはとっくの昔にこの船から消滅してやがったッ!!」


 ミナトは、悲痛めいた物語を脳裏に描くことしか出来なかった。

 絶望を友と駆ける。先に広がる絶望は海のように広すぎて笑えやしない。

 するとがむしゃらになって走る背後からもうひとつ音がした。


――だからもう少し待てっての。こっちははじめから死ぬつもりなんだ。どうせいずれそっちいくさ。


 それは死神の足音だったのかもしれない。

 ミナトは高速で迫る死の音を確かに聞いた。



…   …   …  …   …   …

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