22話 発明の母、革命の五芒《マテリアル2》

 しばらくの間移動がつづいた。相も変わらず箱の中は暗く狭いため身動きの取れない時間は苦痛だった。

 耳を澄ませば今まで聞いたことのない音ばかりが聞こえてくる。

 雑踏をはじめとし、商品宣伝広告のわざとらしく高い声、耳にしたことのない鳥の鳴き声、地面を揺らしながら横切っていく大型車両の排気音など。外には様々な音が煮こごりのように詰まっていた。

 ほどなくして音が遠ざかると途端に静寂がやってくる。靴音の反響のみが薄い箱の面を透過してくる。もしかしたら四方が壁で覆われた狭い道を歩いているのかもしれない。

 そしてエアの抜けるような扉の開閉音がして、間もなく光があふれる。


「――っ!」


 ミナトは目を刺されるような刺激を受けて反射的に手で遮ってしまう。

 網膜が久方ぶりの光を拒絶した。身体の節々も痛むし尻なんて血流が止まり感覚すら薄い。

 それでも前を見ようと絞った瞼を気合いで開くと、目と目が合う。


「……おぉ~?」


 声を発したのはミナトではなかった。

 杏でもウィロメナでもない。はじめて見る女の子だった。

 少女は物珍しそうに腰をかがめて箱の中を覗き込んでいる様子だ。


「ほうほう? どうやら事前の情報に齟齬があったみたいだね? 東の言っていたうら若き少女という情報を信じるとするならDNA塩基になにかしらの特殊な変異が起こっていないと説明がつかないかな?」


「こいつのほら話をいちいち加味しなくていいわよ。話半分に聞いていらない部分は切り捨てるのが1番だわ」


「はーはっはぁ! これも情報戦略というものの一環だ! 口説き落とすのであれば嘘と真は常にハーフアンドハーフを意識しなくてはなぁ!」


 少女の傍らには杏がいて、僅かに離れて出入り口のほうでは東が高笑う。

 辿り着いたのは照明の落ちた薄暗い室内だった。

 ミナトはとりあえず周囲を見渡すも、ジュンとウィロメナの気配が消えていた。

 状況を確認しつつ開いた狭い隙間から身をよじり立ち上がる。


「ここはどこだ? ジュンとウィロメナはどこにいったんだ?」


「途中で分かれて別行動をとってるわ。東が変なことしたけど、当初の目的通りになっただけよ。でも非常時以外は私がアナタの護衛役として付いていてから安心なさい」


「あ、ああ。まあそれは嬉しいしハナから心配もしてないけど……」


 まったく気づく余地がなかった。とすれば道中で車に乗った気配があったことから杏と東だけが降車したのだろう。ジュン、ウィロメナはそのまま車で別のどこかへと向かった。

 しかしなによりこの空間がミナトにとっては異質すぎた。


「そんなところに立ち尽くしていないで出てきちゃいなさいな」


「あり、がとう」


 杏に肩を借りてミナトは言われるがまま箱から抜けだす。

 先ほどから呆けつづけている。視線が右往左往と泳ぎっぱなし。

 触れるだけで壊れていまいそうな杏の肩の感触だって、意識することすら叶わない。

 この狭苦しい部屋はなにもかもが見境ない。それでいてこれほど見識ないこと景色が今まであっただろうか。


「これが……未来? ここがノアの船内なのか?」


 ミナトはあふれんばかりの情報に自身の感性すら疑った。

 正面を見ればモニターが行く数枚と陳列されており、表示されている数値やグラフも理解に及ばない。

 どこを見てもよくわからない機材が大量に敷き詰められており、そのどれもが鼓動するかのようにランプを点滅させている。

 あちら側でもビニールカーテンのような敷居を越えれば、また別の世界が広がっていた。

 薬品の臭いが強く鼻をつく。フラスコやらどでかいレンズ、顕微鏡やらと実験室じみている。

 唯一の遊びがあるとすれば球体に4本の足が生えた人形が、そこらかしこに置かれていることくらいだ。地上人の貧しい感性で言うのなら科学という未来に満ちあふれ過ぎている。


「やあやあ初めまして。人類20万分のなかで唯一資格をもつ革命の鍵くん」


 ミナトは、調子の良い声に呼ばれ、振り返る。

 するとそこには少女がいて、モニターの明光を背負う。


「僕の研究室ラボをそんなにしげしげ観察されると少しくすぐったいかな。いちおうここは乙女の私室でもあるからね」


「……研究室?」


 彼女のまとう白い衣は、東の羽織っているものと雰囲気が異なっていた。

 そう、まるで清潔と清純。衛生的であることを主張する白衣によく似ていた。

 じゃらじゃらとした勲章褒章もなく、背丈の低い少女はただ真っ白な外衣アウターウェアを羽織っている。


「それではまずは自己紹介といこうじゃないか。とはいえ僕は君のことをすでに君以上に知っているから儀礼イニシエーション的なものではあるんだけどね」


 そう言って彼女はとん、と床を蹴った。

 くるり、と。床を蹴った勢いで回転椅子が少女ごと1回転する。


「僕のチームコードはマテリアル2だよ。チームリーダーである君の配下に入ることになっているから以後お見知りおきを」


 そして彼女は逆光の影をまといながらふふ、と口角を緩ませた。

 同時に名の通り愛らしい顔の横に手を構える。

 身体の表面を包むよう蒼い光がぼう、と浮かび上がりバチバチという青白い閃光が瞬く。


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「僕の名前は美菜愛みなあい。そして僕に与えられた第2世代セカンドジェネレーションのパーソナルアビリティは、《回路システム》」


 聞いたことのないフレックス能力だった。

 ミナトは恐怖さえ覚える発破音の出所から目がそらせなくなっていた。


「それは……電気、なのか?」


 愛と名乗る少女の掲げた手には発光体プラズマが複数発現している。

 彼女が調律するよう指を振ると発光体たちも意思をもったかのように従う。

 手元から離れた青白い球体がシャボン玉のようにふわふわと屋内を泳ぎ回った。


「ご名答。主に電磁波を操って周辺情報を探ったりする能力さ。極めれば人体の微弱な電気信号を増幅させ機械内部なんかにもさまざまな影響を及ぼすことが可能となってくるね」


 よろしくね。すくむミナトをよそに愛は口元で優美な弧を描く。

 背は低くそれほど威厳があるというわけではない。なのだが能力によって発現する青白い雷光が幼い笑みに陰影を作り魔性を飾る。

 《不敵プロセス》、《心経ハモニカ》、《仕掛けモード》。彼女の力は第2世代能力のどれとも異なっている。もっとも鮮明に現実へ昇華し、見た目だけでもかなり美しい能力だった。

 杏はチラリとミナトへ一瞥をくれてから、筒状に丸めていた1枚の紙を愛へと手渡す。


「はい。これが予備情報とサンプルから抽出した彼の身体データの原本よ」


「おお~ありがとうありがとう! やっぱりデータもいいけど実物から取り出した新鮮なもののほうが信憑性が高いのはいつの時代でも変わらないね!」


 愛は丸めた紙を嬉々として受け取った。

 それから7色に光るタッチパネルのところから眼鏡を拾って装着する。

 そしてくるくる、と。椅子を回転させながらデータ社会にはローカルな手記を読み上げていく。


「ふんふん。血液型はAAのRH+でごく一般的かな。栄養失調気味で貧血なのはいただけないけど肝機能腎機能ともに正常値だから一概に悪いわけではないね」


 回転しながらもよく目を回さず文字を読めるものだ。

 なんて。感心している場合ではない。読み上げられているのはおそらくミナトの血液検査を行ったもの。


――オレってA型だったんだ!?


「それ以外にも色々引っかかる点が多いね。フレックス値を図るよりも先にもっと別のところを調べておく必要があるかもだよ」


 自分のステータスにも等しい数値が、愛によってどんどん読み上げられていく。

 そんななかミナトには唯一納得いかないことがある。


「あれ? 血液検査なんていつの間にしたんだ?」


 血を抜かれていないのになぜ検査結果なんてものがわかるのか。

 厳密に言えば注射をした経験すらない。だからますます謎は深まっていく。

 すると杏が「なに言ってんの?」潤んだ唇を尖らせる。


「はじめに出会ったときに巻いてあげた包帯があったでしょ? あれをゴミ箱から拾っサルベージして調べただけよ?」


「おいこらオレのプライバシー!? ってかそれかなり粘着質なストーカーの手口じゃないか!? いつの間にオレの部屋のゴミ箱を漁って持って行ったんだよ!?」


「アズグロウと初めて戦って帰還したあとにすぐよ。アンタはグロッキーになって寝ちゃってたから忍び込むのは簡単だったわ。それとチャチャさんって人にも許可を得てお邪魔したから不法侵入にはあたらないはずよ」


 さも当然なことを言っているかのような。あっけらかんとした言い草だった。

 しかもどうやら外堀すら埋められていたらしい。尋ねてきた杏を笑顔で招くチャチャの姿を想像するのは、ひどく容易い。


「でも本当にナノマシンが入っていないのかを調べなきゃいけなかったのよ。それでもし気に障ったというのならちゃんと謝罪するわ」


 ごめんなさい。杏はミナトの前に歩み寄ってから腰を曲げて深々と頭を下げた。

 嫌な思いをさせてしまった相手に対する緩慢ではない正しい謝罪だった。

 これにはミナトも意地の悪いことをしようとする気さえ湧いてこない。


「別にそれくらいなら……もう頭を上げていいよ」


 謝罪を止めるよう肩を軽くぽん、と叩いた。

 杏は僅かにひくっ、と揺れてからおずおずと頭を上げる。


「……いいの?」


 滲んだ上目遣いでそんなことを言われて許さぬわけにはいかない。

 ミナトは若干頬が熱くなる感覚を覚えつつも平静を装う。


「許可は取って欲しかったけど、そっちだって真意を確かめないと落ち着かなかったってことだろう」


 逃げるように目をそらし、かゆくもないのに頬を掻く。

 アザーから拾い上げてナノマシンが入ってました、では済まないのだ。

 だいいち杏はマテリアルのなかでも1番本気で革命の矢を探していた。そして悪を悪と認めて真意に謝罪までする。

 杏の覚悟と本気を知っているからこそ、ミナトにとっても彼女が悲しい目をしているのは嫌だった。


「ふふっ、ありがと。アズグロウのときもそうだったけどアナタって優しいのねっ」


「……うっ」


 後ろ手に構え見上げるようににっこりと花開く。

 杏の笑顔がまぶしすぎてミナトは直視出来なくなってしまう。

 女性というのはズルい生き物だ。悲しんでいると手を差し伸べたくなるし、喜んでいると目を合わせられなくなる。

 そうやって青春している間にようやく検査の熟読が終わる。


「おっけーい! ナノマシン反応なーし! 彼は真の革命の矢として機能する唯一の逸材だね!」


 ぴた、と。椅子が止まり正面を向く。

 それから愛は検査結果の紙を放り投げて両手を大きく挙げ万歳した。

 室内にいる杏と東がほぼ同時に安堵の吐息を漏らす。


「あらかじめ知ってはいたけど、科学者のお墨付きをもらえるとさすがに安心出来るわね!」


「はっはっはァ! これでようやくネクストチャプターに進める準備が整ったということだな!」


 まったく同じタイミングで2人に背を叩かれたミナトはよろめく。


――いったぁ!? なんだこいつらの息の合いかたは!?


 とはいえミナトも安心している。ここまで期待されて資格なしではアザーにいる家族に顔向けが出来ない。

 なによりここまでやってきたのは革命を成功させてディゲルとチャチャをノアへ掬い上げるため。この段階で挫折するなんて許されるものか。

 そしてさらに美菜愛という名前にも覚えがあった。ミナトは咽せながらも急速に記憶の捜索を開始する。


「みな、あい……美菜愛? その名前をオレはどこかで聞いているような?」


 自然と視線が左腕へと吸い込まれていく。

 そこにあるのはすべての起点となった流線型のメタリックブルーだった。

 ワイヤー射出装置にはとある文字が打刻されている。


「M.AI…………美菜、愛!? まさかこの装置を作ったのは!?」


 時間を要さず脳が解答を導き出した。

 研究室、科学者の帯びる白衣、そして打刻された3文字のイニシャル。気づくには十分過ぎるほどのヒントがあった。

 杏が愛の頭に手を置くと、愛は嫌がることもなく猫のように目を細める。


「そっ。その試作版フレクスバッテリー、というよりフレクスバッテリーそのものを人類に与えたのがこの子、愛よ」


「まさかほぼ廃棄気味にアザーへと送ったフレクスバッテリーが帰ってくるなんて思わなかったけどねぇ~」


 少女たちがじゃれ合う姿をよそにミナトは真実に震えた。

 この愛という少女がこの装置を作ったというならば、杏と自身の命はこの少女が救ったようなもの。

 さらに言うならば彼女は、若すぎた。

 これほど未知の科学物を発明できるとは思えぬほどに幼く見える。


「あー! その顔は僕のこと信じてないでしょ!」


 愛はすべてを見透かしたとばかりに椅子から立ち上がった。

 勢いよくミナトをびしっと指さす。


「いや、信じてないわけじゃ……」


「いーや絶対信じてないね! 科学者だから目を見ればわかるもん!」


 第2世代とは厄介なもので、その気づきが能力によるものなのかがいまいちわかりにくい。

 愛は、靴音高くミナトに歩み寄ってから鼻高々と背を反らす。


「このノアで発明の母と言えばこの僕だよ! 今船のみんなが来ているパラスーツ、パラダイムシフトスーツだって僕が発明したものなんだからね!」


 その仕向けられるように突き出された胸部は、あまりにも薄く華奢すぎた。

 注目して欲しい部分はそこではないのだろう。おそらく自身が開発したというスーツを見せびらかしている。

 しかしミナトはあまりにもか弱い胸部を凝視しながら「……は、は?」と口を滑らしてしまう。

 そしてやましい視線に気づいたのか。愛は慌てて胸を両手で覆い隠す。


「な、ならじゃあ父でもいいよ! 名を馳せる天才科学者たちは往々にして男性だったって言うしね!」


 なかば意地になっているのだろう。訳がわからない。

 それでもミナトの視線は1点から動かず凝視しつづけている。

 なぜなら愛の部位は、乳というにはあまりにも絶壁だった。


「……ち、ち?」


「ねえ女の子の逃げ道をぜんぶ塞いで楽しい!? 君、初対面なのに目を合わせいてる時間より一部分を見てる時間の方が確実に長いでしょ!?」


 途端に愛は半泣きになって声を荒げた。

 ぷりぷり怒る表情も癇癪を起こす子供のようで、やはり幼い。


「はっはっはァ! 女性は胸の大きさがすべてではないぞ! たゆまぬ努力を労してなお功を奏さぬ片鱗にこそ愛らしさがあふれるというものだ!」


「フォローになってないわあああ! ぼっけええええええええ!」


 愛による強烈な右ストレートが東の腹部に刺さったのだった。



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