21話 希望なき道に安寧を求む影 『No Hope』

「はっ! 東中将お帰りなさいませ! アザーに向かったとお聞きしておりましたがずいぶんとお早いご帰還でしたね!」


 垂直離着陸機VTOLから降りノアへと侵入してからこれで幾度目かの接触エンカウントだった。

 ノアの制服を着た女性が一党にむかって駆け寄ってくる。1人の相手が終わったかと思って数歩ほど歩くたびに捕まってしまう。

 そして彼女たちの目的は、みな同じ。蕩けきった眼の向けられた先には必ず中年男がいる。


「短い人生だ。君と離れている時間をなるべく短く済ませようと思って急いで帰ってきたんだよ」


 そう言って東は駆け寄ってくる女性の輪郭に手を添えた。

 吐き気をもよおしかねぬガムシロップの如き甘い言葉。よくもまあそろえがつらつらとでてくるものだ。

 しかも顎に手をつがえられて捕獲された女性は、すっかり女の顔になってしまっている。


「はぁぁん……東中将ったらお上手なんですからぁ……!」


 捕まえられた女たちはみな一様に瞳を滲ませ腰を左右に揺らす。

 なにより東の恐ろしいところは別にあった。

 1人1人の娘たちへすべて異なる吐き気で対応している。上司とするなら最悪でも詩人とするなら100点の逸材だった。


「今夜……君の部屋へお邪魔しても良いかな?」


「はうう……! いつまでも……お待ちしておりますぅ……!」


「女性を待たせるつもりはないさ。君が望むのであればいつでも駆けつけよう。そう、たとえ君のいる場所が遠く離れた宇宙の彼方であっても」


 都度、展開されるメロドラマにマテリアルの面々はいい加減うんざりしている。

 なにせこちらは地質調査用の重く角張った機器を運搬中なのだ。毎回毎回女性に声を掛けられるたびに足を止めて無双されてはたまったものではない。

 ひそひそ、と。ジュンとウィロメナはたまらず声を潜めて耳打ちを交わす。


「これのなにがすごいかって言うとね、東中将って全員に対してちゃんと平等かつ正真正銘な愛情の音を発していることなんだよ?」


「それって生粋きっすいの女好きってだけじゃねぇか。愛ってもっとこう……俺にはよくわかんねぇけど、振りまくようなもんじゃねぇだろ」


 いい加減辟易としていた。それはもう垂直離着陸機から降りるときの緊張感すら忘れるくらいには。

 運搬中の機器は杏が重力減衰させることで軽くなっている。そのため正方形の物体を押して目的地に歩くだけ。

 そのはずだったのだが東のせいで一切歩みが円滑に進まない。優秀なアザー脱出劇を繰り広げたとはいえこれでは汚名が返上されるというもの。

 いよいよをもって業を煮やした杏が落雷を落とすのにそう時間はかからなかった。


「いい加減にしなさいよねッ!! アンタは歩く先にある電柱の1本1本に小便を引っかけて回る犬かなにかなわけッ!!」


 怒りによって帯びた蒼が茨のように棘立った。

 さらには大気が揺らぐほどの衝撃が発生する。

 集中力が欠かれたことで浮いていたはずの地質調査用のキューブが、ごんっ。


「――お”ごえ”!?」


 自重によって落下すると同時だった。

 明らかに人為的と思われるくぐもった悲鳴が周囲へ響き渡る。

 全員がぎょっと動きを止めた。当然東に口説かれている女性もまた目を丸くする。


「……あれいま、なにか声が……?」


「あっと、話の途中によそ見はいけないな」


 すかさず東がカバーに回った。

 女性の丸い腰に手を回し、耳元に唇を強引に引き寄せる。


「このまま楽しいお喋りをつづけたいのだがね。どうやらわがままな蕾が俺を他の駒鳥に渡してしまいたくないようだ。それでは今夜そちらにお邪魔した際にゆっくりと語らうとしよう」


「は、はぃぃ……! お化粧を整えて東中将が訪ねてくるのを心待ちにしておりますぅ……!」


 杏の怒りでさえ愛の空間に入りこむ余地はない。

 しっかりと今晩の確約を決めた制服の女性は、発情した瞳のままに、一党らの向かう逆側へとスキップで消えていく。

 そして面々は女性の背を見送ったままの体勢で幾秒ほど膠着した。

 ジュンと東は、恐る恐る地質調査用の機器をノックする。


「お、おぉい? 今の音……中身大丈夫かよ?」


「ふぅん? くびり殺される寸前の鶏のようなうめき声が聞こえたな?」


 返答はない。

 正方形はただあるべき形のままにその場で鎮座しているだけ。

 と、運搬用に《重芯モード鶴翼エア》を掛けていた杏の元へ寒々しい視線が集う。


「しょ、しょうがないでしょ!? この女垂らしクズがいつまで経っても先に進まないのが悪いんじゃない!?」


 必死になって言い返すも口調に強さはなかった。

 落としてしまったという自覚だけはあるのだ。そして被害者もいる。


「だ、大丈夫だよ杏ちゃん。まだちゃんと心音が聞こえてるから生きてるよう。でもこの音……すごい苛立ってるかも?」


 ウィロメナが慌てて取り繕うも、音沙汰はない。

 地質調査用機器の中からの返答は、梨のつぶてに等しい。

 ミナトは、今現在鉄の檻に等しい窮屈な箱の中ですし詰めとなっている。


――こんなのアザーにいたころよりひどい境遇じゃないかよォ!


 叫びたいのに叫べない口惜しさ。

 箱の中は暗く滾り空気も淀んでいる。さらには地面が上なのか下なのかそれすら定かではない。

 しかも杏の集中力が切れたことによる落下のダメージで意識すら朦朧としている。


「これ今なかでどういうことになってんだ? 開けたらミナトがゲル状になってたりしねぇよな?」


「な、なんか能力とかとは別に負の感情が渦巻いてる気がするし……急いだほうがいいかも?」


「あーもうとにかく走るわよ! こんな廊下の真ん中でうろうろやってたらカモフラージュした意味がなくなっちゃうわ!」


 再度浮遊感を感じながら靴音だけが暗黒に木霊した。

 箱のなかに聞こえてくる仲間たちの足音は、やがて意識が移ろうのと同期するよう徐々に遠のいていった。



………………



 接触を終えた女性は曲がり角を曲がった辺りで即座に影へ潜む。


「フレックスによる察知能力を使用した結果対象の潜入を確認。どうやら鍵を得たという情報は虚偽ではなかった」


 能力で対象を察知するのは容易だった。

 なにせ相手はハナから警戒すらしていない。

 ジュン、杏、ウィロメナの3名で固められてこちらから手のだしようなんてあるものか。とくに第2世代最強のフレックス総量を誇る《不敵プロセス》の化身まで護衛についている。

 守護、支援、戦闘のどれをとっても1流を揃えてくるとは。あの3人と揃って対峙するとなればこちらはその10倍の人数を用意しなければ話にならないだろう。

 しかもどう考えてもこれは罠だ。こうやって幾人の人間が警戒網へ引っかかるのかをああして飄々とした風を装い探っている。


「やはり油断ならない。東中将はこちらの動きを探りつつどこかへ向かってる」


 女性はまるで仮面でも脱いだかの如く冷徹な表情を貼りつけた。

 淡々とALECナノマシンによる通信機能を使い相手に情報を伝えていくのみ。


『……そうか。東はとうとう《革命の矢》見つけてしまったのだな』


「ミスティ司令ご決断を。このままではもう幾日とせず革命派が動き出す」


 方舟の平穏はこうも容易く破られつつあった。

 1発限りとはいえその1発が致命的。革命派が堂々と動き出すのであれば、こちらへも火の粉が降りかかることになる。

 多くの人間が生の享受という安寧を求めていた。なのにもかかわらず革命派は我が儘に平穏という唯一無二の破壊を企てる。


「このままでは6代目人類総督の忌諱ききに触れかねない。我々穏健派に抵抗の意思はないと示さねば人類はより追い込まれる」


『……重々承知はしているさ。第1次革命以降現れた赤き壁もその一端であるのだからな』


 沈痛な無音に微かな吐息が混ざって届いた。

 非常事態だった。ノアの舵を握る第1次革命軍リーダー長岡晴紀ながおかはるきに事態を知られれば被害は避けられない。

 革命の犠牲によってどれほどの人間が死ぬことになるだろう。今でさえ犠牲は多く、その後を想像するのはあまりに苦痛を伴う。


『……。我々は時を待つ。やがて激動する歴史の首を捕まえることでこの因縁に終止符を打とう』


「プランA、了解。その時まで我らは影となって潜む」


『ゆめゆめ忘れないでほしい。我々の目的は殺し合わないために戦うことだ。犠牲は、《フレイムウォール》を無効化できるRevelatorのみと定めるよう指示してくれ』


 穏健派の総司令である彼女は、どこまでも清く、優しく、正しかった。

 その志す未来を閉ざしてでも、反旗を翻し、旗手として立ち上がる。

 ゆえに革命派に勝利はなく、穏健派にさえ希望が芽生えることはない。


「通信終了。以降は探知されないために影への通信は絶つ」


 ぷつ、と。通信を閉ざすと同時だった。

 女性の周囲に蒼き影が音もなく集う。


「ポイントへ移動」


「……」


 そして1人が浅く頷くと、各々の役割を理解し再び散開した。

 人は未来無き道と知りながらも束縛されつづける道を選ぶ。もはや選択の余地など残されていないのだから。

 生きるためには戦わねばならない。たとえそれが未来永劫苦渋を舐め続けることになるのだとしても。

 唯一信じられることはただ1つのみ。希望などこの世界からとうに消え失せているということだけ。

  こ こ に迷い込んだ時点で、人類はそう選ばざる得なくなったのだ。


「ままならない……人も、世界も……命でさえ……」


 そう言って彼女はまつげの影を伸ばしながら狙撃銃を担ぎあげる。

 その時がやってくるまで長い潜伏になりそうだった。



………………

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