16話 ここだけの世界
ワイヤー射出装置を鎮座させての観察がはじまっていた。
天上人でさえ珍妙な物を見るかのようテーブルの上の流線型に釘付けになっている。
各々好奇心満載といった眼差しを向けていた。
「これマジでヤバくないか? どんだけ繊細なフレックスの扱い方をすりゃああんなもんを何回もだせるってんだ?」
「はじめ見たときはすっごいびっくりだったよぉ。見た瞬間思わず身体がびっくりぎゅうって固まっちゃったから杏ちゃんを助けるのに出遅れちゃったもん」
席に着いたジュンとウィロメナは真剣な面持ちで射出装置を眺めた。
まずもってしてそれはミナトの思うワイヤー射出装置なんて代物ではないらしい。
正式名称は、《フレクスバッテリー》。人の体内で生み出される
そして試験的に作られていたフレクスバッテリーは、数々の性能実験をすでに終えて正式採用されているのだとか。
ウィロメナは恐る恐る腫れ物にでも触れるような手つきフレクスバッテリーを持ち上げる。
「わ、わわっ! この中に入ってるフレックスって知ってる人のかも!」
驚いた拍子に落としそうになるも空中でキャッチした。
慌てた動きに合わせて目が隠れるほど長い前髪がカーテンのようにはためく。
「その裏をよく見てみなさいな。きっとその心当たりのある人物が良く使用する特殊なサインが刻印されているはずよ」
杏に言われてウィロメナは流線型を裏返す。
腕を通す窪み部分の端のほうに文字がちんまりと打刻されていた。
「MAI……まい? 俺の知り合いに舞なんてやついねぇなぁ? ウィロはどうだ?」
「同世代のジュンがいないなら当然だけど私だって知らないよぉ? それとそこ、よく見るとMとAの間に点が打ってあるからMAIじゃないかも?」
「ってことはM.AIか。イニシャルがM.AIでぇ、開発担当チームのやつって言ったらぁ……」
2人揃って「うーん?」高音低音を重ねながら首を捻った。
変わって杏がフレクスバッテリーを2人から取り上げる。
「これはイニシャルじゃなくてただのサインよ。開発担当チームのリーダーが自分の携わった物や資料やプロジェクトに必ず使用する文字よ」
そしてジュンとウィロメナは口を揃えて「ああ~」と発すのだった。
ここまで置いてけぼりを食らうこともそうそうないだろう。
――こいつらはいったいなんの話をしてるんだ。ディゲルのやつも慌ててどっか行っちゃうしさ。
ミナトは、すっかり蚊帳の外へ追いやられている。
本来ならビーコン設置の仕事に出かけている時間だった。
なのに指示をするディゲルがいない。彼はワイヤー射出装置の反応を見た途端、血相を変えて外へ飛び出していってしまった。
すっかり手持ち無沙汰となったミナトは、地質調査面々から少し距離をとって立て付け悪い椅子をぎぃぎぃ鳴らす。
もう1人のチャチャはと言えば、ジュンという異性が同じ屋内にいるため先ほどから別室に籠もりきり。
「ちらっ、ちらちらっ! さささっ!」
というわけでもなく。
いちおうの
淹れた客人用であろうコーヒーを盆に載せ、遮蔽物に身を隠しながら、隙を窺っている。
「とにかくこれはどう考えても由々しき事態よ! 新たなフレックスの可能性を
杏は片手にもったワイヤー射出装置を掲げた。
ふん、と。我が功績とばかりに鼻を高くして背を反らす。肌と密着する薄手のスーツが形の良い椀型の膨らみを強調した。
「つっても今すぐって訳にはいかねぇだろ。地質調査を終えたからって即行迎えに来いとか通信を飛ばせば各方面に怪しまれんぞ」
「そ、そうだね、うん、きっとそう。この発見が明るみにでればたいへんなことになっちゃうかもだよね」
「ううっ……! た、たしかにそうね……ちょっといったん落ち着くことにするわ」
ジュンとウィロメナによって冷静に諭されてしまう。
そして杏はがっくりと肩を落とすのだった。
「それになにより当人に自覚がないのもダメだろ。これはあくまで俺らじゃなくてミナトの問題だ。ここから協力を得られるか得られないかの確認すらしねぇで話を進めるのは約束を守らねぇことより失礼になっちまうぜ」
ジュンがそう言うと、それぞれの視線が原因の元へと集う。
方々から送られてくる視線に、ミナトはしかめっ面で難儀した。
いちおう話の方向性は理解しているつもりでも、度し難い。いきなりフレックスという未知の力が芽生えているなんて言われてそうそう信じられるものか。
「話を整理したいんだけど、オレの能力って……ただの紐を生み出すだけなのか?」
少なくとも自分より専門な者たちへ、単刀直入に尋ねてみる。
遠回しに『どうでもいい能力』という意味も含められていた。
ジュンたちのやったような身体能力向上という大立ち回りも出来ず、重力を操るような
なんの冗談だろう。身につければあの化け物AZ-GLOWでさえ手玉にとる人類の真価が……ただの紐とは。
ミナトにとってはたまったものではない。冗談じゃないという心境ですらあった。
「なにか勘違いをしているみたいですね。とはいえ教育らしい教育も受けずにアザーで育ったのならば仕方のないことだと思いますけど」
すると杏が靴音高くミナトのいるほうへと歩み寄ってくる。
「第2世代の能力は固有じゃないんです。ウィロの《
「人によってアレが得意コレが得意ってやつと一緒だな。野球が得意なやつもいればチェスが得意なやつもいる。だから俺みたいに雑なやつでもちょっとくらいは別の能力も使えっちまうのさ」
そう言ってジュンはテーブルの上に置かれていた木匙を手に取った。
摘まんだ木匙に向かって目を細める。僅かに彼の身体の表面に蒼が発生する。
「っ、……《
徐々に徐々にジュンの手から木匙が浮かび上がっていった。
たまらずミナトは皿のように目を丸くする。
「スプーンが浮いた!? それは杏の使った能力のはずじゃ!?」
が、2秒と立たぬうちに木匙はテーブルの上へと落下してしまう。
「かぁーっ! きっつぅ! フレックス実施試験でもやったけど、マジで俺こういうの苦手だわ!」
「ジュンっていつも繊細で集中力の必要な能力が課題だと赤点ぎりぎりだもんね……」
本当に少しの時間だったが木匙は浮いた。
ジュンはウィロメナに慰められながら悔しそうに天井を仰ぐ。
それでもミナトは確かに蒼によって包まれた木匙が浮遊するところを見た。
「ご覧の通りこれがフレックス第2世代の真価です。そして貴方が発現させたワイヤーという能力は未だかつて類を見ないまったく新しい能力なんです」
「ぜ、前例がないってことか? で、でも――ちょっとまってくれなんでオレの身体にはさっきのジュンみたいに、いや違う! だっておかしいじゃないかどうしてオレが使えてるっていうのに神々しい蒼い光が浮かび上がらないんだ!」
こればかりは声を荒げずにはいられなかった。
乾くほど渇望していたはずの力。生きる力。そのはずだったのにワイヤー1本を生み出すだけ。
信じられるものか。この天上人たちのいう戯れ言を信じてたまるものか。まだ使えないと言ってもらえたほうが気は楽だった。
気づけばミナトは、座っていた椅子が倒れることさえ気にせず、杏のほうへと詰め寄っている。
「オレは特別だの類を見ないだのというものなんて望んじゃないない! ただ使いたいだけなんだ! 使ってもっとたくさんの地上人たちを……家族の生活を守りたいだけなんだよ!」
「っ、アナタ自身は気づいていないでしょうけど、アナタの体内にはフレックスが微塵も感じられない。それはもうはじめて出会ったときは私でさえ才能の片鱗すら見いだすことが出来なかったほどです。なのに外側もあるフレックスのみを動かすというあり得ない現象が起きているんです」
杏は肩を掴まれたとき一瞬だけ怯えたような表情を見せた。
だがすぐさまミナトをにらみ返すと、声色を強める。
「とにかくアナタにはフレックスが発現しているんです! これだけは絶対に覆りようのない現実なんです!」
凄まじい剣幕だった。
なにが彼女をそこまでまくし立てるのかと思うほど。激しい身振り手振りで主張する。
「そして私はフレックスを発現させたアナタの力によって命を救われた! 曲がりようのない事実がここにあるんです!」
「……っ!」
だからミナトは悔しいながらに拳を握って歯噛みした。黙らざるを得ない。
言い返すことは容易だった。だが、相手が引かないとわかってつづける話ほどバカバカしいマネはしない。
静寂が訪れてひと区切りついた辺りでジュンが2人間に割って入る。
「なああんまり熱くなるなよ。それより杏はミナトに話すことがあるんじゃなかったか。そんな感情的になってる状況で話すことではないと思うがな」
「……そうね、そうだったわ。ごめんなさいちょっと焦り過ぎちゃったかもしれないわね……」
うつむいた杏は、もう1度小さく「ごめんなさい」そう繰り返す。
ウィロメナほどではない前髪に表情を隠し、僅かに唇が震えていた。
よくよく見ればキッチンとの境をうろちょろしていたチャチャもいなくなっている。どうやら喧噪が恐ろしくて逃げてしまったのだろう。コーヒーの乗った盆だけがカウンターに置かれていた。
ミナトは軽く深呼吸を挟んで平静を取り戻すよう努力する。
「もう、いい加減帰ってくれないか。オレのほうから話すようなことはないからさ」
「っ。あ、あの、私……アナタに自身の本質を理解して欲しくて、つい……」
杏がなにかを言おうとした。
しかしミナトが「頼むよ」無理した笑いを作ると、「ご、ごめんなさい」沈痛な面持ちでおずおず引き下がるのだった。
しばしほど息苦しい居心地の悪い沈黙が室内を満たす。
ミナトにとってここは家なのだからいるのが当然だ。だが杏も帰れと言われてなお留まる。どこか食い下がるような執着。
「ちっと空気が悪いな。今日のところは1度喧嘩別れしつつ換気でもしようぜ。こういうのは往々にして日を改めるべきだろうさ」
見かねてジュンがやれやれと制服を帯びた肩をすませる。
ウィロメナも木椅子から腰を上げて同意の意思を示す。
「うん、うん! どうせ連絡を入れてもすぐには迎えも来ないしね。ゆっくり話を進めていくほうがいいと思う」
そうして彼女は、杏の背に触れて部屋の外へと導いた。
ジュンも押し黙ったままのミナトの肩へぽんと触れ、「じゃあまたな」颯爽と出て行く。
そして1つのみの外へつづく出入り口がすんでのところで閉ざされた。
「あん? なんだオメェらまだいたのか?」
「でぃ、でぃでぃ、ディゲル中将!?」
あわや衝突といったところで飛び退く。ウィロメナはすんでのところで衝突を回避した。
ちょうど地質調査舞台の出て行くタイミングでディゲルが戻ってくる。
「地質調査のほうが上手くいったからって入り浸られてもな。こっちはこっちでやることも多い。なんなら手伝うなりしてくれると助かるんだがな」
少年少女にとってディゲルという大男の胸板は打ちっぱなしのコンクリートと変わらない。
しかも彼は身長が190cmにも及ぶ巨漢だ。西洋の血筋が混じっているためか骨も太く肉体はさながら鎧。
鬼の眼光に睨まれたウィロメナは見ていて可哀想なくらい怯えてしまう。
「い、いいい、いま、おいとまさせていただく……と、とと、ところです!」
己が強い弱いとかの次元ではない。きっとただ単純に目の前にいる猛禽類よろしくな目つきの生物が恐ろしいのだ。
ウィロメナが素早く道を譲ると、ディゲルはのっし、のっし。威風堂々とした歩みでミナトの元に歩み寄る。
「ミナト」
「……。なんだよ改まって」
「オメェ上に行け」
無骨で遠慮のないたった一言だった。
マテリアルの3人は息を呑むように固まった。
そしてミナトでさえも言葉を忘れた。
「緊急用で貯蓄してた資材をたった今取りに来るようノアへ連絡を入れた。あとは船がきたらオメェはそれに乗ってノアに昇れ」
「ッッ!? バカかお前は
育ての親の口が悪いのだ。いざというときは本質的に似てしまうのも当然。
しかしディゲルはけんもほろろに激怒するミナトを無視してつづける。
「お上からのお迎えは2週間後だ。このタイミングで連絡をいれたことによって上にいる俺の古い友人が必ず状況を察すはずだ。アイツはその辺のことに滅茶苦茶敏感だから心配はねぇ」
「なに勝手に話進めてんだよテメェはBキャンプも潰されてんだぞ!? しかもビーコン屋のオレなしでどうやって食いつなぐ気なんだよ!?」
ランニングの襟首を捻り上げるも、体格も実力も、大人と子供だった。
蒼すら宿らぬ骨の浮いた手で反抗しても、目の前の大男はたじろぎすらしない。
ただ静かに頭1つぶんほど下で喚き立てるミナトの瞳をじっと見据えていた。
「アナタの居場所はここじゃない! なぜならもっと高く飛び立てる翼があるから! だから私たちと共に方舟へ向かいましょう!」
息を吹き返すように杏が再び瞳に光を灯す。
ウィロメナとジュンを押しのけ、再度ミナトへ縋るような視線を仕向けた。
「お願い! 私たちにはアナタの力がどうしても必要なの! 数多くいる人類のなかでたった1人だけ! 2つの条件を満たしたアナタだけが私たちにとって唯一の希望になり得る存在なの!」
羨望の眼差しが1点を目掛けて降り注ぐ。
意思が芽生え自我が芽吹き未だかつてこれほど求められるということがあっただろうか。
それも杏だけではない。ジュンもウィロメナだって口にはしないが瞳には期待という2文字が見え隠れしている。
ミナトはこら切れぬ感情を胸に、喉から声を絞り出す。
「……嫌だ。オレはもう……オレの世界にいる誰もを死なせたくないだけなんだ……」
それはこの心が生まれて初めて発したわがままだった。
… … … … …
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