15話 宵の刻、朝焼けのしじま

 微睡み。無という開けた空間に少しずつ意識が介入する。

 浅い眠りのなかで中途半端な目覚めによって浮上していく。

 おぼろげな記憶の扉が開いて懐かしい声が耳の奥をかすめた。


『ディゲルちょっと見てみろ! ミナトが補給物資のなんかに反応してるぞ!』


 親友の懐かしい声がする。

 後につづくのもまた馴染みある男の音だった。


『あぁん? シンてめぇ幻覚でも見てんじゃねーだろう――マジで反応してんじゃねーか!? そういうこと大事なことはもっと早く言えよバカか!?』


『だから即行で言ってんだろ! あとバカバカ口癖みたいに言うお前のほうがバカだ!』


 喧々諤々。高い方の声も、ガラついた獰猛な声も、どちらもだいぶ大人げない。

 そしてどちらの声も聞き覚えがあった。記憶にあるものより少し若々しい。

 否。おそらくこの声も記憶のなかにしまってあるものだったはず。遠い遠い昔の、生まれたばかりくらいの記憶。


『なんだミナトそんなもんに興味あんのか? ぼっ、と突っ立ってるだけのオメェが興味を示すなんて珍しいな?』


『このツルッとして蒼いのはなんだ? どこかに革のバンドで止められるよう作られてるな?』


 おそらくは記憶の引き出しが引かれるなんらかの現象があったのだろう。

 そうでなくとも先日の仕事は難解過ぎて肉体と精神共に、ぐったりくたびれている。

 こんな他愛もない過去のレコードが再生されてしまうくらいには疲弊しているのだ。


『付属してる手紙を見るとディゲル宛って書いてあるな』


 大男は生白い少年の手から手紙をひょいと拾い上げる。


『人様宛てのもんを勝手に読むんじゃねぇ。知られるとクソ面倒なことが書かれてることもあんだからよ』


 広げた紙を注視するみたいにして2秒ほど目を細めた。

 そして視線を外すのと同時にぐしゃりと両手で紙を小さく握りつぶす。

 さらには躊躇なく口の中に頬張ると、ごくり。送られてきた手紙を飲み込んでしまう。


『なあ、なんて書いてあったんだ?』


『最初の1行だけ読んだが、いつも送られてくる定期的な連絡みてぇなもんだ。目新しいもんはとくに書かれてなかっただろうな』


『ろうなって……せめて全文に目を通してから処分しろよ。最後のほうなんか細かい字が書かれてたぞ。ミナトのもってる蒼いヤツの仕様書とかじゃないのかよ』


 少年に言われて大男は「あっ」と気づく。


『ま、まあなんだ? どうせろくなもんじゃねーよなぁ?』


『やっちまったからって俺に振るなよ。答えはとっくにディゲルの胃の中だ』


 大の大人と器量の良い少年の間に隔てるような壁はない。

 『吐くか?』『やめとけバカ』まるでコントのようなやりとりは仲睦まじい証拠だ。

 記憶のなかの光景はいつまでも美しいまま。シャッターをカチリと押して枠に閉じ込めるように起きた事象がそのまま変わらない。美しいままに在りつづける。

 この当時の記憶では、アザーの空も青く澄み渡っていた。まだ地上人たちの数も多く、今よりずっと活気づいてキャンプも寂れてはいない。

 石造りも新しく、そこへ住まう家族も5人いて、毎日がほどほどに希望へ舵を切ろうと、全員が努力していたころ。


『こんな欲しそうにしてるんならコイツはミナトにくれてやるとすっか。刺激になるもん与えてやればそのうち心を引き戻せるかもしれねぇしな』


 大男は、《こちら》が隠れてしまうほど大きな手で頭をわしわし豪快に撫でた。

 ぱちくり、と。少年が少女のように大きな目を瞬かす。


『で、渡すのは賛成だけど……結局なんなんだよコレ? どっかに着けられるようになってるってことは飾り物インテリアではなさそうだけど……』


 大男は、《こちら》の両手に置かれた流線型のメタリックブルーを、片手で軽々持ち上げる。

 それからノックするみたいに叩いてみたり、覗き込んでみたり、嗅いでみたり。

 最後に半円を描く底部と思しき箇所を腕へ着けて革のバンドを巻き付けた。


『あー……こりゃあアレだ。あのデータにある子供向け的な物語に登場するなんかの武器的ななんかだな』


『的となんかがおおいなおい。どう考えてもテキトー言ってるだけだろ、的なだけに』


 野太い腕と比較すれば、装置は《こちら》がもつよりもずっと小さく見えた。

 大男は、それを狙い定めるよう視線を合わせて片目瞑る。


『どうせ俺宛ってこたぁ工業用品かその辺の類だろ。だとすると高所作業用にワイヤー的なものが飛び出したり……するんじゃねーか?』


『いやだから俺に振るなよ……』


 『吐くか?』『やめとけバカ』再度コントのようなやりとりだった。




………………




「……すげぇ変な夢。最近夢見悪いし枕変えようかな……」


 覚醒すると、覚えたのはどこか懐かしい匂いだった。

 いつもの追われるような夢ではなく、もっとバカげた楽しい夢だった気もする。

 ミナトはあくびをかみ殺しながら寝袋のジッパーを下げてむっくり上体を起こす。


「あ”~……昨日はひどい1日だった」


 身体が重いのはいつものこと。

 全身の関節を試験的に曲げてみる。内側からパキパキ景気の良い音が響く。

 ずしりとする頭で昨日を思い返してみれば、よく生きていたな、なんて。あれだけトラウマものの経験をしたのだ。夢見くらい悪くもなるだろう。


「《マテリアルリーダー》、《マテリアル1》……か」


 ミナトは、言い慣れぬ言葉を口のなかで転がした。

 掌に目を落としてみると、翌々日に斬られた浅い傷はすっかり塞がっている。

 初期対応が良かったのだろう。あとで杏には礼を言っておくべきかもしれない。

 昨夜はぐったり疲れてそのまま寝袋に倒れ込んだところまでの記憶があった。それからディゲルかチャチャのどちらかが、ちゃんとミナトを寝袋に詰めてくれたらしい。その証拠に作業用のジャケットも古びた机の上に畳まれて置かれている。


「また心配させちゃったかな……ん?」


 ふと寝起きの脳裏に違和感が横切った。

 硝子の入っていない窓の外が、朝と呼ぶには少々明るすぎる。

 ミナトはすぐに自分が寝過ごしたと言うことに気づく。

 普段であれば起こしにきてくれるチャチャが起こしにきてくれていない。

 なにかトラブルか、と。身構えた瞬間。部屋の外側から喧噪が流れ込んでくる。


「――――――! ――――――!」


「…………? …………?」


 男と女が言い合って喧嘩しているような音色だった

 言い合うといっても女性側が一方的に怒鳴りつけている。

 とりあえず状況を察したミナトは、ジャケットを着込んでから、声のする事務室のほうへと急ぐ。


「だから彼は2つの条件を満たす逸材なんです! 実際に私たちの前で使って見せたんです! それでもディゲル中将はしらばっくれるおつもりですか!」


「あー……功を急ぎたくなる気持ちは理解してやれる。だから少し声量を下げて落ち着け。女の怒鳴り声はキンキンキンキンうるさくてたまんねぇ」


 ミナトは目的地へ忍びながら近づいていく。

 なんとなくだが、なぜ変な夢を見たのか原因が徐々に浮き彫りになっていった。

 きっと眠りの浅い状態でこのやりとりを聞かされていたのだ。となれば悪夢にうなされても仕方がない。


「私は落ち着いています! 落ち着いた上で冷静かつ端的にお尋ねしているんです! もしディゲル中将がこの事実を隠していたと仮定するならそれは我々に対する裏切り行為に等しいと付け加えさせていただきます!」


 この理路整然と感情をまくし立てる様子からして杏で在ることは間違いなかった。

 そしてその応対を気だるそうに行っているのは、言うまでもなくディゲルだ。


「だがら知らねぇって言ってんだろうが。俺がアイツと何年一緒にいると思ってんだ。昨日今日来たばかりの餓鬼がやけに男を語りやがる」


「茶化さないで下さい! 私たちは確かに見たんです!」


――ずいぶん熱くなってるみたいだけど、なんの話をしてるんだか。


 ミナトは、腹を掻きあくびをしながらすり足気味に部屋へ1歩踏み入る。

 と、部屋中の視線がミナトの元へ集結した。

 今まさにという感じで杏とディゲルが机を介して睨み合う。その迫真の構図をジュンとウィロメナが呆れながら見守る。非常に奇々怪々な構図になっていた。


「ひ、ひぇぇぇ……怖いですよぉ!」


 そしてチャチャがキッチンカウンター側から半泣きで覗いている。

 一言で言うなら修羅場というやつ。痴情のもつれではないにしろ険悪さが漂う。

 ミナトを一瞥したディゲルは。たっぷりと酸素を吸ってからため息に変えて吐き出した。


「よりにもよってミナトがタイミング良く2つ目の条件を満たしたなんて信じられるかよ」


「うわ、今の言い合いオレが原因だったんだ。気まずいとこにきちゃったなぁ」


 それとおはよう。律儀に挨拶することは忘れない。

 ディゲルは「……おう」眉間を摘まみながらミナトへしっしと手を払う。


「このお嬢ちゃんをなんとかしやがれってんだ。やかましくてこれじゃコーヒーも冷めちまうし仕事もままならねぇ」


 助けてとは言わないがほぼ似たようなものだ。

 しかし喧嘩の発端がわからぬミナトにはどうすることも出来ない。

 すると杏のほうからこちらへアプローチを仕掛けてくる。


「ずっと気にはなってたんですけど、これはフレクスバッテリーの試作型ですよね?」


 彼女が手にしているのは流線型の滑らかなメタリックブルーだった。

 ミナトは首を捻りつつもほぼ思考せず答える。


「ワイヤー射出装置だけど?」


「これはワイヤー射出装置などではなく、正真正銘フレクスバッテリーです。きっと実践に運用可能かの試験をするためディゲル中将の元へサンプルとして送られた物です」


「ふれ、くす? ばってりぃ?」


 フレクスバッテリーという新設単語らしき物の登場で、余計に話の筋が迷子になった。

 しかし杏のもっているソレをミナトが見間違えるはずがない。なぜならそれはワイヤー射出装置でしかないのだ。

 数年間愛用している相棒と言っても過言ではない品。フレーム剥き出しのトライクと同じくらい勝手知ったる物品。それをいきなりフレクスバッテリーなんて不可解な名称で呼ばれてもしっくりくるものか。


「ジュンとウィロも見たわよね!?」


 だん、と。執務机が豪快に叩かれた。

 ミナトがぼーっとしている間に業を煮やした杏は、ジュンとウィロメナに問いかけた。

 2人は咄嗟に見つめ合う。そしてほぼ同時に呼吸を整える。


「おおよ確かに見たぜ。ミナトは俺たちの前でそのフレクスバッテリーを使って見せたんだ」


「うん、うん! 紐状にフレックスを発現させたのは間違いありません! そしてミナトさんは身を挺してまで杏ちゃんをアズグロウから助けだしてくれたんです!」


 杏は、それみたことかとディゲルへしたり顔を向けた。

 それをディゲルは大人らしい対応で返す。


「あのなぁ……なにを見たのかは知らねぇがよぉく聞けや」


 珍しく鬼のように獰猛な顔が困り果てている。

 というよりうんざりしているのか。やはり少年少女相手とあってはディゲルでも怒鳴るようなマネは出来ないらしい。

 あくまで大人として。未熟な子供たちに言い聞かすよう口調をやわらげる。


「フレックスっていう人が秘めた能力には段階がある。そこそこ階級の高ぇ俺でさえ第1世代ファーストジェネレーション発現止まりだ。お前たちのようにクソ努力して第2世代セカンドジェネレーションを身につけた連中ならなおのこと承知の上だろうよ」


 どれだけ厳つく筋骨隆々とはいえリーダーを任されるほどの識者だ。

 相手が子供であっても無碍にすることはしない。常識的で一つ一つの言葉に重みがある。


「なのに第1世代発現すらしてねぇミナトが、そのフレクスバッテリーとやらを使って第2世代のまねごとをしただぁ?」


 寝言は寝て言えよ? とどめとばかりに泣く子も黙る鬼の眼光が鋭く光った。

 これには杏も「うぅ……!」に幅の広い腰を引いてたじろがざるを得ない。


「はじめに言ったがこっちだってお前らが功を急く理由は重々承知してんだ。それでも2つの条件が揃う鍵はそう簡単に見つかると思わねぇほうがいい」


 これは忠告だ、と付け加えて。ディゲルは、話を切るように椅子から立ち上がった。

 これで話は終わり。打ち切りにせず最後まで聞いてやるあたりこの男らしいといえばらしい。


「……っ!」


 気圧されてしまったのか、杏は黙ったままうつむいてしまう。

 目にじわりと水気が上がって白い部分が赤く滲んでいく。

 ジュンとウィロメナも心配そうに見つている。

 それでもディゲルは振り返ろうとはしない。

 軽めの舌打ちを残し、屈強で広い背はどんどん外へつづく出口のほうへ遠ざかった。


「あっ……!」


 その涙がこぼれる前に取り上げる。

 ミナトは杏の手からワイヤー射出装置を拾い上げた。

 革のバンドに腕を通し緩くなった固定箇所2つをきゅっ、と締め上げる。


「ディゲル」


「あん?」


 ディゲルが振り返るのに合わせて念じた。

 しゅっ、という僅かに大気が切れる音と共に蒼い閃光が壁に吸着する。

 狙い通りだった。腕を構えて狙ったディゲルのちょうど頬横10cmの辺りをワイヤーが通過した。

 ミナトは杏に変わって「……な?」誤解を解いてやることにする。

 誤解が生まれたのはなにかの間違いだ。この身はフレックスなんて使えない。その証明を実物のワイヤーでしてみせる。


「…………」


 しかしディゲルはピンと張ったワイヤーを前にして固まった。

 顔面中のシワが引きつりピクピク痙攣を引き起こす。巨体も微かに震えているように見えなくもない。

 そして時が動き出すと同時にミナトの胸ぐらが捻り上げられた。


「……な? じゃねぇだろバカやろうおいバカかテメェ!? マジで使えてんじゃねーかテメェバカかおい!?」


「そんなにバカバカ言うなよぉ……。あとバカバカ口癖みたいに言うお前のほうがバカだからな」


 なぜか話がジェットコースターのコースくらいこじれただけだった。



 …  …  …  …  …

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る