17話 PARADIGM SHIFT 『革命的転換』
ミナトは大股開いてトライクの横にしゃがみ込むと、近づいた地面に向かって
こうして朝1番に癒やしを求め相棒の整備をはじめたものの、まったく気分が晴れることはない。
どころか心の隅々までアザーの空のようにどんより曇って荒んでいくいっぽうだった。
そして今日も「いよっ!」人畜無害を絵に描いたような青年が、背後からミナトの丸くなった背をぽん、と叩く。
「なんだぁ? ずいぶんと疲れた顔してんなぁ? ちゃんと毎日糖類とタンパク質とってるかぁ?」
食物繊維も大事だぞ! ジュンは、すっかり友の距離感に並ぶと、けらけら笑った。
ミナトはいちおう「おっす」挨拶を済ませて、視線をトライクへ戻す。
「そんなもんこの星で摂取できたら苦労しないっての。日々乾パンと完全食のケミカルドリンクが主食で副食でおやつ代わりだよ」
「飯がそれじゃあそんな顔になってもしゃーなしか。俺もここ数日アザーに留まってるが想像以上に過酷すぎてサバイバル気分だぜ」
滞在から1週間も毎日顔を合わせていれば気さくな会話くらい日常だった。
とくにジュンの場合は馴染みやすい。他人との壁を感じさせない気持ちの良い性格をしている。
なによりミナトもコミュニケーションが嫌いというわけではないのだ。さらには同年代で同性の友人が出来て久しいのもあった。
2人が友人関係になるのは自然だった。互いに同年代の友人との会話を楽しむ余裕があることも喜ばしい。
「でもジュンはいいじゃないかノアから支給された食品があるんだから。オレそれを見てはじめて本当にリンゴとバナナが存在するってことを知ったんだぞ」
「ははっ、そりゃあるに決まってるさ。ノアには植物を育てる農耕施設なんてものもあるんだぜ。もしミナトがスイカなんて見たらデカすぎて腰とか抜かしそうだな」
話す内容は非常に他愛もない。
それでも時間がゆったりと流れていく感覚は心地よい。水辺にたゆたうような、奇妙な浮遊感が満ちていた。
同年代の友人となんでもないことで盛り上がる。そんな当たり前のことがこの星では当たり前ではない。
ジュンらがアザーに留まってくれるだけで、ミナトは危険に脅かされることもなくなった。ビーコン任務にも毎回護衛がついてきてくれているし、そもそもAZ-GLOWと
人死にが日常から遠のく。普通の平和と呼ぶべき価値ある日々に、張りつめた弦がゆるんでいくような平穏を覚える。
そんななかでもミナトの悩みは尽きない。今日も今日とて……という感じ。
「なあジュンよ? お前のところのチームメンバーってなんとか出来ないのか?」
「あー……あれなぁ……あれはあれでああいう性格だからなぁ。真面目というか頭が固いというか努力家というか。いちおう見てると女の子らしいところとか色々あるんだけどな」
「急に高圧的かと思ったら今度は敬語で話し始めるし……。女子らしい片鱗をオレは1度たりとも見たことがないぞ」
ミナトが縋るような視線を向けると、ジュンはばつが悪そうに目を背けた。
ここ数日の悩みの種。それはアザーからノアへ上がるという話に付随する別の事柄が元凶となっている。
朝目覚めてからすでにつきっきりで、仕事中も構いやしない。そのまま元凶は就寝まで影のようにミナトへピタリと張り付いてくる。
そして今日も今日とてやつがやってくるのだ。《ALECナノコンピューター》の位置情報をナノマシンで探って的確に狙ってやってくる。
「おはようございます」
「あーもー……さよならオレのかけがえのない平穏な時間……」
今日も今日とて、杏がきてしまう。
しかもなぜだか今日は普段の杏ではなかった。
端の尖った眼鏡をかけ、身にはタイトスカートとシャツをまとっている。
「なに……その格好? 凄く似合ってるけど……なんで女教師風なのさ?」
「アナタにフレックスに関する知識を覚えさせるため変異させた特別仕様のスーツです」
形から入るタイプなのだろう。杏は指導役としての女教師風コスチュームをまとっていた。
シャツを隆起させる女性的ラインが美しい。すぼんだプリーツスカートはむっちりと肉の厚い臀部を際立たせて煽情的さをより加速させた。
もっと温和な顔をすれば可憐な美貌も光ろうもの。なのにすん、と澄ました表情は高嶺の花と言わんばかりに鋭い。
「昨日分かれる前に渡しておいたフレックスに関する論文のデータへ目は通しましたね?」
敬語の中にピリピリするような緊迫の圧が含まれていた。
まさかとは思うが……、なんて。目を通していないという回答を彼女は待っていないのだ。
そういう気配を察した段階で、ミナトはすでにうんざりしている。
「ちゃんと読んだよ。30頁もある文字列をひと晩かけて読んだからこんなに
「だから疲れた顔してんのか!? そんな無茶振り無視すりゃいいのに付き合い良すぎかよ!?」
ジュンが驚くのも仕方のないこと。杏に渡されたデータはそれくらい色気もクソもないものだった。
挿絵もない文字列がおよそ30頁にも及んだ。それすべてを律儀に読んだのだから寝不足にもなろう。
フレックスに関する推察憶測などが書かれているならまだしも、人体構造やXY染色体まで。性別の違いによる思想や理念の違いまで追求されている始末。
ミナトが仕事の疲労で瞼を重くしながらも、なんとか完読するころには、朝がもう間近となっていた。
「ではそれらを記憶したという現状でもう1度尋ねます。それでもアナタはノアに昇らないと言うんですね?」
杏の目端が眼鏡の奥でギラリと光った。
ミナトが口端を引きつらせながら答えずにいると、慌ててジュンがフォローに入る。
「お前ちょっとミナトに対して不躾が過ぎるだろ。ここ1週間ずっとそんな調子で追い詰めてるじゃねーか。ノアにきて貰うにしてももう少し上手い誘い方ってもんがあんだろ」
「そんな悠長なことしている暇はないの。多少強引でも私には人類の置かれた現状をこの人に理解させる義務があるのよ」
抗議に対して杏は、手にした指揮棒のようなものをしならせぴしゃりと鳴らす。
「今人類は2つの条件を揃えたアナタの協力を必要としています。体内にナノマシンを保持していないこと、最低限でもフレックスを扱えることの2つ。残存する人類のなかでこの条件をクリアしているのはミナトさんアナタだけなんです」
とどめとばかりに指揮棒が、しゃがんだミナトの後頭部を指し示した。
2つの条件。体内にナノマシンが入っておらずかつフレックスを扱える人間。
そしてアザー地質調査派遣部隊は表の顔。杏たちの口から語られた真実は、宙間移民船革命部隊、それが《マテリアル》らしい。
勝手に協力を押しつけられる当人からすればたまったものではない。真実を知らぬうちに革命部隊のリーダーに任命されてしまっていたのだから。
「ナノマシン入ってない人間なんて他にもいるだろ。しかも犯罪者とやらじゃない上にもっとまともにフレックス使えるやつがな」
だからミナトはたっぷりの嫌みを籠めて言ってやった。
杏を視界になんて入れてやるものか。トライクのエンジンオイルを交換しながらわざと他人を装い冷たくあしらう。
「そもそもオレは宙間移民船も革命にも興味がないし関係すらない。こっちでも忙しいって言うのに縁もゆかりもないノアのために裂く労力なんてあるもんか」
意固地になっているという認識はあった。
ディゲルの勝手な行動に腹が立っている自覚もあった。
なにより家族を見捨てて空へ上がれば食料供給の源であるビーコン設置が止まってしまう。そうなれば
ミナトは船には上がらない。なにがあってもこの星で朽ちるまで死神として在りつづける覚悟があった。
「っ……代わりなんてもういないの」
耳に届く前に風へ乗って遠のくほど、か細い声だった。
それは煩わしい敬語が抜けたひどく弱々しい音だった。
杏の異変を感じてミナトが振り返ると、そこにはすでに《マテリアル》が揃っている。
「もうノアには体内にナノマシンを入れていない人間なんていないの。2年もかけて必死にかき集めたデータが導き出したのは、すでに希望が絶たれたという証明だったのよ」
「それにナノマシン駆除用の
「指揮所に当たる船橋に現れた赤い壁――《フレイムウォール》は、私たちの体内にあるナノマシンを暴走させるんです。だからフレイムウォール越えて指揮所にに向かいマザーコンピューターを再起動するには、ナノマシンを入れていないニュートラルな人間が必要不可欠なんです」
いつの間にかウィロメナまでいて、3人の革命部隊が集結している。
そして誰もが彷徨った視線で底を見据えていた。
つらつらと説明を語る顔におよそ表情はない。まるで風前の灯火を眺めているような喪失感をまとっている。
「だから……アナタが必要なの。革命の矢、2つの条件を満たした
杏は、胸の前で祈り手を結ぶ。
訴えかけるような瞳にもはや強制の意思は微塵もない。
ただ純粋な導きに頼るが如き涙を流す寸前の眼差しがミナトを見つめている。
「ミナト……もし私たちの身勝手に付き合ってくれるのなら私はアナタに心ごとすべてを捧げてもいい。そして革命が成功した暁にはアザーの民すべてをノアへ保護すると誓う」
「家族をアザーに追いやられたやつらは大勢いるんだ。この革命を行う理由はノアの民だけじゃねぇ、成功すればアザーの民を含めて人類すべてを救えんだ」
「難しいことを強要はしませんし計画のすべてはこちらで進行します。ただアナタは鍵として私たちを信じてくれるだけでいいんです。……それだけでいいんです」
ジュンとウィロメナも、いつになく真剣で遊びのない顔つきだった。
当然のように違和感はあった。なにがというより現状という環境のすべてが違和感の根源だった。
天上人と地上人で互いの認識が違っていることも、そう。ノアの民がアザーの民を犯罪者と仕立てる都合も違和感の一部でしかない。
なにより新人類至上主義にもかかわらず、フレックスを使えるディゲルとチャチャがアザーにいるということ事態、理が通らないのだ。
オイル交換を終えたミナトは、油に濡れた手を汚い布で拭いつつ重い腰を上げる。
「そういえば傷を治療してくれたお礼を忘れてた」
方舟に乗るかはともかく、乗りかかった船だった。
首くらいは突っ込んでも損はないとする。なにせこちらが失うものは家族と自分の命くらいしかない。
しかもアザーの民を救えるという話を聞かされて黙っていられるものか。
「杏がそのオレに対して使う敬語をやめてくれるのなら、お礼ていどに話くらいは聞いてやる」
話してみろ。ミナトがそう言うと、面々から少しだけ日が差すような笑みが咲いた。
やがて人々の犯した過ちと、人類にもう後がないことが語られる。
そして杏たちの口から明かされた事実は、ミナトが信じること恐れるほどにおぞましいものだった
1つは、この忘却の星アザーの宙域は太陽系ですらないということ。
1つは、人類は人間を生み出した母なる星地球すらも見失っているということ。
その上で、宙間移民船ノアは100年以上に渡ってアザー周囲の宙域で航行を停止している。
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