12話 革命の矢《リベレーター》

 ミナトが装置を止めようと全速力で駆けた。

 なのだが行く手を阻まんと杏が間に滑り込む。


「邪魔だ退けぇ!!」


「青い顔してなにしようとしてんのよ? どっちにしてもアンタを装置に近づけるわけにはいかないけどね」


 男1人がいきり立っているというのに頑なに道を譲ろうとはしない。

 かといってミナトも押して勝てる相手ではないことくらい重々承知だった。

 互いに睨み合いながらにじり寄るも、あと1歩というところで膠着する。


「大量のフレックスは原生生物の呼び水になるってことくらい知らされてないのか! そもそもフレックスを調査に使用するなんて聞いてない!」


 ミナトは武器の柄を手に佇む相手に説得を試みた。

 だが、杏はまったく動じる様子もない。


「頭回しなさいよ、だから私たちがこうしてここにいるんでしょうに。危険じゃなければ装置ごと投下するだけ。あとは地上人だけに作業をさせてるはずだわ」


 きっとなにがこちらに向かっているのかを知らされていないのだ。

 でなくはそのように凜と涼しい顔をしていられるはずがない。

 そしてそれは目を丸くしてこちらを見ているジュンも、おろおろと落ち着きのないウィロメナだって、同じことが言えた。


「お、おいミナトも杏もちょっと落ち着けよ。フレックスが呼び水ってどういうことだ?」


「そ、そんな情報はアカデミーで教わったアザー講習でも教えられてないよ? んん、ちょっと気をつけた方がいいかも?」


 白痴ここに極まれりとはまさにこのこと。

 だいいちはじめからミナトのなかには拭いきれぬ違和感が多々あった。

 たかだか3人で部隊を名乗ることさえおこがましい。しかも年端もいかぬ少年少女が興味本位でアザーの土を踏むなんて。そんなのはただの仲良し小好しな遠足ではないか。

 そうこうしている間にも選択の猶予が迫っていた。天高く突き出た装置の頂点で蒼の球体がはち切れんばかりに膨張をつづけている。


「向かってきてるのは有史以来最悪の原生生物なんだ! たかだかお前らの使う身体能力の向上如きで相手できるような優しい敵じゃない! もっと、もっと――そう、もっと特殊な、イージスくらい強くないと勝てるわけがないんだ!」


 ミナトは激情に駆られる身振り手振りを駆使しながら説得をつづけた。

 少しでも危機的状況をわかってもらうためなら恥も|厭(いと)わない覚悟だった。なぜならこのまま放置すれば間違いなくここにいる全員が死と対面することになるから。

 なのになぜこれほどまで伝わらないのか。


「ふん。ずいぶん甘く見られたものね。使えもしないヤツがたかだか身体能力の向上とか言っちゃうわけ?」


「使えもしないなんて言うもんじゃないぞ! 使おうとしても使えなくてカリキュラムを必死にがんばってる連中を見てきただろ!」


 ジュンが止めに入るも、杏は腕を組んで形の整った胸を反らすだけ。

 そうやって使えないミナトを見下す。慌てふためく様を這う虫を見下げるようにして嘲笑う。


――なん、で……なんでいつもこうなんだ! なんでいつも伝わらないんだ! なんで……こんなに助けたいのにッ!


 いつもそう。こうして必死に伝えているのに弱者の戯言扱いされてしまう。

 言うことを聞いてくれさえいれば――信頼してくれてさえいれば――人々は死ななかった。ただそれだけが出来てさえいれば生きられた。

 ミナトは、やはり感情が邪魔だったことを思い出す。


「……ならもうここでさよならだ……」


 出血を抑えるように強く心へ念じると、瞳から灯火が消滅する。

 あとは無心でいつものようにすればいいだけだった。


「あ、おい! どこに……なんだあれ?」


 ジュンは、過ぎ去るミナトへ手を伸ばしかけて、静止する。

 ウィロメナと杏も彼の異変に気づき、同時に同じ方角へと首を回す。


「地平線が揺れてるね? これが地震っていう自然現象なのかな?」


「ゆ、揺れてるっていうより蠢いてこっちに迫ってきてるわ! あんなのが自然現象のわけがない!」


 ほどなくして蒼く力を発する瞳が超高速で接近する元凶を捉えた。

 乾燥した大地が隆起し、波を打つ。隆起する速度は尋常ではない。

 さながら地平を左右に分断するが如く真っ直ぐマテリアル隊のいるこちらに向かっていた。


――AZ-GLOW……アザーに住まう頂点捕食者の総称。そしてこの果てのアザーに唯一存在する生命体。


 ミナトは戦闘態勢に移行する面々を置いて乗り物のほうへと歩を進める。

 この距離まで接近されてしまえばもう逃げるだけでは難しい。

 ならば連れ帰れぬぶん囮をしてもらえば良いだけのこと。バギーの鍵を抜けばそれでもう囮は3つ、完成だった。

 あとは悲鳴を背に浴びながらトライクに乗って滑走すればいずれキャンプに到着する。慣れた作業だ。


「戦闘モードに移行するわよ! 全員武器を構えて!」


「うしっ、ようやっと出番だぜ! せっかくもってきた新装備の機能を試すのにちょうどいい機会だ! ウィロはミナトを警護してやってくれ!」


「2人とも油断しないようにしてね!  え、あれぇミナトさんどこぉ!?」


 バカらしい、と。たった一言だけ心の中で謳う。

 すでにミナトは、遠くから聞こえてくる声を亡き者としている。

 ゆっくりと歩を進めながらバギーのキーへ迫っていた。


「…………」


 後は握って抜いて逃げるだけ。

 いつもやってきたこと。こうして直接手を下さず多くの死の上に立ち続ける。

 生きるためには仕方のないことだった。だからそうやって慣れてきた。


「……っ」


 なのになぜこれほどまでに痛むのか。

 キーに手を伸ばしながらミナトは痛みに耐えて奥歯を噛み締めた。

 地質調査用の機械の頂点に膨らんだ蒼が発破する。まるで水滴を落とすようにして蒼い光が幾重にも重なって広がった。

 時を同じくして声が上がる。


「で、でけぇ!? 蔦が絡むようなどういう見た目してやがんだよコイツ!?」


「あ、足が捕まれた!? まさかコイツの見えてる部分は頭だけで本体は地中に潜ってるの!?」


 まず杏が捕縛されたようだ。

 人という生き物は足1本捕まれるだけで大地に縛られる。

 そしてアズグロウの本質は殺しではない。

 地中に潜らせた幾本もの触手で検体の細部をくまなく調べようとする。その過程で肉体が耐えられず千切れ、潰れ、死に至るというだけ。


「――杏ッ! そこが敵の潜ってる中心だ! 早く振り払え!」


 ジュンが叫んだ。

 しかしもうすでに遅い。捕らえられた時点でとうに杏という少女の死は確定している。


「……う、そ……」


 1人の少女の周囲をぐるりと囲うよう地表を貫き、現れた。

 刹那の間に黒く蠢く触手の檻が完成する。

 包囲を完成させた触手の檻は、捕まえた鼠をそのままいとも容易く腕の中へと包み込んでしまう。


「杏! 返事しろ! 待ってろ今そっからだしてやる!」


「ダメだよジュン! 踏み込んだら次はジュンも同じように捕まっちゃう!」


「離せ! このまま見殺しに出来るかってんだ! まだ捕まってそれほど経ってない! 今ならまだ助け出せる!」


 そして止められても勇敢な獲物は領域へと踏み入ろうとするのだ。

 ミナトがずっと繰り返してきたこと。彼らは本当に勇気のある少年少女だっただけで、とくに普段と変わったことはなにも1つなかった。

 通常であれば腰を抜かしへたり込んで這いずりながら無様に助けを呼ぶ。それを置いてエンジンをかけて逃げれば時は十分に稼げた。


「……ぐっ、クぅっ!」


 なのになぜまだ己はこの場にとどまりつづけるのか。

 なぜ伸ばした手の中にキーをおさめながらも引き抜くことが叶わないのか。

 なぜ頬に水滴が流れて視界がこれほど不明瞭になっていくのか。

 膿んで腫れ上がった胸の中央あたりからとぷとぷ漏れ出るようにして止めどなく涙があふれでていた。


――こ、ころがっ! もう……がまん、を許容して、くれない……!


 ミナトは見ないようにしようと思っていた方角を見てしまう。

 恐ろしい巨大な触手の怪物が蠢いている。


「―――――――――――――――――」


「た、たすけ……ひきずりこま、れ……!」


 その幾重にも重なっておどろおどろしい怪物の腕の中に、1本の人の手が確認できた。

 杏の白い指が辛うじて動いている。まだ千切れてなどいない。

 怪物に引きずり込まれながらも、飛び出した腕が助けを求めるみたいに空を切る。

 しかしその手は徐々に黒い触手の束のなかへと埋もれていく。もう間もなくすれば光を求めて伸ばす手もやがて希望亡き闇に沈む。


「ああ、ああああ、あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!」


 ミナトの身体が勝手に動いていた。

 助けたいと訴える心と、もう終わりにしたいと訴える体が、ここにきて始めて意見を合致させた。

 その結果、思考すら失う。涙をまき散らしながら光を求める手にむかって疾走してしまう。


「――掴めええええええええ!!!」


 靴底をすり減らしながら砂粒を転がし減速を行う。

 突き出した左腕には流線型の青い煌めきが迸る。

 そして祈り念じると、先端から蒼く揺らぐ1本のワイヤーが射出された。

 蒼の流線型より飛び出したワイヤーは引きずり込まれる杏の手にむかって高速で伸びていく。


「ッ! おおおおおおおおおお!!」


 ミナトは喉を震わせ気合いで吠えた。

 ワイヤーが杏の手にくるくると絡みついたことを視認して獰猛な雄叫びを上げる。

 ぴん、と。張ったワイヤーを肩へ背負うみたいに引っかける。それから両手でワイヤーをしっかり握って思い切り背を丸めながら前方へと体重を乗せる。

 ワイヤーを肩および背を支点として背負うようにぶち抜くだけ。原理は安易な諸手投げの要領だった。

 1度2度と諦めずに引きつづけると徐々に杏の身体が触手の海から抜け出ていく。


「…………」


 どうやら彼女はすでに意識を失っているらしい。

 最後に空を切ったところで力尽きたのだろう。半身ほど抜けたが目を閉じてぐったりしている。


「う”う”ッ!! う”う"う”う”う”ッ!!」


 諦めずミナトは背負い投げの動作を一心不乱に繰り返す。

 枯れた喉から出てくる音は汚らしい。まるで死に際の獣が威嚇しているかのよう。

 それでも顔中に汗やら涙やらまぶしながら、繰り返し、つづける。


「もう、誰も、死なせてたまるかあああッ!!」


 残った力すべてを振り絞って思い切り振りかぶった。

 すると、ようやく杏の身体のすべてが触手から抜け出て勢いよく空へ投げ出される。

 そのまま力の抜けた肢体はもんどりを打つようにしてごろごろと堅い土と砂の上を転げた。


「はぁ、はぁはぁ、はぁはぁ……はぁ、はぁ、はぁはぁ、はぁは……」


 杏の身体を全身で受け止めたミナトは、死の淵にいる。

 眼前には化け物が迫っていた。

 蠢く触手がぞるりと道を空け、奥から紅の眼差しが裏返るようにして露出する。


「はっ! はっ! はっ! はっ! はっ! はっ!」


 呼吸すらままならなくなった。

 心臓が吐息と共に口から飛び出してしまいそうなほどの鼓動を打つ。

 化け物との体格差は絶望的だった。しかも赤黒の眼球は人の頭1つぶんよりも巨大。

 たかだか1m後半ほどの人間と、5mはあるであろう化け物が、僅か1mほどの距離で向かい合う。


――……おい。


 否、はじめから向かい合ってなどいない。

 アズグロウは、ミナトのことを毛ほども気にかけている様子はない。


「――――――――――――」


 ただじっ、と。値踏みするような視線が1点へ注がれている。

 球体状の身体を覆う触手を動かしながら浅く呼吸する杏のことだけを捉えていた。


――こっち……みろよ。


 ミナトを凍らせていた恐怖の寒気が、徐々に変化を開始した。

 抱えられた杏は微かにだが呼吸をし、たおやかな胸部を上下させている。

 白い顔やらツヤやかな髪やらが砂にまみれてひどく汚れてしまっていた。そのうえ珠のような肌にだって擦り傷があって痛ましい。


「――――――――――――」


 そんな彼女へのみ。アズグロウは興味を示す。

 ゆっくりと味わうかのようにして無数の触手がぞろぞろと杏の元へ伸びていく。


「こっちを、みろよ……っ!」


 目の前の化け物はミナトのことなんて見やしない。

 表面にぬめり毛を帯びた水晶の如き瞳は、ぐったりとした少女のほうへとにじり寄っていく。


「こっちをみろおおおお!!」


 たまらずミナトは気絶する杏の手を掴んで強引に跳躍した。

 そして地面を蹴って横に飛ぶ。同時にもう片側の手に握りこんでいた物体を空間へ置くようにして投擲する。

 投擲された物体はアズグロウの禍々しい瞳とぶつかってカツッ、という接触音を奏でた。

 その直後。尋常ではない猛烈な閃光と鼓膜を破らんばかりの破裂音が瞳の――目前――コンマ数ミリというところで炸裂する。


「――――――――――――――!!!」


 ミナトが隠し持っていたのは、非常時にのみ使用する音響閃光弾フラッシュバンだった。

 光をもろに食らったアズグロウは、巨体を仰け反らせながら苦しみ藻掻く。全身を覆う蔦の如き触手が硬直し尖り緊張する。

 ミナトは杏の頭を抱きながらごろごろと砂の上を転がった。


「はぁはぁ! はぁはぁ! はぁはぁ! オレは……オレは……いったいなんでこんな!」


 眠る彼女を守りながら上体を起こすと、アズグロウが猛り狂っている。

 こんなものは一時しのぎに過ぎないと、わかっていた。それでも助けを求める手が――空に求めて伸ばした手が――握られないことの方が悔しくて辛かった。

 なによりもう雑に命が吹き消されることがたまらないほど嫌だった。生きようと足掻く人間が夢半ばで潰えることのほうが、自分が死ぬ以上に苦しかった。


「――――――――――――――――」


「クッ、眼球に直接たたき込んだってのにもう復帰するのか!?」


 アズグロウの眼球がぐるりと回ると、ミナトは意図せず杏を抱く腕に力を籠めた。

 もはや人知を超越しているといっても過言ではない。眼球への直接攻撃を受けたというのに10秒にも満たぬうちに失明状態から復帰する。

 人間の前に死が迫っていた。ゆっくりとだが確実な死がこちらへとずるずる這い寄ってくる。

 たった1個きりの音響閃光弾の在庫は尽きた。なにせはじめからあんなもの使う場面にでくわすくらいならここまで生きてはいない。


「……ごめん、やっぱり助けてあげられそうにない……」


 最後の瞬間を覚悟するには十分すぎた。

 ミナトは抱えた少女の愛らしい寝顔にむかって微笑みながら謝罪した。

 頬は引きつるし緊張を解いたら涙があふれそう。そんな慣れない下手くそな笑顔を貼りつける。


「死に際に走馬灯でも見えるかと思ったのにな。蓋を開けてみれば現実しかみえてこないもんだ」


「そりゃあそうだろうな」


 死を覚悟したミナトとアズグロウの間へ、蒼く輝く影が割り込んだ。

 フレックスの蒼を全身にまとったジュンは、背負った銀のだんびらを抜き放つ。


「なんせお前はもう死なない。どころかこの星で危険が降りかかることじたいもう2度とないのかもしれないんだぜ」


 アズグロウと対峙してさえ勇ましい笑顔で「《|不敵(プロセス)》」そう口にする。


「よおミミズの化け物初めましてだな。ここからは俺がお前の相手になってやる。これから使うのは人の至れる現状最高領域の第2世代セカンドジェネレーションだ。破れるもんなら破ってみろ――《不敵プロセス・ライト・βベータ》!」


 両手に構えた銀塊が勢いよく地面に突き立てられた。

 そして両翼を広げるみたいに幅広の刃が形を変質させる。

 さらにはジュンとアズグロウとの空間に連鎖する光体が発現していく。蒼い六角形ヘックス状の半透明な膜が連鎖して1枚の壁と化した。

 あとにつづいてウィロメナがローブの裾を引いて滑り込んでくる。


「お見事な活躍でした。あとはジュンと私に任せて後方に下がっていてください」


「けほっ、大丈夫よ。もう意識は回復してるから私も作戦に参加できるわ」


 答えたのはミナトではない。ミナトの腕の中で気絶していたはずの杏だった。

 どうやら意識が回復したばかりらしい。目がとろりと虚ろ、時折けほけほと咳き込んでいる。


「だから……アンタはジュンの前に立って敵を駆除なさい。支援や警護よりそっちの方が得意でしょ」


 ウィロメナは一瞬驚いたように前髪を揺らす。

 だがすぐに口元を引き締めて首を縦に振る。


「……わかった。じゃあ杏ちゃんは戦闘が終わるまで回復に専念していてね」


 杏の弱り切った姿を見れば当然の判断だろう。

 しかし返ってくる言葉は「それは、無理ね」だった。


「だって私は、守らなければならないから」


 呆然とするミナトの頬に下から伸びてきた手が触れる。

 土の匂いがする優しい感触とともに幾度も手が痩せこけた頬を撫でさすった。

 そして杏はミナトの頬に触れながら慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「この身を捧げてでも私はアナタを守ります」


 愛を囁くように「ねぇ、革命の矢リベレーター?」確かに彼女は潤んだ瞳で、そう口にした。



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