11話 イキルサイノウ、ココロウタ

 厚い透明なシールドの向こう側で見飽きた景色が流れいく。

 タイヤに蹴られた大地が砂塵を舞い上げて地平へ沿うが如き線を描いた。舞った粒子は間もなくしてもうもうと広がりやがて何事もなかったかのように大地へ返る。

 この星に日が差さなくなってどれほどの周期を経ただろうか。時折灰の混じった雨が降ったりと日々異常気象が目立つようになっていた。


「…………」


 ミナトはグローブを帯びた手でアクセルの感触を確かめるよう握り直す。

 すでに手の感覚は、とうに薄い。車体を通して伝わってくる連続した振動によって僅かに鈍くなっている。

 傷まみれのポリカーボネイトのせいで視界はあまり良くない。下側から吹き付ける風を吸い込まぬよう浅く呼吸を整えることも忘れない。

 そして常に最高の警戒をもってして周囲をくまなく見渡す。


「……以上ナシ」


 速度に応じて迫ってくる岩肌の影や丘の周囲地上の起伏すべてに神経を尖らせた。

 そして地平の向こう側からの接近も留意しなければならない。アザーの直径が約7000kmとしてトライクに乗った人間の座高が1mおよそほど。と、するなら警戒の範囲は約2500mを捉える膨大さになる。

 確認行動は10秒に1度必ず行う。時速60kmで移動している以上常に状況は変化している。何かしらの影を認識した時点で手遅れという可能性もなくはない。

 毛先のすべてに集中する。ひりつくような緊張感の中で意識を正常に保つ。これがビーコン屋熟練の生きる術だ。

 なのに今日はいつもより気が抜けてしまう。


『ほんっとなんもねーのなこの星。人が生きられる環境だってのにもっと自然とか野生動物なんかもいていいだろ』


『アザーは死の星だって初期講習で習ったじゃないの。研究によると生物が生きるために最悪の土壌をしているらしいわ』


『うぅ……ずっとでこぼこ道でお尻痛いです』


 先ほどから耳に帯びた《ALECナノコンピューター》とやらのなかで雑音が止まないのだ。

 ジュンによって渡された《ALECナノコンピューター》が非常にクリアな高音質で無駄話を拾ってくる。


『なーそろそろ誰か運転代わってくれないか? アクセルべた踏みするだけだから退屈でしょうがねぇよ』


『業務用のバギーってクルーズコントロールもついてないんだ? 私2輪の免許しかもってないから変わってあげられないわよ?』


『あ、じゃあ次私運転したいかも。実車は初めてだけど訓練シュミレーションでは優良だから多分大丈夫……うん、多分だけど』


 さすがは最新鋭の機器とでも言うべきか。

 一言一句を聞き逃すこともない。普段使用しているシステムヘルメット内蔵型の通信機と比べて類を見ない性能だった。

 ここまでの道中は快適な旅という判断で十分だろう。これといって障害となるような出来事はなにひとつ起きてなどいない。

 真新しい前2と後部2の4人乗りバギーがエンジンの唸りを上げて併走している。爪の深いタイヤで4輪駆動を駆使しながら地面を掻く。


『ねぇこれって本当に目的地に迎えてると思う? バリアのなかに拠点を構えなきゃならないくらい危険な星って聞いてたんだけど?』


 杏がバギーの後部座席から前の席へと身を乗り出す。

 と、タイヤが一瞬小さな窪みにとられて車体がガタンと大きく揺らいだ。

 きゃっ! 非常に愛らしい悲鳴を上げ、慌ててフレームを引っつかむ。

 それを見ていた運転役のジュンがカラカラと笑う。


『はははっ。立ち上がったりすると危ねーからしっかり座ってた方がいいぜ』


『わ、わかってるわよ! んもう! 笑うなぁ!』


 座席に座り直した杏は、ほんのり桜色の頬を膨らませた。


『余計な心配はいらねーさ。それに接敵がないってことはそれだけ案内役が優秀ってことだろ』


『それは……そうかもしれないけど。でもジュン……なんでかアンタいきなりアイツのこと信用しすぎじゃない?』


 どうやらこの期に及んでミナトは信頼されていないらしい。

 『ALECナノコンピューターも渡しちゃうし……』と、杏は目を細めながら不満を口にする。

 しかしジュンはどこ吹く風とばかり。気にかける様子すらない。真っ直ぐ前を見ながら時折トライク側へと視線を送っていた。


『ふんっ。どうせ聞くまでもないとは思うけど、ウィロもジュンと同じ考えってことでしょ』


 それがどうにも気に入らないらしい。杏はウィロメナも巻き込んでチョッカイをかける。

 唐突にフラれたウィロメナは厚い布地に覆われた肩をひくっ、と揺らす。


『え……? あ、まあそれほど危険じゃないと思う……のかな?』


 指先で顔上部を隠してしまうほど長い前髪をついばみながら自信なさげに応じた。

 多数決、民主主義的決定によれば杏が劣勢だ。というより彼女にとって信用というものさえ関係がないのかもしれない。

 昨日今日出会ったばかりの馬の骨にすんなりと心開くのは簡単ではない。だからこそジュンが不思議でならないのだ。


『むぅ……私が正しいはずなのに、なんかムカつく』


『あはは、むくれる杏ちゃん可愛いっ。どうしてそんなにミナトさんのことを信じられないのかな?』


『だって普通そうでしょう! 犯罪者に道案内を頼むなんてそもそもがどうかしてるのよ!』


 と、勢い余って立ち上がったところにまたもガタンという振動が生じる。

 わきゃっ! 再びバランスを崩し慌ててフレームにもたれかかった。

 偶然が重なり2度もコマドリの如き悲鳴を上げさせられてしまう。耳まで真っ赤にした杏は、その後すごすごと後部座席で身を縮めるのだった。

 乾いた風に髪をたなびかせながらジュンが微かに口角を緩ませる。


『心配はないぜ。きっちり言うとおりにしておけば本当にマジで何事もなく任務を終えられるって聞いてるんだ』


 ジュンから曇りない真っ直ぐな視線が投げかけられた。

 ミナトはシールド越しに横目で受け取る。


「そっちが下手なことしなければの話だ。オレたち地上人も生きるのに必死なんでな」


 義務的に応じつつも、ともすれば話が早くて助かった。

 勝手な行動をとられるのがもっとも手間取らされる。恐怖や畏怖という感情に踊らされた人々が死にゆく様を飽きるほど見てきた。

 熟練したビーコン係の彼にとって敵は不意にやってくる感情の抑揚のみ。救えた者と救えなかった者の差はそこにのみ現れている。


『どうしてもってんならウィロに頼ってみたらどうだ。あれを使えばそれはもうはっきりと信用できるかどうか押し計れるだろ』


『そ……そこまでしろとは言ってないわよ。危険地帯アクティブゾーンでの無駄遣いは禁止だし……ウィロだってあんまり使いたくないはずだし……』


 途端に杏の語気がもごもごとはっきりしない感じになっていった。

 どうやらウィロメナという少女はなにかしらの力をもっているらしい。ミナトにわかるのはそれまで。

 すると件のウィロメナはフードの襟部分を両手で掴んで引き上げる。


『うん、たぶん大丈夫だよ。だってミナトさんからは男の人と会うといつも必ずと言っていいほど聞こえてくる嫌なメロディが聞こえないから』


 前髪が長いため彼女が襟を引き上げると鼻くらいしか露出がなくなってしまう。

 それでもわかるのは声色に喜色が混ざっていることくらい。微かに照れているような弾む音色だった。


『……それってたぶんその分厚いポンチョで身体を隠してるからだと思うわよ?』


『え、ええっ!? だ、だってパラスーツって身体のラインが浮いて出ちゃうから恥ずかしいんだよぅ!?』


『ハァ……それは発明した人間のせいよ。近頃は希少な牛乳ばっかりを大量に飲んでるせいで金欠らしいし』


 キャンプから指定の地点までの距離はおおよそ50kmほど。騒々しいながらココまでの道中はつつがなく進行している。

 閑散とした風情なき風景は眺望する価値もない。切り立った岩々や小高い丘に斜角の急な崖に注意して進む。

 時折変わるのは風の色くらいなもの。枯れた音色がびょうびょうとヘルメットの隙間に詰まって甲高いいななきを聞かせていた。

 ミナトはあらかじめ出発前に記憶していたオドメーターへと目を落とす。


「ここだ」


 そう呟くように言ってからじんわりとブレーキをかけた。

 併走していたバギーもトライクを追い抜いて、僅かに遅れてスピードを落とす。

 トライクを中央に添えてぐるりと1周ほど。円を描くように回ってから停車した。


「さーてここからようやく仕事開始だな! くぅーっ、身体が固まって仕方ないぜ!」


 ミナトが周囲を警戒している間に、ジュンがんん、と伸びをしながら降車してくる。

 だいぶ血の巡りが悪いのか大空に両腕を伸ばしながら大あくびをして脳へ酸素を送った。


「エンジンだけを切ってキーは差したままにしておいてくれ」


 すでにトライクのエンジンは停止している。

 ミナトの見立てによればバギーも構造としては無骨、ローカル。電子キー的なハイカラを使用しているとは思えない。

 促すよう伝えると、ジュンは浮いた涙を拭ってから首を横にひねった。


「いちおう聞くだけだが、なんでだ?」


「そっちの方が都合がいい」


 するとジュンはとくになにを疑うでもなくバギーにキーを差し戻す。

 後に続くようにウィロメナと杏も各々、武器を手に大地を踏む。

 杏の獲物は背負う形の紅く美しい鉄塊だ。対してウィロメナの獲物は分厚いローブの下に隠せるほど小さいなにか。

 使用する機会が皆無であることに越したことはない。だが武器というものは精神衛生上の足しにはなる。


「じゃあ私とウィロで装置を下ろしちゃうから! ジュンは周囲とソ・イ・ツを見張ってて頂戴!」


 杏は指示を出してウィロメナの手を引いた。

 そうして2人はバギーの後部にあるトランクのほうに向かう。

 キューブ状の1辺1mはあろうかという大きな装置を「せぇのっ」「よいしょっ」と協力して外に引っ張り出す。

 どうやら設置には少々の時間が掛かるらしい。地べたに置かれた装置は起動と同時に立方体からアンテナのような形状へとゆっくり形を変えていく。点灯した液晶パネルには起動準備中といるだけ浮かんでいた。

 少女2人が作業する様子を、少年2人は遠巻きに見守る。


「なあミナト? ひとつ聞きたいことがあるんだがいいか?」


「女の趣味を聞きたいなら止めて置いた方がいいぞ。面白い答えなんか用意してないからな」


 互いに視線すら交わさない些細な会話だった。

 距離も友と横並びとするならやや遠い。

 それはきっと天上人と地上人という生じる身分差。心の距離を同期している。共に他人の距離感を保ちつづけていた。


「真剣な話なんだ。出来れば茶化さず真面目に答えてくれ」


「……なんだ?」


「フレックス、実は使えたりとかしないか?」


 あまりの唐突さにミナトは一瞬声を失った。

 恐る恐る隣を見るとジュンの凜々しい横顔があるだけ。

 そして彼は少女2人のほうを真っ直ぐ見つめながら口にする。


「万が一でも良い。たとえそれが億が一の天文学的な可能性だって構わない。でももしミナトがフレックスを使えるって言ってくれるんなら俺は――」


「期待を裏切るようだが悪いな。沿えられるようなもんはもってない」


 そう、か。ジュンは空を仰いで寂しそうに笑う。

 ばつが悪そうに頭をがしがしと掻きながら「忘れてくれ」ミナトへ微笑みかける。

 彼の言葉の先につづくものがなんだったのか。ただ一瞬だけ見せた彼の寂しげな表情がミナトにとって心残りだった。


――オレだって……もし使えたのなら……


 鬱屈していた。身は乾ききっていると言ってもいい。

 求めても求めただけ遠のいていく。与えられぬ者にとって力とは決して届かぬものに等しい。

 フレックス。それは方舟への乗船券に他ならない。

 使える者は新人類ニュージェネレーションと呼称され、使えぬ者は旧人類オールドジェネレーションと卑下される。


――どうして……どうしてオレだけ……


 ミナトだってそう。蒼き光に焦がれつづけた。

 来る日も来る日も己のなかに光が息吹くことを祈りつづけていた。

 それでも1度たりとも兆候は現れることはなかった。見下ろす掌に蒼き光は決して発現することはなかった。


――選ばれなかったんだッ!


 日を重ねるたびに狂おしいとさえ思える飢餓の感情が膨れ上がっていく。

 それは嫉妬、それは劣情、それは卑下、完全な自己否定。人間としてのはじめの1歩をさえ踏むことが叶わないなんて許されてたまるものか。

 わかっていても耐えられない。使える杏に対して淡い嫉妬を抱いていたのもそのせいだった。

 事実、今こうして口火を切られれば止めどない。使えぬという己に対しての怒り。臓物が焼き切れるのではないかという激昂が腹の中を掻き混ぜた。


「設置が済んだからもう起動しちゃうわよー!」


 と、墜ちかけたところへ未だ耳馴染みのない少女の声が割り込んだ。

 ミナトは意識なく握りこんでいた拳を解いてそちらへ目を向ける。


「な――ッ!?」


 刹那。怒りで火照った体温が急速に冷えた。

 震えた。タワー型に姿を変えた装置を視認する瞳が剥きだしになる。


「おーう! さっさと終わらせて帰ろうぜー!」


「ま、てっ!」


「はふぅ。じゃあ帰りは私が運転するからジュンは助手席だよ」


「やめ――っ!」


 ミナトが地を蹴るのと、ウィロメナの手によってスイッチが入るのは、ほぼ同時だった。

 僅かに揺らぎを帯びた装置が起動を開始し、もうもうと立ち昇る。

 超音波の如き奇っ怪な音を奏でながらゆっくりとその輝きを強くしていく。

 タワー型の装置が発しているのは、どうしようもないほど美しい蒼。ミナトが焦がれて焦がれてそれでも手にすることさえ叶わなかったフレックスという新世代の輝きを帯びていた。

 無論、それは生きることに熟練であるミナトにとって尋常ならざる危機的状況ハプニングを意味している。


「今すぐ装置を止めろおおお!!! この星で――アザーでフレックスを使うなあああ!!!」


 最悪が幕を開けようとしていた。




(次話との区切りなし)

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