9話 地質調査部隊 《マテリアル》
狭く汗臭い寝床を這い出て簡素な朝食をとれば今日が始まる。
ミナトはジャケットを羽織って未だ覚醒しきらない頭に重力を感じながら家をでた。
「……だる」
普段通り心は石造りの内側へ置いてくる。
ジッパーを引き上げたジャケットの内側で長めの吐息を吐くと微かに蒸気が白く昇った。
日常に変化が現れたのはいつ以来だろうか。2回ほど済ませた別れ以降これといって大きなイベントはなかったはずだ。
慣れた道で慣れた歩幅と歩数を刻む。その両肩にはいつもとは異なる憂鬱という重りがのしかかっていた。
そうやって間もなくするといつものように駐輪場と定めたキャンプの端側へと辿り着く。
普段であれば小汚いフレーム剥き出しの
しかし今日だけは別の雑音が待ち伏せている。
「いよう! 昨晩はよく眠れたか!」
軽快で爽やかな挨拶だった。
青年は小気味よい壮快な笑みを貼りつけこちらへむかって手を上げてくる。
「約束の時間に10秒ほど余裕をもたせての到着だな! 時間と約束に正確なやつは大好きだぜ!」
そう言って腕を組むとにんまり白い歯を見せた。
なんというか気心知れた空気を醸し出すのが上手い青年である。ミナトにそう思わせるくらい裏表のない人懐こい感じの笑みだった。
そしてどうやらこれで最後の1人の到着だったらしい。集合場所と定めたキャンプ端にはもう2人もすでに揃っていた。
「偶然出会った初対面の相手がまさかね。私たちの案内役を務める犯罪者だったなんて思いもよらないわ」
「きょ、杏ちゃんそんな言い方は失礼だよ! せっかくこの星を案内してくれる人なのに!」
杏がサンドバギーに寄りかかりながらミナトをきっ、と睨む。
その背後でもう1人の少女がおずおずと身を隠す。
杏の様子から察するにもうあるていどの情報が伝わっているようだった。
「アンタミナトっていったっけ? 地上で死神とか呼ばれているらしいじゃない?」
火のない所に煙は立たぬ。どうやらキャンプの誰かがチクリをいれたのだろう。
人死が多いなかただ1人生き残るとなれば買う恨みも多い。そしてそのどれもが次己が犠牲にされるのかという恐怖から滲みでたもの。
杏は高慢で毅然とした態度を崩さずにしなやかで長い足を組み替える。
「私はアンタを絶対に信用したりしない。たとえ共に行動するとしても警戒の目が向いていることを忘れないで」
「おいおいせっかく今日からチームメイトになるんだ。もっと仲良くやろうぜ」
青年が慌ててフォローに入ろうとするも、「嫌よ」一刀両断だった。
「聞いた話によればコイツは仲間を見捨てて1人のうのうと生き残る卑劣な男だっていうじゃない。そんなやつのどこに信頼できる要素があるっていうのよ」
「その話は降って湧いたデタラメだってディゲル中将が言ってたじゃないか。しかも時間はこの通りきっちり守ってくれる。約束と時間に正確なやつに悪いやつはいねぇ」
青年はふふんと得意げに鼻を開いた。
しかし杏は黙ったままのミナトを一瞥し、ツンと顔を逸らす。
「ジュンが信用したいからって私にまで危険を押しつけないでよね。私は必ず目的をやり遂げるっていう使命があるんだから」
彼女の警戒ももっともだった。
これから共に危険区域へ出向かなければならない。であれば不安因子を排除したいと考えるのは、さも当然のこと。
ふとミナトは昨日治療してもらった手に目を落とす。
――もう昨日みたいに話してくれないか。
昨日見た彼女の笑顔がもう見られないとわかると胸の辺りがチクリと痛んだ。
訂正はしない。なぜなら自覚があったから。この身は大勢の犠牲と死体の上に佇んでいる。
空はいつものように雲に満ち、地上でも険悪な空気が漂っていた。とてもではないがこれから共に仕事をしなければならないという空気ではない。
「まったくしゃーねーなぁ。とにかくそっちも俺たちの名前すら定かじゃないわけだ。お互い自己紹介といこう」
青年は仕舞いとばかりに手を打つ。
乾いた破裂音が響くと、杏の背後に隠れている少女がぴくっと肩を震わせた。
そして青年は警戒するどころか晴れやかな笑顔でミナトのほうへと歩み寄る。
「俺はマテリアル隊のコードネームマテリアル5だ。名前はジュン、ジュン・ギンガー」
よろしくな! と、手が差し出された。
ミナトは一瞬躊躇って握り返す。
「ミナト・ティールだ。このアザーでビーコン係を務めてる」
「おうミナトだな。一線で活躍する勇敢な少年って聞いてるぜ。俺たちと年も近いみたいだし仲良く頼むよ」
軽く握り返すと倍の力で握り返えされてしまう。
痛みはないが熱い。そんな情熱的なハンドシェイクだった。
と、ジュンの背後でひょっこりと影が動く。
「わ、わたしはウィロメナ……で、す。ウィロメナ、カルヴェロ、マテリアル4……です」
いつの間に移動したのか少女が怯えきった顔を覗かせた。
ジュンのように無警戒でもなければ杏の険悪ともまた別。おどおどと前髪の奥で視線が右往左往と踊っている。
そうやってミナトと目が合うと萎縮しながらローブのフードに顔を隠した。
「ウィロは俺と幼馴染みなんだ。声が小さくてなに言ってるのかはじめはわからないかもしれないけど悪いやつじゃない。慣れてきたらまともに喋ってくれるようになるから安心していいぜ」
「よ、よろしく、です」
ウィロメナは、ジュンに無理矢理引っぺがされたフードをいそいそ被り直して、ぺこりと頭を下げた。
そして最後に約1名を除いた全員の視線が1点へと注がれる。
「私は昨日自己紹介したわよ。コードマテリアル3
余った杏が手を雑にしっしと振って自己紹介を済ますのだった。
これでひとまず
なにも難しい話ではなく方法は簡潔だ。指定された地域へ赴きバギーに載せた地質調査用のレーダーを起動しデータを収集するだけとなっている。
その仕事を円滑に進めるべくアザーの地理に
――畜生。ディゲルのやつなんてこたぁねぇとかよく言うぜ。はじめからこれを押しつけるつもりでいたってことか。
ミナトの脳裏にディゲルのにやけ顔がよぎる。
まずもって派遣部隊がやってくるという時点でこうすることを画策していたのだろう。
荒涼とした隆起地形の地層を透かして見られれば作業効率が数倍に向上することは間違いない。
加えてBキャンプの壊滅もタイミングが悪すぎた。
つまりこの仕事をこなさねば後がない。ノアからの支援がなければアザーの民は総じて詰むことになっている。
ゆえにミナトが派遣部隊案内役を断るという選択肢自体が残されていなかった。
「しっかし直接ノアに貢献できる仕事が出来るなんて光栄なことだな。しかもアザーに住んでる人間にも楽させてやれるって言うんだから万々歳だぜ」
「私は貢献とか別にどうでもいいわよ。あのまま船に閉じ籠もって鬱々としているよりこっちのほうがマシだったってだけだし」
「ま、任されたことだから、うん! みんなで、が、がんばろー! おー!」
こちらの懸念を知ってか知らずか。天上人たちはにこやかな雰囲気を作っている。
初めて踏んだ大地の感触を確かめながら、深く呼吸をして大気を味わってみたり、空を仰いでみたり、と。地上を楽しんでいる一面が見られた。
――どいつもこいつも勝手にオレの中の世界に土足で上がり込んできやがる。
天上人たちを薄く眺めるミナトの瞳が微かに淀んだ。
ともあれ1人腐っていても進展はないのも事実。考えを改めながら肩にかけたショルダーバッグのなかを引っ掻く。
そして
「全員行き先と経路を地図で確認してくれ。地質調査レーダーを設置する目的のポイントへの移動ルートは比較的安全な道を使う」
地図は脳内に記憶してある。なのでこれはゲスト用に用意したもの。
運が良いことに算出された設置地点はビーコン屋としての任務で通過したことのある荒れ地だった。
見晴らしも良く辿り着くまでに枯れた森林や地盤沈下などという障害もない。このキャンプからのルート取りも昨晩ミナトが頭を抱えながら引いた。培った経験と直感のみが最適解を導く。
ジュンは待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。
「地図を囲ってミーティングなんてそれらしくなってきたじゃないか。しかも頼れるガイド付きともなれば楽に済みそうだな」
「アザーの地表ってこんな風になってるんだね。お空からだと雲に囲まれているからなにも見えなかったよ」
ウィロメナも腰をかがめてボンネット上の地図を眺めた。
2人が興味を示すなか。杏だけはなにやら怪訝な目つきでミナトを睨む。
「なんでよりにもよって説明が紙なのよ? 回りくどいというか面倒くさい嫌がらせしてくるじゃない?」
と、それを聞いたジュンとウィロメナも「あっ!」と驚きの声を重ねた。
天上人特有の未来志向だったが言われて確かにだ。ミナトもデータを用意すべきだったと後悔する。
地図もなにもかもが《ALECナノコンピューター》にアップロードすればいいだけの話。紙に黒鉛を走らせちまちま書き綴る時代ではない。
「マザーのクラウドにアップして共有すればいいだけでしょ。なんでこんなローカルなミーティングに付き合わされなきゃならないのよ」
杏はミナトの用意した紙の地図をくしゃりと握り潰した。
苛立たしげに腕を組み、への字口でバギーのボンネットに細くなった地図を叩きつける。
「ああ! せっかく用意してくれた地図になんてことするんだ!」
「そ、そうだよ杏ちゃん! 私たちの安全のために用意してくれたものなんだよ!」
2人が慌てて広げるも地図はすでにしわだらけ。
見ようと思って見られないわけではないが、どうにも悲惨な仕上がりになってしまった。
それでも杏は反省の色すら見せず。中空に指を踊らせる。
「早くアレクにアップデートして。そっちで詳細や順路を個人的に確認するわ。わざわざ言葉を交わす無駄な時間はいらないのよ」
どうやら見えるものを構えて待機しているらしい。
きっとジュンやウィロメナにだってコンピューターの画面が見えているのだ。
しかし待てど暮らせど天上人たちが望むようなデータは上がってこない。
「っ、早くしなさいよ! データ1つを送るのに一体どんだけ時間をかけるつもり!」
杏は目端を吊り上げながらまくし立てにかかった。
ジュンとウィロメナも中空に構えた指を止めてこちらを真っ直ぐ見つめている。
だが、天上人たちの注文が通ることは永遠にない。なにせミナトには見えていないのだから。
「色々と申し訳ないんだけど……オレの身体にはナノマシンが入ってないんだよ。だからそのシワシワの紙を各々で撮影するかしてもらえると助かる」
天上人たちからの見下げた罵倒を覚悟して真実を明かした。
旧人類やら地上人やらと差別の言葉は多くある。持たざる者に向かってかける様々な貶しかたがあるだろう。
なのに返ってきた反応は意外なものだった。
「……マジ、かよ」
「う、そ? ほんと、に?」
全員が目を丸く剥いてミナトを見ていた。
さながら珍妙な生物と接触したかの如くだ。
だからミナトも若干肩透かしを食らいながら「本当だよ」境遇を言葉にする。
「いくら頼んでもディゲルはオレにナノマシンをくれないんだ。だからデータを渡すっていう考えすら思い浮かばなかった」
ごめん。会釈ていどに黒い頭を下げて謝罪した。
至らなかったのはこちらの不手際でしかない。データを渡しておけば晩のうちに共有出来ていただろう。
ミナトが謝罪から頭を上げると、天上人たちは不思議な行動をとっていた。
「――――――――」
「…………。…………」
「――――? ――――?」
それぞれが視線と表情を彷徨わせていた。
アイコンタクトのみでのやりとり。というわけではなく、その実ナノマシンを使用した
当たり前だがその機能でさえミナトはもっていない。だから彼らのやりとりが一体なにを示したものかわかるはずもない。
非常に静かなやりとりだった。会話をしているというのに音のひとつも漏れることはなく、身振り手振りだけでコミュニケーションをとっている。
それなのにずいぶんと長い間天上人たちは内緒話をしていたと思う。
「ミナト。お前に是非受け取ってもらいたいものがあるんだ」
そして全員が目を合わせこくりと頷くと、代表してジュンが前に歩みでた。
先ほどまでの気安く人懐こい感じの笑顔はなく、凜々しく精悍な表情をしている。
流れのままに受け取ったミナトは、掌に置かれた粒を見て首を傾げた。
「これはなんだ? 小さな……機械?」
指で摘まんで目を細めてようやく物体として認識できた。
平たく白いそれは指の先に乗せてようやくなにかしらの科学であることがわかる。
「時間に正確で約束を守ってくれる友人へお近づきの印ってやつだ。それは耳に付けるだけで装着可能な《ALECナノコンピューター》っていう派生型の新機種。《ALECナノマシン》とは違って絶対に細胞と癒着しない特注品だぜ」
末永くよろしく頼む。ジュンはそう言ってにっかり笑う。
そうしてまるで友のようにミナトの肩を軽く叩いたのだった。
… … … … …
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