8話 舞うひとひらの花

 一定の間隔で敷き詰められたテント畑を歩く。

 踵をするように足を動かすといい加減底の尽きかけた靴裏が砂を転がす。

 日も高く雲海の流れも穏やかで気候は爽やか。こうして平穏無事な生活が送れることでさえ未来技術の賜だった。


「キャンプを守るのに多重音響バリアなんて古くさいもの使ってるのね」


 杏はすん、と澄ました顔で言ってのけた。

 ジェネレーションギャップ。天上人と地上人でここまで認識が異なるとは。

 ミナトは愕然と「ふる、くさい?」表情を驚きで塗りつぶす。

 こうして案内がてらディスカッションを行ってみると文化の差が顕著に現れる。

 空では常に最新技術の研究が進められており鉱石などの資材がいくらあっても足りないのだとか。

 方舟で生産可能なものは動植物ていど。完全自給自足を掲げている船とはいえこうして星の力を借りることは文明を生かす上で必須らしい。


「こっちは毎日暇もなしにあくせく働いてるってのにそれでも資材が足りないのか」


 いち地上人であるミナトにとっては途方もない話ばかりだった。

 どれだけ未来技術が躍進しようともこちらに反映されるのは微々たるもの。働けど働けど暮らしは楽にならず、困窮するだけだ。


「そ・こ・で・よ。私たち精鋭によって結成されたアザー地質調査部隊マテリアルの登場ってわけね!」


 杏は背を弓なりにフンと胸を反らした。

 丸い腰に手を添えて大威張り。筋の通った形の良い鼻が高々と天を示す。

 ミナトはふるりと波打つ少女特有の膨らみに気をとられつつ眉をしかめる。


「マテリアル……物質? 地質調査?」


「そう、新設されたばかりの地質調査部隊マテリアルよ! アザーの地層をくまなく調査して必要な物資を発見することこそ私たちが派遣されてきた理由なの!」


 そう言うと杏は肩に帯びている腕章をミナトへ見せつける。

 五芒星のホログラム腕章が二の腕辺りをくるくる回っていた。


「へぇ。ただどたばた駆けずり回って地上人の邪魔しにきたわけじゃないのか」


 初めて聞く単語を紡ぐ音はたどたどしい。

 ミナトには、ディゲルの口から派遣部隊がくるという大雑把な情報のみしか与えられていない。そのため今ようやく明らかにされた事実だった。

 びしぃ、と。杏はしたり顔で細長い指をミナトへ仕向ける。


「ふふん! しかも私たちマテリアルは多くの船員の中でもトップクラス! なんと全員が第2世代セカンドジェネレーションで構成されているわ! その上でさらに選抜され抜いた選りすぐりのスーパーエリート集団なんだからね!」


 白い爪先は宝石のように照り輝く。

 ミナトは、眼前にまで向けられた失礼な指を、手でそっといなす。

 あまりにとっちらかっているため話をまとめてやる。


「つまり資材収集をより効率化することが可能になるからお前ら地上人は大船に乗ったつもりでいろ、と?」


「そういうこと! 星の調査も原生生物との戦闘もなにもかも任せてくれればソレでおっけーよ!」


 杏はつい、と指を振りながら満足そうに首を縦に揺らした。

 拍子良く長い足を伸ばして軽やか。ウキウキ弾む歩調に合わせて横髪が踊ってみせる。

 隣の少女が有頂天であればあるほど、横を歩くミナトの不安は如実に増していった。


「なんで進んでこんな場所にきたんだか。平和な方舟に閉じこもってもっと上手い生き方が出来ただろうに」


 発音すら定かではない低く小さな声で悲観する。

 別に少女の行動に文句があるというわけではないし、伝えようと思ったわけでもない。ただミナトはなんとなく地べたへ向かって囁いただけ。

 願うものすべてを手にすることが可能な選ばれし者たち。その栄えある未来がただ1度の選択ミスで閉ざされるのは酷く、忍びなかった。


「そんなの決まってるじゃない」


 おもむろに立ち止まる。

 杏は栗色をした明るい髪を振って振り返った。


「後退と停滞は同義よ。現状を蹴散らすためにはたとえ危険だとわかっていても前進をしなければならないの。そして人間っていう生き物は前進することでしか満足感を得ることが出来ない不器用な生き物よ」


 持論を述べる彼女の瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいた。

 まさか聞こえていたとは。ミナトは呆然と足を止める。


「――っ!」


 頬を思い切り張られたような気分だった。

 刺さるには十分な威力の正論だった。

 悲観し卑下しささくれて斜に構えながら格好つけて。現状へ甘んじつつも逃げることばかりを考えていた少年にはあまりに深刻な言葉の槍だった。


「ははっ、強いんだな。オレにはマネできそうにないや」


「ううん強くなんてないわ。弱い自分が嫌いで強く生きようとしているだけ。実際は認められたくて意地張ってるだけだもん」


 杏は花の蕾が綻んだように頬を緩めた。

 恥ずかしそうにはにかみながら「あ、今のは忘れて」と、慌ただしく手をぱたぱたと振る。


――なにやってんだろうな。初対面の天上人相手にイジケてバカみたいだ。


 持っている人間が目の前に現れてしまったからもっていない自分と比べてしまう。

 結論から言えば彼女のほうが断然大人だった。 

 ミナトはなんだか喉元につっかえていたものが消えた気さえした。


「言い忘れてたんだけどさ、手の治療してくれてありがとう」


 あまり上手くはないが彼女を真似て頬を緩めてみる。


「オレの名前はミナトっていうんだ。ミナト・ティール。この星にいる短い期間の付き合いかもしれないけど、仲良くしてくれると嬉しいな」


 ぐるぐる巻きの下手くそな治療を施された手を見せながら目端をやんわりと細めた。

 なんとなく周囲に合わせて貼りつけることはあったが、笑おうと思って笑ったのはいつぶりだろう。

 杏は、白目を丸くしてから思い出したようにべ、と舌を覗かせる。


「私は……杏よ。改まったお礼なんていらないから。だってそっちの低レベルな文化を察せなかった私の落ち度だもん」


「なんでかいちいちトゲがあるんだよなぁ……」


 そうしてようやく天上人と地上人の2人は肩を並べて揃って歩き出す。

 互いの素性も知りはしないし語ろうともしない。出会ったばかりでそこまで深い仲ではないから上辺だけを晒すようなもの。

 天気が悪いやら埃っぽいやら。率先して愚痴を吐く杏の声を聞き、ミナトも適当に談笑に応じた。

 あまり広くない雑多なキャンプ区画。ときおりテントの中から視線を感じてそちらを見れば他人がすぐに顔を引っ込めてしまう。

 そうして歩き出して5分くらい経ったか。ようやくテントの丘の向こう側に簡易な石造りの小屋が現れる。


「へぇ? こんな場所にもちゃんとした建物なんてあるんだ?」


「フローリングも組んでない地べた剥き出しの建物がちゃんとしてるっていうならちゃんとしてるかな」


「じゃあちゃんとしてないわね」


 下らないなんでもないやりとりを交わしつつ目的地を見定めた。

 無表情、無機質。寒々しいわけでもなければも暖かみがあるわけでもない。とにかく無という表情をした喜怒哀楽の欠片もない煉瓦重ねの四角い小屋が鎮座している。

 その場こそがミナトにとって実家であり、この星で人類の中核を担う管理小屋だった。

 玄関口にはでかでかと木枠の看板が掲げられており、下手くそな共通言語でビーコンと殴り書きされている。


「な、なんかあの建物だけ場違い感がすごいわね……」


「あれ書いたのオレじゃないけどねぇ」


 そして2人はようやく乱雑に敷かれたテントの海から抜け出ようとしていた。

 ちょうどその時。広くとられた管理小屋周辺に詰まれたコンテナの影に動くものがあった。

 どうやらあちらもこちらの気配に気づいたらしい。丈長のローブにフード。明らかに怪しい格好をした何者かが転げるように慌ただしくこちらへと駆け寄ってくる。


「きょ、きょうちゃん!? ジュン、ジュンは見つかったの!?」


「あらウィロじゃない。先に管理人のいる場所へ向かったと思ってたのに何やってるのよ?」


 はらりと厚ぼったいフードが外される。

 すると中からベソをかいた前髪の長い麗しい少女が現れた。

 彼女は杏の元へ駆け寄るなり縋り付くように腰の辺りへ両手を回してしがみつく。


「ジュンが見つからなかったから諦めて管理小屋へもってきた装置を運ぼうと思ったのお! それなのにラスボスがいて近づけなくなっちゃったんだよう!」


 つぶらな瞳がうるうると濡れ、目端にいっぱいの水滴が浮かんでいる。

 それを杏はやれやれといった感じでだるそうに押し返す。


「あーもう相変わらずすぐ泣くんだから。それになによラスボスってホロゲームじゃないんだからね」


 2人のやりとりをよそにミナトも管理小屋を確認してみた。

 なるほど、と。そこには確かにラスボスが待ち受けている

 僅かに遅れて杏もコンテナの影からひょいと覗き込む。


「本当にラスボスがいるじゃない!? なによあの隆々とした筋肉の塊みたいな恐ろしい男は!?」


「お顔もすごい怖いよう! 話しかけようと30分くらい頑張ったんだけど怖すぎて全然ダメだったよう!」


 初見の少女が出会ったばかりのアレに声をかけるのは難易度ベリーハードだった。

 なにせ管理小屋入り口には仁王像の如き巨漢が威風堂々立ち尽くしている。

 しかもどうやらかなりご立腹らしい。巨体を揺らしながら踵を幾度となく鳴らし額にも青筋を浮かべている。

 杏はガクガク震えながらミナトのジャケットの裾をくいくい引いた。


「な、なな、なんなのよあれぇ!? アンタの家というかこの星では猛獣でも飼ってるってわけ!?」


「あれはこのキャンプの管理人で正式名称はディゲルだ。学名はディゲル・ゴリラ・ゴリラ。あの男こそがこの星の元締めだよ」


「あ、あれがアザーに常勤しているディゲル中将殿なの!? 東から聞いてた話とぜんっっぜんちがうんだけどお!?」


 ミナトが脅すと少女たちはカナリヤのような短い悲鳴を上げた。


――中将? あずま


 ここまで材料が揃っているのだからディゲルの立腹する原因も納得がいく。

 1人は迷子、1人は身勝手、1人はびびり。この通り自由気ままな天上人たちは誰1人として管理小屋に向かおうとしていない。

 つまるところディゲルは、ああやって数刻もの間待ちぼうけを食らわされているということになる。


「アリンコ1匹来やしねぇッ!! どうなってやがんだクソがッ!!」


 それからしばらく経ってようやく派遣部隊が集結した。

 なのだが、面々に強烈な雷が落ちたのは言うまでもない。


 

……………

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