今僕は行列の中にいる。いつもなら、遠巻きに見て通り過ぎているはずなのに。ルナがどうしても食べたいというから。「今度会ったら、絶対並ぼうと思ってた」僕は行列に並んでまで食べたいと思ったことはなかったし、そもそも食べ物にこだわっているわけでもない。だいたい、どんなものを食べてもそこそこおいしいと思えたし、グルメを気取っている人が少しばかり可哀そうに思えたりもしていた。おいしいものを食べるために行列に並んだり、高いお金を払ったり。そして、そうしたところで、本当においしいと思えるとき、満足を感じるときっていったいどのくらいあるのだろう。別にお腹がいっぱいになればいいってわけじゃないけれど、とにかく何を食べても、まずいと思うことはあまりなかった。行列に並ばなくても、高いお金を払わなくても、おいしいものはいくらでもあったし。「いくらあたしでも、女の子一人じゃ並べないから」一時間ぐらい並んで、僕とルナはやっとカウンターに座ることができた。皿に乗った寿司が目の前を通り過ぎていく。「これがいいよ」と言いながら、ルナは僕の前に皿を並べた。ルナはガリを食べたり、お茶を飲んだりしているだけで寿司を食べていない。皿をとってあげても、いつの間にか皿が僕の前に移動している。ルナは僕が食べるたびに「ねえ、それどう。おいしい」きいてくるけれど、「食べてみる」と皿をルナの前に置くと「いいよ」と言って皿を戻してきてしまう。たしかに美味しかったけれど、一時間も並んで食べるほどのものなんだろうか。とにかくルナは満足していた。それならそれでいいかと思った。カウンターの前に座ったことで、並んで待った時間はすべて解消されたようだし、並んでまで食べたということが大切で、寿司の味はあまり関係ないようだ。たとえ食べなくても、おいしかったということにしておけばよいのだから。「今日は楽しかった、ありがとう」店を出てしばらく歩いていると、ルナはいつものようにそう言って僕から離れていく。まるで大海原を漂っているかのように。

「今度ケータイの番号教えるね」別れ際にいつもそう言われるけれど、未だに教えてもらっていない。僕のほうからきかないからなのかもしれないけれど、僕は別に知らなくても良かった。僕はケータイを持ってなかったし、ルナに会いたいと思ったときは、いつもルナに会えたから。会うつもりがなくても、いつもいつの間にか僕のそばに来て、いつの間にか去っていく。

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