マジアの獣車
夕暮れになった途端、冷たい風が吹き始めた。
「何だ? あんなにクソ暑かったのに急に冷え始めたぞ」
「辺境の気候なんてこんなもんだし。とにかく、この獣車の主に同乗の願いを請おう」
リコが平屋の一軒家ほどある車を見上げ、ステップを上がろうとした。
ちょうどその時、ドアが開き、人が出てきた。
その人物はリコに気付き、驚きの表情を浮かべた。
「あっ!」
半ズボンの男の子だった。その男の子は大急ぎで中に戻り、ドアを閉めた。
リコはステップを駆け上がり、ドアにすがりついたが、鍵をかけられたようで、力一杯引いても頑なに開こうとしなかった。
「おい、お前、マジアだろ! ドアを開けろぉ! すぐに開けるのだ!」
渾身の力でリコがドアを叩きまくる。
風が吹き荒れ始め、俺の汗だくの全身から熱をどんどん奪っていく。
「うううぅ〜、寒すぎるぅ。リコ、早くなんとかしてくれぇ」
「マジア! ドアを今すぐ開けろぉ! 開けろ、開けろ、開けろ! 開けやがれ、このマザコン野郎ぉ!」
ドアを叩きながら甲高い声で喚き散らすが、中からの反応が全くない。
俺は凍えて、全身が震え始めた。
クーラーなんて願ってた日中の暑さが恋しすぎる……。
「マジア、開けてよぉ! リコ、死んじゃうよぉ! 開げでぐだざい。何でもずるじ! マジア様ぁ!」
リコの幼い顔から鼻水が飛び散っていく。それでもドアは開かない。
なんだか、眠くなってきた……。
とても疲れたし……。
見知らぬ異世界で死ぬのも、この際、まあいいかな……。
「マジア! 異世界人を連れでぎだのだぁ! ガイアの人間なのだぁ! 見だいなら、ドアを今ずぐ開げるのだぁ!」
リコがそう絶叫して、俺の顔がガクリとうなだれた時、すごい勢いでドアが開いた。
「リコ! それ本当!?」
その声を聞くやいなや、俺とリコはバタリと倒れ、共に気を失った。
◇◆◇
獣車の中はぬくぬくとして、とても暖かい。
だが、俺の股間はスースーと冷やっこい。
小便臭いとマジアが言い出し、ズボンとパンツを剥ぎ取られ、俺の下半身はスッポンポンのポンなのだ。
ガタガタと揺れる獣車のリビングで、俺はフカフカのひざ掛けで股間を隠し、リコ、マジアとテーブルを挟んで向き合って座っている。
「本当にさ、この小便臭いのが異世界人なの? リコ」
綺麗に整った顔立ちの、いかにもお坊ちゃまという感じのマジアが不審そうに俺を睨む。
濃紺のブレザーに半ズボンといった学校の制服みたいな格好をしているが、育ちの良さが着こなしや仕種からにじみ出ている、そんな男の子だ。
色白で茶髪で耳の頭は尖っておらず、普通の耳だ。
声変わりはしていないのか、女の子みたいな声をしている。
年齢はリコより少し上くらいだろうか?
「そうなのだ。リコが自らガイアに赴いて、連れて来たから正真正銘の異世界人なのだ」
「ふーん、こいつがガイア人ねえ……?」
釈然としない表情のマジアの視線が、俺の全身を舐め回すように動く。
「こら、エイジ! もぞもぞと動くな! お前の自慢の股間のタマタマが見えてるし!」
「じ、自慢じゃねえし! のぞくなよ!」
リコは体を傾け、俺の股間を目を細めてじっと眺めながら、横にあるリュックに手を伸ばした。
「そうだ、マジア。お前に土産があるぞ」
リコが手にしたのは、俺たちの世界じゃありふれた赤い缶コーラだった。
リコはそれをシャカシャカと威勢よく振ってから、マジアに渡した。
「異世界の味だ。はい、召し上がれ!」
マジアは缶コーラを目線まで持ち上げ、珍しそうに見つめた。
「なんだかジュージュー音がするけど、飲み物だよね、これ?」
「音がしている間がいちばん旨いのだ。さあ、早く飲め!」
「ここを引いて開けるのかな?」
マジアがプルタブに指を掛け、引っ張った。
ぬるいコーラが飲み口から一気に噴き出し、マジアとリコの頭に盛大に降り注いだ。
「うわあ! 何だこれ!」とマジアの声がひっくり返る。
「ビショビショだし、ベトベトするのだ……」
リコは半べそになって、金髪をいじり始めた。
バーカ! よく考えてからイタズラしないからだ。
被害を免れた俺は離れた席から高みの見物だ。
久しぶりに腹の底から笑いがこみ上げ、口元が緩んだ。
マジアは仏頂面で濡れた上着を脱ぎ、手ぬぐいで頭を拭いている。
「リコは相変わらず低レベルだよね……」
マジアは不機嫌そうにそうつぶやいたが、もう一枚手ぬぐいを手に取り、リコの髪を拭き始めた。
リコもまんざらでないのか、黙って大人しく髪を拭かれている。
マジア、お前って結構優しい奴なんだな。
俺はその光景に、心がジーンと癒やされる思いがした。
兄妹のやりとりのような、そのシーン。
しばし、親にでもなったような気分でそれを眺めた後、切り出した。
「ところで、お前たち、いったいどういう関係なんだ?」
マジアが手を止め、こっちを向いた。
「ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね。非礼をお許しください。小便臭い異世界人さん」
言葉遣いは丁寧だが、言ってることは失礼極まりない。
マジアが背筋を伸ばし、姿勢を正した。
「いやーん。リコの髪、まだベトベトだし」
横にうるさいのがいるが、今は無視だ。
「僕の名前は、マジア・クオレ・ソリタリオ。帝都で重魔術師をしてましたが、今は各地を気ままに放浪してます」
「じゃあ、次は俺な。俺は
「にほん……? だいがくせい……? もしかして、エイジさんは学生ですか?」
俺はそれにうなずく。
「リコも! リコも自己紹介するし!」
手ぬぐいを頭にかぶったリコが横で手をバタつかせて騒ぐ。
その頭を押さえつけて、マジアが続ける。
「こいつはリコルディ・アディオ・パルテンツァ。パルテンツァ家の十三女で、僕の幼馴染みです。とは言っても、エルフなので見た目と違って実年齢は、僕より随分と……、痛い、痛い! リコ、叩くなよ!」
「ああん! 自分で紹介するのに!」
騒ぐリコをまたもやサクッとスルーして、マジアに訊く。
「マジア、実年齢が見た目と違うって、どういうことなんだ?」
「エルフ族は長寿なので、見た目じゃ年齢はわからないのです。まあ、知能も見た目と比例してゆっくりとしか育ちませんけどね」
ふーん、そういえば元の世界でそんな漫画があったかな……?
じゃあ、リコとかいうこの少女はいったい何歳なんだ?
「リコさ、お前っていくつなんだ?」
「レディに歳を訊くなんて、無礼極まりないし!」
サクッとスルーされた……。
「じゃあ、マジア、お前は何歳なんだ?」
「僕は混血のクオーター・エルフなので、人間族と歳の取り方は同じです。今、12歳です」
耳の頭は尖ってないけど、こいつもエルフの血が入っているのか。
見た目は人間と何ら変わらないんだがな。
マジアは12歳にしてはしっかりしてそうだし、じゅう魔術師とか言ってたな。
「マジア、お前、じゅう魔術師なんだろ。それって何だ?」
「あっ、そうか。エイジさんは、こっちの世界のことはわからないんですよね。重魔術は産業の基幹となる事象を操る魔術で、主に重工業などで使われてます」
「重工業の重か。俺は獣の『じゅう』かと思ったぜ。あの物騒な獣を操っているからな」
その物騒な獣が駆ける音が響いてくる。自動車ほどではないが、馬よりは早い。
「リコさ。リコは重魔術ってやつを使えるのか?」
俺の言葉に、マジアの目が一瞬泳ぎ、キュッと少し身を固くした。
「リコは重魔術なんか使えなくていいもん! リコの方位魔術は世界一だし!!!」
リコは小さな鼻を膨らませて、憤っている。
そうかと思ったら、テーブルをバンバン叩き出し、乗っかっている物を手当り次第に投げ始めた。
「重魔術なんて! 重魔術なんて! 世界からなくなればいいし!!!」
傍若無人の暴れっぷりに、呆気に取られる俺の耳元でマジアが小声で囁いた。
「実は……、リコは重魔術がいつまで経っても習得できないから、家を追い出されたんですよ」
そう言うマジアに向けて、皿がぶっ飛んできた。
「マジア! 今の聞こえてるし! 家だけじゃなくて、帝都も追放されたし! だから、だから……、リコは『錯乱の扉』をくぐって異世界まで行ったんだもん!」
ペタンと座りこんで、泣き始めた。
幼女の大号泣だ。
耳に突き刺さる甲高い泣き声が、獣車の中で響きまくった。
「あの『錯乱の扉』をくぐって戻って来た者は一人たりともいないんだ。リコは本当にすごいよ」
「ふっふーん! そうそう、リコはすごいのさ。世界一の方位魔術使いなのさ」
リコは満足げな顔で鼻を鳴らす。
おだてるとすぐに機嫌が治るタイプのようだ。取り扱いがイージーそうで助かる。
おだてられたリコはリュックからフライドポテトを出して食べ散らかしていたが、大あくびをしてすぐに、眠りこけてしまった。
ソファーからずり落ちそうな姿勢で、その手には何故か俺のズボンが大事そうに抱かれている。
時折、鼻の穴が膨らみ、大きく息を吸い込んだかと思うと、悪魔にでも会ったかのような苦悶の表情でうなされている。
俺も疲れてかなり眠かったが、この期にマジアからこの世界のことを聞いた。
それでわかったことをまとめる。
・この世界の帝国を支配している皇帝がいること
・皇帝は先の大戦で魔王を天空に追いやったこと
・魔王は逃亡したが、魔獣の一部は未だに地上に残っていること
・異世界の俺でも不自由なく会話ができているのは、帝国の領土全体に重魔術の影響が及んでいるせいであること
・魔術式を解式すると魔法が発生すること
・魔術式を使用せずに魔法が使えるのは魔族だけなこと
・異世界に通じる『錯乱の扉』というゲートが禁断の地にあること
・リコの方位魔術は見つけたいと願う物がどこにあるかを示す魔術であること
・リコの一族は帝都でも指折りの名門貴族なこと
・リコは酸っぱいものが苦手なこと
最後の情報はどうでもいいが、ここまで訊き出して、さすがに眠くなってきた。
「マジア、今日は助けてくれて、本当サンキューな」
「は? エイジさん、3,9ってどういう意味でしょう???」
「ありがとうってことだよ……」
獣車の揺れる音を子守唄代わりに、俺は眠りに落ちた。
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