Scene 2:一緒に帰るしかないッ!

 

 夏帆は白兎や都子の面倒を見る関係でお互いの家を行き来しているけど、僕は特に用事がないから夏帆の家には久しく入っていない。


 でも夏帆の部屋がベランダ側だったのは覚えている。つまり今の会話から察するに、依然としてずっと同じ部屋を使っているということなんだろう。さすがに内装は変わってるだろうけど。


 今、どんな感じになってるんだろ……。


「ところで夏帆がこの時間まで残ってたのは部活?」


「そそっ。明日から部活動禁止だから、今日は部員総出で弓道場の掃除とか道具の手入れとかをしてたんだ。それで終わって帰ろうと思ったら雨が降ってきちゃって、途方に暮れてたところ。そうしたら廊下の先に涼ちゃんの姿が見えたから走ってきた」


「雨? あ、降ってるんだ……」


 夏帆に指摘されるまで、僕は全く気付かなかった。暗くなったのは日没が近いからだとばかり思っていたし。


 確かに窓の外をよく見てみると、ポツリポツリと雨粒が落ちて地面にマダラ模様を作っている。しかも空は鉛色の雲が覆っているから、もうすぐ本格的に降り出すかもしれない。


「夏帆は折りたたみの傘を持ってないの?」


「ない。だって朝は晴れてたし、天気予報でも雨が降るって言ってなかったし」


「いやいや、梅雨の時期なんだからカバンの中に常駐させておきなよ。いつ降ってもおかしくないんだから」


「だって重いし、カバンの容量を取られて邪魔だし」


「相変わらずだなぁ、夏帆は……」


「ちなみに今の涼ちゃんの言葉から推測すると、やっぱり涼ちゃんは傘を持ってるってことだよね?」


 ニコニコしながら問いかけてくる夏帆。その瞬間、僕は心の中で舌打ちをする。


 なぜならこの流れで『傘を持っていない』とは言えないから。会話の流れの雲行きすら怪しくなってきた気がする。このままだと一緒に帰るどころか、傘に入れろって言ってくるに違いない。


 こうなったら強行突破。力技で乗り切るしかない。


「……まぁね。でも今の季節なら濡れても風邪をひくことはないだろうから、傘がなかったとしてもその点は安心だね。それじゃ、僕は帰るから」


 さりげなく僕はその場から立ち去ろうとする。


 でも即座に僕は夏帆に肩を掴まれ、オーガの如き強烈な力で引き戻されてしまった。さすが弓道で体幹を鍛えているだけはある。


 もはや僕は薄笑いを浮かべて素知らぬ振りをするしかない。


「……おい、待て。山城やましろ涼。ど・こ・へ・行・く?」


「い、家に帰るんだけど……っ?」


「喜べ、特別に相合傘を許してやろう。だから私を傘に入れろ。これは命令だッ!」


「い、今、何か言った? 聞こえなかったんだけど?」


「入れてくれなかったら、涼ちゃんの恥ずかしい過去をクラスのみんなに言いふらすぞ?」


 夏帆はドスの利いた声で僕を脅してきた。


 その言葉が本気かどうかは別として、彼女が恥多き僕の過去の何もかもを知っているというのは紛うことなき事実。例えうちの家庭内だけのことであっても、両親が井戸端会議などで名越家へ情報漏洩してるから始末が悪い。個人情報保護なんて言葉、あったもんじゃない。



 ――でもそれはお互い様。僕だって夏帆の色々なことを知っている。過度に恐れることはない。だから僕は平静を装い、夏帆へ迫る。


「そんなことをしたら、僕も夏帆の恥ずかしい過去を言いふらすよ?」


「ひっ、卑怯なっ!」


「先に脅してきたのは夏帆だと思うけど?」


「うぅううううぅ……。涼ちゃん……お願い……。入れて……」


 とうとう夏帆は涙目になってしまった。こうなってしまうと僕もばつが悪い。というか、夏帆の泣き顔に僕は弱いのだ。


 胸が締め付けられるというか、ソワソワするというか、いてもたってもいられなくなる。


 結果、僕は根負けして大きく息をつく。


「わ、分かったよ……。僕の傘へ一緒に入って帰ろう。でも夏帆も最初から素直に『傘に入れて』って言ってね。親しき仲にも礼儀ありだよ」


「おぉっ、さすがは茶道部! 礼儀にはうるさいね」


「弓道だって礼儀作法は大事でしょ。形やアプローチの手法は茶道と違っても、辿り着く極致には通ずるところがあると思うんだけどな」


「ゴメン……。でも涼ちゃんこそ、傘がなくて私が困ってるのを分かってて、ひとりで帰ろうとしたのは冗談だとしてもヒドイよ。義を見てせざるは勇なきなりだよ」


 恨みがましく僕を見つめている夏帆。そしてその的確なツッコミに、僕は何も言えなくなってしまった。


 おっしゃる通りで、ぐうの音も出ない。自分のことよりもまずは相手のことを気遣って、おもてなしをする心で接しないといけないのに。それが茶道における礼儀の一片。僕もまだまだ心が未熟だ……。


「夏帆、ごめん……。僕が悪かったよ……」


「じゃ、涼ちゃん。あらためてお願いするけど……傘に入れてくれる?」


「うん、一緒に帰ろう」


「えへへ、ありがとっ♪ 私、そういう涼ちゃんの優しいところが好きぃ~♪」


 夏帆は僕の手を握って小さく跳びはねた。すると髪や制汗スプレーか何かの甘い香りが漂ってきて、僕の鼻をくすぐる。そして柔らかくて温かな手の感触が伝わってくる。


 それを意識した途端、僕の手はじんわりと汗ばんできて、照れくさくて、僕の顔が瞬時に熱くなってくる。もちろん、嫌な気なんてしない。むしろずっとこうされていたいというか……。



 ――あ、でも夏帆の手、小指だけはマメみたいなものがあるのかな? ちょっと感触が違うから。これは弓道をやっていて出来たものだろうか? 昔、手を握られた時にはなかったと思うけど。



 夏帆、弓道を頑張ってるんだな……。



 (つづく……)

 

 

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