Scene 3:相合傘の下は僕の茶室のようなもの
僕たちは高校の正門を出ると、駅へ向かって歩き出した。相変わらずしっかりとした雨が降っている。傘に当たる音はスネアドラム(小太鼓)のような軽やかなリズムを刻み、雫は傘布を伝って下へと落ちる。
また、折りたたみの傘だから高校生ふたりが入るには小さくて、どうしてもお互いに肩が雨に濡れてしまう。まぁ、こればっかりは仕方がない。
だから傘の柄を持つ僕は、心持ち夏帆の方へ寄せてあげることにする。
――だってこの傘の下は僕の茶室のようなもの。おもてなしの心で夏帆を気遣ってあげるのが礼儀だから。
さらに僕は歩道の車道側――右側を歩く。というのも、車道と歩道はガードパイプで区切られているだけで、しかも車道は断続的に車が走っている状態。もし水はねや万が一のことがあった時、少しでも夏帆を守ってあげられるように――。
「夏帆、車の水はねに気をつけてね。車道側は僕が歩いているから、大丈夫だとは思うけど」
「へぇ、涼ちゃんにしては気が利くね。でもそういうのは言っちゃダメだよ。黙っておいた方が、そのことに相手が気付いた時の好感度アップの度合いは大きいんだから。涼ちゃんはまだまだですなぁ」
「そういうあざといのは僕の性に合わないの。そもそも夏帆の好感度をアップさせてどうするの? 今さらって感じだし」
「ふふっ、嫌われるよりは好かれる方がいいんじゃない?」
「……まぁ、それはそうかもしれないけど」
「でも愚直なところは涼ちゃんらしいというか、昔から変わらないなぁって思う。その性格、彼女を作る時には苦労しそうだけどっ♪」
「よ、余計なお世話だよ……」
僕が頬を膨らませると、夏帆はクスクスと微笑む。
「っと、夏帆――」
その時、車道の水たまりを車が通過していきそうだったので、僕は咄嗟に夏帆を車道と反対側へそっと押した。
一方、僕は車道に背を向け、車と夏帆の間に入るようにして立つ。程なく車は水を軽くはねさせながら僕たちの横を通過していく。
幸い、はねた水の大部分は別の場所に飛んでって、僕はわずかに靴が濡れる程度で済む。
「夏帆、大丈夫?」
「……うん、ありがと」
「車道と歩道の間に植え込みとかしっかりしたガードレールでもあれば、ここまで気を遣わなくても済むんだけどね」
「私は別にこのままでも……。だってそのおかげで今……」
「え? 何?」
「う、ううんっ、なんでもないっ! ほら、もう少し進めば歩道が広くなるよ!」
夏帆はなぜか慌てふためきながら僕の制服を引っ張って前方を指差した。いったい、夏帆は何を言おうとしていたのだろう? 別にいいんだけど……。
「それにしても校舎を出る前に涼ちゃんと会えてラッキーだったよ」
「傘に入れてもらえるから?」
「うんっ! 涼ちゃんの性格を考えたら、絶対に傘を持ってきてるって思ってたし。この雨の中を傘なしで帰るとなると、びしょびしょに濡れちゃうもん。制服のまま濡れちゃったら、肌に張り付いて生暖かくて気持ち悪いし。特に下着とか」
チラリと視線を向けると、夏帆の肩はさっきよりも雨に濡れていた。しかも夏帆のスクールシャツは少し透けて見えて……。
――いかんいかんっ! 僕は慌てて雑念を振り払い、さらに傘を夏帆の方へ寄せる。
それにしても傘を寄せてあげたにも関わらずこの状態だということは、雨の勢いは学校を出た時と比べて強まっているのかもしれない。
「あ、涼ちゃん。もう少し私に寄りなよ。すごく濡れちゃってるよ」
「僕なら大丈夫だよ」
「ダメ! それなら私が涼ちゃんに近寄っちゃうもんね」
「か、夏帆……」
夏帆は自身の右腕と僕の左腕が重なるくらいの距離まで近寄った。こんなに接近して歩くのはいつ以来だろうか。大人びた横顔の美しさと雨粒に滲んだ彼女の腕の感触が、否応なく僕の心臓の鼓動を加速させる。
「私たちの高校って、駅までそれなりに距離があるよね。路線バスでもあればいいのに。それとも昔はあったのかな? でも乗客が少なくて廃止になっちゃったとか」
「どうなのかな? 三組に
「あぁ、大金持ちはいいなぁ。黒塗りのリムジンが門の前まで迎えにきてくれるもんね。それで初老の執事が『お嬢様、お迎えに参りました』なんて言って」
「別に大金持ちじゃなくても、親に連絡すれば学校まで車で迎えにきてくれる生徒はいると思うよ。門の前に車が止まってることあるでしょ。さすがにリムジンじゃなくて、普通の自家用車だけど」
「あ、確かに……。でも私が親なら『ふざけんな、濡れて帰ってこい』って子どもに言うね。だって雨が降るたびに迎えに行かされたら大変でしょ。タクシーじゃないんだから」
「じゃ、夏帆は子どもにいつも折りたたみの傘を持たせておかないとね」
「だね。カバンが重くなるとか邪魔とか言わせない」
「あらら、どの口が言うんだか……。まずは夏帆がそれを実践しなよ。せめて梅雨の時期とか天気予報で降水確率が高い時くらいはさ。今日みたいに傘に入れてくれる誰かがいつもいるとは限らないんだから」
「そだねー。あ、もしもの話だけど、傘を持って迎えにきてって涼ちゃんに連絡したら、来てくれる?」
今までより数センチ、僕に顔を寄せて返答を待っている夏帆。瞳をキラキラさせてこちらをじっと見つめている。
そんなに期待に満ちたような反応をされても、僕としては困るんだけどな。正直な気持ちを話すことしか出来ないわけだし。
っていうか、この問いに答えるのはかなり照れくさいんだけど……。
「……状況次第かな。近くにいるなら考える。遠くだったらキッパリ断る」
「そこは『はい、いつでもどこでも喜んで!』って言ってよぉ」
「約束できないことは安易に言えない。そんなの礼儀に反するでしょ」
「……そうだけど」
「ま、夏帆ならきちんと状況を考えて判断するだろうから、現実ではそういう横暴すぎるような要求はしないと思う。だから……まぁ……つまり夏帆が何かを頼んでくる時はよっぽどのことだろうから……その……無理のない範囲でなら……なるべく協力する……かも……」
「っ!? 涼ちゃん……。うんっ、アリガトっ♪」
夏帆は晴れやかに微笑んだ。つまり僕の返答は彼女の期待に添ったものだったということだろうか? もしそうだったら僕も嬉しい。
だって夏帆にはいつもお世話になっているし、僕だって彼女の笑顔を見ていたいから。
(つづく……)
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