笑顔のスペクトル

みすたぁ・ゆー

Scene 1:放課後の校舎内で……

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ! 待って! りょうちゃん! ひとりで行かないでっ! はぁっ……はぁっ!」


 梅雨のある日、生徒昇降口へ向かって廊下を歩いていると、僕は後ろから大声で呼び止められた。放課後ですでに校内が静まり返っているということもあり、の激しく乱れた息遣いまでもハッキリ聞こえてくる。


 そして僕は振り向かなくてもその声の主が誰なのか、察することが出来る。


 なぜなら、物心ついた時から高校二年となる現在まで、毎日のようにその声を聞いているから。さらに校内で僕のことを『涼ちゃん』と呼ぶ人間はひとりしか心当たりがない。



 名越なごし夏帆かほ――



 同じ団地で、しかも隣に住んでいるという幼馴染み。腐れ縁を通り越して、すでに家族みたいな存在といったところ。実際、今年で五歳になる双子の弟と妹――白兎はくと都子みやこは面倒をよく見てもらっている。


 夏帆はキリッとした目と涼やかな雰囲気が特徴で、長い黒髪をポニーテールにしている。また、女子にしては身長が高くて、175センチメートルの僕とほとんど変わらない。


 容姿は……可愛い……と思う……。学年を問わず、夏帆に対して好意を持ってるってヤツの話をよく聞くから。


 でもそれよりもなによりも、明るくてハキハキしてて話しやすい雰囲気ってところの方がみんなに好かれてる大きな理由かなって気がする。


「良かったぁ……涼ちゃんに追いついたぁ……」


「……やっぱり夏帆か」


 足を止めて振り向くと、駆け寄ってきたのは僕の推察通り夏帆だった。肩で息をして、額には汗が輝いている。


 制服を着てカバンを持っているということは、部活動が終わってこれから帰るところなのかな? まさか一緒に帰ろうとか言わないよね?


 そ、そんなの……照れくさすぎるでしょ……。


 だって学校から家までとなると、ここから駅まで十分くらい歩いて、そのあと電車に二十分くらい乗って、さらに駅から団地まで五分くらい歩くことになる。その間、ずっと一緒。同じ団地に住んでるから、途中で別の道を進むというわけにもいかない。


 その姿を誰かに見られたら、校内でどんな噂が流れることか。あることないこと、尾ひれもお頭も付いて舟盛りにさえなりかねない。僕は静かで平和な高校生活を送りたいというのに。


 夏帆に好意を持ってるヤツに恨まれて、リア充爆発しろとでも言わんばかりに爆発物でも送りつけられたら堪ったもんじゃない。だから夏帆と一緒に帰るには、それなりの覚悟がいるというかハードルが高すぎる。




 …………。


 ……まぁ、それは冗談としても波風を立てられたくないのは事実だから、その話題にはならないでほしいと切に願う。


「涼ちゃん、なんでこんな時間まで校内に残ってんの? 茶道部って今日は活動日じゃないよね? 確か火曜日と金曜日だもんね?」


「部活じゃないよ。来週からテストだから図書室で勉強してたんだよ」


 うちの高校では定期考査の一週間前から全ての部が活動禁止になる。明日がちょうどその一週間前だから、我が茶道部のように活動の曜日が決まっている部以外は今日まで活動しているんじゃないかな。


 ちなみに夏帆は弓道部で、何か事情がない限りは今日も活動があったと思う。


「あ、なるほど。涼ちゃん、家に帰ったら白兎と都子の邪魔が入るから落ち着いて勉強する時間が限られちゃうもんね?」


「まぁ、寝静まるまでは仕方ないよ。だからその分、家では深夜に集中してやってるけどね」


「みたいだね。灯りが点いてる時があるの知ってるよ」


「……覗きめ」


「だって私の部屋、ベランダ側だから窓の外を見ると隣から灯りが漏れてるのが分かっちゃうんだもん。だからこれは覗きじゃありません。不可抗力でーす。涼ちゃんの部屋もベランダ側だもんね?」


「まぁね。よく知ってるな――ってか、夏帆は白兎と都子の面倒を見にうちによく来てるから、そのことを知ってて当然か」


「――あ、涼ちゃんの家に行った時でも涼ちゃんの部屋には入ってないから安心してねっ♪」


「安心ってどういう意味?」


 僕が眉をひそめると、夏帆はキシシシと怪しい笑みを浮かべる。


「見られたらマズイものがあるでしょ? ベッドの下とかっ」


「…………。あの部屋の狭さで何か隠しておけるスペースがあると思う? 四畳半だよ? そもそもベッドなんて狭くて入らないし。同じ団地なんだから間取りも広さも夏帆の家と同じ。それくらい分かるでしょ」


「てはは、それもそだねー。それに今どき紙媒体とか少数派だろうしねー。見られたらマズイものはデジタルデータでスマホとかパソコンとか記録媒体の中だよねー」


「…………」


 勝手に納得している夏帆に対して、僕は黙秘権を行使した。勝手に想像するのは自由だし、特に追求してくるわけでもないみたいだからスルーしておこう。



 ――そういえば、最後に夏帆の家へ入ったのはいつだろうか? 小学校高学年くらいの頃かな?

 

 

(つづく……)

 

 

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